「Why you should stand up for What」3
――四日目、昼――
船は流れのほとんどない湖を進む。
「見えてきました。あれが湖畔の街、レマンです」
霧の向こうに現れたのは角ばった構造物の群れ。街だ。湖に接している面は魔物の脅威が薄いのか、背の低い防壁しかない。
水先案内官のニーカが聖書を開いた。
「船よ、水よ、旅路よ。我が子を守り、神の国まで届けたまえ」
船が加速する。数十人の乗客と貨物を運ぶ船は決して小さくない。それを言葉だけで動かすことができるとは、聖術とはすごいものだ。揺れに耐えかねたレナが手を繋いでくる。彼女の甘えたがり病はどんどん進行している。この先が不安だ。
「ニーカ、ありがとうね。助かったよ」
「私たちの間に言葉など不要ですよ」
ニーカはふっと笑みを作る。
「金さえあればよし」
「……悲しいよ。友だちになれたと思ったのに」
「もちろん友人です。私は北大陸の都市をぐるぐる巡っていますから、また会うこともあるでしょう。密航したいときはぜひぜひ私を頼ってください。今度はびた一文まけませんけど」
このシスター服を着たケチ女にはとても世話になった。教会の人間といってもすべてが敵というわけではないのだ。
船は港に到着した。船体が木でできた橋の側でピタリと停止する。ニーカがまず陸へ飛び移った。膨らんだポケットからジャリジャリと小銭の音が鳴る。
次は僕とレナだ。手を繋いだままジャンプ。久しぶりの揺れない大地だ。落ち着くものがある。
「ありがとう、ニーカさん」
「そなたらの旅路を神が見守ってくださいますように。――挨拶はこれでおしまいです。私は敬虔なる財布たちから喜捨を巻き上げるという使命があるので。それでは」
ニーカは離れていき、乗客を降ろしながら彼らに教会への寄進のお願いを始めた。寄進といいつつもその小銭はニーカの懐に吸い込まれていくに違いなかった。
「たくましすぎるぜ……」
「まさにお金の信奉者だね」
さて、港には関所のような場所があって、入国者はそこで審査される。でも僕らは権勢を誇る教会の船から降りてきたのだ。審査なんて形式だけで、ないのと同じである。
朝の香りが残る港を歩きだそうとして――
ゲコゲコ。カエルの声が聞こえた。ぶっとい葉巻をくわえたゲココが水面から顔だけを出している。あぶないあぶない、忘れてたぜ。
「達者でな、あんちゃん。俺は帰りの船を見つけて適当に帰るから」
「うん、見送りありがとう。ヴァイにも伝えておいて。お金も服も、何から何まで助かったって」
「気にしないでいい。あの女は金だけは持ってるからな。――もしルナリに戻ることがあれば、俺を呼びな。助けになってやるよ」
「分かった。まあ戻ることはないだろうけど……」
「それならそれでいいさ。あばよ」
ゲココはおもむろに煙を吐き出し、葉巻を投げ捨てた。そしてぶくぶく水面を泡立てながら沈んでいく。
「カエルさん、さよなら」
レナは僕の背中に半分隠れたままゲココに手を振る。この娘は最後までカエル人間と打ち解けることはなかった。他の乗客の様子から考えても、人間から遠い容姿の種族は敬遠されがちなようである。まあ当然だね。僕は自分自身が悪魔であるということもあってか、まったく気にならない。さすが異世界だなあと思うだけだ。
いよいよ僕とレナは港を離れ、縁もゆかりも無い街、レマンの市街地へと足を進めていく。
当分の目標はここで暮らしていく算段をつけること。職と住処。それが必要だ。
▼△▼
――六日目、夕――
到着から二日が経った。
仕事を終え帰ってきた僕はドアの前で深呼吸をした。
どういうわけか、この瞬間はいつも緊張してしまう。レナが何かを思い出しているのではないか。トラブルに巻き込まれているのではないか。そういう不安である。
ここは連れ込み宿。ラブホテルだ。壁の中に引きこもっている北大陸人類において旅人など滅多におらず、つまり普通の宿などないのだ。いつまでもこんな場所で寝泊まりするわけにはいかない。仕事を頑張らなくては。
ノックする。二回、一拍おいて三回、一拍おいて三回。決めておいたリズムだ。
薄い木板の向こうで人が動く気配がした。
「合言葉は?」
レナの声だ。
「……そんなの決めてないけど」
「合言葉がないと開きません。じゃあ私から。――おかえり」
これが合言葉なのだろうか。おかえりと言われれば……
「ただいま?」
「ピンポーン!」
扉が開いた。
「おかえり、ユウ。お仕事お疲れ様」
レナは手を大きく開いていた。無邪気な笑顔の下に何かを期待するような淫らな思惑を感じる。いや、考え過ぎだろうか。とにかく僕はレナを抱きしめた。ただいまのハグだ。レナもぎゅっと抱擁を返してくる。彼女はこの数日でハグにすっかり慣れた。搾りたてのミルクのような甘い女の子の匂いがする。たっぷり数十秒はそうしていただろうか。名残惜しく思いつつも離れる。
「留守番の間は何もなかった?」
「うん。何もなさ過ぎて退屈だったよ。お昼寝しちゃった」
「よかった。なら――」
「アンッ! アンッ!」
隣の部屋から女の喘ぎ声が聞こえてくる。まあしょうがない。ここは安めのラブホテルなのだから。レナの顔は真っ赤に染まった。決まりが悪そうにもじもじと体を揺らす。
