第7話 邪悪少女
僕のクラスである狩人は良く言えば万能、悪く言えば器用貧乏だ。
急所を見抜く目とナイフを駆使し攻撃的な前衛として立ち回ることもできる。敏捷性と見切りの冴えを生かして攻撃を避ける防御的前衛にもなれるし、当然後衛から弓で火力役を担うこともある。
しかし、本来の狩人の専門分野は隠密行動だ。街中よりも自然の中の方が得意だし、人よりも魔物相手が楽なのだが、ランク7にもなると雑にやってなんとかなる。
「んむぐうぅっ!」
雨が降りしきるアウルベルナの漆黒の夜の中、僕は復讐神ジヴァーナムの神官オフィーリアを見つけ出し、背後から迫ってその口を塞いだ。
人気のない路地裏。こんな場所を通るとは不用心な女の子だ。
「騒いだら殺す。大人しくしててね」
塞いだ口からは言葉未満の呻きが漏れていく。密着した体は恐怖に震えていた。
「じゃあおやすみ」
睡眠薬をしみ込ませた布でその鼻と口を覆い、無理やりに吸い込ませる。オフィーリアは目に涙を浮かべながらいやいやと顔を動かし、必死に身をよじって僕の拘束から逃げ出そうとした。
しかし無駄だ。ランク7の僕に抗えるはずもない。
オフィーリアは唇を固く結び、呼吸を止めることでせめてもの抵抗をみせた。強情な女だ。
僕はその唇をこじ開け、歯の間に指を突っ込み、布を口内に押し込めて、鼻の穴をつまむ。これで圧倒的筋力の差を理解しただろう。オフィーリアの体は一際大きく痙攣した。
袖の下から一瞬でナイフを取り出し、首筋に突き立てた。鋭い刃先は白く柔い肌を圧迫し、肌を切り裂く寸前で静止させた。耳元に囁きかける。
「抵抗は無駄だ。大人しく――息を吸い込むんだ」
脳は酸素を要求し、オフィーリアはついに思いきり空気を取り込んだ。豊かな胸が呼吸に合わせて揺れている。
そして――数十秒後にはぐったりと死んだように眠りについた。あどけない寝顔だ。若干の罪悪感を覚えつつ、彼女の体をおんぶして周囲を見渡す。誰にも見られていない。
それにしても――なんて存在感なんだ。僕は背中で押しつぶされている柔らかい二つの感触に意識をとられてしまう。
隣のヴァイオレットが呟いた。
「すごいおっぱいです。顔も可愛いし、まさか、こんなだから攫おうなんて言い出したんですか」
「……違うよ。おっぱいは関係ない」
「エディ、私は知っています。――夜ごとに膨らんでいく成長期の私のおっぱいに興味津々だったことを」
「そ、そんなことはない!」
冤罪だ!
人の足音が聞こえた。僕は額に浮いた汗を拭きとることもできないまま、オフィーリアをおぶって夜の闇の中に溶け込んだ。
▼△▼
事務所の倉庫の中。
扉も窓も締め切り、小さな叫びくらいなら雨音でかき消されるだろう。
黒ずくめの女神官オフィーリアを椅子に縛り付け、僕はその向かいに座った。
激しい雨によって僕たちはびしょ濡れになった。それはオフィーリアも同様で、ぴっちりと黒い神官服が肌に張り付いて女性的な身体のラインを際立たせ、どうにも目のやり場に困る。
「まさか、エディ、これだから雨の日に攫ったんですか」
「……違うよ」
「……ふふ。分かってます。冗談ですよ」
くすくすと笑いを孕んだヴァイオレットの声。なんだか楽しそうだ。
さて、そろそろ起きる頃合いだろうか。
「んんんぅ……」
オフィーリアはくぐもったうめきを漏らしながらゆっくりと目を開いた。見慣れぬ光景に戸惑い、体を動かそうとして縛られていることに気がつく。
僕とヴァイオレットは視線を交わらせ仮面を被った。白一色のシンプルな仮面だ。
さらに僕は物陰に身を隠す。オフィーリアとは昼間に話したばかりであり、顔が見えないといっても背格好や声でばれる恐れがある。だから尋問はヴァイオレットに担当してもらう。
「おはようございます」
「ぴぴぴやあ!」
小鳥のさえずりみたいな悲鳴。……やっぱ変わってるな。
「わ、私にこんなことをしてタダで済むと思っているのですか。知らないようなので教えてあげましょう」
