「Kiss me again」4
暗い道を歩く。先頭はゲココ。その後ろで僕とレナは隣に並んでいる。真面目な横顔を月明りが照らして複雑な陰陽を生んだ。
「魔女ってどんな人なのかな。なんでみんなの記憶を奪うんだろう。なんで――私の記憶を奪ったんだろう」
「……どの世界にも理由なく他者を傷つけられる人間がいるんだ。一つの人格を理解することはとても難しい、かの魔女であればなおさらね。僕は理解しようとするのを放棄したけど……レナは違うんだろう」
過酷な世界で生きていくには、この少女はあまりに優しすぎる。
「うん。……私はきっと理解されない側の人間だから。どうしても考えちゃうよ」
「見えてきたぜ」
遮るようにゲココが言った。
彼に続いて道を曲がると、崩れ落ちた大聖堂が目に入った。その周りには教会の施設がいくつもある。
教会区域は高い壁で囲まれていて、門扉は鉄製だ。鎧の騎士が周辺を油断なく巡回している。
この中に魔女がいるのだ。いや、いないかもしれないが、大暴れすれば出てこざるを得ないであろう。
「まずは僕が突っ込む。二人は……好きにやってくれ。レナは安全第一でね」
「待て。――囚われのニンゲンを助けるのが先だ。まだ生きてるかもしれねえ」
「そうだね。でも……場所が分かんないよ」
教会区域は広い。建物も複数ある。どこに閉じ込められているかなんて僕に分かりっこない。
「俺に任せな。聖堂や修道院のなかにニンゲンをたくさん閉じ込められるような空間はそう多くない。可能性が最も高いのが――地下の貯蔵庫だ」
ゲココは目を閉じて地面に伏せた。でっぷりとしたお腹を地につけ、カエルらしい四つん這いの姿勢だ。
何をしているんだ? 腹にソナーでもついてるのか? カエルってそんな特殊能力あったけ。
「ビンゴだ。地下のある場所に固まってやがる。ついてきな」
彼はなんでもなさそうに言って、そのままぴょーんと高く跳躍した。一跳びで民家の屋根の上まではねあがり、ゲロゲロという鳴き声が空から降ってきた。
僕とレナは顔を見合わせる。
「私はあんなに跳べないから……」
レナが僕の首に抱き着いた。お姫様は抱っこをご所望らしい。
抱き上げるついでに尻を撫でておく。そしてジャンプ。
「わあっ」
無重力じみた自由落下の浮遊感で内臓がひゅんと竦み、僕は軽やかに屋根の上に着地した。腕の中でレナが身を縮こませる。
ゲココは飛び石でも渡るように次々と跳ね、教会区域を囲む壁をも越えていく。そして修道院の屋根上にたどり着いた。重そうな体のくせに着地音はない。
僕もそれに続く。屋根を強く蹴れば、大地が急速に離れて行って、再びの浮遊感に襲われた。
「あぶないよっ」
言葉に反してレナは無邪気で楽しそうな笑い声をあげた。……久しぶりに笑顔を見た気がする。
「つかまってて」
レナを抱いたまま宙返りすれば、小さい悲鳴が耳たぶをくすぐった。
そして手を放す。
彼女の体は天に向かっていき、放物線の頂点で少しだけ留まった。
長い銀色の髪の毛がふわりと広がる。まるで静止画だ。目を大きく開いて驚いた顔がはっきり僕の脳に焼き付けられる。
レナは落ちながら僕に手を伸ばした。
指先が触れて、絡み合い、体ごとぶつかってくる。受けとめて着地。
「もう!」
腕の中のレナは口をへの字にしていた。
「もっとアクロバティックなほうが良かったかな?」
「……次こんなことしたらただじゃ済ませないからね」
そっと降ろす。
教会区域への侵入はあっけなく成功した。地上をのんびり歩く騎士たちは屋根の上の僕らに勘付くことはなさそうだ。
ゲココはまた四つん這いで目を閉じ、何かを感じ取っている。
「この下だな」
「この下か」
足元にあるのはオレンジの煉瓦だ。
僕はそれに触れて「朽ちよ」と唱えた。例のごとく蜘蛛が屋根を砂にかえていく。
ゲココとレナは目をぱちくり瞬かせた。
そして足場を失った僕らは――当然落下する。
▽▲▽
「ゲロッ」
「うっ」
「きゃっ」
