「Kiss me again」9
ムムがキケロの背中をビシバシと叩く。
「やっぱり自警団を率いるのはモンテドールの男じゃないとな。この街ができた時から決まってるんだ」
「痛えよ」
「こんなんで痛がっていたら立派な戦士にはなれないぞ!」
なりたくないけどとでも言いたげに口を曲げるキケロ。それがおかしくてヴァイは吹き出す。
「よくみんなを集めた。さすが私の弟だ。――やっぱり記憶を戻すのはやめておかないか? 弱気な頃を思い出して元に戻るのもいやだし」
キケロは「終わってるよ」とぼやいて体を小さくした。
「早く逃げようぜ。というか俺は一人でも逃げるぞ。仕事は果たしただろ」
「だめだ!」
ムムがその背中を引っ掴み、吊し上げるように掲げた。
「腐れボウズども! この男が俺たちの大将だ! かかってこい!」
「おい! ふざけるな!」
地面に届かない足をばたつかせて抵抗するが、ムムの腹を蹴ったところで痛痒もない。
ムムはキケロを放り出して駆け出し、敵陣の中に突っ込んだ。
それを開戦の合図として、両陣営が衝突する。
教会騎士は全身に鎧を纏っている。対してこちらは布の服。数は同数だ。楽な戦いではない。
「キケロ。あれは持ってきたか?」
「ああ、一応……」
背中の袋から出てきたそれを、ひったくるように受け取る。
それは噴霧器だ。大枚をはたいて細工師に作らせたからくり仕掛けの逸品。中にはたっぷりの薬が入っている。
もちろん人体に害があるタイプの薬だ。
「ついにこれを実戦投入できるとは…… さんざんキケロで実験した日々が報われるな」
「記憶をなくす前の俺が相当哀れなんだが……」
ムムは存分に鎖を振り回し、一振りのたびに鋼を砕いている。彼が敵の注意を集めている間は動きやすいだろう。
ヴァイは前線を張る戦士たちの間から噴霧器の放出口を伸ばした。そしてレバーを動かす。
シュポシュポとどこか間抜けな音のたび、透明の毒が散布され、騎士たちの鎧を貫通して彼らを蝕む。
効果は劇的だった。屈強な男たちが剣を取り落としドミノみたいに倒れていくのだ。
「ハハハハ! 気分はどうだ? 呼吸はできるか? おい、鎧を脱がないと症状が見えないだろ!」
ヴァイの前からは敵も味方も離れていく。先頭の中に空白地帯を生み出すほど新型兵器は強力だった。
「鎧を無視して無力化する武器か。俺は新時代の幕開けを見ているのかも……」
「語ってないで戦え!」
「でも武器なんてこれしかないし。無理だって」
そう言って袋から取り出したのは金属バットだ。
ただ握りしめて立ち尽くすキケロをよそに、戦いは進んでいく。
嵐の中心はやはりムムだ。彼は鎖という武器を最大限に使いこなしていた。迫る刃は絡めとり、力ずくで奪い取って投げつける。逃げる背中にしなる先端をぶつければ板金は大きく凹んで騎士は死にかけるのだ。
自警団の皆はうまく戦っている。
だが一般の市民たちは違った。自警団と戦士職の背中に守られながら戦っているが、対人経験のない素人に多対多の戦闘は難しい。
外壁を守って魔物と戦うのと、同じ背丈の人間と殺し合うのではまったく話が違うのだ。
一つの生命体の器官であるように連動して動く騎士たちを前にして、市民たちは傷付き血を流していく。
また一人が倒れた。
血が床を濡らし赤く染めていくたびに、奥でカサンドラの邪悪な笑みが深まるのだ。
ヴァイはその憎たらしい顔に向かって薬を吹きかけたが、まだ届く距離ではない。
口紅を塗られた赤い唇が動く。喧噪の中で聞こえるはずもないのに、口の動きから声が補完された。
「血を流せ。生贄に求めるのはそれだけだ」
市民の血、騎士の血が混じり合いながらテラテラと床を輝かせた。
床に描かれた巨大な魔法陣が少しずつ変色していく。鮮やかな赤から、汚く濁った黒へ。
それはとてもゆっくりとした変化で、ヴァイとカサンドラ以外の誰も気付いていない。
戦ってはいけなかったのだ。ヴァイの思考はそこに至って、次に遅すぎたことを悟る。
カサンドラが指の間に紙切れを挟んでいた。
それは聖書原典十三章の一ページ。
公には存在しないはずの、教会に隠された神からの遺言だ。
力ある言葉が紡がれていく。魔法陣が脈打つように明滅した。霊力が空気を重苦しいもの変える。
息をするだけで、立っているだけで辛い。
いつの間にか戦いは止まっていた。教会騎士も市民も、カサンドラの手の中で威光を放つ十三章から目を離すことができない。
「私は――本物の魔女になる」
本物の魔女。
魔女は聖書で語られる創造神の実子だ。邪悪さと神聖さを併せ持つ、全能の魔法を受け継ぐ存在。
だが魔女らはすでに死んだ。聖書にそう書かれている。
「貴様らには理解できない。これからの世界に理解など必要ない。ただ――跪け」
血が魔法陣に吸い込まれていく。
儀式が完成しようとしていた。
神に押さえつけられているような重力を感じて動けない中で、カサンドラだけが悠然と魔法陣の中心へ歩く。
十三章が高く掲げられた。
光が増す。
