「Why you should stand up for What」7

――九日目、昼――


 捜索は二日目に突入した。


「チュピーー!!!!」


 甲高い鳴き声が森に響く。それは闇落ちしたカビゴンみたいな生き物だ。腹だけが異様に膨らんでいて、その怪力で周囲の木はいくつもの根っこから引き抜かれている。


 やるしかない。痛みを感じさせないほど手早くだ。剣を握りしめる。


 次の瞬間にはカビゴンの首は宙を舞っていた。


 我ながら美しい太刀筋だ。筋力だけに頼ったのではない鋭い切断面。僕は鍛錬を積んでいたのかもしれない。次に大きな腹を引き裂く。気分は人体切断マジック。ただし失敗バージョンだ。


 血と粘液と一緒に転がり出てきたのは――


「ゲホッゲホッ! あーもうサイアク!」


 胃液まみれになったサミーリア。


「消化されるまえでよかったよ」


 サミーリアは泣きべそをかいていた。まあ巨獣に丸呑みにされたらそうもなる。


「死んだかと思ったわ…… ちゃんと守りなさいよ!」


「羽虫に怯えてあらぬ方向へ逃げ出したのはボスじゃないか。追いかけたら食べられてるのを見つけた僕の身にもなってほしいよ」


「うるさーい! 正論はやめて! 慰めてほしいの!」


「……可哀想な人だ」


「ニュアンスがちがう!」


 サミーリアは鼻水をすすりながら立ち上がった。服にまとわりついた粘液を拭う。昨日着ていた迷彩服はたった一日でぼろぼろになってしまったので、今彼女は宇宙服じみた格好をしている。頭から足先まですっぽり包み隠すずんぐりむっくりな装備だ。動きにくそうで、僕が何度も尻を拭かされている。


「これ高かったのに…… お風呂入りたい……」


「僕もお風呂に入りたい。銭湯とかあるなら案内してよ。なんなら一緒に入ったっていい――どうする? 今日はこのくらいにして帰る?」


「入るわけないでしょ。……進みましょう。こんなことでへこたれてられないわ」


 ヘルメットを被りなおしたサミーリアは僕の背中の後ろで小さくなった。隠れているつもりらしい。魔物がどこから襲ってくるか分からない以上あまり意味はなさそうだけど……


 この人はよく壁外へ出ていこうという考えになったものだ。僕がいなかったら十回は死んでるぞ。


「ていうかさ、目標の死体さんはどうしてこんな場所をほっつき歩いてたわけ? 散歩じゃあるまいし」


「……魔物に滅ぼされた街、イイルカからの遭難者よ。もう少しでレマンにたどり着くというところで船が壊され、森を歩くうちに魔物に襲われて生き延びたのは百以上のうちで数人だけ。世間知らずなあなたでも聞いたことはあるでしょう」


 ないが……適当に頷いておく。


「魔物に滅ぼされることもあるんだね。立派な壁があるのに」


「記録上では初めてよ。近年魔物はどんどん活発になって、しかも南下傾向にあるから、人類生存圏の向こう側のバケモノたちが下りてきてるってわけ」


 人間は北大陸の下半分にしか街を築けていない。それ以上北だと壁があっても守れないのだ。


「……無駄話はあとよ。前方の危機は全て払い除けなさい」


 カラカラと軽い音が鳴った。サミーリアが震えて僕の背中にしがみつく。


「ひいぃっ!」


「ボスが蹴飛ばした石が木に当たった音だから。変な格好してるから足元見えてないんだよ。ビビりすぎ」


「……ビビってないけど。もう一度そんなデマカセを言ったら減給だから」


「ひどいよ」


「ほら、黙って進んでちょうだい」


 言われるまま歩き始める。ただ森の中を歩くのは昨日で飽きた。かわり映えしない緑と茶色の風景ばかり見ても退屈だ。もちろん魔物が出てきてくれれば話は別だ。奇怪な生命体が奇怪な手段で襲いかかってくるのは面白いのだが……頻度は昨日よりずいぶん下がった。


