第3話

 突然呼び出されたにも関わらず、ヴァイオレットは完璧に整えられていた。深い紺の髪は綺麗に撫でつけられて腰まで垂れ、一見礼服のようにも見える堅苦しく上品な装いを美しく着こなしている。


 彼女は美人だ。いつも冷静で口数は少なく、表情も動くことは少ない。表情筋含めて体の一切を動かさずにいるその美貌は、神が造った人形のようにも見えてくる。


 ヴァイオレットと出会って数年経ったが、彼女が歯を見せるほど笑ったのは片手で数えられるほどだ。たまに笑うとえくぼが可愛いことを僕は知っている。優秀ではあるが、ところどころ抜けているところも。


「魔王の卵……」


 ヴァイオレットは僕の説明を静かに聞いてくれた。


 ただ僕だって知ってることはほとんどない。少女が訪ねてきて、神託があって、水晶で確認しただけ。説明は三分で終わった。


 ヴァイオレットはその三分で百面相を見せてくれた。不機嫌顔から始まり、困惑し、怯え、また仏頂面に戻る。とはいっても、よく観察してようやく分かるほどのわずかな表情の変化だ。僕でも最近ようやく読み取れるようになってきたところ。


 机の上に転がっている水晶の中にはいまだに不可解な文字が浮かび上がっている。だいぶぼやけては消えかかってはいるが、まだ解読可能だ。


 彼女は水晶と僕の顔の間で何度も視線を往復させて、しばらく黙りこくって、今はいつも通りの無表情で僕を見つめている。


「魔王......こんなに早く......。なんで私がこんな重くて大きい話を聞かされているのでしょうか……」


「安心してくれ。ビビ。僕もまったく同じ気持ちだ」


 おもしろおかしく師匠ごっこして暮らしてたのに、こんなのついていけないよな。僕は笑いかけるが、彼女の視線はどこか冷たい。


「まさか……本当に弟子にするつもりじゃないですよね」


「もちろん。そんなつもりはない」


 魔王はさすがに指導できない。僕が教えた技で街を壊したりするのは寝覚めが悪すぎる。


「ならいいのですが。エディ、あなたはいつもいつも変わった子ばかり拾ってきて弟子にすると言い出す。少し――心配です。まともな人間を弟子にしたことがありますか?」


「君も僕の弟子の一人だけど」


「……私は例外です。弟子にしてもらったのではなく、無理やり弟子になったので」


「……そのエピソードだけで変人だと分かるよ」


 ヴァイオレットはコホンと咳払いをした。これは……照れ隠しだろうか?


「話を戻しましょう。すぐ殺さなかった判断は正しかったと思います。魔王への覚醒は何がきっかけになるのか分かっていません。無暗に手を出すべきではない」


「そうだね。どうしよう?」


「さすがに……私たち二人の手には負えないのでは……?」


 少しランクが高いと言っても、僕はただの引退した冒険者だ。ヴァイオレットも同じ。これは国難であり、世界の難である。二人で抱え込むには重すぎる案件だ。


「でも……誰に言おうか……」


 それが問題である。この街アウルベルナは教会と商会連合と冒険者ギルドによって運営される自治都市国家だ。絶対的トップである王や皇帝はいない。(教会は各神殿とは異なる組織である。)


 そして――教会の連中は魔王のことになると冷静な判断力を失いがちだ。人のうちに殺してやると言ってきかないだろう。卵があったら街ごと焼き払うとか言い出しかねない。


 商会連合に伝手はない。有名な冒険者を門前払いにはしないだろうが、馬鹿げた話を信じてくれるかは分からない。


 冒険者ギルドの長は知り合いだが、――やつは変人だ。


「非常に申し訳ないのですが、私が思い付くのは、あの変態しかいません」


「……ビビが行ってきてよ」


「いやです。なんで私なんですか。エディが行ってきてください」


「一人だと僕は無事に帰ってこられるか分からない」


「そんなところに可愛い弟子を送り出さないでください」


「君はもう免許皆伝だよ。それに奴はビビを気に入っているから、殺されはしないさ」


 ヴァイオレットはほんの少し唇をひん曲げた。


「だから嫌なんです。エディだって死ぬわけないでしょう。大袈裟です」


 言い合っていても仕方がない。


 よし。長く息を吐きだす。僕は覚悟を決めた。ギルドに赴くのは腰が重いが、そんなこと言ってる場合じゃない。


「そうだね。僕が行こう」


「……どうしてもと言うなら、私もついていきます」


「いや、ビビには頼みたいことがある。情報収集だ。魔王についての文献、伝聞を集めてくれ。どんなものでもいい」


 ヴァイオレットは頷いた。彼女はこういうことが得意だ。僕よりもずっと。


 世界に破滅をもたらす魔王も、そうなる前はただの人なのだ。何をトリガーとして覚醒するのか。それを避けることができるのか。もし避けられないならば、――覚醒を防ぎながら殺す方法はあるのか。


