「Kiss me again」3

 夜のなかにひっそりと佇むモンテドール治療院はいっそう不気味だ。


 しかし懐かしくもある。たった一泊しかしていないが、ルナリにおける実家のようにも感じていた。


 ゲココに先導されて玄関を抜け、僕は赤い絨毯の敷かれた館内へ。


 患者はますます増えていて、ついに部屋に収まりきらなくなったらしい。廊下の端には簡易的な寝台が並べられて痩せこけた病人が眠っている。


 この屋敷は以前よりも死の気配が濃厚になっている。患者の健康状態にしても、屋敷の衛生状態にしても、管理が行き届いていないのだ。


 レナが悲痛そうに眉を持ち上げる。


「ひどい…… ユウ、ちょっと時間をもらってもいいかな。病気の人に癒しの術をかけてまわるから」


「うん、好きにするといい」


 そう告げる言葉も聞き終わらないうちに、レナは足早に駆けていく。


 抜魂病とは精神的疾患なので癒しの術では治らないが、祝福でもあるそれは一時的に苦しむを和らげるだろう。決して無駄ではない。


 ケロロとクワワはいつに間にかどこかへ消えていた。


 眠っている病人を起こさないように、僕はそっとそばを通り抜ける。


 食堂には明かりがついていた。誰かが起きているのだろうか。中を覗く。部屋の中では小柄な少女がテーブルび突っ伏して眠っている。


 クレタだ。編み込みが可愛かった赤いショートヘアは、今は傷んでパサつき荒れたまま少し伸びている。


 きっと浅い眠りだったのだろう。僕が部屋へ足を踏み入れた瞬間にクレタは飛び起きた。


「ごめん、起こしちゃったね」


「お客人さま……?」


 クレタが目を擦る。まだ幼いのにも関わらず目の下にはクマができていた。


「私、寂しさのあまりついに幻覚を見てしまっているのでしょうか……」


「幻覚じゃないよ。戻ってきたんだ」


 疑う目付きのクレタが寄ってきて、僕の体にペタペタと触れた。


「さわれる…… 触覚までおかしくなっちゃった… 間違えてヴァイお姉ちゃんの毒薬でも飲んでしまったようです……」


 クレタの頰を優しくつまむ。


「本物だって。また三人前を平らげるまで信じてくれないつもり?」


 僕のお腹がグーとなった。船の上ではイモしか食べていなかったのだ。


 クレタはようやく納得したように頷く。


「そのラッパのような腹鳴、確かにお客人さまのようですね」


 そして立ち上がり、綺麗に礼をしようとして――


「クレタ!?」


 ふらついて倒れ込もうとする。僕は崩れる寸前でその肩を支えた。


「ごめんなさい、おもてなししないといけないのに…… 何か料理を作りますね」


 僕は空腹を訴えかけてくるお腹の虫をどうにか鎮めた。今のクレタの前で二度と腹を鳴らすわけにはいかない。


「いらないから。休んでくれ」


「しかし……」


「しかしじゃない。こんな状態のクレタにご飯を作ってもらっても、心配でおいしく食べられないよ」


 クレタは渋々といった顔で椅子に腰を下ろす。


 彼女がこれほど疲弊し憔悴している理由は何か。


 簡単だ。ヴァイがいない以上、患者の世話までをこの少女が担っているのだろう。責任の重く慣れない作業は計り知れない負担を与えているに違いなかった。


「――あの、ヴァイのことなんだけど……」


 クレタの目の中に透明な雫がみるみると溜まっていく。この話は避けるべきだったのかもしれない。


「ヴァイお姉ちゃんは帰ってきません。患者さんをほったらかしにするなんて、今まで一度だってなかったのに……」


「魔女にやられたのかな」


「間違いありません。今ルナリで起きている悪いことのことごとくが魔女のせいです。……ヴァイお姉ちゃんは魔女への抵抗勢力を組織しようとしていて、その最中に忽然と消えました」


