「Why you should stand up for What」10

――十三日目、朝――


 玄関の扉が叩かれた。この部屋に住んでから来客は初めてだ。


 レナと目が合う。


「僕がでるよ」


 扉を開く。そこにいたのはやはりサミーリアだった。体の線を隠すような服に帽子まで被り、まるで逃亡中の犯罪者だ。


「数日ぶりね」


 僕はさっさと外に出て扉を閉じた。これでレナは客が誰かさえ気づいてないはずだ。二人を会わせると必ず面倒なことになるので、絶対に避けたい。


「おはよう。体調は――良さそうだけど、どうしてそんな恰好してるの?」


「……サキュバスは誤解を生みやすいから。今日は話したいことがあってきたの」


「そう。どうぞあがってくださいと言いたいところなんだけど……」


 サミーリアは肩をすくめた。


「どこでも気にしないわ。そう長くはならないし」


「ありがとう」


「いいえ。……ところで、あなたが匿っている可愛い顔のお嬢ちゃんはなんて名前なの?」


「レナ。名字は……なんだっけな。別に匿ってるわけじゃないよ」


「ずいぶん過保護なようにみえるけど」


 それは否定できない。今のレナはあまりに危なっかしいのだ。


「それでレナがどうかした?」


「……実は条件に合う命知らずな僧侶を見つけられなかった。だから彼女に頼みたいの。エルダー・エントの足元に渦巻く怨霊どもを祓う儀式を」


 扉がバチンと開く。


「行きます!」


 レナが飛び出してきた。目には強い意志が宿っている。その眼差しには見覚えがあった。


「ユウ、できることがあるなら私も一緒に行きたい!」


 まずい。話を聞いていたらしい。


「落ち着くんだ。壁の外はとっても危険だぜ。でかい虫みたいなのもたくさんいる。レナは虫が苦手じゃないか」


「バカにしないで。虫くらい我慢できるから。それ危険なのはユウだって同じじゃん。私だけずっとスズメの雛みたいに過ごすわけにはいかないでしょ」


 サミーリアはおかしそうに含み笑いをしている。


「もちろん報酬は出すわよ。それもたっぷり」


「待ってくれ。――これは危険な仕事だ。死ぬ可能性だってあるんだよ」


「……ユウが背負ってるものは私も一緒に背負いたいよ」


「なんて健気。これは決まりね」


 レナとサミーリアが揃って僕に圧をかけてくる。なぜだ? 君たちは仲が悪いはずでは? 上司と主人。どちらも僕の支配者だ。


「参った。降参だよ。そんなに言うなら一緒にいこう。ただし僕から絶対に離れないこと」


「分かった!」


 レナはすぐに腕に抱きついてきて僕とサミーリアの間に割って入り、今度は敵対的視線を向けた。


「サキュバスさんは自分の身は自分で守れるんですよね?」


 サミーリアはくつくつと喉を鳴らして笑い声をこぼした。ハート型の尻尾がいたずらっぽく揺れている。


「私はか弱い女の子。あなたの大事な彼にべったり張り付いておんぶに抱っこよ。文字通りね」


「おい。でたらめを言うのは止めるんだ」


「でたらめじゃないけど。私を嘘つき扱いしないで」


 うーん。まあ抱っこもおんぶしたにはしたが、そんなエロい感じじゃない。僕はサミーリアの機嫌をとるべく丁重に言葉を選んだ。


「どうか誤解を生まないような言い方にしてくれませんか? ボス」


「……私はこの男に初対面で尻尾を握られ、胸を凝視されました。これでいいかしら」


 レナが息を呑む。そしてサミーリアの豊かな胸部にガンを飛ばした。


「こんなのに…… ユウ! 惑わされちゃだめだよ!」


 それはパッドなんだ、まったく惑わされていない。とは言えない。こういうときは逃げ出すのが吉だ。


「お腹痛くなってきた…… トイレ行ってくるね」


 部屋に戻ろうとした僕の腕が二方向から掴まれる。


「ユウ、ごまかさないで」


