「Why you should stand up for What」13

――十五日目、夜――


 祭りの当日。


 僕は広場にぼけっと突っ立っている。街はいつにもまして騒がしい。陽気な音楽と酒呑みたちの爆竹みたいな笑い声があちこちから聞こえてくる。


 空は薄暗い。今夜は七つもあるはずの月が全て沈んでいる。しかし街中の灯りのおかげで暗くはないのだ。


「お待たせ」


 振り返る。レナだ。前髪をいじりながら恥ずかしそうに目を逸らしている。彼女は薄水色のドレスでめかし込んでいた。少しカジュアルなパーティー用の装いだ。長い銀髪が丁寧に編み込まれている。薄く塗られた口紅が、白い肌の中で一層色っぽく光った。おしゃれをしているレナは初めて見た。いつにもまして美しい。


「私は断ったんだけど、おばあさんに無理矢理着させられて……」


 体を隠すようにもじもじしている。肌の露出が多い格好はきっと不慣れなのだろう。


「すごく似合ってるよ。レナには水色がよく映えるね」


「えへへ…… そうかなぁ。――遅くなってごめんね。パン屋の仕事はすぐ終わったんだけど、おばあさんが服をあれこれ着せ替えてきて、困っちゃった」


 よくやった、おばあさん。心の中で親指を立てる。


「気にしないでいい。こんな可愛いレナが見れるなら、一日中だって待つさ」


「もう。お世辞はいいから。――いこっか」


 腕を組む。僕らは賑やかな通りをゆっくりと歩いた。目的地はない。ただ歩くだけ。レナが顔を綻ばせて語り始める。


「実はね、おばあさんから『明日からも、船賃が貯まるまでこき使ってやる』って言われたんだ。これは引き続き採用ってことでいいんだよね?」


「そうだね。まったく、ひねくれた言い方をする困ったおばあさんだ」


「そこが可愛いんだよ」


 レナの足取りは軽い。パン屋の仕事でも役に立つと認められたことが嬉しいのだろう。続けて雇ってくれるのはおばあさんの優しさあってのものだろうが、足手まといならこうはならなかったはずだ。


 オレンジの灯りが煌々と輝く通りには無数の屋台が並んでいる。僕たちはそれらを一つずつ買い、分け合って食べた。記憶を無くした僕らにとって、世界は初めてのことで満ちている。未知の味に一喜一憂し、子どもみたいにはしゃいだ。


「屋台はたくさんあるけど、僕は全種類制覇するつもりでいるから。しっかりついてくるように」


「えぇ!? 私はそんなに食べれないよ。――美味しそうなところだけ貰うことにしよ。ケーキのイチゴとか」


「それはだめ。許さない」


「ふふ。冗談だって」


 また広場に出た。そこには酒樽が所狭しと並んでいて、次々と斧で蓋を叩き割られている。芳醇なぶどうの香りが鼻から入り込んできた。続いてアルコールの匂いも。


「レナってお酒は飲める?」


「分かんないなあ。どうなんだろう」


「なら試してみようぜ」


 子どもが酒杯を配っていた。その子どもは装いからしてストリートチルドレンのように見える。祭りの特需は孤児にまで福を招いたようだ。その子を呼び止めて二杯貰う。レナがコインを数枚渡せば、彼は大事そうに握りしめて去っていた。


 レナが仰々しく咳払いをしてかしこまった口調で話しだす。


「えー、それでは、みなさま、グラスをご用意ください。――君の瞳に乾杯」


「はは。キザすぎるよ」


「これしか知らなかったから。聖書にあったんだよ?」


 酒杯を合わせる。チリンと音が鳴った。「乾杯」と二人の声が重なって、同じタイミングで傾けた。


 うん。美味しい。僕はお酒が大好きだ。そんなに強くはないが、どんなに辛くても酔えば最高の気分になれる。


「どう?」


「美味しい! ちょっと苦いけど……」


 白い頬がほんのり赤くなる。


「酔ってないよね?」


「バカにしすぎ。こんなんじゃ酔わないよ」


 なら良かった。祭りはまだまだ始まったばかりなのだ。こんな時間に潰れられては困る。ほんの小さなグラスだ。僕は一口で飲み干し、レナは三回に分けてあおる。 


 その広場の隣ではダンスが行われていた。石畳の上で好きに奏で、好きに踊る。そういう場所だ。雑多な楽器と靴音が複雑に混じり合い、それでも統一された一つのメロディが完成していた。