胸を張って語り始めるが、その声は少し震えて恐怖を隠しきれていない。
「私はある神に仕える神官です。手を出してはいけません。私の美貌に惹かれて手籠めにしようとしたのでしょうが、あなたには想像もできない破滅がもたらされますよ。今すぐ解放すれば見逃してあげます、さあ、解放しなさい!」
「破滅、ですか。ふさわしい脅し文句ですね――復讐と破滅の神ジヴァーナムに仕える神官に」
オフィーリアは驚いて目を見張った。
「知っていて――知っていて私をさらったというのですか。なんと罪深い。復讐神は七つの世界を統べる存在ですよ! こんなことして許されると思ってるのですか!」
七つの世界を統べるって…… 本気で言ってるのだろうか。神にとっての神である創造神でさえそんな力はないのに、まして無名の神だぞ。
「許されなければどうなると言うのでしょう。あなたと邪神に何ができるのでしょうか」
「邪神ではない! 縄で縛った程度で私の力を抑えたつもりでいるとは、笑止千万! 我が主の神威を思い知るがいい! すべては因果応報、恨みは晴らされ、両者に破滅が訪れる!」
力ある言葉が紡がれていく。オフィーリアは指だけで聖印を組んだ。
「
呪文が完成した。紫色の光がオフィーリアの体を包み、彼女の前で一点に収束して――
霧散した。
「あ、あれ? なんで? 上手に言えたはずなのに……?」
首をかしげるオフィーリア。ヴァイオレットは冷たく言い放った。
「やっぱり七つの世界を統べる神なんてあなたの妄想なんじゃないですか。本当のことを教えなさい」
オフィーリアは身をよじるが、椅子がカタカタと揺れるだけだ。手は後ろで結ばれ、両足は椅子に縛り付けられている。
「妄想じゃありません! ……妄想じゃないですよね?」
「……いや、私に聞かれても……」
自信なくしてるんじゃない。え、妄想じゃないよね? すべて中二病少女の妄想でしたとかだと困るんですけど……
彼女が呪いの術を使うことができなかったのはその身を縛る縄が原因だ。僕が祈りを捧げながら直々に編んだ縄であり、捕らえた獲物の力を奪う力を持つ。決して妄想だからではないはず。
「ともかく、復讐と破滅の神ジヴァーナムについて知っていることをすべて喋ってもらいます」
「――ッ! なぜ我が神のことを知りたがるのでしょうか。その仮面…… まさかあなたは……」
「……?」
「憎き秩序神の手先ッ! 遣わされた異端審問の使徒ですねっ!」
なんか話の流れが変な方向に向かっている。大丈夫だろうか。やはりオフィーリアという少女は妄想癖があるようだ。ヴァイオレットを天使かなにかと勘違いしている。秩序神ってなんだ? 聞いたことないけど。
「……そのとおりです。私は秩序神の使徒です」
そしてヴァイオレットもそれに乗っかった。彼女は会話が苦手なのだ、とりあえず同調したのだろうがうまく軌道修正できるだろうか。
オフィーリアの瞳がキランと輝く。
「ついに秩序神が動き始めましたか…… 厄介ですね…… しかし我が神を排すことなどできはしませんよ。なぜなら復讐神は邪神などではなく、絶対にして唯一の真なる神なのですから!」
自由を奪われたこの状況において、オフィーリアは自分の台詞に酔っているようにさえ見えた。縛られたまま飛び跳ねる。きっと両手が自由だったら仰々しいポーズで祈りを捧げていたのだろう。
この子もバカだな……
暗がりに隠れたまま僕は眉間を揉み込んだ。クリスをこんな神殿に仕えさせるのはやはりやめておこうか……
「自分の地位に固執しジヴァーナム様を押さえつけようとする、なんと創造神と秩序神は卑怯で姑息なのか!」
それにしても凄い妄想だなあ。創造神が無名の神なんかを敵視するはずないのに。きっと羽虫程度にも思われていないだろう。
「……それでジヴァーナムという神はどんなクラスを与えるのでしょう?」
「よろしい。その教えを知ればあなたも悔い改め慈悲を乞い、我が神殿の末席に加わらんと欲すでしょう。私はいつでもだれでも歓迎ですからね」
