「Kiss me again」8

 ヴァイは扉の隙間から外の様子を伺っている。


 外には騎士たちが頻繁に出入りしている建物があった。剣を持って入った男が手ぶらで出てきたり、その逆も。


 どうやら詰所のような場所らしい。つまりあの中には装備があるのだ。


 後ろに引き連れる烏合の衆をどうにか戦える軍隊に変えるため、まずは武器をもたせる必要がある。


 ヴァイは振り返り、水鳥の雛のようについてくるルナリ市民たちに宣告した。


「よし。お前ら、突っ込んで来い。武器を奪え」


 市民たちはどよめいた。無視して続ける。


「先頭はムムだ。ついていくだけでいい。武器を奪って、殺せるだけ騎士を殺せ」


 一人が声を上げた。「逃げるんじゃないのか?」。賛同するように多数が頷く。


「どこに逃げるつもりだ? このルナリは魔女の手に落ちている。別の街まで逃げるというなら止めはしないが」


 答えはない。


 北方大陸のほとんどの人間は一生を同じ街、壁の中で過ごす。故郷を捨てるというのは容易な決断ではない。


「というか、私の連れが私を助けるついでにお前らを解放したのだから、お前らの命は私のものだ」


「待て待て、それは暴論だろ」


 ムムが割り入って、市民たちに語り掛ける。


「俺は戦う。なぜなら、余所から送られてきた人間が我が物顔で振舞ってるのが我慢ならんからだ。ここは俺たちの街だ。――それに今の教会は魔女に操られてる。神も俺らの味方だ」


 名と顔の売れた自警団員であるムムの言葉は、ヴァイのそれよりも市民たちの心に届いたようだった。


 それでも覚悟が決まるには至らない。「でも敵は魔女だぞ?」、「勝てるはずがない」。


 ヴァイは辛抱できなくなって怒鳴った。


「魔女ではない! 魔女を名乗る人間だ。奴の奇怪な能力は聖書原典十三章によるもので、それがなければただの人間だ。そして十三章の奇術も万能の魔法じゃない。ここまでされて泣き寝入りなんて恥ずかしくないのか! まだ記憶を失ったままの被害者は山ほどいるんだぞ!」


 静まり返る市民。彼らの友人知人にも抜魂病の患者が多くいるはずだ。


 ムムが気まずそうに鼻先を掻く。


「無理に戦えとは言わねえ。こういうのは自警団の仕事だからな。……だが俺は一人でもやるぞ。プライドってもんがある」


 群衆の中から男が一人歩み出てくる。どこかで見たことのある顔だった。


「ムムさん、俺も戦います。自警団員ですから」


「ツヴァイじゃねえか。いたのか、お前」


 ムムが嬉しそうにその背中を叩けば、彼はひどく顔をしかめて背中を反らした。


 それに続くように戦士然とした人々が進み出る。彼らはとっくに戦いの中で死ぬ覚悟ができているのだ。


「よし。これだけいれば十分だ。この戦いは聖戦。魔女に乗っ取られた教会を解放し、溜め込んだ金と財を吐き出させる。前から教会税なんて馬鹿らしいと思ってたんだ」


 ヴァイは富裕者特有の法外な税金を教会に納めていたが、それも今日までだ。もう払わんと心に決める。


「それから……報奨金も出るぞ。モンタドール家の女として約束しよう。市民議会から一等報奨金と栄誉賞を引き出してみせる。死んだら二倍だ。金に困ってるなら一考に値するな」


