第9話 導かなくてはいけない!
「作戦会議だ」
事務所に戻り、ヴァイオレットと膝を突き合わせて相談している。ハムくんは放し飼いなのでどこかへ消えた。
クリスは既に眠りについている。今日は比較的穏やかに入眠できたようである。目を離すのは正直不安だが、人手が僕とヴァイオレットしかない以上いつかこうなることは避けられない。
「議題はつまり――クリスにどうやって自己肯定感を持って試験を合格させられるか」
クリスの熱意の表明によって、僕たちは彼女に冒険者をやめさせることに失敗した。さらに、試験免除とすることにも失敗した。
「接待、裏口、出来レース。そういうことですね」
「手段はなんでもいい。彼女が自信をもって終われるような結末――それが必要だ」
結局僕だけ夕食をとっていないので、ヴァイオレットがいつの間にか用意してくれたものを口に詰め込んでいる。
メニューはリンゴ、バナナ、ヒマワリの種。彼女は僕のことをリスだと思っている? ヒマワリの種をよけながら果実を貪る。
「最終手段は一角猪を縛り上げて並べて転がしておくこと。さあビビ、何か案はある?」
「……クリスのことを赤ちゃんだと思ってますか?」
「口実つけて彼女に目隠しをしてもらおう。なんなら耳栓も。それで気づかないよ。暗闇での修行とかなんとか言って剣を振ってもらって、目隠しを外したら山のような一角猪の死体。クリスは言う、『これが私の力......』悪くない筋書きだ」
「あの……ふざけてますか?」
「大まじめだよ」
「……」
「まあこれはあくまで最終手段だ」
ヴァイオレットがぴしりと手を挙げた。僕が指す。どうぞ。
「正攻法でどうにかならないでしょうか。いくら才能がないとはいっても、一角猪を倒せないというのは――異常です。何か原因があるはずで、それを取り除くことはできればクリスは小細工なしの自力で倒せるようになるはずです」
鋭い意見だ。そう、一角猪を倒せないなんて言うのは異常だ。才能がないなんて次元じゃない。犬が吠えることに才能が必要だろうか。魚が泳ぐことに才能が必要だろうか。剣士が一角猪を倒すっていうのはそういうレベルの話だ。
「僕の"目"によると、あれは――神に愛されていないことが原因だ。剣士という
クリスは肉体にしても技術にしても精神にしても知識にしても、並のランク1より秀でている。それは彼女の一年間の努力の成果だろう。ただ唯一足りないのが神からの愛。
冒険者の才能にも種類はいろいろあるが、一番重要なのが神からの寵愛だ。
例えば僕は、狩りと瞳の女神から山のように高く海のように深い愛を受けている。ランク1のころからそこら辺のランク2より強かったし、ランクの上がり方も速かった。
しかしクリスはそうではない。クリスの剣が一角猪の毛皮を突き破ることができないのも当然だ。ただの人間が魔物に勝てるはずはないのだ。
「博愛の神に愛されないとは……あの隠しクラスのせいでしょうか」
「どうだろうね。そうかもしれないし、逆かもしれない。これは根深い問題だよ。すぐには解決できない。克服するには――
明日明後日でどうこうできる問題ではない。ヴァイオレットは渋い顔を作った。
「それではやはり出来レースを仕込んでおくしかないのでは......」
「うーん。なくはないんだよ。今のクリスでも一角猪を倒す方法」
「勿体ぶらないでください、エディ」
「でも外法の類だしなあ」
「魔王の卵ですよ。外法も邪法も関係ないですって」
……そうだろうか。魔王の卵だからこそ避けないといけない気もするが。まあビビが言うならやってみるか。
「よし。じゃあ明日クリスに教えてみよう!
