第8話

「……」


「……」


 気まずい。リスの体である僕が気まずさをひしひしと肌で感じているというのに、ヴァイオレットとクリスは澄ました表情で黙りこくっている。なんか喋れ!


 ヴァイオレットは話すべきことはなくなったと口を閉ざしている。クリスはどこか遠くを見つめて憂いを帯びた顔。


「クルルッ! ビビ! トイレ!」


「え? ……分かりました。行ってきます」


「はい」


 意図は伝わったようだ。ヴァイオレットが僕を拾い上げてお手洗いに向かう。扉が閉まるのを待って、僕は口を開いた。本来はもっと流暢に話すことができるのだ。


「いやあ、失敗しちゃったね」


「すいません、エディ。私にもっと交渉の技術があれば」


「クリスの決意は固かった。誰にやっても難しいさ」


 ヴァイオレットの説得は上手とは言えなかったが、パン屋の店員はクリスにとって魅力的ではなかったということだ。


「成り上がりたいなら、現実的な選択肢は冒険者しかないからね」


 持たざる者が自分の命を賭けて挑む大博打、それが冒険者業だ。金も知恵も技術も何もなくてもトップスターに駆け上がれる可能性がある唯一の道。


「若い女の子一人で、気の置けない友人もおらず、ただ力を求める。昔のビビみたいだ」


「……そうでしょうか。私には才能がありました。しかし、クリスほど真っ直ぐ自分の気持ちを口に出すことはできません」


「クリス、なかなか熱い志だったね」


 ただ現実は厳しい。成り上がりを狙う新人の多くが中堅になる前に死ぬ、そういう世界だ。特にクリスは才能がない。たとえ師匠による薫陶を受けたとしても、頂点には届かないだろう。


 その事実に直面した時、魔王の卵であるクリス・アーモンドに何が起こるのか。


 ふと、苦悶の魔王のことを思い出してしまう。巨大な異形の怪物は、しかしどことなく元の少年の面影を残していた。無差別に呪いをまき散らし、眷属を生み出して大陸を端から災禍で塗りつぶす。あの頃は世界の片隅の小さな村さえ魔王に怯えながら暮らしていた。


 最後の戦いは、本当にぎりぎりだった。勇者とランク7冒険者のパーティーは紛れもなく世界最強の戦力だ。しかし魔王はたった一人でそれと拮抗する力を持っていた。もし一つボタンを掛け違っていれば僕たちは敗北し、苦悶の魔王はまだ生きて死を振りまいていたかもしれない。


