第12話 受からせなくてはいけない!

 マツの雑木林についた。特有の鋭い針のような葉が地面を覆うほど散っている。


 時刻は昼前。天気は快晴で、小さな雲が青い空にぽつぽつと浮かんでいた。夜通しの作業で疲れている僕は陽気に照らされて眠くなってしまう。


 ここ周辺は僕とヴァイオレットで完璧な一角猪の狩場にしてある。一昨日にクリスが断ち切った切り株が目印だ。


「さて、このへんにしようか」


 あたかも適当に選んだかのように話して立ち止まって、クリスに向き合った。


 彼女の革の鎧は多くの傷を重ねていながらも、丁寧に磨かれている。剣もよく研いであるはずだ。表情は少し固いが、やる気と少しの自信も窺える。


「君ならできるはずだよ」


「はい!」


「じゃあ僕ここに座ってるから。あまり遠くには行かないでね」


 切り株の上に腰を下ろす。試験中クリスにずっとついて回ってもいいのだが、彼女は見られていると緊張しそうなのでやめておく。


 どちらにしろ、この雑木林ほどの範囲であれば僕の監視は行き届く。目がいいのだ。不正をするならすればいい。むしろしてくれ。ぜんぜん合格にするから。


「私、ここ数日間、冒険者になって一番頑張りました! やってみせます!」


「うん。頑張れ。今のクリスなら、誰の力を借りずとも十分倒せる力がある」


 鼻息荒く意気込みを語るクリス。その試験内容が一角猪の討伐だと思う冒険者はいないだろう。


「何があっても冷静にね。落ち着いて実力を発揮すれば倒せるはずだ」


「はい!」


 元気のいい返事だ。ありふれた助言しかできないが、本心である。クリスの成長と僕たちが整えた環境を考えれば、致命的なドジや絶不調にならない限り合格は確実だ。


「準備できたら一時間測るから」


「いつでも大丈夫です!」


「じゃあ、スタート!」


 クリスは林の中を駆けていく。小さくなるその背中を見送った。


 一時間なんて測ってはいない。クリスが一匹倒せるまで二時間でも三時間でも待つつもりだ。戦闘中は体感時間が狂うから素直なクリスは騙せるだろう。


「エディ」


 後ろから声を掛けられる。視界の端からヴァイオレットが現れた。徹夜明けだが相変わらず完璧に美しい。濃紺の前髪は綺麗に整えられて、なんかいい匂いもする。


「お疲れ」


「弱らせた一角猪をついさっき放ちました。クリスはすぐ見つけられるはずです」


「ありがとうビビ」


 準備は完璧だ。クリスがそこそこの力を発揮できれば、十分目標を達成することはできるだろう。


 いざとなれば......。


 僕は懐に手を入れて、吹き矢があることを確認した。クリスの攻撃に合わせてこれを吹く。そうすれば解決だ。


「ビビも座りなよ」


 切り株を半分あける。僕らは大柄ではないので、少し窮屈だが二人でも座れるだけのスペースがあった。ヴァイオレットは黙って隣に腰かける。


「上司に徹夜で働かされたせいで眠くなってきました」


 ヴァイオレットが体重を預けてきた。柔らかい太ももがぴたりと触れて、僕は息をとめた。


「ありがとうビビ。帰って寝てもいいよ。あとは一人でなんとかなるし」


 少し眉の位置が下がったヴァイオレット。僕の肩にぐりぐりと頭を押し付けてくる。この感情表現は……なんだ?


 とりあえず黙ってしたいようにさせておく。


 ほどなくしてクリスの気配と、一角猪の気配が林の中でぶつかった。




▼△▼




 この五日間で何匹の一角猪とこうして相対しただろうか。


 警戒するべきはその白い角だけ。クリスの持つ剣と同じだけの長さがあるそれは、しかし剣以上の破壊力を持つ。細い木をへし折るのを何度も見てきた。クリスは直撃こそ受けていないが、かすっただけでも翌日まで痛んだ。


