第6話 監視しなくてはいけない!
少しだけ地理の話をするならば。
世界地図を見ると、巨人が大の字に寝ているように見える。頭部と胴体以下はほんの少しだけ離れていて、そこには首切り海峡とよばれる。名前の由来は凄惨な逸話などからではなく、巨人の首を切り落としたように見えるからだ。
頭部が北大陸、四肢と胴体が中央大陸、足元に広がる島々が南方諸島。北に行けば行くほど生態系は豊かになり、魔物は強くなる。
首切り海峡が最も短くなる位置に、北大陸と中央大陸をまたぐように作られたのが"世界の喉仏"アウルベルナである。
北大陸は人間が定住できる場所ではない。アウルベルナが人類の生存権の北端にいるというわけだ。つまり――魔物が強い。環境も過酷である。冒険者の墓場などと綽名されるくらいには死亡率が高い。
それでもこの自治都市国家アウルベルナに人が集まるのは、第一に出自を問わずに受け入れる自由な気風があり、第二に底辺から頂点まで成り上がるという夢があるからだ。だから過酷なアウルベルナから冒険者人生を始める人間は少なくない。
僕、エディ・シドニーなんかはその代表例だろう。何もないところから始まって、魔王を倒し、ランク7冒険者になって悠々自適に暮らしている。
そして、クリス・アーモンドもその道をたどろうとしている一人だ。天涯孤独の身となってこの街にたどり着き、冒険者となった。
▼△▼
現在は彼女はパーティーを追放されたので、一人でフィールドに出ている。
ここはアウルベルナの近郊で最も安全な狩場。中央大陸側に位置するマツの雑木林だ。森といえるほど木々の密度は高くなく陽の光が十分射し込み、冒険者によって地面は踏み固められている。
街を守る外壁からはほど近く、強い魔物は少ない。強い魔物は賢く、賢い魔物は事情がなければ外壁に近づかない。
しかしそれでも死の危険はあちこちに潜んでいる。
クリスも危険性を理解し、彼女なりに警戒をしているのだろう。よく目を動かし首を振っている。まあ僕に気づくことはないけど。
僕はハラハラしながら遠くからクリスを見守っている。
――彼女が何をしているかというと。
「はあッ!」
クリスは剣を構えて突進する。
その剣の向かう先にいるのは、体躯に見合わぬ大きな角を生やした猪。体は大型の犬くらいの大きさだが、角も体長と同じ長さがある。
その魔物の名を一角猪。この過酷で豊かなアウルベルナ周辺では生存競争の下位に位置し、群生地に行けばネズミのように湧いてくる最弱の魔物。
僕がクリスに提示した「試験」の内容は、一時間に一角猪を何匹狩ることができるか。
今日はまだ試験当日ではない。
彼女は健気にも――練習をしているのだ。最弱の魔物を最高効率で狩る練習を。
「なんて真面目なんだ……」
クリスと一角猪が衝突する。剣と角が交わり、弾き合う。硬質で澄んだ音が林に響いた。
一角猪の体が持ち上がる。白い腹がちらりと見えた。クリスは体を低くしてほとんど伏せるようになりながら迫り――刃は硬い毛皮に阻まれた。
ブルルルルウッと一角猪が鳴く。そいつは大した傷を負っていないにも関わらず、クリスに背を向けて逃げ出した。
「はあ、はあ」
しかしクリスは追わない。休憩のようだ。首を振って周囲を警戒しながらも、岩の上に腰を落とす。顔には玉のような汗が浮かんでいる。
木の陰で隠れている僕の後ろに気配が立つ。
「エディ」
「やあ、ビビ」
ヴァイオレットだ。彼女は僕のすすけた顔をまじまじと眺める。
「二日も帰ってきませんでしたが、問題ないですか?」
僕は頷く。ランク1冒険者は弱いので、少しの不運で魔物に殺されかねない。だから彼女が街の外にでるときは僕が監視をしている。
さらにいうと、ランク1冒険者はランク2冒険者と喧嘩になったらひとたまりもなく死んでしまうので、街の中でも僕が監視をしている。
「クリスは元気にやってるよ」
僕はこの二日間つきっきりでクリスに貼りついている。過保護な母親かな?
クリスが魔物と戦うたびに手に汗握り、素行の悪そうな冒険者とすれ違うたびに何事もないことを祈るというなかなか過酷な任務に就いている。
「情報がある程度まとまったので、報告に来ました」
「ありがとう。……無理させちゃってるかな」
いつもコンディションをばっちりに整えてくるヴァイオレットだが、今日はすこし疲れが顔に出ている。かなり頑張ってくれたのだろう。この社会で魔王という単語は禁句に近く、情報を集めるのは簡単ではないはず。
「ええ。特別手当を要求します。――高級レストランへのエスコート――気になってたけど一人じゃ行きにくいところがあるのです」
「もちろんだ」
彼女はときどきこんな風に言って出不精の僕を外に連れ出してくれる。そんなことならいくらでもやる所存である。
「それで――過去の魔王が覚醒したときの事例から、そのトリガーとなりうる事象の推測が立ちました」
おお。
おお!