「ハハハ、なんだか、あれだね……」
「キモチイイ! キモチイイ!」
耳障りな甲高い声。さすがにうるさい。それに明らかに演技だと分かる類のものだ。僕とレナは目を合わせて同時に吹き出した。
「僕たちも負けていられない。やり返さないと」
「えぇ!? そそれはいったいぜんたいどういう……」
茹でダコのようなその顔で僕の心は満たされた。
「冗談だよ。……そろそろいい時間だ。外に食べに行こうか」
「わたし、食べられちゃうの!?」
「違うって。ほら、行こう」
その手を引いて外へ。
薄い扉を二つくぐり抜ければそこはすぐに街だ。雰囲気はルナリとはずいぶん異なる。通りを歩く人はみな陽気で、日が沈み始める時間帯になれば酔っぱらいや客引きで賑やかだ。
レナは僕の腕に抱き着くようにして。ラブホテルから出てきた派手な美女に通行人の視線が集まり、レナは気まずそうに顔を伏せる。気恥ずかしさをかき消すように口を開いた。
「今日はどんなお仕事だったの?」
「えーと……日雇いの荷運びだよ」
「ふーん。大変そうだね。――私も早く仕事を見つけないと」
レナは現在のニート状態に危機感を持っている。もともと責任感の強い性格なのだ。しかし壁に囲まれた都市国家において、余所者が職を得るというのはとても難しい。ハロワもないし。それに彼女は記憶喪失のせいで精神的に不安定だ。いつ凄惨な記憶を思い出すか分からないのだ。落ち着くまでは無理をさせたくない。
「焦らないでいいよ」
「でも……」
「大丈夫だって。今のところ収支はプラスだからね。僕が一生養ってあげる」
「フフ。なにそれ。プロポーズ? お断りしまーす。もっとかっこいいセリフじゃないと」
実のところ、収支はプラスというのは嘘だ。最安価のラブホテルではあるが、財布的には痛い出費なのだ。ヴァイから貰ったお金は日毎に減じている。
「プロポーズか…… 夜空に輝く星々をかき集めて君に贈ろう。七つの月すべてをもぎ取ってみせよう。敵はすべて息絶えるだろう。君が望めば――太陽さえ手品で消してみせる」
レナはケラケラと笑い声を上げた。
「お芝居みたいだね。でもダメ。そんなものじゃ私は口説けないよ。星も月も空にあるから綺麗なのに」
「僕は悪魔だからね。これが思いつく限り最高の口説き文句だ」
「悪魔って、またわけわかんないこと言ってる。自虐のつもり? ユウは人間だよ」
「そうかな」
レナは僕が悪魔だということを理解していない。だが、理解する必要もない。僕はわざわざ権能を見せびらかすつもりはなかった。レナがどこか寂しそうに笑った。
「結婚するって……どんななんだろうね」
ある家族とすれ違う。若い夫婦、その真ん中に手を繋がれた幼児。小さな歩幅ながらしっかりとした足取りで歩いていた。
レナは目を細めてそれを見る。
「家族ってどんななんだろう」
「…………」
この少女は家族の記憶さえ失っているのだ。家庭のぬくもりがどんなものなかさえ知らない。
「いいもんだよ。帰る場所を誰かと共有するっていうのは」
「……ユウは家族はいるの?」
「ああ。両親が遠い場所にいる。もう会えないかもしれないけど……元気にやってるはずだ」
「そうなんだ。同じ空の下、繋がってるってやつだね」
僕は黙って頷いた。同じ空の下ではないのだが、本質は変わりない。重要なのはお互いを思い合う気持ちなのだ。まあしばらく連絡がないくらいでは心配さえしていないかもしれないが……
「私の家族は……いるのかな?」
「……どうだろうね」
「いつか会えるといいけど」
「きっと会えるさ」
ひねりもない励ましの言葉。貧相な語彙が恨めしく思える。僕はレナのことを何も知らない。
「そうだね。ありがとっ」
レナは屈託のない笑顔を作った。やはり彼女にしみったれた空気は似合わない。
「悲しい話はおしまい。――今日はどんなお店に連れて行ってくれるの?」
「前に行ってみたいと話していた場所さ。革新的で暴力的な食事スタイルを提供してくれるレストラン」
「革新的で暴力的? ゲリラの食堂にでも行くの?」
「この街にゲリラなんてないだろう。僕が言いたいのは――食べ放題ということだよ」
「わお!」
食べ放題。異世界でお目にかかれるとは思っていなかったぜ。この世界でまともな食事をとったのは一桁回数だ。圧倒的に足りていない。もっといろんな料理を口にしたいのに、財布がそれを許さない。
しかし食べ放題ならその悩みは解決される。
「でも高いっていってなかった?」
「心配するな。皿洗いをする準備はできている」
「いやいや、それはだめじゃない」
「冗談だって。今日は稼ぎが良かったから、ご褒美さ。スイーツでもデザートでも好きなだけ食べよう」
「わおわお!!」
船の上ではイモばかりの生活だった。この大陸では主食はイモらしいが、僕はもう飽きた。大飽食時代の生まれとして譲れないものがある。
「それも――最上コースだ」
「わおわおわお!!! ありがと! 私は今までで一番ユウと一緒で良かったと思っております!」
「それはそれで悲しいぜ……」
全ての料理を食べてみせよう。
「僕は――美食王になる」
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