「僕たちも踊ろう」


「ダンス? でも私ダンスなんて……」


「はやく」


 尻込みするレナを引いて、人々の群れの中に飛び込む。彼女の手を握り、背中にも手を添える。


 僕は日本でダンスを学んだ経験などない。でもなぜか踊り方を知っている。きっとこの世界に来てから覚えたのだろう。


「綺麗に踊ろうとしなくていい。楽しむことが目的だからね。左右に体を揺らすだけでもいいんだ」


 ゆったりとした音楽にあわせてワン、ツー、スリーとステップを踏む。


「簡単でしょ?」


「うん」


「僕のリードに合わせて」


 まじめな顔つきがすぐそこにある。じっと見つめれば、にこりと笑顔を返してくれる。


 僕はさりげなく手の位置を下げた。あくまで自然に、レナのお尻に触れる。実を言えばこれが目的だったのだ。別にダンスなんてどうでもいい。リズムに合わせて軽く揉む。若々しい尻の肉は沈み込んだ指をゴムのように弾き返した。


 レナはまだ笑っている。気付いてないようだ。しめしめ。もみもみ。


「ユウ、お尻を揉まないで」


「ごめんなさい」


 むすっとしたレナと踊る。少し不機嫌な表情も素敵だ。


 メロディはどんどんテンポを落とす。レナは待っていたとばかりに口を開いた。


「ねえ、私――夢ができたの。おばあさんに聞いたんだけど…… 中央大陸にはお菓子の国があるらしいんだ。そこに行ってみたい」


「お菓子の国? 壁はビスケットで砂糖の雪が降るみたいなこと?」


 さすがファンタジーだな。なんでもありだ。だがそうでなくては。


「それは行ってみないと分かんないよ。おばあさんはキャンディの魔物を見たことがあるんだって」


「へえ…… 美味しそうだね」


「でも一人じゃ寂しいからさ、ユウも一緒がいいなって。……ついてきてくれる?」


「もちろんそのつもりだ。レナが嫌がってもしがみついてやるから」


「嫌がらないよ」


 レナはダンスに慣れてきたようで、大胆かつ自由に体を動かし始めた。教科書にはないであろう暴れ馬みたいなステップだが――合わせてやれる。


 音楽が盛り上がり、レナは楽しそうに踊る。


 僕はその無邪気でわがままなダンスに付き合うので必死だった。


 曲が終わる。ポーズを決めたレナがニヤつく。


「私の勝ちだね」


「何言ってるんだ。ダンスは勝ち負けじゃないよ」


「負け惜しみじゃん」


「はあ? 僕が合わせてあげてたんだからね。本気を出したらレナはとてもついてこれないよ」


 レナが耳元で「なら今度教えて?」と囁く。息がかかってくすぐったい。なんだかドキドキしてきた僕は黙って頷くことしかできない。 ダンスを終えた僕らはまた手を繋いでぶらぶらと歩きだす。


「そういえば……これってなんの祭りなの?」


「ええと…… 七暗祭だったかな? 月が一つもない夜は不吉なんだけど、騒いで厄を追っ払おうっていうお祭り」


 七暗祭。月が一つもない夜。


 最近そんな言葉を聞いたことような。どこだっただろか。……そう、サミーリアから十三章の話を聞いていた時だ。


 急な寒気に襲われた。嫌な予感がする。


 傷が疼く。


<滅び来たれり>

<滅び来たれり>

<滅び来たれり>


 レナが空を見上げた。


「月はないけど、代わりに星がたくさん見えるね」


 いつもと変わらない横顔。


 それが一瞬で豹変した。唐突にどろりとした黒い液体に変わり、それはずんずんと膨らんでいって見上げるほどの大きさとなり、巨大な四足歩行の生物を象っていく。


 それは世界を滅ぼす黒い獣。


 狼のような体、黒い毛並み、獅子の口、三本の角、赤い瞳。特徴は前と同じだ。しかし、前よりも何十倍も大きい。塔なんかではなく、街そのものを破壊しつくせそうなサイズだ。


 唸り声が大地を震わせた。その威圧的存在感によって人々の足は竦くみ、靴の裏は地面にはりついて動けなくなる。止まった時間の中で黒い獣だけが天に咆哮していた。


 そして滅びが始まる。




▽▲▽




 レナの悪夢は現実になった。


 その獣はあまりにあっけなく、たった一夜でレマンという名の街を壊滅させた。


 一部の市民は船で逃げ出したが……防壁が崩れたせいで魔物が好き放題に入ってきている。生き残りは僕とレナだけだろう。


 その少女は今、僕の隣で穏やかに眠っている。

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