「Why you should stand up for What」6
――八日目、朝――
物騒な武器や防衛設備が並ぶ門を抜ける。サミーリアのおかげか、検査や問答はまったくなく外へ出られた。
壁の外には未開の大森林が広がっている。人の手がまったく入っていない神秘の領域。ざわめく葉のむこうに奇怪な鳴き声が聞こえてくる。森と壁との間には少しばかりの平地があって、数十の矢を撃ち込まれてハリネズミのようになっている牛型魔物の死体が転がっていた。
北大陸、壁外。それはほとんど地獄と同義だ。
だが僕は悪魔なので問題はない。
問題があるのは――
「サミーリア、まだ壁からでて数歩だ。匍匐前進なんてしてたら森に着くまでで日が暮れちゃうよ」
紫髪のハーフサキュバス、サミーリアはどうやら壁外が怖いらしい。迷彩服を着こんでヘルメットまでつけている。そのくせおっぱいは昨日よりも存在感を主張している。よほど大きいパッドを仕込んできたようだ。
「あなたこそよく涼しい顔してられるわね。さすが百戦錬磨の戦士…… 雇って正解だったわ」
「どうも。まあ魔物と戦うのは初めてなんだけど」
少なくとも記憶上では。
サミーリアを無理やりに立たせ、引きずるようにして歩かせる。
「ゴーゴー! 僕が守ってあげるよボス」
「ま、まって。初めて? いまなんて言ったの?」
「……ゴーゴー!」
「まてまてまて!」
サミーリアが地面にしがみついた。
「魔物と戦うのが初めてってどういうこと? 説明しなさい!」
「いやあ、実は僕は記憶喪失でね。きっと戦ったことはあるんだろうけど、覚えてはいないんだ。まあ任せてよ」
「なによそれ! やだ! わたし帰るわ! 人選を間違えた……」
「それは……困る。契約は成立済みだよ」
嫌がるサミーリアを持ち上げて肩に担ぐ。ジタバタ暴れているが関係ない。僕は成功報酬が欲しいのだ。
「いやいやいや! 素人と一緒なんて自殺行為よ! わたしまだ死にたくない! 離せ!」
「わあ。第一魔物はっけーん」
木々の間からティラノサウルスみたいな化け物がのしのしと歩いてくる。普通のティラノと違うのは、頭が二つあるということ。右の頭と左の頭は仲良く舌を出してよだれを垂らしている。
「いやあぁー! 逃げて! 離して! あなたが代わりに死になさい!」
「ひどいボスだ。パワハラだよ?」
双頭ティラノもあの黒い獣に比べたら子犬以下だ。まったく怖くはない。ついに祈りの言葉を唱え始めて大人しくなったサミーリア。彼女の信頼を取り戻すため、かっこいいところを見せつけてやろうじゃないか。
「ボス、よく見てて」
サミーリアの体を空高く放り投げる。
「なんでー!?」
ヘルメットが外れて紫色の長い髪の毛が広がった。宙を舞うおやつに双頭ティラノの四つの目は釘付けになる。
剣を引き抜く。通りすがりの露店で買った安物だ。僕に剣を扱っていた記憶はないが、不思議と振り方が分かる。体が覚えているのだ。
殺すつもりはない。僕は動物は好きだ。そして無益な殺生は嫌い。
双頭ティラノの注意は上に逸れている。土を蹴れば体は爆発的に加速した。
風を切る音が聞こえる。巨体の下に潜り込んだ。剣の平らな面で茶色の腹を殴りつける。
「らあァッ!」
人外の膂力を叩きつけられたティラノの体がたわむ。巨体が持ち上がった。
やっぱり剣は――いらない。これは殺すためのものだ。投げ捨てて、拳を握る。つま先で踏ん張ってぎりぎりまで蓄えた力を腰のひねりで倍増させる。そして振り抜くのだ。
なかなかの手応え。
大きな体躯は大地を離れ、ボールのように飛んでいく。未知の体験に驚いたティラノはくるくると回りながらギャアギャアと喚いた。
頭から背の高い木々の中に突っ込んでいき、見えなくなる。一拍あけて大地が揺れた。
ぴったりなタイミングでサミーリアが空から降ってきた。
開いた口が塞がらない様子のサミーリアを、膝のバネを使って優しく受け止める。お姫さま抱っこだ。
決まったぜ。
「あなた……何者?」
「フッ。名乗るほどではないさ……」
腕の中で目を丸くしているサミーリアの胸はすっかり萎んでいる。布が余ってダボダボだ。どうやら投げた拍子にパッドが取れてしまったらしい。
だが僕は学んだ。指摘はしない。黙ってそっと降ろす。
「そういうのいいから。人間とは思えないんだけど」
「人間じゃないからね」
「……ああ、そうなの」
サミーリアは顎に手をあてて考え込むような仕草を見せた。そしてどのように解釈したのかしらないが、手を打って口を開く。
「深くは聞かないわ。――同じ亜人どうし仲良くしましょう」
「そうだね。これは信頼を勝ち取ったということでいいかな?」
「能力については信用してあげる。人間性と性格については――これから次第ね。次からは私を空に放り投げるなんてことしないで」
「ごめんね」
「……一応言っておくけれど、戦闘はなるべく避けるから。私の指示は絶対遵守。それから何より私を守ること。できる?」
「できますとも!」
「よろしい。まずは件の魔物を探すところからよ」
僕たちの目標は聖書原典十三章だ。
サミーリアによれば、十三章の一ページを持っていた人物がここ付近で魔物に殺されたらしい。その死体から十三章を回収するのがミッション。縄張りを持つタイプの魔物であり、魔物を見つけることが死体を見つけることにつながる。
「働き次第では追加報酬も出るわ。頑張りなさい」
「ボス! えっちなご褒美はありますか?」
