「Why you should stand up for What」11

「お父さん?」


 レナが呟いた。僕の思考も停止する。レナは我に返ったように目をぱちくりと瞬かせて僕を見つめてきた。


「……あれ、今わたし何て言ってた?」


「…………さあ、何にも言ってないと思うけど」


「あれれ? おかしいなあ……」


 レナは首をひねりながらも木の洞の中の紙切れに手を伸ばし、取り出した。


 電光が弾ける。


 それはただの紙切れではないのは明らかだった。周囲を圧倒するエネルギー、神気とでもいうべきものを発している。触れたくない。近くにいたくない。目に入れたくない。強烈な忌避感に襲われる。邪悪な僕は存在すら許されないようだ。


 それでも僕はなんとか近づき、木の洞の中の腕飾りをつかみ取った。これはおっさんの形見だ。あとでレナに渡そう。


 ついでに僕はレナの耳に囁いた。


「それが聖書原典十三章だ。今のうちによーく読んでおくんだ。決して忘れないように」


「え、なんで?」


「いいから」


 有無を言わせない僕の強い言葉にレナは頷いて、目を動かし始めた。後ろからサミーリアの足音が近づいてくる。


「見つかったの?」


「うん。サミーリアは頭痛はなんともないの?」


「レナちゃんのおかげでね。こんな強力な聖術を受けたのは生まれて初めてかもしれない。危うく清楚なハーフサキュバスになっちゃうところだったわ」


「いまでもかなり初心よりだけどね」


「うるさいわね。――そんなことより、十三章を見せてくれない?」


 レナに目配せを飛ばせば、彼女はすでに読み終わっているようだった。


「どうぞ」


「ありがとう。これで任務は達成よ」


 サミーリアは十三章を細やかな白い布で包み、直接触れないようにして丁寧に折りたたんだ。そして一番奥のポケットに仕舞い込む。


「さて、あとは無事に帰るだけ」


 嵐でも来たかのごとく、エルダー・エントが大きく揺れ始めた。異常な成長の原因である聖書原典十三章を奪われ、苦しんでいるのだ。


「急ごう」


 レナの手を掴んで骨の山を駆け降りる。顔を上げれば、針のような葉や鉄柱のような枝が降り注いできていた。これは……死にかねないな。僕はレナの腰を右腕で抱き、脇にかかえこむ。


「ユ、ユウ!?」


 そしてサミーリアは左腕だ。


「ちょちょっと!? 何するの!?」


 ハート型の尻尾がぺしぺし頰を叩いてくるが、構っている暇はない。


 落下する無数の凶器たちが空気を切り裂く音によって、二人の抗議の声はかき消された。米袋を二つ抱えているみたいな気分だ。怪力でよかったぜ。本気で大地を蹴る。一瞬で最高速度に到達した。


「揺らさないで! ズレちゃう…… ああもう! パッドが落ちたわ、止まって! ――きゃあッ! やっぱり逃げるわよ!」


「……抱えられてるだけなんだから静かにできない? 舌を噛むよ」


 サミーリアは腕の中で騒々しく暴れている。尻尾はぶんぶんと振り回されていた。


「ユウ! 私は大人しくできるよ!」


「はいはい。さすがレナだね。可愛い」


「そ、そうかな? えへ」


 親分の怒りに触発されたエントたちも触手のような枝を伸ばしてくる。木のくせにうねうねと曲がるそれらを躱し、蹴り飛ばし、頭突きで砕く。曲芸じみた動きに小脇の二人は目を回して喋らなくなった。荷物に徹してくれる方が動きやすい。急いで安全圏まで下がろう。


