第3話 嫉妬少女
ヴァイオレットとクリスは完全に出来上がったあともしばらく飲み食べを続け、僕は脈絡のない会話をする二人の向かいでゆっくり鍋と酒を味わっていたのだが。
僕がトイレから戻ると二人は寝ていた。ヴァイオレットは人形みたいに背筋を伸ばして、クリスはテーブルに額を乗せて。
「ほら、クリス。いくよ」
まずはクリスからだ。力の抜けた体を半ば引きずるようにして、旧客間で現クリスの私室へと運んでいく。
「ししょう…… わたし…… わたし……」
鼻にかかって震えた声。悲哀を含んで今にも泣き出しそうだ。
「どうしたの?」
「わたし…… 吐きそうです……」
知るか! 心の中で叫ぶ。しかし口に出すわけにはいかない。
「吐くならトイレかバケツに吐いてね」
「わかりました……」
酒を飲むことがほどよいストレス発散になるのであればいいが、依存しすぎるのはNGだ。これは今後も要観察である。
ランク7の身体能力を存分に発揮してクリスをベッドの上に持ち上げて寝かせる。
枕をクリスの頭の下に挟み込み、布団をかけて、ベッドの脇にバケツを置いておく。まったく手が掛かるぜ。
クリスの介抱を終えて僕は額を手で拭った。
あ、そうだ。
あることを思い出した僕は早足で事務所に向かい、机から巨大な見通しの水晶を取り出し抱えてクリスの側まで戻ってきた。
「クリス、もう寝た?」
「寝ました……」
ふにゃけた声。よし。寝てるだろう。
クリスの手を布団から引っ張り出し、水晶を触らせる。
水晶の中のモヤが動き出して文字列を作った。前回、五日前に計測したとき、クリスの隠しクラス「魔王の卵」はランク93だった。今はどうなっているだろうか……
――――――――――――――――――
クラス:剣士 ランク:1
隠しクラス:魔王の卵 ランク:55
――――――――――――――――――
うおおおお!
下がってる!
40くらい下がっている! これは朗報だ。クリスの精神状態が改善された結果だろう。
「魔王の卵」のランクが下がるのは間違いなく良いことだ。これは100を超えるのだろうか? あるいはゼロになったらどうなる? 疑問は尽きないが、とりあえず前進である。
僕らは明確な指標を得たのだ。このランクが上がるような行動はしてはいけない。下がるような事象は繰り返し発生させるべき。そういうことだ。
クリスの腕をそっと布団の中に戻し、僕は立ち上がった。彼女はすやすや眠っている。
扉を閉めて、部屋を出た。
廊下を歩きながら考える。
何がランク低下に強く影響しただろうか。一角猪の討伐成功で自信を得たこと。僕の弟子となれたこと。美味しい料理とお酒。母の形見を取り返したこと。さまざまある。
これからは定期的に水晶を触らせてランクを確認しなくてはいけない。
僕はふと、本当になんとなく腕の中の水晶に視線を落とした。僕の素肌に触れているので当然僕のクラスとランクが表示されている。
――――――――――――――――――
クラス:狩人 ランク:7
隠しクラス:魔王の卵の師匠 ランク:11
――――――――――――――――――
なんか変なの生えてきてる……
飲みすぎたかな。錯覚だろう。
目をごしごしと擦って、もう一度見る。
変わっていない。
なんか変なの生えた……
魔王の卵の師匠にさせられた…… なんだこれ…… どうなるんだこれ……
言いようもない恐怖に襲われる。ぞわりと全身の鳥肌が立った。
隠しクラス「魔王の卵の師匠」。今のところの僕の精神や肉体の変化は感じ取れない。どんな影響をもたらすのだろうか、さっぱり予想ができない。ランクは11だがこれは高い方がいいのか低い方がいいのか。
そこまで考えて僕は思考を放棄した。もういいや。考えてもわかるもんじゃないし。
居間に戻る。
「ビビ」
ヴァイオレットはうつらうつらと舟をこいでいた。頭が上下に揺れている。クリスに言われるがまま飲みすぎたようだ。普段ならこんなことはないのだが、妹弟子と仲良くならなければという緊張もあったのだろう。
