第2話 泥酔少女
「それでは、クリスの試験合格を祝って。そして、我々の仲良しな共同生活を祈って。かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「……カンパイ」
僕とヴァイオレットとクリス。三人で食卓を囲んでいる。クリスの倒した一角猪を捌き、鍋にして食べるのだ。
僕の必死のとりもちにより、クリスとヴァイオレットは和解した。ヴァイオレットは「冗談のつもりだった」などと供述しているが、真相は本人にしか分からない。彼女は今もカチコチに緊張している。
クリスはずっとにこにこ微笑んでいてとても幸せそうである。なによりだ。きっと魔王への覚醒も遠のいているに違いない。
テーブルの上に並んでいるのはどれも最高級の食材と最高級の飲み物。僕は暇を生かして料理の腕を磨いている最中ではあるが貧乏舌なので、料理の得意なヴァイオレットに味付けを担当してもらっている。
「いいかいクリス。僕も冒険者を引退してようやく気づいたんだが――美味しいものを食べると人間は幸せになれるんだ。嫌なことはすべて忘れて、食べるといい」
「はい師匠!」
鍋の蓋を取る。もわりと真っ白な湯気が立ち上った。葉野菜、根菜、キノコ、そして大きな肉が茶色いスープの中でぐつぐつと煮込まれている。しょうが、にんにく、みそ、その他諸々の薬味の良い匂いが食欲を煽った。
クリスは目を輝かせる。
「私、こんな贅沢な料理初めてです!」
そうだろう。調味料や香辛料をたくさん使った料理は新人冒険者が食べられるものではない。
これは作戦だ。クリスに美味しいものをたくさん食べさせ、毎日を幸せに感じてもらうことで覚醒を防ぐという作戦。美味しいものを食べて柔らかいベッドで眠れば人間幸せになるものだろう。
この家には並の貴族の屋敷にも無いような設備と魔道具が揃っている。僕は全てをフルに活用してクリスを甘やかすつもりでいた。
「ビビに感謝だね。僕はビビと出会って初めて食の楽しみというものを知ったんだ。料理がとても上手でね」
「さすがヴァイオレットさん! パンだけじゃないんですね!」
「……」
「これからは毎日こんなだよ。まあ外食が多くなると思うけど。体が資本だからね。一流冒険者になるためには食事も一流じゃないと」
「一流の冒険者には一流の食事…… 言われればその通りですね…… 師匠の素晴らしいお言葉、胸に刻んでおきます!」
ははははは。僕は頭をかいた。可愛い女の子にそんなに真っすぐ褒められると照れてしまう。
「いやあ、クリスは褒め上手だねえ」
ヴァイオレットと目があった。飢えた猫みたいな目をしている。
僕は背筋に冷たいものを感じて咳払いをした。
「さっそく食べようか」
クリスがびしりと手を挙げる。二の腕が耳と密着するほど綺麗な挙手だ。
「私、取り分けさせていただきます! ――ヴァイオレットさんは人参入れないほうがいいですか?」
ヴァイオレットは黙って頷いた。彼女が人参を嫌いなことを覚えているとは、これは好感度アップだろう。ほんのわずかに頬が緩んでいるようにも見える。
そうしてクリスは僕とヴァイオレットの分までよそってくれた。クリスは真面目で優しい女の子だ。
「ありがとう。それではいただきます」
まずは肉から。もちもちと押し返すような弾力で、濃厚な味わい。豚肉に似ているがもっと濃い。
「おいしい。ビビは料理もうまくてすごいなあ」
「本当ですね! こんな深みのあるスープを自宅で作れるなんて」
「ビビはなんでもできちゃうからね」
「……ありがとうございます。お口に合うようでなにより」
僕とクリスの褒め褒め攻撃により、ヴァイオレットはその堅牢な守りを緩めつつある。口数が少し多いのがその証拠だ。
野菜一つ食べるにしてもヴァイオレットを褒め、肉を食べれば討伐したクリスを褒める。晩餐は非常に滑らかに進行した。ヴァイオレットは相変わらず質問への回答しかしていないが。
さて、僕は用意していたカードを一つ切ることにした。
「クリス、実は僕からプレゼントがあります」
「プレゼントですか?」
「まあ大したものじゃないんだけど。これはもともと君のものだからね」
そうして袋の中から取り出したのはクリスが倒した一角猪の角である。曇りない美しい白色で、僕の肘から指先くらいの長さがあるだろうか。
冒険者人生の節目となる大きな依頼の際やランクアップのときに倒した魔物の素材の一部を保管するというのは、冒険者界隈では昔からある風習だ。実際この事務所の倉庫の中には僕とヴァイオレットのそういう品がたくさん眠っている。
クリスにとっての今回の一角猪もそれに値するだろう。肉を捌く際にそう思って取っておいたのだ。
「師匠…… ありがとうございます……」
クリスは鼻をぐすんと鳴らしながら受け取った。すぐ泣く子だなあ。
「家宝にします……」
「うん。もう一つあるよ。これももともと君のものなんだけど……」