 今は少しでも情報が必要だ。


「じゃあ行ってくる。そっちは任せたよ」


「お気をつけて。――ご冥福をお祈りします」


「……使い方間違ってるよ」


 普段はクールなヴァイオレットだが、昔からお茶目なところがある。素なのかは知らない。




▼△▼




 僕は冒険者ギルドの前で立ち止まった。


 世界最大級の都市であるこのアウルベルナの中でも最大級に大きい建物だ。しかし大きいことと豪華絢爛であることは必ず両立するわけではない。


 冒険者ギルドに扉はない。なぜか。荒くれ者がすぐ壊すからだ。年中無休二十四時間営業だから扉なんてなくてもいい。


 冒険者ギルドの床は最初は大理石だったのに、今はすっかり木に張り替えられた。なぜか。手癖の悪い奴らが石材を盗み始めたからだ。


 冒険者ギルドはいつも酒臭い。なぜか。依頼終わりの冒険者がたむろして酒を飲みながら、訪れた冒険者全員に大声で戦果を自慢し始めるからだ。最初は広いロビーがあったらしいが、酒盛り用の卓や椅子が持ち込まれて今は半分居酒屋みたいになっている。


 僕はそんな冒険者ギルドが少しだけ苦手だが、それ以上に大好きだ。生きているという実感が湧いてくる場所で、いろんな思い出がある。宿に泊まる金もない駆け出しのころはここの隅で夜を明かした。死にかけた後にここで泣きじゃくったこともある。


 ただし、ギルド長に会うのだけは大嫌いだ。


 僕は意を決してギルドに踏み込んだ。ここを訪れるのは久しぶりだ。


 入り口近くにいた冒険者たちの視線が少しだけ僕に向いて、もとに戻り、もう一度僕に向いた。


 ――黒弓。


 ――エディ・シドニーだ。


 ――ランク7の。引退したはずだぞ。若いな。


 ――お前、弟子入りしてみろよ。


 ひそひそとした声が一瞬で広がっていく。寄せられる視線の中には憧れるを含んだもの、値踏みするようなもの、畏れるようなものまでさまざまだ。たくさんの人に見られるのは居心地が悪いが、さすがに慣れた。有名税というやつだ。


 僕は窓口の前にできた列の最後尾に並ぶ。


 引退して数年だが、顔馴染みはすっかり減ってしまった。現役のころはギルドに行けば知り合いが一人は酒を飲んでいたというのに。


 ギルドの制服を着た女性が駆け寄ってくる。その女性が見知った顔であることに気づいて、僕は嬉しくなった。


「お久しぶりです、ベサニーさん」


「シドニーくん」


 ベサニーは僕よりも少し年上で、いつも疲れたような顔をした美人である。目の下の隈のせいで美貌が台無しだ。僕が現役のころと何も変わっていない。


 昔話に花を咲かせたいところだが、そんな暇はない。


「急にごめんなさい。ギルド長と話がしたいのですが。――緊急かつ重要な案件だと伝えてください」


 ベサニーの顔色が変わる。


「分かった。すぐに確認してくるね」


「ありがとうございます」


 ギルドを満たすざわめきが大きくなる。ランク7の冒険者が緊急かつ重要と発言したことの意味がそれだけ大きいということだ。この街にランク8の冒険者は存在しない。というか、僕の知る限りでは、現在この世界にランク8の人間は存在しない。


