「Why you should stand up for What」14

 ベッドの隣に椅子を置いて座り、レナの寝顔を見守る。天使のように可愛らしい。


 頬を撫でる。


 ぱちりと目が開いた。そしてすぐに起き上がる。レナは目覚めがいいのだ。起きてすぐでも元気いっぱいである。


「おはよう。ユウが私より早く起きてるなんて珍しいね」


「そうだね」


 僕は寝ていないだけだ。たいして眠くもない。街に漂う血の匂いのせいで脳が興奮している。


「昨日のお祭り…… あれ? 私もしかして酔っちゃったのかな? 記憶がないや」


「……良かった、覚えていないなら」


「え? なに? 私にえっちなことしてないよね?」


 レナが胸を隠すようにしてジト目で見つめてくる。僕はにやけた面を作り揶揄うような口調で話した。


「してないよ。いや、まあ、ドレスのまま寝かせるわけにはいかないから、パジャマに着替えさせてあげたけど」


 白い顔が真っ赤に染まる。


「そ、それは、めちゃくちゃえっちじゃん……」


「ああ。めちゃくちゃエロい気分になった。めちゃくちゃ見たから。焼き付けたから」


「……ぁぅぅぅ」


「でもあんまり触らないようにした」


「あ、ありがとう……」


「うん。――ハグしていいかな?」


「待って待って。この流れで?」


 レナは恥ずかしそうに顔を隠すが、そのせいで僕を突き放すことはできなくなった。


 返事は待たず無理やりに抱きしめて、背中に回した両腕に力をこめる。すぐにレナも返してくれる。心音が重なる。


 それは紛れもなくレナの体だった。細くて、柔らかくて、温かい。荒れた心が安らいでいく。


「急にどうしたの?」


「別に。理由なくしてもいいだろ」


 抱擁に想いを込める。


 例え世界の全てが敵になっても僕は最後まで君の味方だ。世界と君を天秤にかけたら迷いなく君を選択する。優しい君はきっと世界を選ぶだろう。だから僕が君の分まで君を幸せにしなくてはいけない。


