第16話 ざまあしなくてはいけない!

 僕の腕の中でクリスは目を閉じた。穏やかな寝息を立てている。薬はよく効いているようだ。


 彼女はよく戦った。五日前の僕に「クリスは十分足らずで一角猪を倒せるようになる」と教えても、きっと信じることはないだろう。それくらいの成長ぶりだ。


 クリスには間違いなく才能がある。様々な障害によって地中深くに埋まっているが、それでもなお分かるほどの才能だ。彼女に掛けた言葉はすべて本心である。


 僕は久しぶりに新しい弟子ができたことに高揚していた。弟子がどんなふうに成長し、どんな冒険者になるのか。一人の冒険者がどんどん開花していく最も濃密な時期を間近でみることができるのが、師匠マスター業の楽しみだ。


 クリスは間違いなく数奇な道を歩むことになる。困難も多いだろう。しかしその分乗り越えたときの喜びは大きいのだ。


 不安でもあるが、楽しみでもある。


 今日のこの一時間のうちに、クリスは二回も覚醒しかけたのだ。黒い炎を顕現させたときは肝が冷えた。あれが彼女の魔王としての異能なのだろうか。とにかく、今後はもっと慎重に動かなければならない。


 しかし、僕の弟子となったことでクリスは前向きになれるだろう。今までほど些細なことで気落ちすることはないはず。


 急ぐ必要はないのだ。ゆっくり育てればいい。


 いまだ剣を握って離さないクリスの右手の指を一本一本ほぐしていき、剣をその鞘に戻す。


「ビビ」


 木の陰に佇んでいるヴァイオレットに声をかける。彼女がクリスを見る目はいつも通りの無表情で、感情を読み取ることはできない。


「クリスを任せてもいいかな」


 ヴァイオレットは黙って頷いた。


 彼女はさっきクリスの気配に怯えて震えていた。あそこまで恐怖する姿をみるのは初めてだった。僕は恐怖という感情が麻痺して久しいが、魔王覚醒にはああなるのが正常な反応なのかもしれない。


「事務所まで連れ帰ってあげて。......大丈夫? もし怖いなら僕が――」


「心配しすぎですよ。そんな顔しないでください。クリスとも上手くやってみせます。彼女には何でも相談できるような友人が必要なのでしょう。私がその役を担います」


「そうだね。お願いするよ」


 あれだけ怯えているのを見たあとだと二人の関係が上手くいくか不安だったが、少なくとも今は気丈に振る舞っている。


「エディが育てた弟子の数だけ、私にも弟弟子妹弟子がいるのです。任せてください」


「......そうだね」


 ほとんど仲良くなれてなかったけどね。表情筋を動かせない呪いにかかっているらしいと弟子たちが噂していたことは黙っておこう。


「最近はコミュニケーションについてのハウツー本も読んでいます。大丈夫ですよ」


 それは机の上にあった「相手にNOと言わせない交渉術」のことを行っているのだろうか? ......ビビ、君はコミュニケーションというものを根本から勘違いしているフシがある。