「ああ、待って、ベサニさん。こうも伝えてください」


 彼女の背中に声を掛ける。


「――お前のセクハラに付き合ってる暇はないから、と」


 ベサニは振り向いて頷いた。彼女も苦労しているのだろう、戦友を見るような目だ。そして奥へと消えていく。


 近くにいた男がおずおずと口を開く。体には相応の傷跡が刻まれているが、僕は顔を知らないし、覇気も感じない。中堅どころの冒険者だろう。


「なあシドニーさん。いったいなんだってんだ」


「悪いけど言えない。まあ君の出番はないよ。安心して」


 なぜならば魔王が覚醒したら、何もできずに死ぬだけだから。中堅冒険者にできるのは祈ることだけ。


「そうか……」


「おい、エディ・シドニー」


 無遠慮な低い声。体格の大きなスキンヘッドの男が僕を見下ろしていた。


 なんだなんだ、次から次に。


 その男は荒くれ者ばかりの冒険者ギルドの中でも目立つほど体が大きい。熊に対峙しているような気持ちになる、のだろう。僕はならないけど。ランクが違いすぎる。


 冒険者ギルドにはいつ来てもイキのいいのがいる。そして僕はこれが嫌いではない。


「クリスがあんたのとこに行ったらしいな」


「ああ、そうだけど。――君は彼女のストーカーか何か?」


「偶然出会って向こうから言ってきたのさ。『シドニーさんの弟子になって見返してやる!』ってな」


「へえ、ということは君が――」


 スキンヘッドの男は口を半月状に歪めた。底意地の悪そうな笑い方だ。


「そう。ミンスクだ。クリスを追放したパーティーのリーダーだよ」


「ふーん」


 ミンスクと名乗る男は聞いてもないのに喋り出す。


「ぜんぜんダメだよ、あいつは。才能がない。根性もない。俺が拾ってやったのに――忠誠心もない。これは忠告だが、弟子には取らないほうがいいぜ。時間の無駄だ。なあお前ら?」


 ミンスクは左右を向いて連れに同意を求める。彼ら彼女らは一様に頷いて媚びた笑みを浮かべ、ミンスクに追従して賛同の意を示した。


「そうか。まあ君も頑張りなよ。三流が四流をいじめたって、犬も食わない」


 僕はそこそこキツい言葉を吐いたつもりなのだが、ミンスクの顔には余裕の笑みが張り付いたままだ。


「なあエディ・シドニー。クリスを弟子にするのはやめとけ。悪いことは言わ――」


 そう言いながら肩を組もうとしてくる。鬱陶しいので僕はその手を弾いた。


「君、クサいよ。なんかレッサーデビルみたいな匂いだ。この街の師匠マスターの一人として、これは無料で教えてあげるけど、風呂には毎日入ったほうがいい」


 別に皮肉ではない。本心だ。彼はクサい。


 これにはさすがのミンスクも平静を保てなかったようで、笑顔は歪んでいびつなピエロみたいになっている。


「なんだとッ、このチビッ!」


 ミンスクが肩を怒らせて近づいてくる。


 彼はせいぜいレベル3だ。実力差も分からないとはまったく度し難い。僕は老害らしい台詞を吐くことにする。


「まったく、最近の冒険者は。程度が下がってるんじゃない?」


 ミンスクは額に青筋を浮かべて腕を振り上げた。だが――止まって見えるほどに緩慢なパンチだ。


 つかみ取り、捻り上げる。それだけで彼の巨体は浮かびあがった。一回転するほど強烈に腕を回せば、ミンスクは綺麗に半回転し、そのスキンヘッドは床を向く。


 僕は彼の股間に肘鉄をぶちこんだ。スキンヘッドが木板を突き破って肩ほどまで床に食い込む。


 前衛的オブジェの完成だ。体から力は抜けて、支える力を失いオブジェはへたりと倒れこんだ。ちょうど土下座するみたいな態勢だ。


「君たち、クリス・アーモンドには近づかないこと」


 ミンスクの後ろで震えあがっている男女に忠告しておく。こいつらが万一クリスを殺したりすれば、それで魔王が生まれてしまうかもしれない。


 冒険者たちは手を叩いてはやし立てる。鼻の伸びた冒険者を高ランクがへし折るのは彼らの大好きなお約束だ。ミンスクをけしかけるようなものもあれば、無謀な勇気を称えるものもある。


「久し振りに連続組み手でもしようか」


 気分の良くなってきた僕がそういうと、中堅のおっさんたちは黙りこくって知らん顔になった。さっきまでとても楽しそうだったのに……。


 静寂の中、ベサニーさんが戻ってきた。床に突き刺さったミンスクには目もくれない。慣れているのだ。


「すぐに会うそうよ。ついてきて」


「はい。じゃあね、ミンスクくん」


 僕は体をピクピクさせる奇妙な肉塊を残して、奥へと進む。


 スタッフオンリーの扉を抜けると、冒険者ギルドはその色合いを変えた。もっと清潔で上品な空間だ。


 血でもゲロでも汚れていない廊下を進んでいく。


「久しぶりということでギルド長はだいぶ喜んでいらっしゃったよ」


「それは、最悪ですね」


「まあそうだね」


 ベサニーはくすりと笑うが、僕は顔を引き攣らせた。憂鬱のまま歩き、一際大きな扉の前に辿り着く。


「じゃあ、勝手に開けていいって仰ってたから。私はいくね」


「はい、ありがとうございました」


 関わりたくないのだろう。ベサニーは手を振って来た道を戻っていく。


 僕は覚悟を固めて扉を開けた。一歩進む。ビリヤード台みたいな大きな机があって、その向こうで女がこちらに背を向けて座っている。


「おい」


 そういう僕の声は、いつもより少し高い。


 僕は下を見た。胸を掴む。胸と言っても、胸筋ではない。柔らかくて弾力がある――おっぱいだ。股の間には二十数年ぶら下げて来たアレの感覚がない。


 まじでふざけんな。


 僕は女体化した。

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