 伝わっているだろうか。きっと伝わっていないだろう。


 こうしていると力が湧いてくる。どんなことにだって立ち向かえる勇気を貰えるのだ。僕はどうしようもないほどこの女を愛している。


「好きだよ。愛してる」


「……ほんとにどうしたの?」


 僕は溢れ出る勢いのまま口を動かした。


「どんなことがあっても好きだ。どんな君も愛してる。笑っても怒っても泣いてもず、笑わなくても好きだ。結局レナの根幹にあるのは優しさだから。僕はそれに救われたんだ」


 そして小さな囁きが返ってくる。私も好き、とそう言った。抱きしめる力が強くなった。


 声は続く。


「実はさ、今日も悪夢を見たの」


「うん」


「この街を滅ぼしちゃう悪夢。私が大きな化け物になって、街の人を殺して、ユウは必死にみんなを港に逃してるの」


「夢だよ。悪夢だから忘れていい」


 脳裏に昨夜の情景が浮かび上がってくる。


 パン屋のおばあさんは瓦礫に潰されて息絶えた。彼女の死体は魔物に食われてしまった。


 トンガリ頭のチンピラは魔物に頭だけになって転がっていた。横にはよく似た、しかしずっと幼い顔の死体――きっと弟――も転がっていた。


 孤児たちは船に乗れず、港には小さく無惨な死体が折り重なるように並んでいた。魔物に食われて湖面に浮かんでくるものがあった。


 見覚えのある顔もない顔もたくさんが死んだ。その半数は黒い獣が直接殺した。残りの半分は他の魔物や建物の倒壊などに巻き込まれて死んだ。


 まさに悪夢だった。


 この世の地獄を体現していた。


「それでね、建物が崩れて壁も壊れて、魔物が入ってきて――」


「もういいって。思い出さなくていいよ。忘れよう。幸せなことだけ考えよう」


 僕は決めた。全て夢ということにしてしまおう。それでいい。


 この現実はあまりに酷すぎる。たった一人の女の子に背負わせていい咎じゃない。ならば僕が少しでも代わりを務める。


「悪夢の話はしなくていい。どうしてもしたくなったら、代わりに抱きしめてあげるから」


「……分かった。……久しぶりだったからさ、ちょっと悲しかった。もしかして顔に出てた? だからこんなに甘やかしてくれるの?」


「いいや。ほら、だっておはようのハグをするって約束したじゃん」


「そうだったね。――でも今日のコウはちょっと変だよ」


「ごめん……」


 どういうわけか、僕の目からは涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。


 力が欲しい。腕力があるとか、魔物を殴り飛ばせるとか、触れたものを呪うとかそんな力ではなく、レナを救う力が欲しい。


 レナを運命から解き放って、ただ自由に好きなように生きさせてあげたい。


 他のすべてはどうでもいい。


 僕はチートじみた権能を持っているのに、大好きな女一人を救うことさえできないのだ。


「ごめんな……」


「泣かないで」


  どうしようもなく悲しい。


 静かに泣く僕の頭に温かい手が乗っかって、いつかと同じように撫でてくれる。


「また私のために泣いてるの? ……ユウは優しいね。優しすぎるよ」


「ほんとにごめん……」


 レナはふふと声に出して笑った。


「なんか懐かしい。最初もこんなふうに泣いて謝ってばかりだったよね。あの日からまだたったの十日と少ししか経ってないんだよ」


「…………」


「でも私たち、ずいぶん仲良くなった。前はなんでユウが泣いてるのかわからなかったけど、今はなんとなくわかるよ。――ユウは何かを隠してる。それも私のために。そうでしょ?」


 細い指先が僕の涙をすくっていった。


「いつか教えてね。何でもハンブンコにしよう。料理も、おやつも、苦しさも」


 違うんだ、と言いたかった。君が背負っていて、僕にもそれを背負わせて欲しい。そういう関係性なんだ。


 レナはこんなことを言っているが、きっと苦しみをひた隠しにする。ならば僕はそれを暴かなければいけない。




 ふと、魔物の鳴き声が聞こえた。かなり近い。名残惜しいがハグはおしまいだ。


「少し散歩に行ってくる」


「私も行く。――あ! パン屋に行かないとだ! 寝坊しちゃった…… おばあさん怒ってるだろうなあ」


「パン屋は今日は休みだってさ、だから大丈夫だ。散歩も僕一人で行ってくる。レナは留守番していてくれ」


 僕の強い口調に困惑しながらもレナは頷いた。


「……ちょっと怒ってる?」


「怒ってないよ。愛してる。まじで愛してるから。何されても怒んない」


「……ありがと」


 頰に口づけして、僕は部屋を出た。


 玄関の扉を開くと崩壊した街の風景が目に入る。


 赤く染まる大通り、散らばった肉片、原型をとどめていない建物。奥で火事の煙があがっている。


 それをレナが目にしないうちに隠すべく、僕は音が出るほど強く扉を閉めた。


 ほぼ全ての建物が倒壊しているなか、僕らのアパートは奇跡的に無事である。


 レナに昨夜のことを思い出させいてはいけない。だからこの街の惨状を見せてはいけない。それから魔物もだ。


 レナの幸福を阻むものは全て消す。それが使い魔としての役割だ


 そしてどうすればいいだろう。


 目隠しでもして別の街へ連れて行こうか。そしてそこで同じことを繰り返そう。その街もまた滅ぼしてしまったとしても、また別の街へ行けばいい。


 そうしよう。それでいい。


 少し目を離しただけで魔物がたくさん寄って来ている。グルグルと唸ってうるさい。静かにさせなければ。レナに気づかれてしまう。


 しかし。


 しかし。


 レナに気づかせないなんて、そんなことがいつまでもできるわけないことも僕は理解している。

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