 ああ、心配だ。正直ぜんぜん安心できないが、ともかく信じるしかない。


「分かった。それじゃあクリスを頼んだ」


 クリスの体を抱き上げてヴァイオレットに預ける。ヴァイオレットが指を振るとクリスの体はふわりと宙に浮いた。彼女の魔法だ。


「エディは......彼の相手ですか?」


「うん。すぐ戻るよ」


 ヴァイオレットがついているとはいえ、クリスからなるべく目を離したくはない。用件はすぐに済ませるつもりだ。


「今夜はクリスの倒したイノシシを食べよう。美味しい鍋を楽しみにしておいて」


「......どうせ私が料理することになるのでは?」


「僕はレシピ分からないからね。一緒に作ろう」


「だいたいエディは横でニコニコしているだけになるのですが......分かりました。それでは」


 ヴァイオレットはぷかぷか浮遊するクリスを引き連れて去っていく。僕はその背中が木々に隠れて見えなくなるまで見送った。


 翻って林の奥に向かう。


 そこには一つの気配があった。なかなか巧妙に隠れて擬態しているが、ランク7の目から隠れることはできない。なによりひどく鼻につく悪臭だ。


「ミンスクくん、僕は体罰も辞さないよ......」




▼△▼




 僕は彼の後ろに立った。木の葉をざくりと踏んで、あえて音を鳴らす。


 木の陰に隠れてヴァイオレットとクリスが去った方を睨みつけている男がいた。


 男は僕の足音でようやく気づいたらしく、驚きと焦燥を感じさせる素早さで振り返った。


 スキンヘッドの滑らかな頭に、作り物とすぐに分かる笑み。ミンスクだ。クリスをパーティーから追放し、現状の直接的な原因を生み出した人物。


「シ、シドニーさん。こんなところで偶然だな。新人向けの狩り場で何してんだ?」


「バレていないと思ってるの? それなら僕を舐め過ぎだね」


「待てよ。見てたならすぐ止めてくれれば良かったのに。クリスの獲物を横取りした件だろ? 悪かったよ。からかっただけなんだ」


 彼はこの期に及んで言い逃れができると思っているらしい。あまりに滑稽だ。


「君は弟子入り試験のことを知っていたね。その内容も、場所も。クリスが話すとも思えないし、僕にも悟らせないで、どんな手を使ったのか」


 ミンスクは首を振って両手をあげた。降参とでも言いたいのだろうか。


「そこまで知られてるなら仕方ねえ。俺は確かに試験の邪魔をした。あいつには散々足引っ張られて鬱憤が溜まってたんだ。だけど結局合格したんだろ? ならいいじゃねえか。冒険者定番の弱いものいじめってことで見逃してくれよ」


「……前にも忠告しただろう。クリスには近づくなって」


 彼はあまりにもしつこい。パーティーリーダーとしてクリスを追放したことはなんら責められることではないが、そのあともこんなに付き纏ってくるのは悪質を通り越して異常だ。


 その目的は――。


「なあ、見ただろ? あの黒い炎を。あんたじゃ荷が重い。御しきれないぜ。俺に任せておけばいいんだ」


「......君ならできると?」


「ああ、俺ならできる。そのために長い時間をかけたんだ。驚くなよ。あの女はこのままでは――――魔王になってしまう」


 驚愕の真実を打ち明ける舞台役者のごとく、たっぷりと間をとって仰々しく語るミンスク。


 やはりこの男はクリスが魔王に覚醒する可能性があることを知っていたのだ。


「俺はそれを止めるために頑張ってるんだ。だから俺に任せておけばいいんだって」


「よくもまあくだらない嘘をペラペラと」


 ミンスクがクリスの負の感情を高めようとしているのは明らか。それは当然クリスを覚醒させるため。


「クリスが魔王の素質があることは知っている。神託を受けてね。君がどうやって知ったかはしらないけど......」


 ミンスクは唇を歪めた。貼り付けた表情だ。これが笑顔のつもりなのだとしたら相当にひねくれている。


「神託ねぇ......。あんたが仕えるのは、狩りと瞳の女神アリス=マリアだっけか?」


「そうだね」


「ならそのアバズレに伝えとけ。こっちが先に見つけたんだ。手出しは無用だってな」


 女神をアバズレ呼ばわりとは。恐れ知らずな男だ。勇気には拍手でも送ってやりたいところだが、その女神の信徒としては大人しく見過ごすわけにはいかない。


「さて、そろそろ本性を見せたら? 君程度の擬態で僕の目を誤魔化せるわけないだろ」



 ミンスクの口の端が吊り上がり、人ではあり得ない高さまで――ほとんど耳まで裂けた。



 肌が剥がれ落ちていき、その下の毒々しい紫色が現れ出る。スキンヘッドからは二つの捻れた角が伸びてきて、背中からは服を突き破って黒い翼が生えた。


 犬歯が長く伸びて牙になって口からはみ出て、ナイフのように鋭く尖った歯が覗く。筋肉は膨張してもともと大男であったのがさらに巨大になり、もはや人の限界を超えている。革鎧と服は弾けるように裂けて上半身が露わになった。


「君たちは相変わらず傲慢で、欲深く、救いようがない。これは僕の女神の言葉だけど、『地獄生まれの存在は見るだけで瞳が汚れる』と。僕も同意だ」


 ミンスクは翼を大きく開いた。コウモリのような皮膜と骨だけで構成された翼だ。


 彼の正体は――悪魔。


 クリスを魔王に仕立て上げようとする、地獄から来た悪魔だ。

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