「特別に胸を揉ませてあげようかしら?」


「……ごめんなさい」


 レナは嫉妬心が爆発しているし、サミーリアは面白がってそれを揶揄う。こんな調子で壁外を歩くのか? 魔物より先にストレスで死んじまうぜ。




▽▲▽




 両手に華? いいや違う。


 右は地雷、左はパッドだ。まったく嬉しくない。異世界どうなってんだ……


 しかしありがたいことに魔物はいっさい寄ってこない。森のかなり奥まで入ったがまだ戦闘はゼロだ。


「これって道はあってるんだよね?」


「私は生まれてこのかた迷ったことがないの。黙ってついてきなさい」


「了解でございます」


 似たような木しかない森の中で道を見失わないとは如何なる能力なのか。僕の想像するサキュバスとは少しズレているけど……


「もう少しよ」


 レナの緊張が増す。僕の指示通り、レナはぴったりくっついて離れない。こうしている限り万が一にも命の危険はないだろう。


 少しずつ森の濃度が上がっていく。意思を持つ木々、エントたちが僕らを見張っているのだ。


「いやな感じがする……」


「大丈夫。監視されてるだけだ。手は出してこないはず」


 見えてきた。頂点が見えないほどの巨大樹、エルダー・エント。前よりもずっと敵意が鮮明だ。


 地面からにょきりと木の根っこが顔を出し、レナの足元へと這ってくる。すぐさま踏み潰せば根っこは震えて引っ込んでいった。さっきからレナばかりが狙われているのは何故だろうか。


 サミーリアは僕の踏んだ場所以外を通らないよう慎重についてきている。


「エルダー・エントの異常な巨大化について調べたのだけど……おそらく十三章が原因よ」


「十三章が? ただの紙切れがどうしてそんなことを起こし得る?」


「ただの紙切れじゃない。神の遺言の最終章よ。エントなんかはどうなったっておかしくないわ」


 レナへの攻撃はひっきりなしで止もうとしない。嫌な感じだ。


「……やっぱり引き返すってのはどうだろう? 明日にでも僕が一人で探してくるよ」


「方向音痴のあなたに単独行は無理でしょ」


「それはそうだけど……」


「もうすぐそこよ。覚悟を決めて」


 そう言いながらもサミーリアの顔には怯えがありありと表れていた。レナがぎゅっと手を握ってくる。


「私も一緒だよ」


 撤退の根拠を示すこともできない僕は頷くしかなかった。サミーリアがエルダー・エントの根元、白い骨の山の直前で足を止める。


「ここでいいでしょう。整理するわ。――レナちゃんが霊を祓い、思念を読み取って十三章を探す。その間私たちはレナちゃんを守る。私が続行不可能と判断したらすぐ撤退。情報は漏れていないから、日を改めることもできる」


「うん」


「まずは私に祝福のまじないをかけてくれる?」


 二人は聖書を開いてなにやらよく分からない呪文を唱え始めた。堅苦しすぎてまったく耳に入ってこない。僕は祝福にも神の教えにも興味はないので、一歩前に進み出た。


 木々と亡霊どもの無機質な害意が僕に集中する。役割は単純。すべて打ち払えばいいのだ。枝に絡め取られ、根によって食い尽くされた哀れな生き物たちの亡霊。目視はできずとも、そこにいるのを感じる。


「天国は無理だけど、地獄なら送ってあげられるよ。いつまでもこんな森の中じゃ退屈だろう。まったく異なる世界に行くってのも悪くないもんだぜ」


 まあチートじみた権能を持っているから言えることだけど。


 左手を掲げた。蛇の紋様がくっきりと浮かび上がり、腕を這うようにして獲物を待ち望んでいる。静かだ。魔物の咆哮も小鳥のさえずりも聞こえない。亡霊たちも……逃げ出している。


「戦ってみたかったのに…… おっ!」


 僕から離れていくような霊の蠢きの中で、明確な殺意を持って近づいてくる存在がある。距離が狭まるにつれてうっすらと影が見えてきた。人間の霊だ。恨めしそうに睨みつけてくる。


