第4話 防がなくてはいけない!

「エディちゃん。久しぶりね」


 椅子に座った女がくるりと回転してこちらを向く。若くて美しい女だ。艶やかな黒髪と真っ赤に塗られた唇のコントラストが印象的。


 しかし見た目に騙されてはいけない。この女は僕の知るだけでも十年間――噂によればそれ以上――全く歳をとっていない。


「イザベル。ふざけてる場合じゃない」


 イザベル。姓は不詳。歳も不詳。類い稀無い幻想魔法の使い手であり、ランク7の冒険者の一人。僕とは昔パーティーを組んでいた魔法使いで、現在は“世界の喉仏”アウルベルナにて冒険者ギルドの長をやっている。


 幻想魔法は使い手の幻想を実現する、非常に自由度と難易度の高い魔法だ。そしてイザベルは極めたその魔法を主に――セクハラに使っている。訴えられろ。


「ふざけてない。エディちゃん。これはもう、しょうがないのよ。私にもどうにもなんないの。せっかく久しぶりなんだから怒ってないで、可愛い顔が台無しよ」


 何がしょうがないだよ。ふざけやがって。僕は体の各所の強烈な違和感をなんとか無視して言葉を繋ぐ。


「男の体に戻してくれない? いや、もういいや。本題に入るけど――魔王の卵が孵化しそうなんだ」


「急に何? 何の話? 頭打った?」


 チッ。僕は聞き慣れない高い声で必死に経緯を説明した。




▼△▼




「ふーん。魔王の卵か……。エディちゃんじゃなかったら絶対信じないけど。でもエディちゃんが言うなら本当なんでしょう」


 現在僕の服はヒラヒラのフリルと細かいレースのついた白いワンピースになっている。イザベルの魔法により僕は人生で最大に恥辱的な服装をさせられ、必死の抵抗の結果、なんとかこれに落ち着いた。その過程は思い出したくもない。


「話の重大性が分かったら、元に戻してくれない? これのせいで落ち着かないんだ」


 僕は両手でおっぱいを支えた。女性というのはこんな重いものをぶら下げて生活しているのか。


「しょうがないなあ……」


 イザベルが指を弾く。


 胸が縮んでいく。ついでに体も縮んでいく。ワンピースも縮んでいく。


 僕は少女になった。


 ふざけんじゃねえ!


「なんで不機嫌そうなの、エディちゃん。やっぱりおっぱいがあったほうがいい?」


「もうこれでいい! 本題に戻ってくれ!」


 これだから彼女と話すのは嫌いなんだ。その日の気分によって女にさせられたり、猫耳を生やされたり、男性器を三つに増やされたり。


 本来、同じランク7である僕にこんなふざけた魔法をぽんぽん掛けられるはずがないのだ。職位ランクを上げれば、悪意ある魔法は勝手に弾くようになる。しかしイザベルはこの魔法を支援バフだと認識しているらしく、僕の体は弾いてくれない。なぜ僕の認識より彼女の認識が優先される?


「それで――クリスをどうするべきだ?」


「『イザベルお姉様、ご相談があります』って言ってみて?」


「……クリスをどうするべきだ?」


「うーん。難しいわね。......さっぱり分かんない」


 そんな無責任な。国の危機なんだぞ。唇を尖らせて不満を表現する僕に、イザベルは頬をだらしなく緩めている。口の形が無音で「かわいー」と言葉を作る。


「私はそんな大事だと思ってないわ。それにしても――すごく早いわね、前の魔王が死んでまだ四年しか経ってないのに」


 そうだ。魔王は数十年の周期で発生するものだと思われていた。四年というのは早すぎる。


「もしかしたら人類の中には魔王の卵がたくさんいて、その中の一部だけが魔王になるのかもしれない。もしそうなら、何か"魔王の卵"への対処法が存在してもいいはずだ」


 ここまで来る道中にそう思った。もしかしたらギルドや教会が秘密裏に魔王の卵を処理していて、そこからこぼれ落ちたものが魔王になるのではないかと。だってこんな短い周期で魔王が生まれて、しかもそれがたまたま僕のところに巡ってくるなんてどんな確率だよ。