 一角猪の前足の付け根の筋肉が盛り上がった。突進の前兆だ。クリスは腰を落として回避動作の準備をする。


 土を飛ばしながら突っ込んでくる。人にはできない野生動物の加速だ。クリスより小さい体でありながら、馬車を前にしているような威圧感がある。


 限界まで引き付けて――。


「フッ!」


 右に跳ぶ。迫る白い角をぎりぎりで躱し、その背面に回り込む。一角猪は体を地面にこすりつけながら停止し、体を回転させようとするが、クリスの方が速い。


 加護エーテルを剣に集める。剣を振る上で重要な膝、腰、肩、手首には残しておき、その他から薄くかき集めた加護エーテルを剣先の一点へ。


 一角猪はまだ振り返れていない。その後ろ脚の付け根をめがけて、腰を使って剣を差し込む。硬い手ごたえ。表面を裂いただけだろうか。


 低く濁った鳴き声が林の中に響く。一角猪は全身を使って暴れまわり、クリスは距離を取らざるをえない。


 まずは一撃。悪くないスタートだ。これを数回続ければ、一角猪は確実に弱っていく。


 クリスの剣に、この大型犬ほどの魔物を即死させる力はない。たとえ加護エーテルを集中させてもだ。全力の攻撃はクリスの体力を大きく削る。連発はできない。だからじっくり弱らせ、動きが鈍ったタイミングで一気に仕掛けなければいけない。


 並の剣士なら加護循環という技術を使わずとも、一角猪の毛皮を切り裂くことができる。パーティーでは肉壁のような役割をこなして攻撃に回ることが少なかったクリスは、ここ数日で才能のなさを改めて強く感じていた。


 しかし、無才だからといって諦めるつもりはない。


 真後ろにまで首を振って周囲の様子を探る。近くに魔物はいない。一角猪の群れの跡、足跡や糞もない。この個体ははぐれたのだろうか。


 全てがうまくいっていた。練習通りの動きができているし、運にも恵まれている。


 なのに、少しの違和感が消えない。


 一角猪が落ち着きを取り戻し、クリスに向き直る。この後の行動は二つだ。もう一度突進してくるか、どこかへ逃げ出すか。


 甲高く細い鳴き声。これはかなり疲れているときに出すものだ。その黒い真珠のような目の中にクリスをとらえたまま動こうとしない。


 一角猪の鼻先が上を向いて、大きく体を震わせた。大きな二つの鼻の穴から赤く濁った粘液が飛び出てくる。これは……くしゃみだろうか。


 何かがおかしい。クリスが見た百を超える一角猪の中でくしゃみをする個体なんていなかった。


 まだ動かないそいつをじっくり観察する。そうしてみれば、淡いピンク色のはずの目の周りや鼻先が黒ずんでいた。赤黒い血管が浮き出て痛々しい。


 クリスは直感で気づいた。毒だ。


 そして思った。願ってもない幸運だと。


 一角猪はようやく動き始めた。真っ直ぐ向かってくるが、ほんの少しだけ勢いがない。しかしこの突進を何度も見たクリスに当たるはずもなかった。


 軽く避けた先で一角猪は木に衝突する。幹は大きくたわみ大量の葉を落としたが、倒れることはなかった。


 一角猪の動きがまた止まった。クリスに無防備な背中をみせたまま。


 絶好のチャンスだ。殺せる。


 クリスは剣を振りかぶり、加護エーテルを全身からかき集めようとしたところで――。


 エディ・シドニーの言葉を思い出した。「君ならできる」と。


 この一角猪はきっとどこかの冒険者が倒しそびれた個体なのだろう。そんなものを狩ったところで、エディ・シドニーは認めてくれるだろうか。クリス自身はためらいなく戦果を誇ることができるだろうか。


 今のクリスなら、誰の力を借りずとも十分倒せる力がある。エディ・シドニーはそうも言っていた。


 エディ・シドニーは強く、慈愛の心を持ち、高潔で誇り高い冒険者だ。彼の弟子となるものがまぐれの幸運で試験を突破していいだろうか。


「そんなはずはない。ですよね、シドニーさん」


 クリスは剣を鞘に納める。


 まだ五分程度しか経っていない。まだ間に合うはずだ。


 弱っている一角猪に背中を向けて、クリスは駆けだした。周囲にくまなく目をやって別の個体を探す。


 クリスが心の中に思い描いたエディ・シドニーは、「それでこそ僕の弟子にふさわしい」とほほ笑んでいた。




▼△▼




「なにやってんだバカ!」


 僕は思わず叫んでしまった。

 

 クリスが一角猪から背を向けて走り出したのだ。獲物の気配は弱まっていて、もう少しで倒せるのは明らかだったのに。


 まさか一角猪が毒を盛られていたことに気づいたのか。


 だとしても倒せばいいじゃないか。高潔ぶってるほど余裕あるわけないだろ!


 これはまずい。毒を盛られていない個体しか倒さないつもりであれば、かなりの時間がかかってしまう。


「クリス、真面目過ぎるよ……」


 林の中、クリスの気配は一角猪を探して走り回っている。

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