ヴァイオレットは右腕を伸ばしその指先をオフィーリアの目の前に突き付けた。白い指先が弾けるような音と共に青い雷を纏い、薄暗い倉庫の中を照らし出す。
「質問に答えてください」
「ぴゃいっ!」
舌を噛みながら震え上がるオフィーリア。それを見てヴァイオレットは雷を引っ込めた。
「それで――どんなクラスを与えるのでしょう?」
オフィーリアは瞳を潤ませたままだが、その幼さの残る顔に気丈さを取り戻し元気よく話し始める。
「
オフィーリアが放った「復讐の呪い」というのがそれにあたるのだろう。拘束されたという状態を反射するつもりだったというわけだ。
「……それは、ダメージを受けないと何も能力がないクラスということですか?」
「そういう表現の仕方もできるでしょう! 傷つくことなしに勝利を得ることはできません。復讐神は公平です。まず代償を払いたまえ、さらば与えられん!」
……欠陥クラスだ。
冒険者の戦いっていうのは、一方的に魔物を殴り殺す撃ち殺すのが正道。もちろん前衛は後衛を守るために攻撃に身をさらすが、傷つくことは明確な失敗だ。前衛が簡単に守りを貫かれるような魔物と相対したら、すぐ逃げるべきである。
ヴァイオレットは再び指先に雷を纏わせた。今度は先ほどよりもずっと弱く静かな雷だ。そしてそっとオフィーリアの額に触れる。
「あいたっ! ビリッときましたよ!」
「さあ、跳ね返してください」
「ふん! いいでしょう、覚悟してください。
間抜けな困り顔になるオフィーリア。紫の光は効果を為す前に霧散した。自らを縛る縄の特殊性にまだ気づいていないようだ。この調子だと一生気づかないのかもしれない。
僕は少しだけ悲しい気持ちになった。一生懸命編んだ縄なのに、その凄さを理解してもらえないなんて。肌に触れればそのエネルギーを感じ取れるはず。よほど鈍感なのか……
「……クラスの検証はおいておきましょう。次は代表的な教義を教えてください」
「教義ですか? 異端審問官のくせに随分熱心に学びたがりますね。問答無用で殺しに来るのが常だというのに…… はっ! あなた、実は秩序神の教えに疑いを持ち始め――」
ぺらぺらと口を回し始めるオフィーリアに、ヴァイオレットが指を突き付けた。
「話しますっ話しますっ! それはやめてください!」
「次に不要なことを話し始めたら――分かりますね?」
オフィーリアは激しく首を縦に振った。肩にかかる黒髪が大きく揺れる。
「第一の教えは『鏡であること』。恩には等しい恩で、仇には倍の仇で。これは絶対です。第二の教えは『刃であること』。死は救済であり、破滅こそが唯一の結末。すべてはいずれジヴァーナム様の懐へと還る。その循環を促すことが務めなのです。第三の教えは『闇であること』。光を飲み込む闇となり、怨嗟も憎悪も愛すること。拒絶してはいけません。以上三箇条が中核の教えです」
「鏡、刃、闇ですか」
清々しいほどに邪教だな。
「そうです。かっこよくないですか……?」
鼻を膨らませながら胸を張るオフィーリア。どこか自慢げな様子である。
ヴァイオレットは再びとりあえずの同調を行った。
「かっこいいです」
「でしょう!? やはりあなた才能がありますよ! 実はこれ私が考えた三箇条なんですっ!」
ヴァイオレットは首を傾げた。僕も同じ気持ちだ。こんな少女が教義を考えたって…… 本気で言ってるのか?
「あなたが考えたって、大人はいないのですか?」
「いません!」
「……信徒はどのくらいの規模なのでしょう?」
「現在は二人ですが…… これから破竹の勢いで数を増やすでしょう。私の相方はまだまだ新人ですが、すごく才能があるのです。今日出会ったばかりですが彼女となら人間界を破滅に追い込むことも夢ではない……」
「……とても少ないですね」
これ、新人ってクリスのこと言ってる?
勝手にカウントするんじゃない! 相方にするな!
