「Kiss me again」2

 レナが無人の港へ船をつけた。


 時刻は夜。ルナリの門は固く閉ざされていた。外壁上には松明が焚かれ、戦士たちが警戒を怠っていない。


 僕とレナは船を降り、門へ近づいていく。


「止まれ!」


 壁上から届くのは敵意を含んだ声だ。


「いまルナリでは教会と市民議会の連名で夜間外出禁止令が発せられている。名前と、訪れた理由を述べよ」


「ユウ、こっちはレナ。――僕はルナリ出身で故郷に戻ってきた」


 小声で「のかもしれない」と付け足すが、門番には届いていないだろう。


 かもしれないことは嘘ではない。だって記憶喪失だもの。


「…………教区長カサンドラ様の命により、出入国者には自主的な金銭の奉納が義務付けられている。額は――」


 告げられた金額はとても納得できないものだった。


「自主的な奉納を義務付けるって、自分で言ってておかしいって思わない?」


「俺はおかしいかどうかを判断する立場ではない。お前も同じだ。払えないなら回れ右をしろ」


 どうやら話し合うことはできなさそうだ。


 魔女に金を納めるつもりは毛頭ないし……


「悪いけど、今から門扉を蹴り飛ばすから。カウントダウンが終わる前にあけてくれると嬉しいな」


「何を言ってるんだ、貴様。殺されたいのか?」


 弓矢の先が僕を向く。


「10,9,8,7ァッッ!」


 分厚く硬い木の門扉を全力で蹴りつける。大きくたわみ、閂が弾ける音がした。


 門は開いた。


 レナが呟く。


「カウントダウン、7だったけど……」


「我慢できなくなっちゃったんだ」


 戦士たちは驚いて言葉もないようだ。今のうちに逃げるしかない。


 僕はレナの腰に手を回して抱き上げた。


 街を守る忠勇なる戦士たちに挨拶を残しておこう。


「実は僕、カサンドラ様の部下なんだ。そういうわけで苦情と修理代の請求は彼女までお願い。じゃあね!」


 夜のルナリへ、脱兎のごとく逃げ出す。




▽▲▽




「迷ったぜ……」


「ええ?」


 月明りだけに照らされた路地をさまよっている。思えば僕もレナもこの街にはまったく詳しくないのだ。


 とにかく大聖堂なんかがある教会区域へ行けばいいのだが、方角も分からないし、道を尋ねられる通行人もいない。


 夜にしてもあまりに人の気配がない。きっと市民は潜むように息を殺して夜が明けるのを待っているのだ。


 最後の手段はまっすぐ戻って戦士たちに道を教えてもらうこと。かっこつけて逃げた手前恥ずかしいので避けたいが……


 ふと、遠くで人の声が聞こえた。


 耳を澄ませる。


「誰かいるね…… 行ってみる?」


「ああ」


 レナは足音を殺しながら壁に添うようにこそこそと移動を始めた。僕もそのあとを追う。


 まず最初に見えたのは松明だ。


 暗い通りのなかでいくつかの炎が揺らめいている。ゆっくりと近づいていけば、松明を持つのは磨かれた鎧をまとう教会の騎士だと分かった。


 そして彼らが囲み、剣を突きつけているのは――


 胴体と頭部の境がないフォルム、湿り気のある緑の肌、ぎょろついた黄色い目玉。


 カエル人間だ。


 あれは……ゲココだろうか。


 騎士たちが口々に罵る。


「穢らわしい亜人め……」

「狂い薬師の手下だな」

「審問も処刑台も不要だ。――この場で殺せ」


 剣が上を向いた。その切っ先は鋭く、たやすく緑の肌を突き破るだろう。


「死ねえぇっ!」


「待ちな」


 渋くダンディな声が通りの奥から響いた。蛍火のような小さな炎が闇の中に浮かび上がる。


 それは葉巻。葉巻の先の火だ。


 暗闇から現れ出たその人物は――


 胴体と頭部の境がないフォルム、湿り気のある緑の肌、ぎょろついた黄色い目玉。


 カエル人間だ。


 僕は混乱した。ゲココが二人いる?