 僕はルナリを去る前に、教区長カサンドラこそが魔女であるとヴァイに伝えていた。そして彼女は戦うことを決断したのだ。


 クレタが沈鬱な表情で俯く。


「やっぱり、人が魔女に抗うべきじゃなかったんです。私は忠告したのにヴァイお姉ちゃんは聞いてくれなくて、昔からずっとそうでした。――だからお客人さまは無茶なことはしないでください」 


 人は魔女に抗うべきではないとは、クレタは大きな思い違いをしているようだ。


 見せてやろう。


 僕は左腕の袖をまくり上げた。そして唱える。


「枯れよ」


 黒い蛇の紋様が現れ出た。その妙にリアリティのある蛇は腕の中で蠢き、とぐろを巻き、チロチロと舌を出す。無機質な眼球がせわしなく動いて獲物を探していた。


 クレタが手を口に当てて目を大きくする。


「実を言うと……僕は人ではない。口にするのもはばかられる異界の存在だ。魔女なんかよりもずっと強い。だから――僕が魔女を殺す」


 ついにその純真な瞳から涙があふれ出た。それは恐怖によるものか、あるいは別の何かによるものか。


 わなわなと震える唇が開く。


「……信じていいのですか?」


「ああ。不安なら契約をしよう。僕は夜明けまでに魔女を倒す。その代償に、君は明日の夜、腕によりをかけて晩御飯を作ってくれ。それで等価だ」


 一宿一飯の恩を返さなくてはいけない。僕のような異界から流れ着いた根無し草にとって、それこそが縁であるからして。


「みんな記憶を取り戻し、そして大事な人と再会する。失われた命は戻らないが、これ以上の悲しみも起こらない。すべてはあるべき正位置へと還る」


 死ぬべきものは死ね。生きるべきものは生きよ。世界は愛で満たされる。


 これはこの世界の神の言葉らしいが……僕も大いに賛成である。とくに冒頭。


 涙が止まらない。クレタがしゃくりあげ、声を漏らして泣き始める。


 わんわんと大きく喚くように、年の頃に応じた似つかわしい振る舞い。今までが少し大人びすぎていたのだ。


 足音が聞こえた。

 焦った誰かが食堂へ走りこんでくる。


 レナだ。


「だいじょうぶ!? ――って、ユウ、なんで女の子を泣かせてるの?」

 

「うーん、泣かせたわけじゃないと自己弁護したいところだけど、それは嘘になるなあ」


 クレタが首を横に振り、嗚咽しながら言う。


「お客人さまは、悪くありません」


「そうなの?」


 レナは膝立ちになって屈みこみ、クレタを抱いて頭を撫でる。レナにとっては初対面であろうに。


「よしよし、泣かないで」


 クレタはレナの豊かな胸に顔をうずめながらぼやいた。


「子ども扱いしないでください……」


「ご、ごめんね? そうだ、祝福してあげる。――『精霊があなたを守りますように。太陽があなたを照らしますように。星の光があなたを導きますように。主があなたを祝福する』」