 背後からエルダー・エントの慟哭が聞こえる。木のくせにどうやって鳴いてんだよ。異世界は不思議だぜ。




▽▲▽




 数分間は全力で走り抜けた。ここまで来れば大丈夫だろう。


「さあ、自分の足で歩くんだ」


 二人をおろす。サミーリアは額を抑えながらもしっかり立ち上がったが、レナは酔ってしまったようでへろへろと座り込んだ。


「吐いちゃう…… うう……」


「ごめんね。ちょっと危険な運転だったかな。――ボス、少し休憩でもいい?」


 サミーリアは鷹揚に頷いた。パッドは落としてしまったが、案外機嫌は悪くなさそうだ。彼女は近くの切り株に腰を下ろした。


 僕は前から気になっていたことを質問してみることにした。


「ねえ、聖書原典十三章ってどんなことが書いてあるの?」


「……知りたいの?」


「知りたいさ。みんなそれを欲しがってる。世界中の人々が求めるお宝の正体、好奇心が止まらないよ」


「どうせ読んだのでしょう。なら特別に教えてあげるわ」


 サミーリアは意味深い笑みを貼り付けた。その視線の先は――レナ。


「ねえ、レナちゃん。あなたの髪の毛、とっても綺麗な銀色ね」


「……急にどうしたんですか?」


 サキュバスの血を引く美女が唇を半月状に歪めた。黒い尻尾がうねり、その尖った先端はレナを捉えている。僕の背筋の毛がピンと立って警戒信号を発した。なんだかまずい。紫の瞳に怪しげな光が宿る。


 サミーリアが顔色が優れないレナの顎に指を添え、くいと持ち上げた。


「あなた……滅びの獣でしょう? 私を欺けると思っているのかしら」


 クソッ!


 僕の心臓は十倍速で暴れ回る。


 なぜだ? なぜばれた? そしてレナを――どうするつもりだ?


 なんとかして誤魔化さなくてはいけない。また逃げ出すハメになるぞ。いっそのことサミーリアをここで…… いやそれはだめだ。レナはそんなことを望まないだろう。考えろ考えろ考えろ――


 しかしレナはきょとん顔だ。そしてあっけらかんに言い放つ。


「何の話ですか?」


 サミーリアは黙りこくっている。試すような、測っているような目つき。そしてにこりと笑顔を作った。でも目は笑っていない。


「ごめんなさい。カマをかけたの。今のは冗談、忘れてくれていいわ」


「鎌……? 釜……?」


 危なかった。本当に心臓が破裂して死ぬかと思った。必死に呼吸を落ち着ける。焦った顔を隠すべく、僕は地面に額を擦りつけた。


「……ユウ、なんで土下座してるの? バカなの?」


「しばらくこのままでいさせてくれ」


「バカなのね。好きにすれば」


 よしよし。なんとか切り抜けられそう。


「さて、聖書原典十三章の話をしてあげる――」


 サミーリアは得意げに話し始めた。


――始まりあるものには終わりがある。世界そのものも同じ。


――そして今、滅びが近づいている。滅び来たれり。魔物は増えて凶暴になり、人心は乱れ、陽の力が弱まっている。滅び来たれり。


――誰も解決策をしらない。


――しかし、世界はかつて同じ危機に瀕したことがある。


――聖書は歴史書。かつての顛末が記されているのが聖書原典十三章。歴史から学べ。十三章を読み解けば、解決策は導き出される。


 サミーリアは胸元を叩いた。


「そして今手に入れたのは、その最初の一ページ。災厄の元凶を宿した少女へレインが、七暗月の夜に故郷を滅ぼす物語」


 災厄の元凶を宿した少女。それはきっと、現代ではレナに与えられた役割だ。壮大すぎてついていけないが、レナはきっとこのことを知っていたから十三章を求めていたのだろう。