一番知りたい情報じゃないか。
「さすがビビ。なんて優秀なんだ」
「ケース1。四年前に討伐された苦悶の魔王。成人前の浮浪児がスラムで大人にタコ殴りにされたときに覚醒。証言によれば『確実に殺したと思たのに起き上がってきた』とのこと。本当に死んだ後なのか、死ぬ前なのか正確には分かりません」
「……よく証言が残ってたね」
「遊びでネズミを狩る獅子の如く、三日三晩追いかけ回されて無惨に殺されたらしいですよ。証言は衛兵詰所に駆け込んだときの言葉とか」
まあそうだろう。苦悶の魔王を相手にして一般人が生き残れるはずがない。
「ケース2。百五十年前に討伐された毒の悪魔。家族や友人が流行り病で亡くなり、恋人をも失った瞬間に覚醒。死ぬまで恋人の亡骸を抱き続けたことで有名です。純愛なのでしょうか」
「……」
「ケース3。三百年前に討伐された獣の魔王。一兵卒として戦争に参加し故郷に帰還し、将来を誓い合った女性が別の男と家庭を作っていたことを知り覚醒。......脳が破壊されますね」
人の業は深い。僕はしみじみとした気分で彼女の報告を聞いていた。
「ケース4。四百年前に討伐された嵐の魔王。類まれな芸術家であり、自身の作品を貴族に破かれたことで覚醒」
……それだけで? いや、本人にとって大切なものだったのは分かるが、たかが絵で世界を滅ぼしかけるか?
「他にもいくつかありますが、多くは文献が古すぎて脚色が強かったり、周囲を壊滅させたせいで文献が残っていなかったり......。それらを含めたうえで推測できるのは、強い感情の発露がきっかけになるということです。それも特に――負の感情。怒り、悲しみ、憎しみ。そういったものがトリガーとなり得るのでしょう」
強い負の感情の発露。説得力のある仮説だ。おそらく限りなく事実に近い。
「つまり、そういう可能性をクリスの周りから排除する必要があるというわけだ」
とんでもなく悲しい出来事や人生に絶望してしまうようなこと。あるいははらわたが煮えくり返るような怒り。それらを未然に防がなくてはいけない。
クリスは休憩を終え、立ち上がった。僕はヴァイオレットに目で合図をして、彼女を見失わないようについていく。
「そして――気づかれない内に殺すことでどうなるか。これについてはまだ分かりません。苦悶の魔王のことを考えるとなるべく避けるべきだとは思いますが......引き続き調査を行います」
「ありがとう、ビビ。いつも助かってるよ」
「いえ。それでエディの方は?」
「それ、聞いちゃう?」
僕は両手で顔を覆った。泣きたい気分だ。愚痴っていいいだろうか?
「エディ?」
「クリスは普通の女の子だよ。魔王になる気配なんてまったくない。ただ少し――少しだけ弱いだけで」
僕の背中にそっと触れる温かい手の感触。
「弱いのは問題ではありません」
「……そうだね。僕が見たところによると、彼女はとても真面目で、とても優しくて、ちょっとネガティブ思考になりやすい。ここ二日は毎晩涙で枕を濡らしている」
クリスは毎晩泣いている。号泣ではないが、枕に顔を押し付けながらしとしとと数時間涙を流し、泣きつかれて眠りに落ちる。おかげであまり眠れておらず、健康的とは到底言えない。
「それは、精神衛生的にとても良くないでしょう」
その通りだ。早急な改善が必要である。絵を破かれて魔王に覚醒した芸術家の例もある。ふとした瞬間に闇に落ちてしまうかもしれない。
ヴァイオレットは腰を落として構えをとるクリスに目をやった。彼女は至極真剣な顔つきで、思いつめたような色も見て取れる。
「それで彼女はなぜ泣いているのですか?」
「――無力感、劣等感だよ。僕は一昨日クリスに『一角猪を何体狩れるかという試験をする』と言った。それで彼女は一角猪を相手に練習をしている。ビビがランク1のころなら何体までいけるかな?」
「そうですね……。まあ三分に一体で、ニ十は固いでしょうか」
だよね。僕の感覚がおかしいのではない。一角猪はそういう魔物である。
僕らの目線の先では、クリスがまた一角猪と向かい合っている。群れからはぐれた小さな個体だ。
両者がぶつかり合い、――クリスは跳ね飛ばされた。ボールのように地面を転がっていく。
「クリスは――ゼロだ」
「え?」
「それも、一時間じゃ一匹も殺せないとかいうレベルじゃない。昨日と今日の二日やってもゼロなんだ……」
ヴァイオレットは目を見開き、唇をわなわなと震わせた。ぱっと見て分かるほどの表情の変化は彼女にしては珍しい。分かるよ、ビビ。溺れている魚くらいありえない話だよな。
「クリスは弟子入り試験に対して相当入れ込んでいる。ここが人生の分岐点だと思っているみたいだね。不合格を言い渡したりするのは、少し彼女の"闇落ち"が怖いかも」
僕はヴァイオレットの報告を聞いたときに、クリスを弟子にしないという選択肢はないことを悟った。不合格にすれば首を吊りかねない。
不合格にもできない。しかし、僕は魔王の卵への教え方なんて分からない。責任重すぎるだろう。弟子にするのも気が引ける。
クリスはもう一度立ち上がった。目には涙が浮かんでいる。剣を構え直し、駆けていく。
「ウギッ!」
潰れたカエルみたいな悲鳴が上がった。クリスは地面の石に躓いて転び、一角猪は彼女を残して悠然と去っていく。
石に躓くって……。僕は暗すぎる前途に頭を抱えた。
「試験で一匹も狩れなくても『君には才能がある!』ってゴリ押したら、納得してくれるだろうか?」
「……まともな感性なら難しいでしょう。すぐお世辞だと分かります」
「だよね」
クリスは大の字に寝転がって荒く息をしている。目にはうっすらと涙。
これ、どうしよう。
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