サミーリアは顔を赤くして睨みつけてくる。サキュバスのくせにこの手の冗談が苦手なのか。
「あるわけないでしょ! バカなの!? ――さっさと捜索を始めるわよ」
▼△▼
――八日目、夕――
日は沈み始めた。
レナはパン屋の前に立ち尽くして通りの向こうを眺め続けている。もう一時間以上はそうしているだろうか。ユウの帰りを待っているのだ。彼は今壁の外で魔物と戦う仕事をしている。壁外で夜を越そうとするのはどんな熟練の戦士でも避ける。そろそろ帰ってくるはずだ。
帰ってこなければ……
心臓が早鐘を打つのをやめない。不安で泣き出してしまいそうになる。
早く姿を見せて欲しい。
泣き縋ってでも止めるべきかと何度も葛藤した。もしそうすればユウはこの仕事をやめてくれただろう。
「ああ……もう……」
昨日まではユウが留守にするのは昼食後の数時間だけだった。でも今日は違う。彼は朝から出ていき、夕方になってもまだ帰ってこない。記憶を失って以来はじめて一人で食事をしたのだ。味は鉛のようでひと口ふた口しか食べられなかった。
一日中そんな調子だ。
「帰ってきて……」
思いが漏れる。
そして、口に出して気づいた。自分はなぜ怠惰に待っているだけなのだろうか。ユウは命懸けで戦っているというのに、レナは家の前に立っているだけ。記憶をなくしたことを言い訳にしてユウに甘えている。
「これじゃだめだ……」
できることを見つけなければ。なんでもいい。養われるだけの人間でないと証明するのだ。それができなければ――
「小娘、そんな暗い顔で店の前に立たれると迷惑なんじゃが」
しわがれた声に顔を上げる。パン屋の女主人が店から出てきていた。杖でコツコツと石畳を叩いている。
「おばあさん…… ごめんなさい」
「ふん。なんじゃ。あの男が浮気でもしておるのか」
「……浮気じゃないです。そもそも付き合ってるわけでも、結婚してるわけでもないですし……」
口に出して悲しくなってしまった。自分はユウにとって何なのか? その答えをレナはまだ得られていない。
「ならば……戦仕事か」
「……はい」
「若い男はみなそうじゃ。恐れというものを持っていない。それは美徳ではなく、無知ゆえのもの」
「…………」
「だが、そんな男どもに惹かれてしまう若い女もみなマヌケじゃ。男も女も大人しくパンを捏ねてればいいものを」
「......そういえば昨日いただいたパン、美味しかったです。ありがとう」
「ふん。舌はまともなようじゃな」
おばあさんはしわくちゃの顔をさらに歪ませた。笑っているのか不機嫌なのかさっぱり分からない。
「お前らはどこから来たのじゃ」
「ルナリからです。ほんの数日前に」
「そうか。……何をしに来たのじゃ」
何かをするために来たのではない。敵から逃げてきたのだ。
レナはただの逃亡者だ。舞台からはすでに降りた。今は何者でもない。
「何しにきたんでしょうね。私にもわかりません。今のところご飯食べてるだけの、無職の穀潰しです」
「カッカッカ。羨ましい」
「おばあさん、私、どうしたらいいか分かんないんです。どうしたらいいですか?」
あまりに曖昧な相談。心中の疑問が口から勝手に出てきてしまっていた。
「知らんわ。自分で考えろ」
「そうですよね。ごめんなさい……」
気まずい沈黙が場を満たした。何を話せばいいのか迷っていると、汚れた服を着た子どもたちがおばあさんの足元に駆け寄ってくる。
孤児のようだった。「ようババア!」と叫んだ男の子の頭が杖で殴られる。「こんちゃ、おばあさん」と挨拶した女の子の頭も殴られる。「おねえさん!」と元気よく叫ぶ女の子の頭は――撫でられた。
「ガキども、今日もパンをたかりにきたのか。営業の邪魔だからさっさと持って消えてしまえ」
子どもたちは店の中に駆け込んでいった。おばあさんは目尻のシワを増やして眺めている。
そして口を開いた。
「幼い頃はただ食って寝るだけで幸せなのに、大人にはなりたくないもんじゃ。責任やら役割やら、重たいものばかり背負わされる。――まあその結果ガキにパンを食わせてやれるなら、それもまた運命じゃろうが……」
しわがれた声だが響きは優しい。レナはなにやら励ましてくれているようだと悟った。
「誰しも自分を見失うときはある。そういう時は、よく食べて、よく眠って、よく笑うのじゃ。無理に足掻こうとしてはいけない。いずれ答えがむこうから勝手に歩いてやってくる」
レナは難しい話を理解できなかったが、気持ちは伝わった。自分はこの世界に一人ではない。そういうことなのだ。
「そうですよね。わたし、頑張ります」
「頑張らんでいい、と伝えたつもりじゃが……. 好きにせえ」
パン屋から両手にパンを握りしめ口にまで詰め込んだ子どもたちが飛び出した。彼らは短いお礼だけを残して路地の向こうへ走っていった。
その子どもたちとすれ違うように、見慣れた人影が歩いてくる。
ユウだ。
無事でいてくれた。手の数も減っていないし、足もかじられてはいなさそう。レナの心配もしらず、観光客みたいにあたりを見回しながら呑気に歩いている。
足が勝手に駆け出していた。
ユウも気付いて、悠長に手を振っている。無理に作ろうとしなくたって、彼を見れば自然と笑顔になれる。走るの勢いのまま彼の胸の中に飛び込こもう。そうすれば不安も葛藤も忘れられるはず。
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