僕はゲココの大きな背中の上に尻もちをつき、さらにレナに踏みつぶされている。ゲココが苦しそうに呻いた。
「……早くどいてくれ」
「今のは何? 屋根が急に朽ちていったけど……」
「いやあ、何だろうね。実は僕もよくわかっていないんだ」
そこは廊下だった。
冷たく無表情な石の壁と床、灯りはついていない。だが天井に開いた穴から差し込む月光のおかげでなんとか先を見通せる。
曲がり角の向こうからカツカツと鉄靴の足音が聞こえた。「何の音だ?」、「ちょっと見てくる」、そんな話声が響く。
見つかってしまいそうだ。騒がれる前に片付けなければ。
鈍く光る靴のつま先がまず現れて、そして騎士が姿をみせる。兜だけ脱いでいる若い男だった。
「ん? かえる?」
彼は目を細めるようにして突っ立っている。
ゲココが口を開き、弾丸のように舌が射出された。ゲココの体長よりもはるかに長く伸びるそれは男の首に絡みつき、引き戻される。
電光石火の早業だ。騎士はゲココの口内に頭を突っ込みピくついている。
そしてペッと吐き出された。頭部が唾液でてらてらと濡れている。最悪の気分だろうな…… 僕は絶対されたくない。
彼を放置して、ゲココは廊下を進んでいく。
「あそこだ」
水かきのある指が指し示す先には、地下へつながる階段と扉があった。
分厚い鉄の扉だ。むりやりにこじ開けることは常人には難しいだろうが、僕が錠を殴り割れば、キィキィと不協和音を鳴らしながら簡単に開く。
そこには数十の人が捕らえられていた。
目が落ちくぼみ、皮が骨に張り付いているような人もいる。人が生きていける環境を与えられてはいないのだろう。
彼らの瞳の内から生きる意志は消え去っていた。
僕が扉を開け部屋に踏み込んだにも関わらず、誰も視線を飛ばしてこない。部屋中を見渡せばみなが顔を伏せ、どうやら客とは目を合わせないつもりらしい。
だが一人だけは違った。
「グルルルルッ――!」
熊のように大きな白い犬。知性が消えて獣性が増し、四足歩行にさえなっているが、その服装は見紛うはずもない。そしてなぜか両前足には鎖がぶら下がっている。
「ムム」
呼びかけようとも、彼はただ威圧的に吠えるだけだった。
ムムとはほんの少しの時間を共有しただけだから忘れられたっておかしくないが、この変貌ぶりは間違いなく記憶喪失によるものだろう。
「僕は君の敵じゃないよ」
バウッと咆哮する。記憶喪失は精神を蝕み、ムムから言語能力までをも奪い去ったらしい。
ムムは何かを背中に庇っていた。毛は逆立ち尻尾はピンと立っていて、その何かの前を落ち着きなく徘徊する。
すぐに気づいた。
それはヴァイ・モンタドールの死体だった。亡骸はだらりと弛緩していて目は濁り、唇は青ざめている。
覚悟はしていたつもりが、それでも頭蓋を揺すられているみたいな衝撃を受けた。
僕はこの異世界で何度も人の死を目にしたが、それでも知人の死には慣れることはない。
彼女もまた殺されたのだ。魔女によって。
別に悲しいわけではない。人はいつか死ぬのだから。胸を占めるのは怒りだ。人はいつか死ぬが、この死は公平ではない。であれば天秤を釣り合わせる必要がある。
断罪の悪魔。
「それこそが僕の役目だ」
「悲しんでいるところ悪いが……そいつはまだ死んでないぜ。下手な芝居はやめな、ヴァイ」
ヴァイの指先がぴくりと動いた。
「ええ?」
死んでないの? それは何よりだが……ならば僕のモノローグは何だったのか。恥ずかしいじゃないか。
むくりと起き上がった。やつれてはいるが目には光がある。ゾンビではなさそう。
「驚かせないでよ。勘違いしちゃったじゃん」
「悪かった。教会の連中かと思ったらゲココの声がして、ようやく気付いたよ」
「――覚えているんだね」
「ああ、奴らは死亡判定もろくにできないバカだから、少し仮死状態になるだけで見逃してくれた。癒しの術だけに頼って医学を学ばない弊害だ。――ユウとレナも健康そうでなにより。三人はどうしてここに?」
ゲココが壁にもたれて足を組む。
