第6話 決断少女
邪神の手先をクリスに近づけるわけにはいかない。僕は縋りついてくるオフィーリアを蹴っとばしてクリスの手を引き事務所に帰ってきた。
「――というわけなんだ……」
経緯をヴァイオレットに説明する。彼女は得意の無表情で僕の話を聞いてくれた。
「それで、オフィーリアという女は可愛かったのですか?」
そこ? そこ重要かなあ。
「うん。かなり可愛かった」
「……なぜエディの周りには可愛い女ばかり現れるのでしょうか」
「……知らないよ」
僕はヴァイオレットの淹れてくれたお茶の匂いを吸い込む。あー落ち着く。
雨の中を走帰ってきたのでずぶ濡れになってしまった。現在クリスは熱いお風呂の中に身を沈めている。僕は体を拭いて着替え、熱いお茶を飲んでいるというわけだ。
「復讐と破滅の神ジヴァーナムって聞いたことある? 僕はないんだけど……」
「そうですね…… どこかで読んだことがあるような…… 古い文献の中だったかな……」
「マイナーどころの神なのは間違いなさそうだね」
ヴァイオレットは頷いた。
有名どころの神殿は絶対に敵に回してはいけない。子供でも知っている掟だ。神敵に認定された瞬間、大勢の信徒が目の色を変えて襲ってくる。
しかし小規模な神殿はその限りではない。僕は復讐神ジヴァーナムの神官を蹴っとばしたわけだが、それだけで千人の兵士に攻め込まれるということはなさそうだ。刺客が数人程度なら余裕で対処できる。
「復讐と破滅の神か……」
邪神っていう存在の定義は曖昧だ。どんなときも常に正義を貫く神なんていない。多くの神が慈悲深さだけでなく冷酷さも併せ持っている。白黒で語れることはなく、全てがグレーだ。
そもそも正義と悪という概念が曖昧なのだ。それを思えば邪神だと一括りにするのは気が引けるのだが……
「復讐と破滅を司るっていうのはあからさまだよね……」
「ええ、間違いなく邪悪寄りです」
ランクアップするためには、教義を守り、クラスに沿った行動をとる必要がある。
剣士を例に挙げるなら、"剣の五戒"を守り、"剣を振るう"ことでランクが上がっていく。
剣の五戒とは、剣以外の武器を使わないこと、金属製の鎧や盾を使わないこと、毎日剣に触れること、剣士仲間で切磋琢磨すること、博愛の精神を忘れないことという五つの戒律である。
つまり、何が言いたいかというと、クリスが復讐神ジヴァーナムの信徒になれば、何かしらの縛りを与えられる。そしてそれはきっとろくなものではない。クリスの精神に悪影響を及ぼす可能性大だ。
「どうしようか……」
「どうしよう、とは?」
「邪神の手先はだいたい執念深い。しつこく付き纏ってくるのは面倒だ。もしそうなるなら――こっちから先に動く。宗教戦争だ。ただ、一方的なものになるだろうけど」
神と神の間で戦いが起こり、人間界がそれに巻き込まれるというのはよくあることだ。なら逆もあっていいだろう。もし向こうと僕らが敵対するなら、僕は躊躇いなく我が女神アリス=マリアを引きずり込むつもりでいた。
僕は神棚にある神像に祈りを捧げる。指で聖印を作った。
「ええ、分かってますとも。御言葉すら聞く必要はありません。貴方様は復讐神ジヴァーナムを大変憎く思ってらっしゃる。そうに決まってます。従順な僕が命じられずとも遂行しましょう。アーメン」
これで僕は神の戦いに巻き込まれた哀れな子羊ということになる。聖印を崩す。神像は冷たく僕を見下ろしていた。
「うん。万一の備えもこれで完璧だ」
「……何が完璧なんでしょうか。……そんな不敬がよく許されていますね」
「アリス=マリアは懐が広いからね」
無表情を一瞬崩すヴァイオレット。僕は気にせず話を続ける。
「重要なのは、復讐神の神官が見ただけでクリスの才能を理解したということ。おそらく邪神はクリスを欲しがっている、喉から手が出るほど」
「……敵ばかり増えます」
ほんとだよ。善神たちはいったい何をやってるんだ。僕を助けてください。
「まあでも、復讐神なんてショボい神様はどうとでもなる。大手どころの邪神には目をつけられないようにしたいけど……」
ただ邪神の信徒っていうのは隠れ潜んでいるものなのだ。警戒しようとしてできるものではない。
ヴァイオレットと首を捻っていると。
「お風呂、お借りしました…… お次空いてますので……」
桃色の髪をしっとりと濡らして、白い肌を上気させているクリスが扉を開けた。
「ああ、ありがと。――お借りしました、じゃないよ。ここは君の家でもあるんだ」
「はい……」
「だいぶ雨に打たれたから、風邪を引かないようにね。夕食は――
「はい。簡単なものならできると思いますけど……」
「じゃあ今日は家で食べよう。雨はまだ止まないし。それまでクリスは好きにしてていいよ。僕はビビと話すことがあるから」
「あ、あの……」