「やあ、どうしてそんなに怒ってるの?」


 空耳だろうか。声がするような……


「おまえには……やらんぞ……」


「十三章のこと? しょうがないよ。死んだらそこまでさ。おっさんも早く成仏しなよ」


「まだ……おっさんじゃない……」


 なんか親しみやすい幽霊だな。そのおっさんの霊は拳を振り上げ、僕を殴りつける。しかし痛みはない。というか物理的に干渉できていない。


「死ぬってどんな感じなの? 走馬灯ってほんとにあった?」


 おっさんは答えを返してくれないままぷかぷかと浮かんで、僕の頭の後ろで止まった。肩がずんと重くなる。これはまさか、取り憑かれたのだろうか。


「守護霊? 悪霊? まあ僕が悪魔だしどっちでもそう変わらないような気もするな」


「悪魔など……許さんぞ……」


「そう言わないでよ。僕は比較的善良な悪魔さ。むしろ一般的な人間よりずっと善だ。なにせ悪人を家族もろとも皆殺しにするからね。――ハハハ、デビルジョーク! 気に入ってくれたかな?」


 ウゴゴゴゴ、と低い唸り声が響く。どうやらお気に召さなかったらしい。しかし今後もずっと憑かれたままなのだとしたら、ぜひ友好的関係を築いておきたい。


「欲しいものとかはあるかな? 行きたい場所とか。連れていってあげるよ」


 おっさんの霊はレナとサミーリアの方を指差した。二人の周囲にはホタルのような光が飛んでいる。


「祓われちゃいそうだけどいいの?」


「いそげ……呪うぞ……」


「はいはい」


 丁度そのタイミングでレナが聖書を閉じ、顔を上げた。そして詠唱が完成する。


「悪霊どもよ、消え失せよ!」


 聖なる波動が広がり、霊たちが怯んで退いていく。おっさんの霊は僕の頭にしがみついてなんとか堪えているが、限界は近そうだ。


 レナがふらふらと歩き始める。


「死者の念よ。私を聖書原典まで導いて……」


「レナ? 大丈夫?」


 僕の声が届いていないのか、レナは骨の山を登りエルダー・エントへ迫っていく。どこか熱っぽい瞳。僕には見えない何かを見て、聞こえない何か聞いているようだ。


「危ないよ。気をつけて」


 しょうがないのでレナの手を握りエスコートする。レナが歩みを進めるたびにエルダー・エントから放たれる敵意、そしてそれに隠れた恐怖が増していくのだ。


 森にざわめきが大きくなる。


 しかしレナは止まらない。固く分厚い巨樹の表皮に触れられる距離までやってきた。無数の白い骨を掻き分けながら聖書原典十三章を探す。


 それはすぐだった。


「あった!」


 木のうろの中、閉じ込められるように骸骨があった。


 その骸骨は修道服を着ている。手を伸ばしてもがく苦しい姿勢で死んだようだった。片腕は骨ごと無く、無事な方の腕の指の間に色あせた紙切れが挟まれていた。


 おっさんの霊が呻く。


「じゃあな……がんばれ……」


「え? もう成仏するの?」


 それはないぜ。幽霊と一緒のドタバタな日常を楽しみにしていたのに。


 レナの指先が骸骨の頭蓋に触れた。


 いったいどのくらい前から風にさらされていたのだろうか、ほんの少しの刺激でボロボロと崩れていく。砂の城がふとした拍子に崩壊するように、骨は粉のようになって風に流されていった。同時におっさんの霊が薄くなり始める。


 木の洞のなかに残されたのは修道服と、古びた紙切れと、金属製の腕飾り。


 おっさんはレナの頭を撫でるようにして、レナはおっさんを見やる。そしておっさんの霊は消えた。最後はどこか満足げな表情にも見えた。僕の肩もすっと軽くなる。


「お父さん……?」


 レナが呟いた。


 僕の思考も停止する。

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