第7話

 クリス・アーモンドの朝は早い。


 日が昇る前には体が勝手に目覚める。小さな頃からの習慣だ。


 顔を洗い、服を着替え、まずはランニングだ。鎧を着込み剣を腰に吊ったまま、少しだけ明るくなり始めたアウルベルナの街を駆ける。


 その間休憩することはない。ときに全速力で、ときに軽く流す程度で。重心を低くして、目をよく動かす。実戦を意識しているのだ。いつもランダムなランニングルートを選び、一時間が経過したくらいで宿に戻る。


 体を拭いて汗を流したあと、朝食を食べる。貧相なメニューだ。ランク1冒険者の稼ぎは少なく、贅沢をする余裕はない。しかし粗食には慣れている。


 そして朝食のあとは――素振りだ。


 先輩冒険者に教えてもらった基本の型を百回ずつ。一振りたりとも手を抜かない。剣士として昇位ランクアップするには基本の鍛錬が大事なのだ。


 素振りが終わる頃には日が昇っている。もう一度汗を流したあと、冒険者ギルドに出向く。


 パーティーに入っていたころには仲間たちと依頼を受けたが、今は一人だ。ランク1の剣士であるクリスに受けられる依頼なんてない。だからギルドに来るのはただの習慣だ。


 掲示板を眺めて自分の立ち位置を再確認し、唇を噛み締める。何か特別な告知や情報がないことを確かめ、ギルドをあとにした。


 大通りを歩き、門へ向かう。


 道すがらには質屋がある。その質屋には、亡き母の形見である指輪を預けてあった。それによってクリスはエディに渡す三百万リルを用立てたのだ。


 ついつい凝視してしまう。店の外構えを見たってあの指輪が出てくるわけではないのに、意識せずにはいられない。エディ・シドニーへの弟子入りが成功するということは、あの指輪は返ってこないということになる。幸福二つを同時に得ることはできない。クリスは深くため息を吐いた。


 そうして門の外に出て、魔物の生息域へ。


 ランク1のクリスが一人で出歩くのは、自殺行為だと思われても仕方がない。しかしリスクを冒すしかなかった。


 絶対に試験に合格して、エディ・シドニーの弟子になるのだ。彼の教えを受け、一人前の冒険者になる。それだけがクリスの今の希望である。


 クリスが一人で相手できる魔物は少ない。隠れて逃げて戦闘を避けながら、一角猪を倒す練習をする。


 火が沈み始めるまで、一人で、黙々と。


 夕方になったら、暗くなる前に帰る。夜行性の魔物はタチが悪いからだ。


 まずギルドに帰って、わずかばかりの戦果と摘んだ草花をお金に変える。


「換金をお願いします」


「はい」


 このごろクリスが口を開くのはこのときだけだ。仲間も友達もいないので、誰とも話すことがない。


 沈んだ顔をしたクリスに話しかけてくるのは軽薄そうな男ばかりなので、無視することにしている。


 換金が済んだら、宿に戻る。夕食を食べて、ランニングをして、素振りをして、泣きながら眠る。


 これがクリス・アーモンドの一日だ。




▼△▼




「かわいそうすぎます」


 僕からクリスの一日の説明を受けたヴァイオレット。僕たちは木陰でクリスを見守りながらコソコソ話し合っている。


「だろう? なんか今すぐ自殺してもおかしくないくらいだよ」


 僕らは目を見合わせた。


「どうしましょうか......」


 手を叩く。


「そもそも――そもそも冒険者なんてやめさせよう。冒険者になるしかなかったような身の上なら、就職先を斡旋したらそれで解決だろう?」


 僕だって冒険者になる前に安定した職を紹介されていたら、その道を選んでいただろう。駆け出し冒険者なんてそんなもんだ。才能がないならなおさら。


「そうですね......。ただ彼女の意思を確認しないことには......」


 そうだ。良いこと考えた!