「ビビ。僕は覚悟を決めたよ。クリスを弟子にしよう」


「そうですか......」


 パン屋でほのぼのスローライフを送ってもらうほうが望ましいが、あそこまでの熱意を見せられたら応えなければ。


「試験なんてしなくていい。あれはクリスに自分の能力の無さを突きつけるだけだ。気が変わって試験免除で合格ということにしよう」


 クリス・アーモンドを魔王にさせるわけにはいかない。


「じゃあ僕、自分の体に戻って、すぐここに向かうから。とりあえずご飯食べながら引き留めておいて」


「分かりました」


 シマリスのハムくんとの感覚共有を切断する。深い水の底に沈んでいくような感覚になり、僕は事務所のベッドの上で目を覚ました。




▼△▼




 ヴァイオレットとクリスのいる料理屋に到着した。今度はエディ・シドニーの体だ。急いできたのでそう時間はかかっていない。


 引き戸を開いて、店内に踏み込む。すぐにクリスと目が合った。椅子を倒す勢いで立ち上がる。


「シドニーさん!?」


 店内の客の視線が一斉に僕に突き刺さる。シドニーという名前はこの街では有名だ。


「やあクリス。こんなところで出会うとは」


 白々しい言葉を吐いてクリスとヴァイオレットの卓へ近づいていく。二人の料理はすでに残りわずかとなっていた。


「ご一緒してもいいかな?」


「ももももちろんです!」


 ヴァイオレットの隣に座る。さて、僕が華麗な交渉術を見せてあげるとしよう。僕の自信満々な態度を目にして、ヴァイオレットは若干疑わしげな顔になった。


 クリスは弟子になりたくて、僕も彼女を弟子にするつもり。僕たちは両思いだ。結末は決まっている。


「クリス。実はこの麗しきヴァイオレットは――僕の相棒だ」


「え!? パン屋さんでは!?」


「パン屋さんでもある。パン屋兼冒険者だ」


 嘘をついたことにすると面倒くさいので、さらなる嘘で塗り固める。ヴァイオレットが足先で僕の脛を軽く小突いた。


「すごい……多才なんですね……」


 クリスは素直だ。疑うことなく受け入れた。


「冒険者としての君の熱い志、聞かせてもらったよ。『これのためなら死んでもいいと思えること。それが生きる意味。』、いい言葉じゃないか」


「なんでそれを!?」


「僕はランク7。この街での会話は大体耳に入ってくるのさ」


「へぇ、すごい、地獄耳なんですね」


 そんなわけはないが、クリスは納得の息を漏らした。素直すぎる。今までよく生きてこれたものだ。


「僕が弟子に求めるのは、実力でも才能でもない。熱意だ。君にはそれがある」


「ありがとうございます!」


 クリスは嬉しそうに軽く跳び上がった。しかしすぐその喜びに翳りがさす。


「でも実力も才能もないってことですよね……」


 桃色の瞳が底なしに暗い光を宿す。おっと。これは再びメンヘラモード突入か?


 僕とヴァイオレットは視線を交わした。彼女は失言を責めるようなじとりとした目つきだが、こんな浅いところに地雷が埋まってるなんて分からないよ。


 ヴァイオレットが口を開く。


「クリス。エディが言いたいのは、冒険者としての才能がないと言うことではなく、パン屋としての才能があるということです」


「パン屋の才能……」


 全然違うから。パン屋の話はもう終わったから。クリスも戸惑ってるじゃないか。わけわかんないこというんじゃない。ヴァイオレットは親しくない人と話す時だけポンコツになる……。


「今のはビビの冗談だ。気にしなくていい」


「冗談……?」


「冗談ではないのですが……」


 クリスは首を傾げる。会話にさっぱりついてこれてなさそうだ。それもそうだろう。僕も分からなくなってきた。


 もういいや。前置きはおしまいだ。


「本題に入ろう。クリス、準備はいいかな?」


 クリスは背筋に鉄筋を入れられたようにぴんと伸ばし、表情を固くした。緊張が伝わってくる。白く細い喉がごくりと動いた。


「君の熱意を認めて、試験は免除とする。不肖ながらこのエディ・シドニー、――君の師匠を務めたいと思う」


「え……?」


 店内をどよめきが満たす。エディ・シドニーが新たに弟子を取った。これは大ニュースだ。


 少々回り道をしてしまったが、結局これが正解だったのだ。


 狩りと瞳の女神アリス=マリアからの神託も、クリスの弟子入りを断ろうとした瞬間に授けられた。つまり弟子にしろということ。これは僕の信奉する女神の思し召しでもある。


 師匠としてクリス・アーモンドを教え導く。師匠人生最大の困難だろうが、僕は不思議と楽観的な気持ちだった。


 クリスは少々ネガティブになりやすいところはあるが、真面目で素直で優しい子だ。接していて気持ちがいいタイプ。ヴァイオレットとの相性も悪くなさそう。


 クリスが魔王となるのを防ぎつつ、冒険者として鍛える。簡単な話だ。僕とヴァイオレットなら難しくない。


「それは一角猪を倒す試験を免除するということですか……?」


 おどおどした遠慮がちな声で尋ねてくる。嬉しすぎて理解できていないのだろうか。


 僕はもっと簡易に伝えることにした。


「そうだよ。今から君は僕の弟子だ」


 クリスは目を大きく開いた。短いまばたきが連続する。口が開いて閉じるを繰り返した。


 彼女はここ二日間、一角猪討伐のためにひたすら努力をしてきた。上手くいかず絶望的な気持ちになったときもあったはず。しかしもう全て必要ない。免除免除。合格合格。ハッピーハッピー。