 いったいなぜか。僕には分かる。魔物たちが怯えているのだ。森全体からそう伝わってくる。僕という異分子を処理できていない。捜索は楽になりそうだが、面白みには欠ける。どうにかできないものか……


「ボスが餌になって目標の魔物を誘き寄せるっていうのはどうだろう。僕がぜんぶ倒すからさ」


「何言ってるの? バカなの?」


「でもさ、目標の魔物と会えるまでずっとふらふら歩くだけじゃいつまでかかるか分からないぜ?」


「――静かに。近いかもしれない。霊気を感じる」


 サミーリアがヘルメットを脱いで耳に手を当てた。ハート型の尻尾がピンと伸びている。僕はなんとなーく魔物の気配が読めるのだが……


「近くには何もいなさそうだよ」


「ううん、かなり近いわ……」


「そう?」


 ここら一帯には木々しかない。木の葉が風に揺られてざわつく。森自体が震えているようにも見える。何だろう、この感じ。まるで大量の敵に囲まれているような――


「きャッ!」


 あまりに気配が薄いせいで反応が遅れてしまった。


 “木のツタ”が伸びてきてサミーリアの手足を縛り付ける。


 彼女はあっという間に逆さ吊りにされてしまった。紫の髪の毛が重力に従って垂れ下がり、白くて綺麗なおでこが晒される。胸、太もも、お腹にツタが食い込んでいる。女性的な体の柔らかさを強調するような縛り方にはついつい芸術性を感じてしまった。


「なんかエロいね」


「言ってないで早く助けなさい!」


 ボスはお怒りのようだ。


 ツタが僕を捕えようと迫ってくるが、ことごとくを切り落とす。地面に落ちたツタはトカゲの尻尾のように震えて息絶えた。


 絶え間ない攻撃の間隙をぬってサミーリアを助け出す。スマホがあれば激写しておいたのに…… 彼女は「あいたっ」と呻いて地面に落下した。その隣で斬られたツタがジタバタ暴れて気持ち悪い。


「なんなのよもう……」


「なるほどね」


 僕は得心した。敵は植物型の魔物なのだ。だから魔物に遭えれば死体も見つかるというわけである。だって植物は移動しない。……移動しないよね?


 そう悟ってしまえば感じる気配も変わってくる。無数の敵対的な意思の先に巨大で濃厚な殺意があった。言うなればこの木々の主だ。僕らを養分にしようと狙っている。


 茂みの中から小さなネズミが飛び出してきた。見計らったように地面から木の根っこが飛び出してきて、小さな体を雁字搦めにしながら地中へ引き摺り込んでいく。これが食事ということらしい。


「どうやら目的地に着いたみたいだね」


「ええ……」


 サミーリアはまたまた僕の後ろに隠れる。


「こうなったからには教えましょう。私たちの敵はエルダー・エント。そいつの根元に目的の死体が埋まっているはずよ。骨髄まで吸い尽くされてカラカラになった骨と服だけの死体がね」


「……先に言ってくれても良かったのに」


「あなたが情報だけ聞いて逃げ出すかもしれなかったから」


「そんなことするわけないじゃないか。信用してよ」


「うるさい。初対面で尻尾を掴まれた恨み、こっちは忘れてないのよ」


 触っていいって言ったじゃん。そう思ったが口にはしないでおく。怒られるのは目に見えているからね。


「それで……どうするの? 猪のごとく突き進んだらいい?」


 エルダー・トレントはまだ遠い。木々は道を阻むべく迫り出してきている。


「そこはプロのあなたに任せるわ」


「僕は記憶喪失の素人だけど」


「そうだった…… どうするのよ……」


「……まあなんとかしてみるよ。ちょっと目を瞑ってて」


 サミーリアは怪訝そうに眉を寄せた。


「なんで? 目を瞑らせて――私をどうするつもり?」


「ボスにはなにもしないから。ほら早く」


 悪魔の権能はなるべく見せたくはない。急かせばサミーリアは従ってくれた。それを確認して、土に手をつく。


「枯れよ」


 それは死の呪いの言葉だ。左手にヘビの紋様が浮かび上がり、指先から這って大地を侵食していく。木々は土の下、根と根で繋がっている。枯死の術は一つの根に達し、そこから無数に拡散する。僕の左手に棲まう蛇は、生命を奪う悪食の毒蛇だ。