もう一つ、今度は小さな箱を取り出した。そのままクリスに渡す。
「開けてみて」
「はい」
クリスの指が蓋を外した。そこにあったのは透明な宝石を冠する銀の指輪。見るだけでそこそこの価値があると分かる逸品だ。
クリスは息を飲んで口を塞ぐ。ヴァイオレットは箸を取り落として僕を見つめてくる。これは少し怒ってるな。なんか勘違いしてそうだ。
「大事なものなんだろう? 質屋に行って買い戻しておいた」
その指輪はクリスにとって母の遺品であり、僕への弟子入り資金のために質に入れたものだ。
クリスはいよいよ号泣し始めた。
「師匠…… 本当にありがとうございます…… でもお金は……」
「気にしなくていい。僕はお金持ちだからね。弟子が大成していくのが僕の楽しみなんだ。そういう方向性で恩返ししてくれれば」
「ししょう……」
そういうわけだよ、という念を込めてヴァイオレットに視線を送る。彼女は大根を一口ずつ削るように食べていた。大根も苦手なのだ。
「私も指輪欲しいです」
「……ビビは自分で買えるだろ。事情がぜんぜん違うし」
「……ならいいです」
「大根、もらおうか?」
「……お願いします」
ヴァイオレットが差し出してくる大根をがぶりと丸呑みにする。うん。おいしい。スープがよくしみている。
鍋の中身もだいぶ減ってきた。僕はもう一つ、用意してきたカードを切ることにした。
「クリスくん、泣くのはやめたまえ。君はお酒は好きかな?」
僕はどんとその酒瓶をテーブルに置いた。ヴァイオレットの瞳がラベルに釘付けになる。そう、これは幻と名高い高級焼酎、カミヤナギである。
「あまり嗜みませんが……」
「苦手でないなら一口飲んでみて。飛び上がるほど美味しいから」
透き通る液体をとくとくと注いでいく。それだけで芳醇な香りが僕の脳みそを刺激した。すぐ口をつけたくなるのを我慢して、クリスに差し出す。
「いただきます……」
ゆっくりと淡桃の唇を盃に触れさせる。傾けられ液体が滑り込んだ瞬間、クリスが目を見開く。
「美味しい! すごく飲みやすくて甘くてコクがあって…… 美味しいです! アルコールの渋みは苦手だったんですけど、これはすごく美味しい……」
「そうだろう。高いお酒は美味しいんだ。ただ酔っ払うためだけの安酒とは違う」
クリスはごくごくと喉を動かして嚥下していく。いい飲みっぷりだ。
「美味しすぎる…… 止まりません!」
「飲みやすい割に度数高いから気をつけてね」
▼△▼
「だからあ、わたしにい、生きてる価値なんてないんだああああ!」
クリスはべろんべろんに酔っ払った。
それも彼女は泣き上戸だ。この一年ためてきた鬱憤やストレスをここぞとばかりに吐き出している。
そしてその標的は――ヴァイオレットだ。僕じゃなくてよかった。
クリスはテーブルに突っ伏してさめざめと涙を流す。
「悲しいです…… もっと才能があれば……」
「クリス、あなたには才能があります。悲観することはありません」
「ヴァイオレットさああん! 好きです!」
クリスはヴァイオレットの胸に抱きついて顔を埋めた。ヴァイオレットはその頭を撫でる。
二人は意外と仲良く話している。といっても遠慮を忘れたクリスがほとんど一方的に語っているだけだが、それが無口なヴァイオレットには丁度いいのだ。
クリスは普段から感情の起伏が大きくて落ち込みやすい気質だが、酒を飲むとますます躁鬱気味になる。まあストレス解消になるならいいんだ…… 僕は相手したくないけど。
「ヴァイオレットさあん。飲んでなくないですかあ? 飲みましょうよお!」
僕が気付いて止めようとしたときにはもう遅かった。飲み慣れていないクリスは自分の限界を知らず、今はヴァイオレットに絡んでいる。
「ほら。ぐいっと!」
ヴァイオレットもまた頬に朱を注いでいた。煽られるままに杯を空にする。大丈夫だろうか。
「いいですねえ!」
「ビビ、君もお酒に強いわけじゃないんだから、あまり無理しないほうが……」
「うるさい! エディのバカ!」
耳まで赤く染めて唇をつんと尖らせるヴァイオレット。テーブルの下で僕の脛を小突き、そして子犬のようにすりすりと足を擦り付けてくる。
「バカバカバカ! 指輪ください!」
あーあ。ヴァイオレットまで酔っ払ってしまった。どうすんだよこれ。
「バカって言われた! ヴァイオレットさんが私をバカって! もう死ぬしかないんだあああ!」
クリスはわけの分からないことを吠えてテーブルに突っ伏した。
「いや、クリスに言ったわけじゃないと思うけど……」
「そうですよね、私なんて、その程度の人間ですよね……」
どうすんだよこれ。めんどくさ。
二人は仲良く机に頭を乗せてうだうだ何かを言っている。お酒はしばらく飲ませない。僕は天に誓った。
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