第13話 受からなくてはいけない!

 クリスは焦っていた。


 一角猪がいない。正確には、毒を盛られた一角猪はいる。しかし健康な個体はいなかった。


 いったいこの周囲で何があったのだろう。冒険者が狩り場を荒らしたのか、あるいは毒を使う魔物がいるのか。


 偶然選ばれた場所がこんなことになっているとは。自分の不運さを恨む。しかし諦めるにはまだ早すぎる。


「絶対できる......、そうでしょクリス」


 声に出して己を鼓舞し、木々の間をすり抜けながら走る。


 エディ・シドニーの待つ場所からはかなり離れてしまっただろうか。あの周囲は不思議と魔物がほとんどいない。異変が起こっているのは間違いなかった。最初はそれを喜んでいたが、よく考えれば異常な状況で練習通りに動けるはずがないのだ。


 枝葉の向こう側にまで目を凝らし、一角猪の鳴き声が聞こえてこないか耳を澄ます。


 一角猪は痕跡を残すのだ。糞はもっとも分かりやすいその一つ。他にもいくつかその存在を示すものがあり――。


「あった!」


 クリスは一本の木の前で立ち止まった。角を木にこすりつけて研いだ、真新しい跡だ。木の表皮が削れて内側が見えている。根本に落ちている白い粉はまだ散っておらず、ほんのついさっきまでここに一角猪がいたことの証左だった。


 ゆっくりと周囲を見渡す。そうすればすぐに見つけることができた。


 マツの葉の茂みの向こうで、大きな角を地面に突き刺してほじくり返している一角猪。体は肥えて大きく、鼻と目元に黒ずみもない。健康的な個体だ。


 クリスは剣を抜いて死角から迫った。


 気づかれない内に初撃を決めることができれば大きな有利となる。なかなか生まれない隙でしか攻撃することができないクリスにとっては得難い好機だ。


 茶色い尻尾をぶんぶんと振り回す大きなお尻に、そっと近づいていく。一角猪はまだ気付いていない。あと三歩。三歩で剣が届く。


 一歩進む。角でほじって柔らかくなった土の中に鼻先を突っ込んでいる一角猪。


 もう一歩進む。クリスの足が落ち葉を踏みしだき、乾いた音がなった。一角猪は巨体に見合わない俊敏さで振り返ろうとする。


 加護エーテルを剣に集中させる。まだ全力の攻撃ではない。白く滑らかな角がこちらを向き切る前に、一歩踏み込む。


 狙うのは、比較的柔らかい横腹。"加護循環"によって鋭さを増した剣先が厚い毛皮に刺さる。やはり手ごたえは硬い。表面を裂いただけにとどまったが、一角猪は苦悶の声をあげて跳ね回った。


 赤い血が滴って土に吸い込まれていく。不意打ちを食らった一角猪は荒々しく息を吐き出しながらクリスを睨みつけた。


 逃げ出さないのは、時間に追われるクリスにとっての利だ。周囲に別の魔物の気配がないことを確認しつつ、再び剣を構える。


 絶対一匹は倒す。クリスは再度心中で誓いを立てた。




▼△▼




「いいかんじだねえ」


 僕はヴァイオレットと一緒に切り株の上に座って、クリスの活躍を見守っている。いや、正確には見ているのではなく感じ取っているのだが、あまり大差はない。


 試験開始から四十分が経った。


 クリスが僕たちの準備した狩場から離れていったときは引き留めるべきかすごく悩んだが、結果止めなくてよかった。


 毒の盛られていない個体でもクリスはよく戦い、今までで一番のペースで消耗させていた。この分なら一時間以内には倒せるだろう。


「たった二日で成長しましたね。最初はどうなるものかと」


 ヴァイオレットが眠そうに目を擦りながら口を開いた。


「彼女、戦闘センスはあるんだけどね」


 惜しむべきは、神からの寵愛の不足。きっとクリスが魔王の卵などではなく普通の冒険者として普通の寵愛を受けていれば、そう遠くないうちに一流になれていただろう。


 最も重要な才能の欠如。それはほかの長所や努力では補いきれない欠点だ。師匠マスターである僕でさえどう指導するべきかあまり分からない。"加護循環"なんてのは一角猪相手でしか通用しないのだ。剣士が守りを捨てるなんてことあってはならない。後衛の盾となることも仕事なのだから。


「試験が終わったら転職クラスチェンジさせないといけないね」


転職クラスチェンジですか……」


 剣士のままではいつまでたっても一流にはなれない。


 クリスに深い寵愛を授けてくれる神はいるだろうか……。


 まあ悩んでも仕方ない。明日の僕に丸投げだ。


「ビビも頑張って早くクリスと仲良くなってね」


「……頑張ります。しかし必要以上に仲良しごっこをするつもりはありません。あくまで姉弟子と妹弟子です。それに――女の子と話すの苦手なんです」


 女の子と話すの苦手っていうか、君は全人類苦手じゃないか。思春期男子みたいなこと言わないで。


 これはヴァイオレットのコミュニケーション能力不足を改善するいい機会でもある。僕と彼女はずっと前からこのことについて話し合っていた。


「今日からクリスは事務所に泊まらせるから。一つ屋根の下の方が監視も護衛も楽だからね。ビビにも時々来てもらえると嬉しいから、ぜひ仲良く――」


「一つ屋根の下?」


 ヴァイオレットが僕の手首を握りしめた。血管が圧迫されるほど強く。表情のない顔のなかで目だけが剣呑な光を放っている。


「う、うん。だって毎晩クリスの安宿まで監視しに行かないといけないの疲れるでしょ。事務所の方がはるかに安全だし……」


「そういうことであれば、私も事務所で寝起きします」


「そう……」


 有無を言わせぬ口調。僕は静かに頷いた。


 僕の事務所は、兼自宅でもある。ランク7冒険者として活動し魔王討伐の功もある僕は大金持ちであり、したがってかなり立派な家だ。一人二人増えてもまったく手狭にはならないが……。


「エディと美少女を二人きりで同棲なんてさせられません」


「弟子には手を出さないってば」


 ヴァイオレットが僕の頬をつねる。


 僕は決して女性関係がだらしない男ではない。ヴァイオレットにそう思われているのだとすれば心外だ。


 まあ彼女の懸念も理解できる。若い男女が同棲するとなれば、恋仲になるなどなしにしても問題はいくつか発生するだろう。それを考えれば、僕と付き合いが長く、クリスと同じ性別でもあるヴァイオレットが一緒にいてくれるのは心強い。


「――もし弟子が『好きになってしまいました』と迫ってきたら?」


「うーん。それは困るねえ。弟子とそういう関係になるのは師匠マスター業では御法度だし」


 もう一方の頬もつねられた。ヴァイオレットは僕の両頬を掴んで頭を前後にゆすってくる。これは……どういう感情表現だ?


「ビビ?」


 名前を呼ぶとヴァイオレットは謎行動をやめてくれた。


「そろそろクリスの方も佳境って感じだ。応援しよう」


 クリスが対峙する一角猪の気配はかなり弱まっている。そろそろ大きな隙を見せ始めるころだ。そこにクリスが全力の一撃を決めることができれば、僕もクリスも大満足での試験合格が確定する、


 頑張れ! クリス!

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