 聖書を開いたレナの手元が光を発した。


 あまりに強力な聖術が部屋中すべてに恵みを与え、加護をまき散らす。


 スプーンとフォークが輝いて今にも踊り出しそうに震え、隅に生けられた植物は次々と花開いた。


 押しつぶされそうになるほどの聖術だ。


 そしてクレタはいっそう泣く。


 レナは取り乱してあわあわ両手を振り回した。


「ごごごごめんなさい! 嫌だったかな? どうしよう……」


「レナ、クレタは任せた。僕はちょっと散歩してくるから」


「えぇ!?」


 二人を食堂に残し、僕は二階へ向かう。


 彼とも話をしなければなるまい。




▽▲▽




 扉をノックする。


「キケロ、寝てるかな? 夜遅くに悪いけど少し話をしよう」


 怯えて上擦って声がすぐに返ってきた。


「魔女の手下め、ついに来たな!? かえれかえれかえれ! 言っとくけどこの扉を無理に開けようとしたらお前に隕石が降りそそいで悲惨な死を遂げることになるからな!」


 おやおや、どうやら相当荒れているらしい。


 隕石うんぬんは出まかせだろう。むしろ本当なら試してみたい。


「僕は魔女の手下じゃない、ユウだ。覚えてるかな、少しだけ話をしたよね。……開けてくれないならもう一度扉を蹴り開けるから。一緒に隕石を体験してみようぜ」


「まて! 開ける。壊すんじゃねえ! 俺の部屋の扉はもう何度も破壊されてぼろぼろなんだ!」


 積み上げていたであろうバリゲードを引きずる鈍い音が聞こえる。


 扉はすぐに開いた。ほんの少しだけ開いた隙間からキケロが顔を出す。


「……あんただけだよな?」


「うん」


「……入ってくれ」


 キケロは僕を部屋に招き入れ、すぐに扉を閉めた。何をそんなに怖がっているのだろう。


「久しぶりだな。この街から逃げ出したと聞いたが……戻ってきたのか」


「うん。やむにやまれずね。君はずっとこの部屋に引きこもってたわけ?」


 キケロはソファにどしんと腰を下ろす。僕も促されてその向かいに座った。


「姉貴がいたころは毎日連れ出されて働かされてたが……姉貴は魔女にやられた。次は俺だ。だから今はここで守りを固めてる」


 部屋の端には金属バット(?)やらトラバサミやらが転がっていた。


「そんなおもちゃで守れるの?」


「ないよりはましだろ。ドアと窓の前に罠を置くまではまったく眠れなかったんだ」


「そう……」


 まあ不安を消すためならば好きにすればいい。


「――僕は今から魔女をシバきにいく。キケロも一緒にくるかい? 鬱憤が溜まっているだろう」


 復讐こそ人の本懐だ。断られるはずもないと思っていたのだが。


 キケロは「俺には無理だ」と、彼の口癖を口にした。そして言い訳を並び立てる。


「お前は怪力で強いんだろうが、俺はただの記憶を失った臆病な男だ。ついていったって何もできないし…… それに部屋から出ると……お腹が痛くなる」


 深刻そうな表情がおかしくて僕はついつい笑ってしまう。


「なら安静にしておかないとね」


「……情けないのは自分でも分かってるさ。でもしょうがないだろ。無理なもんは無理だ」


 まあ無理強いするものでもない。


 話は終わりだ。


「ゲココを借りる。大聖堂までの道案内をしてもらうんだ。君はこの部屋で日が昇るのを待っていればいい。僕が記憶を取り返してきてあげる」


 キケロは憮然とした顔で黙りこくっていた。


「じゃあね、キケロ」


 僕は無言のキケロを残して部屋を出た。


 彼は臆病で期待外れな男だが……きっと立ち上がるだろう。


 僕には分かる。悪魔的直感が教えてくれるのだ。


 キケロは魔女を恨んでいる。怯えの裏側には怒りがある。それに姉妹のことも愛している。遅れるかもしれないが、彼は来るだろう。そう定められているのだ。




▽▲▽




 食堂に戻るとクレタはすでに泣き止んでいた。


 ゲココもいて、壁に背中をもたれさせて腕を組んでいる。片目だけを開いて僕を見た。


 ダンディな声で話す。


「さて、行こうぜ。神の言葉を借りるなら――復讐するは我にあり」


 またカッコつけている。決め台詞を取られてしまった。僕が言いたかったのに……


 レナが気まずそうな表情で口を開いた。


「その言葉は『神が裁きを与えるから人は復讐するな』という意味で……」


「レナは真面目だね。針金とことわざは都合よく捻じ曲げて使ってなんぼさ。神の言葉も同じ」


「……みなさん必ず帰ってきてください」


 心配そうなクレタの頭をぽんと叩く。


 そして僕とレナとゲココは、モンテドール治療院を出発した。

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