「ビビ、君がクリスの友だちになっておいでよ。偶然を装って接触して、話し相手になって悩みを聞いて、それとなく職を紹介してみるんだ。クリスに友達もできて、冒険者もやめさせられる。一石二鳥だよ」


 しかし彼女は嫌そうな顔をしている。


「私、そんなコミュニケーション能力高くないのですが......」


「何言ってるんだ。世界の危機だよ。君も友人少ないんだし、一石三鳥じゃないか」


 ヴァイオレットはほんのわずかに唇をとんがらせた。


「余計なお世話です。......分かりました、行ってきますよ」


 よしよし。僕の専属秘書みたいになっているヴァイオレットのことを実は心配していたのだ。友だちがどうにもいなさそうで。




▼△▼




 背中を丸めながら、とぼとぼ帰るクリス。赤く染まる夕日と相まって哀愁が漂っている。


 その後ろを歩くヴァイオレットと、その肩に乗るシマリス。


 僕はリスになっている。飼っている使い魔のリス――ハムくんである。感覚を共有し、一時的に体を借りているというわけだ。


 僕の体は事務所で休息中。四十八時間働きっぱなしだったのでさすがに疲れている。まあ脳は休まらないが、両方休まないよりましだ。


「クルッ、クルッ」


 僕は鳴き声を上げてヴァイオレットの肩を飛び降りた。小さな足で精一杯走り、クリスを追い抜かす。


「ま、待って、――ハ、ハムくん」


 ヴァイオレットが僕を追いかけて声を出すが、その顔からは羞恥が抜けていない。僕は足を止めて振り返り、歯をむき出しにして威嚇した。


 なにやってるんだ、ビビ!


「クルルルルルッ!」


 師匠の喝を受けて、ヴァイオレットが覚悟を決めた顔になる。


「そこのお方! ハムくんを、ハムくんを捕まえてください!」


 そこでようやくクリスは顔を上げた。僕とヴァイオレットを見て、状況を理解する。


「わ、分かりました!」


「クルルッ」


 ゆっくり逃げる。クリスは日頃から鍛えている敏捷性を如何なく発揮し、僕を壁際に追い詰める。大きな手が迫ってきて、僕は拾い上げられた。


「ハムくん、大人しくしててね」


 頭を撫でられる。くすぐったい。電流みたいな快感がハムくんの体中を巡った。


「ありがとう、ございますっ」


 息を切らしたヴァイオレットが追いついてくる。肌はわずかに上気し、いかにも運動慣れしていないという様子。いい演技だ。


「いえいえ、はい、お返しします」


 クリスは僕をヴァイオレットに渡そうとした。


「クルルルルルッ!」


 僕はけたたましく鳴き声を上げて、ヴァイオレットへの受け渡しを拒否する。クリスの腕を這い登り、その肩で座り込みを決行した。四つの手足で服に強くしがみついて離さない。


「クルル!」


「ははは、なんか懐かれちゃったみたいです......。どうしましょうか......」


 クリスが困ったように笑い、ヴァイオレットは眉を寄せた。あれ、ちょっと怒ってる?


「発情期なので、不安定なんです。少ししたら落ち着いて私のとこに帰ってくると思うのですが......」


 ヴァイオレットは手を叩いた。


「そうだ! 良かったら、お食事一緒にしませんか? 私この街に越してきたばかりで、いいお店教えてください」


 ごく自然な演技、自然な流れだ。演出家の僕はクリスの肩の上でサムズアップを決めた。ヴァイオレットの眉がピクリと震える。


「あの......私お金ないので......」


「そんな、ハムくんを捕まえてくれた御礼です。ご馳走しますよ」


 クリスは僕を撫でて頰を緩めた。彼女が笑うことは滅多にない。アニマルセラピーの効果というやつだ。


「そういうことなら、ぜひ......」


 クリスが安くて美味しい店を知っているというので、僕ら二人と一匹は連れ立ってそこへ向かう。


 ここから先はアドリブだ。まずは二人に仲良くなってもらい、そしてクリスにパン屋の看板娘という職を紹介する。


 ヴァイオレットとクリスは肩を並べて歩く。


「............」


「............」


「............」


 だめだ! こいつら二人ともコミュ障だ!