 ざわめきが大きくなる。森が苦しんでいるのだ。近くの木々の幹の表皮が割れ、色褪せた木の葉が落ちていく。枝がやせ細って水分を失っているのだ。敵意が急速に萎んでいく。こんなもんでいいだろう。脅しだけのつもりだ。


「もういいよ」


 顔を覆う指の隙間から覗く紫色の瞳と目が合う。


「見てないよね……?」


「見てないわ」


 なら良かった。まあ一度見たところで何が何だか分からないで終わるだけだろう。


「少し大人くしくなったし、挨拶しに行ってみようか」


「……ええ」


 鋭い枝で獰猛に威嚇していた木々が、今はそっぽを向いている。むしろ道をあけてくれているようで、僕らの前にはエルダー・エントへの直通道路が完成していた。


「豊胸の秘術を求めて、我々は樹海の奥地へと向かう……」


「……殺されたいの?」




▼△▼




 最初それが木だとは気付かなかった。


 黒い崖壁だと思ったのだ。それほどまでに高く太い幹であった。ずっと高くに枝葉があるのを見て、ようやく木なのだと悟る。


「ありえない。何かがおかしいわ。エルダー・エントといえどもこんなに巨大なはずはない。せいぜい数倍のはずなのに……」


「魔法かなんかじゃない?」


「……まさか」


 巨大樹の根元には白い小山があった。それは骨の山だ。熊の何倍もの巨大な骨格もあれば、子犬のような頭蓋骨もある。人も魔物も無差別に殺されていた。


 このエルダー・エントはこの森の生態系の頂点に位置する最強の捕食者だ。その足元はあらゆる生物の墓場。強烈な怨嗟の念を感じる。不可視の死霊どもがたかってきているようだ。


「この骨の山の中に探し物があるわけか……」


 めんどくさいな。ていうか無理だな。砂場の中から米粒を探り当てるくらいには難しそう。


「――危ない」


 サミーリアの腕を引く。


 彼女の鼻先すれすれに枯れ枝が落下してきた。破城槌みたいな太さだ。当たれば一瞬でミンチになるだろう。シミ一つない美しい肌を冷や汗が伝っていく。音もなく降ってきた致死性の攻撃に言葉も出ないようだ。


 エルダー・トレントが揺れている。風なんかで揺らぐはずもないので、己の意思で体を動かしているのだ。帰れ。立ち去れ。そんな幻聴が聞こえてくる。


「僕らが宝探しを終えるのを平穏に見守ってくれるわけでもなさそうだし…… いっそ焼き払う?」


 面倒ごとは後回し。後回しできないなら燃やしてしまえ。神もきっとそう言うだろう。


「それはだめ。焼け出された魔物がレマンに雪崩れ込んでくるかもしれない」


 サミーリアは頭に手をあてて苦しそうに顔を歪めた。ハート型の尻尾は力なく垂れて太ももに巻き付いている。


「ここは悪霊の力が強すぎる…… クラクラしてきた……」


「僕はなんともないけど」


「鈍感なんでしょ。長居するのは良くないわ。――御祓いの儀式が必要ね」


 御祓いの儀式。聖術。すなわち僧侶の出番だ。


「ボスは使えないの?」


「私はハーフサキュバスだって言ったでしょ。僧侶なら死者の念も読み取れるかもしれない。今日はいったん帰りましょう。腕の良い術者を探さないと」


「…………僕はちょっと心当たりはないなあ」


「私が探すから大丈夫よ。……あーやばい。頭痛が酷くなってきた。こんな破廉恥なことを頼むのは気が引けるのだけど……」


 ハレンチ? どきっとしてしまう。いったいなんだというのだ。サミーリアは頬を朱に染めて気まずそうに視線を逸らしている。


「あの……おんぶしてくれる?」


「クソッ! ――おんぶのどこが破廉恥なんだ? サキュバスのくせになんでそんなに初心なんだよ!」


「うるさい! らしくなくて悪かったわね! ほらさっさと背負え!」

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