 葉巻をふかして煙を吐き出す暫定ゲココがのっそのっそと騎士に迫る。


「そいつは俺の家族だ、見逃してもらおう。さもなくば――ヤケドすることになるぜ」


 なるほどね。


 囲まれているのがケロロちゃんで、助けに来たのがゲココだ。亜人はどうにも見分けがつけづらくて大変だ。


「お兄ちゃん!」


 ……ん? おかしい。ケロロちゃんが姉で、ゲココが弟のはず。


「待たせたな、クワワ。俺が来たからにはすぐに片がつく。お前は明日の朝飯のことでも考えてな」


 おいおい。まさかまた新しいカエル人間が出てくるのか? もう覚えられないよ。


 クワワちゃん(性別不明)がゲココに腕を伸ばす。しかし教会騎士はそれを阻むように立ち塞がった。


「兄弟かしらんが……まとめて殺してやる。仲良く死ねることを喜べ」


「兄は妹より先に死ぬもんさ。同時なんてあってはいけねえ。――だが俺が死ぬのも今日じゃない」


 ゲココが葉巻を捨て、踏み潰すように火を消した。


 そしてポケットに手を突っ込んだまま無造作に騎士へ歩み寄る。


 あまりに堂々としたその態度に、騎士たちは底しれぬ何かを感じ取っていた。無防備なはずなのに攻めることができない。


 ゲココはそのまま剣の間合いに踏み込んだ。手も使わずにどうすると言うのだろう……


 堪えきれなくなった騎士が踏み込む。腰を低く落として、刃が地を這うように、背丈で劣るゲココの柔らかそうなお腹を目指す。


「お兄ちゃん! よけて!」


 クワワちゃんの悲痛な叫び声。僕の横で体を小さくしているレナが息を呑む。


 そして――クワワちゃんの舌による強烈な範囲攻撃が決まった。


 長いべろが豪速で兜を襲い、三人の騎士はみなそろってひっくり返ったのだ。


 ゲココは高くジャンプしてその攻撃を躱していた。着地し、つまらなさそうにぼやく。


「だから言っただろう、ヤケドするってな……」


「お兄ちゃんかっこいい!」


 ……僕はいったい何を見せられているんだ? 


 ゲココは何もしていない。かっこつけていただけなのに、戦いが終わってもまだかっこつけている。


 そしてクワワちゃんは強い……


「かえるぜ、屋敷に」


「うん!」


 当惑を振り払い、僕は闇の中から躍り出た。ゲココと会うのはレマンの港で別れて以来、三十日ぶりくらいであろうか。


「ゲココ、久しぶり! 相変わらず元気そうだね。――妹さんもこんばんは」


「こんばんはー」


 ゲココが口を大きく開けた。これは……驚きの表情だろうか。読み取れないよ!


「あんちゃん…… 帰ってきたのか……」


「ついさっきね。偶然ゲココと会えて助かったよ。実は道に迷ってしまって」


 ゲココは悠々と葉巻を取り出し、地面に落ちていた松明から火をもらった。陰のある表情が炎に照らされる。


「来たばっかのところで言うのもなんだが、この街に長居するのはおすすめできないぜ。――ルナリはすっかり息苦しくなってしまった」


 クワワが辛そうに鳴く。


「息苦しいなんてもんじゃないよ……」


 なにやら危うい状況にあるらしい。街の様子もずいぶんとおかしいし……


「僕らが去ったあとに何かあったの?」


「――俺もニンゲンの政治には詳しくないが、教会が市民議会を乗っ取ったらしい。しばらくは『ルナリの共和制を取り戻せ』なんて騒いでる奴らもいたが、みな消えちまった」


「消えちまったって……」


 その話を聞いただけで分かる。共和制都市国家において宗教勢力が増長するなんて、良い結果になるわけがないのだ。


 さらに教会のトップは魔女ときた。どうやら相当まずい状況にあるようだ。


 だが……僕はルナリという都市に大して愛着はない。教会が支配する宗教国家になろうが、政府の存在しないカオスになろうが、どうだっていい。


 重要なのは、レナと僕の記憶を取り戻すこと。そして魔女への復讐を遂げることだ。


「……ヴァイはどうしている? 彼女は魔女へ一矢報いるつもりだと話していたけど」


「あの女は――死体か囚われの身になってる。ふらっと旅行にでも行ったんじゃなければな」


「お兄ちゃん! 縁起でもないこと言わないで! 少し帰ってこないだけで――まだ分かんないでしょ!」


 クワワちゃんの黄色い瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちていく。ゲココは気まずそうに目を逸らした。


「ゲココ、魔女のいる大聖堂まで案内してくれないか。僕はそのためにルナリに来たんだ」


「……乗り込むのか?」


 頷く。


 ゲココはにやりと片頬だけを持ち上げた。


「いいぜ、連れてってやるよ。教会を襲うとなれば死後の平穏は得られそうにないが――地獄の底まで観光と洒落こもうや。差別的な坊主どもの首がお土産だ」


「ははは」


 キザな言い回しだが、不思議と心強く思える。


「地獄なら僕に任せてくれ。専門分野さ」


「いい気概だ。――ただし、まずクワワをモンテドール治療院まで連れていく。道案内はそのあとだ」


「りょうかい」


 ゲココが葉巻をくゆらせながら歩きだせば、クワワちゃんがぴょこぴょこ跳ねるようにその後を追う。


 僕とレナはさらにその後に続いた。


 レナがちらりと横目で僕を見て口を開いた。


「一応確認だけど、『レナは安全な場所で待ってろ』とか言わないでね。私も戦うから」


「……そもそも戦いにさえならないよ。だから待ってろなんて言わないさ」


 レナとの契約の深化によって、僕の悪魔としての権能は強くなっている。前だってカサンドラとかいう女は何もできなかった。今回もそうなるだけだ。


「もうじきに記憶を取り戻すことになる。覚悟を決めておくんだ」


「分かった。これ以上うじうじしない。躊躇わないし、どんな過去だとしても受け入れる」


 そう言うレナの面影にはしかし迷いがありありと見て取れた。


「辛いことも思い出すだろうけど、楽しい思い出もきっとあるはずだよ」


「そうだよね。……ユウも一緒に取り戻すんだから、怖くない」


 そう。僕も記憶を取り戻すのだ。この世界で過ごした数年分を思い出した時、僕はどうなるのか。何も変わらないはずだ。


「一緒なら怖くない」


 どちらともなく手を繋ぐ。ゲココのあとを追ってモンテドール治療院へ向かうのだ。

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