▼△▼
翌日。
試験当日まではあと二日に迫っている。
クリスは今日も今日とて一角猪を相手に練習をしている。まだ討伐には成功していない。一体の一角猪と一時間以上も取っ組み合い、結果逃げられてしまう。そんなことを繰り返している。
「おはよう、クリス」
後ろから突然声を掛けられて、クリスは驚いて振り返った。警戒はしていたのに気配を一切感じなかった。
「シドニーさん」
そこにいたのはエディ・シドニーだった。黒い髪に黒い目、印象の薄い顔立ち。散歩でもするかのような普段着だ。こんな街の近くは彼にとって恐るるに足らないということだろう。
彼は世界でも有数のレベル7冒険者で、その指導を受ければ必ず一流になれると噂の師匠≪マスター≫である。
「こんな早くから練習とは感心だよ」
「早起きくらいしか能が無いので……。もう少ししたら事務所に伺おうと思っていたんですが、探させてしまいましたか?」
「君の匂いを追うくらい簡単だよ」
彼は凄腕の狩人。ランク1冒険者の追跡なんて朝飯前なのだろうが、クリスは若い乙女である。匂いを覚えられるというのはなんとなく恥ずかしい。
「それで上手くいってるかな?」
「……あまり上手くいってないです。でも当日までには必ず仕上げます!」
クリスもパーティーでなら何度も一角猪を倒したことはある。しかし一人で一角猪と戦った経験は今までなく、そもそも魔物と一人で戦うのが初めてだった。
どんな手段を使ってでも、一角猪を倒せるようになる。クリスは覚悟を決めていた。
「さっそく一つ教えようか」
「ありがとうございます!」
最強の冒険者に指導を賜われる。なんという幸運だろうか。クリスは深々と頭を下げた。
「お願いします! 教えてください!」
「うん。一角猪の毛皮に刃が通らなくて困っているんだろう?」
「なぜ……わかるんですか?」
それはクリスにとっては恥じ入るべき事実だった。エディ・シドニーはその様を見ていないのにどうして知ることができるのか。
「そりゃあ、僕は
さすがランク7、さすが
「君は剣と博愛の神フリードから受けている"加護"、寵愛が少ない。だから少し工夫する必要があるんだ。これは社会的にはあまり好まれない方法だけど、それでも聞くかい?」
加護が薄い。クリス自身早いうちにそれに気づき、何度も向かい合ってきた弱点だ。他人と比べて圧倒的に加護が薄く、――それが才能の差なのだと諦めてきた。
「どんなものでも大丈夫です! 悪魔の力でもどんとこいです!」
エディ・シドニーは穏やかな笑みをほんの少し引き攣らせた。
「……そう。いい覚悟だ。君に教えるのは、"加護循環"と呼ばれる技術で、まあ呼吸と祈祷を混ぜ合わせたみたいなものだ。加護を操作するなんて不敬で非常識とする人も多いから、あまり一般的ではない。ほら剣を構えて、目を瞑って」
彼の言葉通り、クリスは剣を中段に構えて足を少し開き、瞼を閉じる。
「呼吸に集中すれば、体の中に加護を感じるだろう?」
「はい」
ゆっくりと呼吸し、息を吸って吐くことだけに意識を向ける。そうすればおへそのあたりから不思議な感覚が体中に広がっているのが分かる。これが"
「
「一点に集中……」
クリスはエディ・シドニーの狙いを理解した。諸刃の剣を授けようとしてくれているのだ。頑丈さや回避能力などを失う代わりに、非才のクリスでも敵を貫ける攻撃力を。
「こんなふうに考えて。
「……やってみます」
自分の体の内側だけに意識を集中させる。血液のように
私の思い通りに動かすことができる。
どのくらいクリスはそう自己暗示をかけつづけていたのだろうか。体感時間では非常に長い時間が経過して、クリスの加護は体内でうねりはじめた。
まだ制御はできない。風に吹かれる公園の木の葉のように、あっちに固まったりこっちに動いたり、薄く広がったり。
だんだんと"自分が風を起こす”ような感覚を掴み、
剣士にとって剣は腕の延長。感覚にさして違いはない。
いける。
クリスは目を開いた。使い慣れたはずの安物の鋼の剣に、いつもと違う力が宿っているのが分かる。鋭く踏み込んで、腕を振るう。
――太い木の幹が、ぬるりとずれた。
いままでのクリスに人の胴ほどもある木の幹など断ち切れるはずもなかった。木の枝を折るので精一杯だったのだ。それも綺麗に寸断するのではなく、へし折るような不格好なやり方で。
しかし今、クリスの目の前で木が幹を両断されて、ゆっくり倒れていく。信じられない思いでそれを見ていた。木の葉が地面にぶつかる音、枝が折れていく音がして、その木は完全に倒れ伏した。
「すごい……」
「へえ、君、才能あるかもね」
エディ・シドニーが微笑んでいた。クリスは胸の奥がかっと熱くなる。才能があるなんて言われたのは冒険者になって初めてだった。絶対にこの人の弟子にならなくてはいけない。そう思った。
「私、ぜったい――」
言葉が止まった。
「あ、れ……?」
力が抜ける。立っていられない。
クリスは膝から崩れ落ちた。荒く息を吐くが、呼吸するのもつらい。一呼吸ごとに肺が痛くなる。体の内側が悲鳴を上げている。
必死に天を仰ぐと、エディー・シドニーがクリスをのぞき込んでいた。顔にあるのはあくまで冷静さ。
「剣を振るうっていうのは全身で行う作業だ。
「はあ……、はあ……、はい……」
「現時点では実用はできないね。集中させるのにも時間がかかり過ぎだし、魔物と戦いながらこれをするのはもっと難しい。負荷の残り過ぎない塩梅を体で覚える必要もある。でも――教えて初めてでここまでできるのはなかなかだ」
「ありがとう、ございますッ」
クリスは息も絶え絶えに口を開く。
真っ暗だったクリスの道に、一つ光が灯った。
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