カサンドラが口を開いたが、尊すぎる神の言葉は人間の脳では処理できない。
集められた霊気が収束していく。
魔法陣の中からおぞましき黒い腕が現れた。影のように実体がなく、直視するだけで呪われてしまうであろう。
その腕はカサンドラの足を掴み、握りつぶす。もう一本腕は腰を掴み、握りつぶす。
カサンドラという綱をたどり、地の底から魔女が這い上がってくる。
ついに頭が現れでた。腕に対して大きすぎるその頭部は潰れかけている下半身にかぶりつく。
教会の騎士は呆然として座り込み、武器の柄から手を離した。成された儀式が悪しきものであると一目でわかったのだ。
カサンドラは苦悶で顔を歪める。
「魔女よ……」
あの魔女の全身が見えたとき、ヴァイが愛したルナリは滅びるのだろう。
もはや望みは絶たれた。
しかし突然に――
ダンディな声が静寂を裂く。
「俺が来たからには――最高の結末を保証しよう」
ゲココだ。葉巻をふかして煙で遊んでいる。
隣に立つのはレナ。冷徹かつ淡々と魔女を観察し、聖書を開く用意をしていた。
そして――
「わあ、なんかファンタジーなことが起こってるね。その黒いのも殺すべき悪ってことでいいかな?」
ユウは重圧を跳ね除け散歩のような気軽さで魔法陣の中へ。
▽▲▽
僕らはゲココに連れられて大聖堂へやってきたのだが……
黒い影のようなヒトガタが教区長を食べようとしていた。
明らかに佳境である。どうやら大事なところは見逃してしまったらしい。
それゆえに全容を把握できてはいないが、見て取れることもある。
魔女カサンドラによる儀式は失敗しかけているのだ。人智を超えた存在である”黒いの”を支配しようとし、逆に喰われている。
「予想できた未来だろう? 君は器にはなり得ない」
“黒いの”はカサンドラを丸呑みにしていく。彼女の目玉は僕の方を見たが、彼女は僕を見てはいない。
「本物の魔女に……」
それを遺言として、カサンドラの顔は影の中に沈み込んで消えた。
本物の魔女。それがこの女の目的だったのだろうか。こんなことのためにルナリは苦しんだのか。
そう思うと怒りが湧いてくる。
これは魔女のなりそこないだ。人にもなれず神にもなれぬ半端者の汚泥。
「我が主人よ。確認しておくけど……あれは殺していいよね?」
レナは少し悩んで頷いた。
「私が命じます。あれを葬ってください。それが望みです」
「いいだろう」
カサンドラを飲み込んだ黒い影はうねうねと揺れて怯える人々に手を伸ばす。
僕は右腕に力を込めた。
「罪に定められし者よ。怠慢なる神に代わって汝の罰を申し渡す」
半透明で薄水色の巨人――アミーが背後に現れる。アミーちゃんは僕と同じように腕を引き絞った。
「贖いは暗く温かい死によってのみなされる。黙して受け入れよ」
拳を固く握れば、角ばった骨と青い血管が浮き出る。
「それにより我は赦す。主の御許で幾重も罰を受け、主もまた赦すだろう」
力ある言葉が大気を震わせる。
「よって安らかに去れ」
腕を振り抜いた。
巨人の剛腕が大きさに見合わぬ速度で襲い、揺れる”黒いの”を真芯で捉える。エネルギー体とエネルギー体の衝突は衝撃波を伴い炸裂した。
アミーちゃんの拳は止まることなく、”黒いの”を後ろの神像ごと砕きすりつぶした。
それはあっけなく霧散していく。
やはり魔女ではない。
黒い霧が晴れていくと、一枚の紙切れが宙から踊りながら落下する。それはまるで引き寄せられるみたいにひらひらとレナの手の中へ。
僕はすっきりと満足した気持ちでいた。一仕事終わったあとの充足感。
だが、傷が疼いた。
〈力を乱用するな〉
〈力を乱用するな〉
〈力を乱用するな〉
「うるさいなあ」
膝が笑い出して立っていられなくなり、背中から仰向けに倒れる。
「ユウッ!」
絹を裂く悲鳴がすぐそこから鼓膜を震わせた。
「ねむ……」
思えばまた一晩中あれこれしていたのだ。空はほのかに白んでいる。
前触れもなく唐突に、僕は少し意地悪をしてみたくなった。
絶え絶えに話す。
「どうやら死ぬみたいだ…… 愛してるぜ、レナ…… 声を聞かせてくれないか……」
レナが涙をぼろぼろ垂らしながら僕の手を握った。
「私も、愛してます――ッ!」
「少し眠るね……」
レナのお尻に手を当てて、もみもみとその感触を楽しみながら目を閉じる。
「眠ってはいけません! ユウ! ……我が命の灯をこの者に分け与えたまえ! 起きて!」
悲劇としてはここで僕が死ぬのが最高の結末だろう。傲慢な悪魔は滅せられるのがお約束。だからそれを試してみたのだが……
いやあ、ちょっとやり過ぎてしまったかもしれない。これだけ泣かれると胸が痛いよ。とは思いつつも尻を撫でる手は止まらない。まじでハリがあってぷりぷりなんだ……
「――ユウ? なんでお尻だけ……それにニヤついてる……もう最低っ!」
「ゴフッ! いたい……」
縋り付いて胸をドンドン叩くレナを置いて、僕の意識は深い眠りへと落ちていく。
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