「手を借りるよ」
だらりと垂れ下がった細い手を取って水晶に触れさせる。
――――――――――――――――――
クラス:賢者 ランク:5
――――――――――――――――――
普通だ。隠しクラスなんてものはない。良かった。ヴァイオレットにまで隠しクラスが増えていたら、いよいよクリスを監禁しなくてはいけなくなる。関わる人すべてに不吉な隠しクラスを与えるなんてとんだ災厄だ。
水晶を隅に転がして、ヴァイオレットの頬をつつく。ぷにぷにとして柔らかい。
「寝るなら部屋に行こう。ほら立って」
肩を揺する。目が半開きになった。首を振って僕を探して、数秒かかってようやく斜め後ろの僕を見つける。
「エディ」
「珍しいね。こんなに酔うなんて」
「酔ってません」
「……そう」
立ち上がって寄りかかってくるヴァイオレットに肩を貸す。ほとんどおんぶみたいになりながら二人三脚で移動を開始した。
「すっかりクリスと仲良くなったね」
「……お酒の力を借りる必要があります」
「飲み過ぎないでね」
「うん」
子供みたいに頷くヴァイオレット。これはだいぶ酔ってるな。
「クリスの隠しクラスのランクが下がってた。ビビのおかげだ。それから――僕に隠しクラス『魔王の卵の師匠』が増えてた。聞いたことある? ……いまこんな話できないか」
吐息が耳にかかってくすぐったい。
「分かんないです」
「そうだよね」
ヴァイオレットは魔王についての情報を集めてくれている。しかし、酔っているから思い出せないのか本当に知らないのか分からないが、「魔王の卵の師匠」について情報がある可能性は低い。僕もまったく聞いたことがない。
できることは結局、こまめに確認することだけ。
ヴァイオレットの部屋についた。飾り気のない内装で、彼女の物はほんのわずかしかない。ここが使われるのは久しぶりだ。彼女が弟子入りしてすぐの頃はこの部屋を使っていた。当時のままに残してある。
部屋に入るや否や、ヴァイオレットはベッドの上にうつ伏せで倒れ込んだ。上半身しかマットレスの上に乗っていない。両足を掴んで引っ張り上げて、仰向けに転がす。
このベッドに転がっているヴァイオレットを見ると懐かしい気持ちになる。この子もだいぶ成長した。
「おやすみ、ビビ」
「待って」
ほとんど目を瞑りかけていたヴァイオレットが僕の手首を掴む。
「シャツのままじゃ寝られない……」
ヴァイオレットは息苦しそうに身をよじった。彼女は糊のきいた薄手のシャツを着ている。確かに寝にくそうだし、皺もついてしまうが……
僕にどうしろと?
「脱がせて」
頬を赤く染めて呟くヴァイオレット。僕はごくりと唾を飲んだ。今日の彼女は――どうにも色っぽい。
「それはちょっと……」
「エディ」
しかし僕の手首は強く握り込まれている。この場を離れることはできそうにない。
うーん。これもきっとヴァイオレットなりの甘えたい感情表現なのだろうか。
「分かったよ」
ようやく手を放してくれた。
狩人特有の手先の器用さを生かし、シャツのボタンを下から一つずつ外していく。白磁のような滑らかで透明感のある肌が少しずつ露出されていき、僕はボタンに集中するのに非常に苦労した。
そうして僕の手は胸部に至った。なるべくその膨らみに触れないよう細心の注意を払う。彼女は骨格からして細く、
僕は上から数えて四つ目のボタンを外すことに成功した。一番上はとまっていないので、残り二つだ。
レースのあしらわれた黒い下着が露わになった。なるべく視線を逸らそうとするのに磁石のように引き寄せられてしまう。
胸の膨らみの最頂部の狭間にあるボタンに指をかけた。ヴァイオレットが目を瞑った。
「ぅん……」
鼻息を漏らした。長いまつ毛が震える。
罠を解錠するときよりもずっと緊張しながらそのボタンを外す。谷間が覗いた。ぴちりと閉じられた肉の狭間に暗闇があって、僕の意識はその深淵に落下していく。抗うことはできない。
「エディ、見過ぎです……」
――なんだこれ。僕は哲学者のような気持ちでいた。