クリスは躊躇いがちに口を開いた。
「どうしたの?」
「少しお時間貰ってもいいですか? 話したいことがあって……」
「……もちろん」
おどおどしてはいるが、真剣な顔。どうやら夕食のメニューの相談なんかじゃなさそうだ。
「じゃあ私は席を外します」
ヴァイオレットは立ち上がろうとして――
「いえ、ヴァイオレットさんも、時間があるなら聞いてください……」
「分かりました」
結局僕の隣にヴァイオレットが座り、その向かいにクリスが腰を下ろした。二人の背筋は揃ってピンと伸びている。
「それで、あのう…… 復讐と破滅の神ジヴァーナムのことなんですけど、どう考えていますか……?」
来た。やはりこのことだ。僕は用意していた言葉を話す。今のクリスは導火線に火がついた爆弾だ。よく考えて接しなければ。
「慎重に対応しないといけないね。絶対的に邪悪な神だと決めつけることはできないけど、その可能性は高い。クリスがその教徒になるというのは……危険なことだ」
「そうですよね……」
強い否定も強い肯定もしない。やんわりとオブラートに包んで、どっちにも対応できるように。
「頭おかしいんじゃないかって言われるかもですけど……私、試してみたいです。邪神だとしても、才能を認めてくれた唯一の神様だから」
「……」
クリスは本気らしい。――復讐神ジヴァーナムの信徒になるということだ。
僕は数日前のクリスの言葉を思い出した。「心の奥のもう一人の私が北大陸に行けと言っている」という言葉だ。今回もそれに似たものなのだとすれば、止めなくてはいけない。
「それは……クリスの本心から出た言葉だろうか。それとも――”心の奥のもう一人の君”がそう言っているのかな?」
「え? ……いや、心の奥のもう一人の私とかはよくわかんないですけど、お風呂の中でゆっくり考えてそう思ったんです」
「そう……」
嘘はついてない。邪神でも何でもいいから縋りたい、それが本心なのだろう。
目を伏せて所在なさげに僕の返事を待っている姿を見るに、魔王的ナニカの囁きに従っているわけではなさそうだ。無意識下で誘導されているという可能性は考えられるが……
「邪神の信徒っていうのはだいたい酷い悲劇でその人生を終える。入信前は普通の人間だったのに、邪神に導かれるうちに変わってしまうんだ ……僕はクリスにそうなって欲しくはない」
「……そうなる前に、師匠が止めてくれませんか。師匠がダメだと言ったら、私は絶対それに従ってすぐに棄教します」
「……そこまで言うなら頭ごなしに禁止はできないね。ただ、少し時間をくれないか。復讐神とその教徒について情報を集めてみる。教義やクラスの性質が許容できる範囲内だったら、僕も心から応援できる」
「ありがとうございますっ!」
クリスは何度も頭を下げた。安堵の表情だ。真面目な彼女にとって復讐と破滅の神の神殿に加わりたいと告白するのは一大決心だったに違いない。
「それじゃあ、私、部屋に戻ってます。お話し中失礼しました。夕ごはんの準備は手伝いますね、料理の経験はあるので……」
「では、その時になったら呼びます」
「はい……」
クリスは扉を閉めて奥へと戻っていった。
張り詰めた緊張の糸が緩んで、僕の口からは大きな息が漏れ出ていく。はあー。疲れた。
「復讐と破滅の神ジヴァーナムか…… 意外と善良でまともな神様だったりしないかなあ」
「司る概念の二つともが悪な神っていうのは珍しいですからね…… それで善良というのは想像しにくいですが……」
最悪の話、神は邪悪だっていい。邪悪な行いをクリスに強制することがなければいいのだ。
だがそううまい話はないだろう。剣神は剣を振るうことを強制するし、狩猟神は狩りを強制する。神と信徒の関係はそういうものだ。
「まあ、探ってみるしかないか……」
復讐神ジヴァーナム。どんな神様で、どんなクラスを与え、どんな信徒を抱えるのか。
「情報を集めるといっても具体的にどうするのでしょうか? 古い文献で名前を見かけたことがある気がするとは言いましたが、探すのには少し時間が必要です」
「僕が思いついているのは、もっと直接的で暴力的な方法だよ」
「……なんですか?」
「あの神官を攫って尋問しよう」
「……本気ですか?」
本気の本気だ。僕はいつだってとっても真剣に人生を生きている。
「心配しないで。僕らにはアリス=マリア様がついてる。――我に加護を与えたまえ。それからビビにも与えたまえ。ついでにクリスにも与えたまえ」
「……真剣にやってるんですよね?」
頷いた。指で聖印を作って掲げる。僕はいつだって真剣だ。
「ああ、アリス=マリアよ。この言葉を捧げます。――もっと協力しろや!」
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