「おめでとうございます。クリス、私はエディの弟子でもあるので、姉弟子ということになります。よろしくお願いします」


「君には才能がある。努力する才能がね。僕が正しく導けば、きっと伸びるはずだ」


 僕とヴァイオレットは畳み掛けた。クリスの目に涙が浮かぶ。悲しみからくるものではない。瞳をうるうると濡らして、手で荒く擦る。


「私、そんなことを言ってもらったのは初めてで、とても嬉しくて」


 クリスは頭をテーブルにぶつけそうなほど勢いよく下げた。彼女の言葉を店中が固唾を飲んで待っている。


「――お断りさせてください!」


 ん?


 断られた?


「んあえ」


 僕の喉からは奇妙な音しかでてこなかった。




▼△▼




「いえ、弟子になりたくないというわけではなく、試験を合格したうえでないと私が納得できないんです」


 一世一代の告白を断られた僕は真っ白に燃え尽きた。今まで失恋というものを経験したことはないが、こういう気持ちなのだろうか。


「理由を聞いても?」


 黙ってしまった僕の横で、無表情のヴァイオレットが話を続けてくれる。


「才能があると仰ってくれましたが、私はそうは思えません。実は私、一角猪を一人じゃ倒せないんです。このまま一角猪の一匹も倒せないままシドニーさんの弟子になっても、きっと無駄に時間を使わせてしまうだけです」


 それはその通り。冒険者にとって才能は重要だ。それがなければランクも上がらないし、上がっても強くなれない。クリスは一年間でその事実に嫌というほど向き合ってきたのだろう。僕らの薄っぺらなお世辞じゃ届かないほどに。


「だから私、試験本番で一匹も狩れないままだったら、北大陸の開拓団に志願しようと決めたんです」


「それは……」


 ヴァイオレットが息を呑む。


 それは……だめだ。


 人類生存圏を拡大すべく、教会の主導する開拓事業。人が住むには過酷すぎる北大陸に植民し街を作るという話だが、ランク1のクリスが行くのは自殺行為だ。


 そもそもあれは志願するようなものではない。頭のおかしい冒険家、創造神の教えのために死ねる狂信者、そして流刑にされた犯罪者。そういう狂人たちが送られる場所だ。


 クリス一人で行けば、必ず悲惨な目に遭って死ぬ。僕とヴァイオレットがいても守り切れるか分からない。というか僕は絶対行きたくない。


 過酷な状況に身を置き、死線をくぐれば、ランクは上がる。だから成長のために厳しい環境を求めるというのは間違いではないのだが、北大陸開拓団はやり過ぎだ。


「私は北大陸の奥へ渡ったことがありますが、あそこは――地獄ですよ」


「……お前なんかが耐えられる場所じゃないっていうのは分かってます。でも北大陸に行けば、それが良い方向であれ悪い方向であれ何かが変わる。そんな気がするんです」


「地獄で良い方向に成長するなんてことありえません」


 クリスは目に涙を浮かべながら奇妙な熱をこめて言葉を続ける。


「それでも――心の奥のもう一人の私が言ってるんです! 力が欲しければ北に行けって!」


 もう一人の私……。


 それ絶対魔王が囁きかけてきてるじゃん。


 うーん。


 僕とヴァイオレットは目を合わせる。濃紺の瞳が揺れ動いて僕に助けを求めていた。


「分かった。じゃあ試験は行おう。ただ僕もクリスの自殺行為を黙って見守るわけにはいかない。残り二日間、僕が指導する。それでいいね?」


「はいッ!」


 試験の内容は、一時間で一角猪を何匹倒せるか。僕はクリスを合格させなければいけない。どんな手段を使っても。


 ヴァイオレットの胸の谷間からシマリスのハムくんが飛び出してきた。クルクルと鳴いてテーブルの上を駆け回る。


 リスになりたい……。


 僕はハムくんを見つめた。

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