最後のボタンを外した。すべやかな胸元、くっきりと浮き出た鎖骨、細い首筋から顎下にかけて。完成された芸術品のようだ。濃紺の瞳が潤んで僕を見つめている。
ヴァイオレットは緩慢な動きでバンザイをした。彼女の頭側に回って両腕からシャツを引き抜く。
「涼しい……」
いまやヴァイオレットの上半身を覆い隠すのは黒い下着だけになってしまった。まだ力なく腕を上げたままで、無毛の脇が蠱惑的に複雑な陰陽を生み出している。
「エディ、下も……」
「えぇ……」
しょうがない。手早くだ。ベルトを外し、足先から思い切り引っ張る。何も見ない。
ズボンは簡単に脱がせられた。僕は何も見ないまま、布団をヴァイオレットに被せる。ミッションコンプリートだ。
シャツとズボンを軽く畳んで机の上に置いておく。
「今度こそおやすみ」
「また明日、エディ……」
ヴァイオレットはすぐに寝息を立て始めた。美しいその頬をひと撫でして部屋をさる。
女の子二人を介抱するのにこれほど神経を使うとは。気が気じゃなかったぜ。
居間に戻る。食卓の上はとっ散らかっているが、片付けは明日でいいだろう。
僕はへとへとになりながら自室へ戻った。
▲▽▲
湯浴みを終え、ベッドの中で天井を見上げる。今夜の猪鍋パーティーは一定の効果をあげたと言えるだろう。僕が想定以上の苦労をしたという点を除けば。
クリスの精神状態は明らかに良い方向へ進み、事実隠しクラスのランクも下がった。
今後も美味しいものを食べさせ、ヴァイオレットと仲良くなってもらい、ペットのシマリス――ハムくんと触れ合ってもらうのもいいだろう。それでクリスの魔王覚醒は短期的には防げるはずだ。
長期的には――強くなってもらわなければいけない。悪魔や魔物やちんけな犯罪者を脅威としないほどに。
そのためには剣士のままではダメだ。剣神フリードはクリスにちっぽけな寵愛しか与えない。どれだけ剣士として努力しても成長は遅く、すぐ限界にぶち当たる。
寵愛の深さ、すなわち加護の量こそが冒険者にとって最も重要な才能だ。それがあれば一定程度の成功は約束されるし、なければ強くなることはありえない。
クリスに相応しい
僕が思い当たるのでいうと――
思索の海に沈みながら、眠気が少しずつ体を支配していく。
そんな折。
僕の部屋の扉が静かに開いた。
そこにいるのは、濃紺の髪を腰ほどまで垂らした下着姿の美女。ヴァイオレットだ。
「ビビ。どうしたの?」
僕が起き上がる間もなく、彼女は僕の布団の中に潜り込んでくる。ひやりとした肌が触れ合う感覚。柔らかい肢体が押し付けられて、意識がそれに染められていく。
もぞもぞと喋る。
「エディが寂しくて泣いていないか確認しにきました」
「……」
上目遣いで見上げてくるヴァイオレット。擦れ合う肌の滑らかさと相まってとてつもない破壊力だ。
僕はヴァイオレットを見ないことに決めた。性的興奮の多くは視覚情報によって生み出される。
「久しぶりに一緒に寝ようか?」
子供みたいに頷いた。身を寄せてくるヴァイオレットの髪を撫でる。こうするのはいつ以来だろう。
彼女もきっと不安なのだ。無表情の仮面の下には人並みの感情を隠していることを僕は知っている。
ビビが僕の腕の中でぼそりと呟く。
「これは冗談ですが……」
「……」
「好きです」
どんな冗談だよ。
魔法と嫉妬の女神レイラリラ。それがヴァイオレットの仕える神の名前だ。惚れやすく、執念深く、独占欲が強いことで有名な女神であり、神と人を巻き込んだ恋物語によく登場する存在。
信徒となったことで影響を受けたのか、もともとそういう気質だから信徒になれたのか。これは永遠の命題だが、それはともかく、ヴァイオレットも女神レイラリラに似た気質を隠し持っている。
彼女の柔らかい唇が僕の首筋にそっと触れ、そのままのしかかるように体を預けながら寝息を立て始める。これはなかなか眠れそうにない。
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