 この女ならその対処法を知っていてもおかしくない。世界有数の都市アウルベルナの顔役の一人であり、世界最強の冒険者ギルドの長であるイザベルなら。


「ごめんけど――知らないわ」


「......そう」


「そんな顔しないで。教会にも商会連合にも他国にも探ってみるから」


「助かるよ」


「ねえ。エディ。私は悲観するどころか――たった四年で魔王が生まれたことに安堵すらしている。だって、私たちには――勇者がいる。魔王殺しを経験し、今なお力を増しているの最盛期の勇者がね。いざとなったら、殺せばいいじゃない。またみんなで」


 なるほど。そこに僕とイザベルの乖離があるらしい。僕は陰鬱たる感情を言葉として吐き出した。


「あんな大変な思いはもうごめんだよ」


 勇者は四年前魔王を殺し、僕とイザベルはそのパーティーに参加していた。何度も死にかけて、血反吐を吐いて、命からがら帰ってきたのだ。


「私は楽しかったけどなあ」


「そりゃそうだろう。――僕の経験した"大変な思い"の内二割は君が原因だからね」


「ふふふ」


 ふふふ。じゃないわ。


 楽しかった思い出もあるが、その何倍も辛い思いをした。当時の僕は遥かに未熟で、ついていくのに精一杯だったのだ。


「それでクリスをどうするのさ。情報が集まるまで、刺激するわけにはいかない。かといって放置するわけにもいかない。彼女は弱いから、そのへんで死んでしまうかも」


 そのへんで死ぬというのは決して誇張した表現ではない。この街では犯罪も多いし、冒険者は魔物にしょっちゅう殺される。新人が中堅になれる確率は五割もないと言われているのだ。


「そうねえ」


 イザベルは腕を組んで目を瞑った。これは彼女が考えているフリをしているときのポーズ。そしてこういうとき彼女の考えはだいたい悪質だ。


「エディちゃんに任せようかな」


「は?」


「だって考えてもみてよ。この街で一番安全な場所はどこ? ランク7冒険者の隣。その中で一番まともな私はこのとおり忙しく、二番目にまともなあなたは暇。私と仲良しで信頼しあってる」


「……一番まともなのは僕だよ」


「それにエディが神託を受けたのよ。神はエディに期待している。私に伝えておしまいとなるわけないでしょう」


「…………」


「もちろん正式に依頼をだすわ。お金もたっぷり払うし、ギルドは協力を惜しまない。私の方でも各所に掛け合って理解と支援を要請する」


「............」


「ランク7冒険者エディ・シドニーよ。魔王の卵であるクリス・アーモンドを監視し、護衛し、覚醒を未然に防ぎなさい。そしてもしも魔王になったなら――殺しなさい」


 イザベルの目は本気だ。鋭く僕を見据えている。


 僕はため息を吐いた。彼女の言葉にも確かに一理ある。


「分かった。依頼を受ける。ただし、イザベルは情報を集めてくれ。もしも覚醒させずに殺すことができるなら、そうするべきだと思う」


「エディちゃんに女の子を殺すなんてできるの?」


「僕は――冒険者だ。魔物殺しのプロとして、市民を災厄から守る責任がある」


 強い力には責任が伴う。普段から特別扱いを受けているのに、いざとなったら逃げ出すことは許されない。たとえ特別扱いが望んだものでなかったとしても。


「かっこいい。――ロリ美少女の体じゃなかったら」


「殺意が湧いてくるよ」


 こうして僕はクリス・アーモンドが魔王として覚醒するのを防ぐことになった。


「じゃあね。イザベル」


「またねー。今度はバニーガールと、レースクイーンと、メイドさんでもやってもらおうかしら」


 二度と来ない。イザベルの戯言は無視して僕は彼女に背中を向けた。大きな扉を押し開けて、そのまま後ろ手で閉める。


 部屋を出ると、慣れ親しんだ感覚にホッとする。体はもとに戻った。


 ――白いワンピース以外は。


 振り返って扉を蹴り飛ばす。


「イザベルッ! ふざけるのもいい加減にしろ!」

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