 ヴァイオレットはぱくぱく口を開いては閉じ、ちらりとクリスを見て目を伏せる。クリスは憂いのある顔でぼうっと歩くだけ。いや、正確にはコミュ障なのはヴァイオレットで、クリスは半ばうつ病患者みたいな状況なのか。


 仕方がない。僕は一肌脱いで話題を提供することに決めた。


 クリスの肩から飛び降りて足元を駆け回り、歌うように鳴いて、首をかしげる。


「クルルッ?」


「......可愛いですね」


 クリスが口を開いた。僕を拾い上げて撫で回し、目を細める。


 ヴァイオレットもこの機会を逃さず、会話を広げた。


「......そうでしょう。私が惚れ込んで半ば無理やり飼い始めたんですけど、なかなか素直になってくれなくて。もう四年も一緒にいるのに」


「......それは困った子ですね。男の子ですか?」


「ええ、オスです。どうにもモテるみたいで、すぐメスを連れ帰ってこようとするんですよ」


 ヴァイオレットの鋭い視線が突き刺さる。なぜかお腹が痛い......。


「へえ、リスでもそんなことあるんですね」


 クリスは僕を目線の高さまで持ち上げた。ぱっちりとした桃色の瞳と目が合う。


「こらっ! 飼い主さんを困らせちゃだめでしょ」


「クルッ?」


「かわいい......」


「……そうでしょう」


「……」


 会話は途絶えた。


 おい! ビビ! がんばれ!


 店に到着する。どこにでもある大衆料理屋さんだ。駆け出し冒険者が依頼終わりに行くお店って感じである。飾りっ気の少ない店内に木の机と椅子が雑に並べられていて、夜も深くないのに酔っぱらった男たちが騒いでいる。


 クリスは慣れた様子で席についた。ヴァイオレットもその向かいに座り、僕はクリスの肩の上に陣取る。


「ここはメニューが一つしかなくて、日替わり定食って言うんですけど、安いのに量も多くて人気なんです」


「へえ。それはいいですね。……名前を言っていませんでした。私はヴァイオレット。お名前を聞いてもいいですか?」


「クリスです。クリス・アーモンド」


「……ご職業は?」


「駆け出しの冒険者です」


「……おいくつですか?」


「十七になったばかりです」


 これ面接かな? ヴァイオレットは会話下手だ。事務事項や報告だとハキハキ喋るのだが、目的のない会話というのがどうにも苦手らしい。


 ヴァイオレットの表情は仮面なのかっていうくらい動かない。彼女を知らない人からすれば怒っているのかなと思うだろう。実際無表情で質問攻めにされたクリスは若干戸惑っている。


 しょうがない。僕がまた一肌脱ぐことにしよう。


 クリスの肩の上から跳び、シュタッとテーブルの上に着地する。咳払いして、慣れない喉の調子を確認する。


「クルルッ! クルルッ! ヴァイオレットの変なところ! 教えるよッ!」


「ハムくんが喋った!?」


 クリスは目を白黒させて僕を見つめる。


 リスは狩りと瞳の女神アリス=マリアの象徴動物だ。僕と相性がいい。ランク7にもなると、リスの体で人間の言葉を話せるようになるのだ。人の声とはかなり違うが、聞き取ることはできる。


「僕はッ! 喋れるリスだよッ! クルルッ!」


「そんなリスいるんだ......」


 素直なクリスは僕の嘘を信じてくれた。喋れるリスなんているわけないだろ。素直すぎでは? ......まあいい。クリスがヴァイオレットの可愛い側面を知ってくれれば、きっと打ち解けることができるはず。