 戦士たちが腕を掲げて吠える。「英雄になれ!」「ルナリに誉れあれ!」。


 貧弱そうな市民たちの目にもついに闘志が宿る。空気に流され褒美に誘われ、決意したのだ。


 ヴァイはほくそ笑んだ。これで私は死ななくてよさそうだぞ、と。


「まずは俺が暴れるから、敵から武器を拾ってくれ。――行くぞ!」


「おうっ!」


 ムムが扉を蹴り破った。腕についた鎖を振り回しながら巡回中の騎士に突撃する。


 亜人の敏捷性と鎖の速度に対応できるはずもなく、なすすべなく倒れていく騎士ら。


 続く市民が剣を奪い、兜を剥ぎ取り、聖書を懐から抜いて、ついでに踏みつけていく。


 ヴァイはその最後尾で、隠し持った薬瓶の数を数えていた。


「……百人は殺せるな」


 詰所に殺到するレジスタンスたち。容易く扉を開き、制圧し、武器を奪っていく。


 皆に装備が行き届くまでそう時間はかからなかった。




▽▲▽




 あまりにも手応えがない。


 詰所を制圧し、物資を漁りながらヴァイは違和感を感じ取っていた。


 騎士が少ない。どこかに出払っているのだろうか。


 だとすれば好機は今だ。


 教会区域の中心には壊れた大聖堂がある。街のシンボルでもあった美しいドームは崩れ落ち、中の巨神像は雨風に晒されてしまった。


 詰所の窓からはその大聖堂が見えるのだが――


 そこには憎き魔女カサンドラがいた。


 彼女は巨大な陣の上で祈りを捧げている。大聖堂の床全面を使うほどの大きな陣。塗料は血、そして煌めく破片は……記憶の水晶だろうか。


 神など微塵も信じていないくせに手を合わせて像を拝む姿をみると、ついイライラしてしまう。


 ヴァイは自分の知る最も凄惨な殺し方をしてやると決めた。


「奴を襲う。簡単には殺すなよ」


 市民たちが威勢よく返す。勝利によって勢い付けられているのだ。


 詰所を出る。


 獣じみたギラつきを隠せないムムが先頭となって、一団はカサンドラのもとへ邁進した。


 護衛の騎士に気付かれた。しかし数人だ。ムムは崩れた壁を乗り越え、大聖堂内へ足を踏み入れた。皆も続く。


 前のめりになる戦士たちの中、ヴァイだけは油断なく全体を俯瞰していた。これは――罠だ。


 それでも進まねばならぬ。もはや退くことなどできはしない。


「突っ込め! 殺される前に殺すんだ!」


「ガルルルルッ!!」


 全員が大聖堂内へ踏み込んだとたん、カサンドラが顔を上げてニタリと笑う。


 そして壁の裏から、柱の陰から、神像の背後から、伏せられていた教会騎士が姿を現した。


 囲まれてしまった。


 数的有利はものの数秒でひっくり返されてしまったのだ。市民たちの勢いは削がれ、全方位から追い立てられた羊のようにその場で足踏みをする。


 カサンドラが愉快そうに手を叩いた。


「生贄どもが逃げ出したと報告を受けたときは驚いたが、自らを捧げに来てくれるとは。これも普段の行いのおかげであろう」


 ムムが唸り声を置き去りにする速さで飛びかかる。


 しかし二人の鎧武者が大盾でその進路を阻んだ。彼らは祝福を受けた神護の騎士だ。ムムといえど容易い相手ではない。


「とくにモンタドールの女よ。私をよく欺いてくれたな。だが、死んでおけばよかったと悔やむことになるぞ。――儀式はまもなく完成する。貴様らがどうこうできるものではない」


 騎士たちが包囲網を狭める。尖った槍の切先に怯えた一人が尻から転げた。


「神の恵みをこの世にもたらす儀式だ。邪悪を排し、星光を照らす…… ルナリは救われるだろう、この私によって」


「ふざけるな!」


 ヴァイは髪を振り乱し叫んだ。


「殺してやる!」


 それでもカサンドラは余裕を崩さない。


「騎士たちよ、見るがいい。この女こそが――魔女である。治療院で怪しげな治療を繰り返し、醜い亜人を従え、教会内で暴れ回る…… それにあの装い! 自分が魔女だと見せびらかしているようではないか!」


 騎士たちが槍の石突を大地に打ち立てて「そうだそうだ」とへレナに合わせる。その言葉を疑ってすらいないらしい。


「これだから教会の人間は……」


 教会には二通りの人間しかいない。本気で神と教えを信じているバカと、そのバカを操って私腹を肥やすクズだ。


 巨神像は無表情で変わり行く状況を見つめていた。


 ムムが犬歯の隙間から声を漏らす。


「どうする……?」


「戦うしかあるまい。私の毒か、お前の牙を届かせる。死は避けられないだろうが……」


「――炎が絶やされることはない」


 それは北の戦士の合言葉だ。自分が死んでも次の若者が壁を守り、襷は受け継がれていく。


「そういうことだ。――お前ら、ここが死地だ! 潔く命を散らせ!」


 市民たちは及び腰ながらも剣を持ち上げた。


 どこからか大勢の足音も聞こえる。教会の援軍だろう。いよいよ急ぐ必要がある。


 ムムがすんすんと鼻を鳴らした。


「待てよ、この匂いは……」


 包囲の向こうから、鼓膜を突き破るような雄叫びが上がった。教会騎士たちは圧倒されて後退り、自然と道ができる。


 やってきたのは、ムムと同じ水色の隊服の戦士たち。


「お前ら!」


 自警団だ。「ムムさん!」と口々に叫んで武器を打ち鳴らす。


 その中心で前屈みになり、身を震わせているのは――キケロだった。


 可愛い弟を見出して、ヴァイは思わず顔を綻ばす。


「キケロ! やるじゃないか! ズボンがびしょびしょに濡れているのは……見逃してやる!」


 どっと笑いが起こった。キケロは今にも吐きそうな顔だ。


「弟を辱めないでくれ……」


 役者は揃った。これはルナリの戦いである。


 人間は神に救われるのを待つだけではいけない。戦って、掴み取るのだ。

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