「それでその少女はどんな結末を迎えたんだ?」


「さあ…… 死んだのでしょう。だからいま私たちが生きているわけだし」


「……ボスは何のために十三章を集めているの?」


「当然――少女へレインを殺すためよ。十三章には不死の化け物を殺すための方法があるはず」


「そう……」


 いやだ。いやだと思った。世界なんかのためにレナを殺されたくはない。


「ユウ、あなたは偉大なことを成したのよ。世界を救う偉業に貢献した。誇りに思っていい」


 世界を救う偉業なんて……クソ喰らえだ。あまり話を聞いていないレナが僕に寄りかかってくる。全てを忘れた少女はけろりとした表情で甘えてくるのだ。


「ぜんぜん良くならないよお。これは王子様の慰めが必要かも……」


「……君は天使だ。有象無象なんかよりもずっと価値がある」


「ふふ、なにその慰め方。そんなに嬉しくないけど、気持ちは伝わったよ」


 レナは立ち上がる。すっかり元気そう。さっきのとろけ口調が嘘のようだ。


「お待たせしました。もう歩けるよ」


「なら行きましょうか」


 サミーリアを先頭にしてレマン防壁への帰路を進む。


 しかし僕の心中は先ほどの話で埋め尽くされていた。怒りが湧き上がってくる。レナを世界のための犠牲になど……させてたまるか。




▽▲▽




 遭遇した魔物は蹴り飛ばし、我々は無事にレマンまで帰着した。


 すでに夕方。


 薄暗い路地裏にて、僕たちは身を寄せ合っている。レナが大きく息を吐いた。


「疲れたー! 壁の外を歩くのはやっぱり怖かったよ。枝が降ってきたときは死ぬかと思った」


「無事に戻れたのはあなたたちのおかげよ。これにてお仕事完了、お疲れ様。と言いたいところなのだけど……」


 サミーリアが後ろ手を組んだ。背中に何かを隠している。鋭く尖った金属質な何か。僕はそれとなく前に出てレナを庇える位置に立つ。


「ボス、たのむよ……」


 サミーリアのことは好きだ。仕事をくれたという恩もあるし、かなりの時間を共に過ごして情も湧いた。


「勘がいいのね」


「ボスのことも、十三章のことも、誰にも話さない。約束するよ。それでいいだろ」


「…………」


「……それからパッドのことも黙っておく。初日にビビりすぎて漏らしたことも、実はすこしショタコン気味なところも、絶対墓場まで持っていく」


「……なら今すぐ黙りなさい、舌を引き裂くわよ。それから最後の一つは断固否定するわ。私はショタコンじゃない」


「でも小さな子どもとすれ違うたびにチラチラ見てたし……」


「それは可愛いなって思ってただけよ! ……もういいわっ!」


 サミーリアが振りかぶった手の中に握られているのは――硬貨が擦れ合う音のする小袋。放り投げられたそれをレナがあたふたと受け取る。


「口封じまでが私の仕事だけど、上には『今後も協力関係を築くだけの価値ある人材』と報告しておく。――あーもう、絶対怒られるわ」


「ありがとうボス。君の甘いところ、嫌いじゃないよ」


「どういたしましてっ!」


「それじゃあ仲直りしたところで……打ち上げでも行こうか? ボスのおごりで」


「いいね! ただし私がユウの横に座ります。サミーリアさんには譲りません」


「行かないわよ! 私は忙しいんだから」


 残念だ。しこたま飲ませて恥ずかしいエピソードを聞き出そうと思っていたのに。


「じゃあね、二人とも。そこそこ楽しかったわ。最後にサキュバス流の挨拶を――」


 ゆらりゆらりと揺れるハート型の尻尾が持ち上がってきて、サミーリアがそれにちゅっとキスをした。


 尻尾は僕の顔に近づいてきて、優しく唇に触れた。サミーリアは艶めかしく目を細めている。そして次はレナも。


「また会うこともあるでしょう。打ち上げはそのときにでも――さようなら」


 意味ありげな微笑を残して彼女は路地の暗闇に消えていった。


 頬を火照らせたレナが思わずと言った様子で呟く。


「サキュバス、えっちすぎる…… 惚れちゃいそう……」


「……レナ? それはだめだよ」


「ふふふ、じゃあ帰ろっか」


 手を繋ぐ。街は暗闇に包まれ始めた。これで一仕事おしまいだ。かなりのお金が手に入った。当分は困らないだろう。レナが内緒話でもするように囁いてくる。


「私、足手まといじゃなかったかな? 役に立てたかな?」


「今日はレナがいないとできないことばかりだったよ。本当に助かった。報酬も倍だぜ? 最高じゃないか」


「よかった! 力になれたなら――うれしい」


 その表情はいつにないほど幸せそうだ。それを見て僕も幸せ。世界の滅びなんてどうでもいい。そう思える。この無垢な笑顔を守るためならば、僕はどんなことでもしよう。


 ふと、傷が疼いた。しつこく語り掛けてくるのだ。


<滅び来たれり>

<滅び来たれり>

<滅び来たれり>


 僕は言い返す。いちいちうるさい。黙ってろ。滅びなんてのはしったことではない。レナさえ幸せならあとはどうだっていい。


 今度は別の傷が疼き始める。


<俺を信じろ>

<俺を信じろ>

<俺を信じろ>


 だからうるせえって。


 僕はレナを抱きしめた。


「愛してる」


 少女は言った。「私の方が愛してるから」。そしてキスをする。

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