「エデ......、ハムくん。やめてください」


「クルルッ! やめない! ビビは朝に弱く! 寝起きは六歳児みたいにふにゃふにゃ話す!」


 完璧超人のように見えて、抜けている側面もあるのだ。


「ハムくん!」


 ヴァイオレットは顔を赤くしている。彼女にしては珍しい、はっきりと分かるほどの表情の変化だ。クリスはその慌てぶりを見て吹き出した。


「ふふ、なんか意外です。ヴァイオレットさん、クールな美人って雰囲気なのに」


「クルルッ! もう一つ! ビビはにんじんが食べられない!」


 ヴァイオレットの手が電光石火で煌めく。リスの動体視力では捉えられないまま、俺はグラスの中に閉じ込められてしまった。クルルゥ......。


「にんじん、食べられないんですね。もし日替わり定食に入ってたら、私が食べてあげます」


 クリスはくすりと笑みをこぼす。ヴァイオレットは無表情。


「......よろしくお願いします。ところでクリスさん。あなた何か悩み事があるのでは? ずっと浮かない顔をしていましたが」 


 ヴァイオレットがこらえきれず本題に踏み込んだ。彼女はやるべきことをさきにやってしまうタイプの人間だ。まだ打ち解けきってはいないだろうが......。


「はは......すいません、気を遣わせてしまって。私、冒険者としての才能がないみたいで......」


「そうなんですね。どうして冒険者に?」


「それしかなかったから、ってやつです」


 クリスは乾いた笑いを上げた。それしかなかったから。冒険者がよく使う言葉だ。どうにもならなかった者たちが最後に縋るのが、アウルベルナの冒険者ギルド。


「そうですか......。実は私、パン屋を始めるためにこの街に来たんです。それで今店員さんを探してて」


 ヴァイオレットがクリスの手を握り正面から見つめる。ちょっと性急すぎる気もするが、まあいい。


「クリスさん、よかったら――私と一緒に働きませんか? 可愛いし、真面目だし、きっと気に入ると思うんです」


 ナイスだ! ビビ! ほら笑って! 笑顔があれば完璧だよ!


 僕は援護射撃をすべくグラスを押し倒し、ガラスの牢獄から脱出した。クリスの手元に近付いて体を擦り付ける。どうだ、かわいいだろう。


「パン屋さん……」


 クリスはリスの撫で方がどうにも上手く、僕は彼女の腕の上で腹を見せて眠たくなってしまう。


「クルゥ......」 


 ――ゾクリ。 


 ッ! なんだ今の殺気は。僕の眠気は突然の威圧によって吹き飛ばされた。周囲を見渡しても敵はいない。困り顔のクリスと無表情のヴァイオレットだけ。いったいなんだ......。


「クルルッ」


「......ハムくんも懐いてますし」


 そうだ! パン屋になれば、僕の体を毎日撫で回し放題だぞ! 僕はつぶらな瞳で精一杯可愛さをアピールした。


 待てよ。もし本当にそうなったら、ヴァイオレットはパン屋の女店主、僕はハムくんとして余生を過ごすことを強制させられるのでは......?


 一生、シマリスってこと?


 絶望に震える僕の体をクリスの指が突いてくる。絶妙な力加減でツボが押され、眠気が僕を襲う。やっぱりこの体、気持ちいいかも......。


「嬉しいんですけど、お断りさせてください」


 しかしクリスは断った。はっきりと、迷うことなく。目に揺らぎはない。


「私、見返したいんです。元の仲間も、故郷の人たちも。冒険者として強くなって、有名になって、お金持ちになって、無能って馬鹿にしてきた人たちを見返す。これが私の生きる意味だと思ってます」


「......」


「『これのためなら死んでもいいと思えること。それが生きる意味だ』ってお母さんが言ってたんです。確かに最初はそれしかなくて冒険者になったけど、一年やって気付きました。この道の先には――大きな夢があります。底辺から頂上に成り上がるという夢が」


 それは眩しい夢だ。誰もが夢見て、道半ばで死んでいくか、諦める。ほんの一握りの、実力と運を兼ね備えた人間だけが夢を掴むことができる。


 クリスは唐突に顔を伏せて、すこし瞳を潤ませた。


「弱いのに語ってすいません……」


 表情がすっと抜け落ちて、目から光が消える。さっきまで元気に話していたのに豹変についていけない。


 僕はヴァイオレットに視線を向けた。さあ、フォローするんだビビ!


「今から言うことは冗談ですが、クリス。あなたにはパン屋さんの店員としての才能があります」


 どんな冗談? 僕は必死にアイコンタクトを送る。君ズレたこと言ってるよ。


 クリスは首を傾げた。


「......冗談ということは、才能はないってことですか?」


「......」


 ヴァイオレットは口をきゅっと結んでいる。僕を見る目にはどこか責めるような色。ごめんよ、ビビ。僕が冗談の前には前置きしてねなんて言ったばっかりに。でもさっきのは冗談とかではなくただのお世辞だ。


 ヴァイオレットは結局クリスの問いかけを無視して、パン屋のアピールを続けた。


「私の焼くパンは美味しいし、お給料も弾みますけど......」


「いえ、お客さんとして通わせてください」


「......決心は固いようですね」


「はい」


 僕たちはクリスに冒険者をやめさせることに失敗した。


 ど、どうするぅ?

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