「あなたで三人目です! 今なら古参ぶれますよ!」
「ありえません」
これはいよいよ妄想説が真実味を帯びてきたな……
しかしクリスの魔王としての才覚を見抜いているのも事実。
よし。
僕は暗がりから体を出した。
「教会に引き渡そうか」
「ぴぃっ!」
死角から突然人影が現れ驚いたのであろうオフィーリアは奇怪な悲鳴を上げて体をのけぞらせる。
「邪教徒か、自分を邪教徒だと勘違いしている可哀想な子か知らないけど、教会に引き渡してしまおう。うまいように処理してくれるだろう」
教会。
主神である創造神を直接崇拝し、数多の神殿を統括する組織である。神殿はすべて教会の傘下だ。もちろん邪神の神殿はその限りではない。
「教会はやめてください! わたし、殺されるどころじゃすまないですよ!」
「知らないよ」
クリスの安全が最優先だ。邪教なんかと関わっている余裕はない。信徒がこの小娘一人しかいないなら遺恨も残らないし。
「分かりました。ではそのように。今すぐで構いませんか?」
「うん。クリスには申し訳ないけど……」
復讐と破滅の神ジヴァーナムに仕えることはクリスには諦めてもらおう。欠陥クラスだし、教義も普通に邪悪だし、唯一の信徒はこんなだし。
怯えるオフィーリアはクリスという名前を聞いて眉毛をピクつかせた。
「クリス……? あっ! ああっ! あなた、昼間の男ですね! 私のクリスと共にいた男!」
「ばれてしまったのなら仕方がない」
僕は仮面を外した。上からオフィーリアをふんぞり返って見下ろすが、彼女も負けじと睨み返してくる。
「やはりっ! あなたも秩序神の尖兵なのですね!」
「……? ……そのとおり。僕は邪神を滅ぼす天使。君は教会にて裁きを受けてもらう。覚悟するんだ」
「くっ…… いっそ殺すがいい! 私はエーテルの粒子になって、ジヴァーナム様の懐に還るだけです! しかし復讐は必ず行われます、私に続く者によって! そしてあなたには破滅が訪れる……」
なんだか楽しくなってきた。最近僕は演劇というものを観るようになったのだが、演技をする喜びとはきっとこういうものなのだろう。
「残念だったね…… 君は永遠に囚われの身になる。こんな美しい少女をあっさり殺してしまうなんてもったいないからね……」
僕は両手を突き出し、十本の指をでたらめに動かした。気分は大人向け悲劇の悪役だ。
「グヘヘ……」
「なんて卑猥な手つき! へんたいっ!」
オフィーリアは縄から抜け出ようと体を動かすが、それはむしろ逆効果だ。動けば動くほどきつくなって肢体を締め上げた。
濡れた服は張り付き、縄が一層オフィーリアの体の柔らかさを強調する。目には涙を浮かべ、悔しそうに唇を噛んだ。あどけないまんまるな顔立ちは、挑発的かつ煽情的だ。
「わたしは屈しませんよ! どんなことをされようとも! むしろかかってこいっ!」
はて、次はどんな台詞がふさわしいだろうか。文学や芝居のお約束にはそこまで詳しくないので咄嗟には出てこない。とりあえずあれするか。
「グヘヘ、グヘヘ、グヘヘ」
「なんて卑猥な顔っ! へんたいっ!」
黙っていたヴァイオレットが口を開いた。
「エディ…… やはりそういうつもりだったのですね……」
僕は一気に現実に引き戻された。ゴホリと咳ばらいをする。ヴァイオレットの仮面の下の表情は……少し想像したくない。
「……誤解だ。ちょっと興が乗っただけ。演技だよ」
「そうですか。ハマり役でしたよ、本物そのものにしか見えませんでした」
「…………さて、さっさと引き渡してしまおう。夜もそう長いわけじゃない」
ヴァイオレットは黙って頷き、オフィーリアに近づいていく。
「まってまってまって! 教会はいやですっ! まだあなたたちの方がマシですよ! あいつらみんな頭おかしいんです!」
それは知ってるけど……
君も同じくらいおかしいからね。
「静かにしなさい」
「いやあっ!」
オフィーリアが絹を裂くような悲鳴をあげた。いままでの芝居がかったものとは異なる、本物の悲鳴だ。だからといって加減するわけはないのだが……
しかし、僕たちは静止しざるをえなかった。
オフィーリアの体から異様な気配が立ち上る。倉庫内の空気が一変し、ピリピリとした緊張感が背筋を焼いた。漆黒だったはずの瞳が輝きを放ち、その色を変える。
黄金の瞳だ。
太陽を思わせる色。何者に力を借りることなく、ただ己のみによって光を放っている。あまりに強烈なその輝きに僕は目を見開くことしかできない。
これは、この存在感は――
「我こそは、復讐と破滅の神ジヴァーナム! 跪くがよいぞ!」
僕の脳みそは何も考えることができないまま、その言葉に従った。膝をついて頭を垂れる。見れば隣のヴァイオレットも同様だった。
「我は教会などいきたくないっ! いやじゃ!」
その少女の体をした何者かは立ち上がろうとするが、僕の編んだ縄による拘束を破ることができず、椅子ごと転んでしまった。長いスカートが捲れて、純白のパンツが丸出しになる。
「いたっ! あたまうった! 立ち上がらせてっ!」
「……」
「……」
神様が降臨してしまった。それもヨワヨワな邪神が。
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