「……一緒に死ににきてやったのさ」
「勝手に死ね。私はくたばらんぞ」
「もちろん助けにきたんだよ。僕たちの記憶を取り戻すついでにね」
ムムがヴァイの周りをぐるぐる駆け回った。ヴァイは鬱陶しそうに嘆息して「おすわり!」と叫ぶと、ムムは舌を出してぺたんと座り込んだ。
なんかマスコットみたいで可愛い。だが哀れでもある。すっかりただのワンコになっちゃってるな……
「君の弟妹とも話した。二人とも元気いっぱい……ではなかったけどなんとかやってる。今はクレタが患者たちの面倒をみてるみたい」
「さすが私の妹だ。あの子にはいつも助けられている......」
ヴァイが黒いとんがり帽子を拾い上げ、ホコリをはたき落とす。
「魔女と会った。どのように記憶を奪うのか、目の前で披露してくれたよ。なんと記憶が重みのある物質――水晶玉として抽出され、その水晶玉があれば他人の記憶を確認できるらしい。奴は他者の人生を覗き暴いた秘密を活用して成り上がったのだろう…… 自警団には捕まえられぬわけだ」
水晶玉とな。
記憶を取り出して保存するというのは魔法に違いないが、いささか派手さにかける。僕はもっと魔法らしい魔法がみたい。なんなら覚えたいんだけど、それはもう少し先になりそうだ。
「水晶玉を取り返せば記憶も戻るはず。保管場所はそう遠くない、この建物内だろう。――探してくる」
ヴァイはローブを翻しながら「ムム、こい!」と言って部屋を出ていく。
ムムは指示通りに鎖をずるずる引きずりながら追従した。
「犬のアニキ、記憶を取り戻したら羞恥心で死んじまうだろうな……」
ゲココはやれやれと頭を振り、めんどくさそうにフリフリ揺れる白い尻尾を追う。
取り残されたのは僕とレナ、そして数十の市民たち。
ヴァイは何も言わずに出ていってしまったが、彼らをどうするべきか……
彼らはヴァイに続こうとする様子はない。ただうなだれているだけだ。
戦力になるとはとても思えなかった。食事どころか水さえまともに摂っていないのかもしれない。
記憶と同時に、戦意や勇気も奪われているのだ。その場で何があったのかは知る由もないが、抜魂病に冒された彼らは文字通り魂の抜け殻だ。
「君たちはどうしたいんだ? もしこの部屋から出たいなら僕は鎖を壊すことができる。このまま飢死したいならそれもいい。いっそ早く死にたいと望むなら――殺してあげるよ」
「ちょっと待って。脅すような言い方はやめようよ。」
「僕にはこれしかできないから」
「なら私が話すよ」
レナが前に進み出る。そして語り出した。
「私も記憶がありません。だから、心の中がからっぽで孤独で、暗闇の中にいたいというあなたがたの気持ちは分かります。しかし――私には彼がいてくれました」
そう言って僕を見る。僕はくすぐったくなって肩をすくめた。
「記憶を失ったとしても、世界にはあなた一人ではありません。隣には同じ境遇の人がいますし、この街のどこかに知り合いがいるはずです。それに――私がいます。私に彼がしてくれたように、あなたがたを私が支えます。だからここを出ましょう。戦いましょう。彼が道を切り開いてくれる。祝福は戦士にのみ与えられます。。私たちは敵と戦うことはできないかもしれないけど、自分の中の恐怖と戦うことはできる。だから――戦いましょう」
レナの背後にホタルみたいな光がみえた。聖書の言葉でなくとも彼女の台詞一つ一つに神聖さが宿っているのだ。
数十の眼がその輝きを見て、そして目に光が宿る。
一人立ち上がった。僕はその枷を朽ちさせた。また一人立ち上がった。その枷も朽ちさせる。やがてみなが立ち上がった。ほんの小さな子どもでさえ。
「人間も捨てたもんじゃないね」
僕は部屋を出てヴァイのあとを追う。市民たちはレナに励まされ癒されながらさらに後ろに続いた。
やはりレナには力があるのだ。人を救う力がある。僕はそれを確信した。
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