「Why you should stand up for What」1

――三日目、昼――


「フンフン♪ フンフフンフンフンフン♪ フンフン♪ フンフフフン♪」


 レナの鼻歌が響く。


 僕は船べりに腰を下ろして流れゆく景色をぼうっと眺めながら、釣り糸を垂らしている。今のところ釣果はゼロ。


 結論を言えば、僕はレナのおっぱいに敗北した。魔女の街ルナリはすでに遠い。現在我々は乗り合いの船で大河を南下中である。


 船に乗り込むぎりぎりまで葛藤していたのだ。このままルナリを離れていいのだろうかと。それでもレナに「君は大量殺人を犯した怪物で、指名手配犯なんだ」と打ち明けるのには躊躇してしまった。


 結局シスター服を脱ぎ捨てて旅装に着替えるレナの谷間が魅力的すぎて、気づいたら僕は船の上にいた。


 僕は悪くない。


 おっぱいが悪い。


「釣れそう?」


「ぜんぜんダメだ」


「がんばって! このままじゃ今日の夕食もイモだけになっちゃうよ!」


「イモは飽きたからねえ」


 僕は少しだけこの世界の地理について学んだ。


 今いるのは北大陸という場所の真ん中あたり。


 この世界には人を捕食する生物がたくさんいて、そいつらはまとめて魔物とされる。この北大陸では魔物がありえないほど強いので、人は集住して壁を築きその中で引きこもるようにして暮らしている。


 まったく気づかなかったが、ルナリも壁に囲まれていたらしい。とはいっても某巨人漫画のような壁ではなく、万里の長城くらいの高さだ。その上には戦士がいつも見張りをしてくれていて、魔物が寄ってきたら数の暴力で袋叩きにする。


 壁の外は人間が暮らせる場所ではないし、歩くだけでも非常に危ない。馬車なんぞで移動すれば魔物が大喜びでつまみにくる。


 つまり防壁都市国家と防壁都市国家を結ぶ街道なんてものは無い。


 ではどのようにして交流しているのか。


 川である。


 聖書の不思議な術によって、川船による移動は比較的安全に行えるのだ。帆も櫂も必要ないし、川の流れに逆らって進むこともできる。聖術によるエンジンというわけである。


 北大陸には一本のバカでかい川があって、街はすべてその大河沿いに作られている。そんなわけで僕とレナは、ルナリから南に進む船の上で暇を持て余しているというわけ。


「お! かかった!」


 ウキが深く沈んだ。引きも強い。釣り竿がU字を描いて大きくたわむ。


 これは――大物だ!


 この世界にリールなんてものは存在しないので、竿を放り出して糸を両手で握りしめる。手の平に食い込んで痛いが、甘えたことは言ってられない。またイモだけの夕食はごめんである。


「負けるな! ホイオー!」


「ホイオー!」


 意味の不明な掛け声とともに糸を手繰り寄せていく。獲物の抵抗は驚くほど強い。人間離れした僕の腕力でここまで苦労させられるとは……


 しかし僕の方が上だ。大きな魚影は少しずつ水面に近づいてくる。


 かなり大きい。二メートル近くあるんじゃないか。


 獲物は最後の力を振り絞っているのか、水面ぎりぎりで粘りを見せている。僕は全身を使って仰け反りながら糸を引いた。


 その体が浮かび上がってくる。


 緑色の肌。人間のようなフォルム。黄色い目玉。釣り針は大きな口に引っかかっていた。


 カエル? いや、人間?


「おう、ユウのあんちゃん。悪いがミミズは――食っちまった。俺を引き上げるとはなかなかヤルじゃねえか。久々に楽しめたぜ」


 それは渋みのあるダンディな声。


「ゲココかよ!」


 脱力した僕は船べりでバランスを崩してしまった。足がもつれて――水の中へ。


 白い泡が見える。冷たい。服が水を吸って肌に張り付く。


 落っこちちゃった。最悪だよ。


 水を蹴って浮上する。船からはレナが顔を出していた。


「今助けるよ!」


 覚悟を決めたようなレナの顔。彼女は飛び上がった。美しい飛び込みのフォームだ。


 おいおい。僕は叫ぶ。


「ストップ!」


 だが遅かった。豪快な水しぶきをあげてレナは入水する。僕の場所までぜんぜん届いていないけど。


 そしてそのまま――浮かび上がってこない。


 レナは水の中、水面の少し下で苦しそうにもがいていた。しょうがないので側まで泳いで引っ張り上げる。


「ぶはあっ! ありがと! 死ぬかと思った!」


「びっくりしたぜ。泳げないって言ってたのに」


 そもそも僕はぜんぜん溺れていなかったし。ひやひやさせてくれる。どういうわけか、レナは楽しそうな笑い声をあげた。そして僕の顔に水をかけてくる。


「くらえ! 魔術、水鉄砲!」


「……手、離すよ」


「ごめんなさいもうしません!」


 一転して神妙な表情となった。反省しているのだろうか。感情がくるくる裏返って、僕はついていくだけでやっとである。


 ゲココはいつの間にか船に上がっていて、僕たちに浮き輪を投げてくれる。


「お二人さん、風邪引くぜ」


「カエルさんありがとう! とみせかけて……魔術、水手裏剣! ――ちょっと! ユウ、やめてっ、 ハハハ! やめてってば! ――――ちょちょちょっと!? そこはダメだって!」




▼△▼




 いよいよ暇になってしまった。夕食分の魚の確保はすでに成功した。ゲロロが美味しく調理してくれるとのことだ。


 スマホがないと時間の流れがこんなに緩やかなものなのか。船の上には娯楽もない。風景だって代り映えしない。僕は退屈で死んでしまいそうなのだが……レナはどうやら違うらしかった。


「見て! あの遠くに見える影、ドラゴンじゃない!? お願い事しなきゃ!」


 どうだろう。僕の想像するドラゴンとはずいぶん異なっている。大きいだけの鳥にしか思えない。だってくちばしがある。


 レナは目蓋を閉じて手を握り、願い事を口に出そうとして――


「お願い事、何にしたらいいかな……?」


「僕だったら……ドラゴン食べてみたいですとか」


「それは不敬で逆に食べられそう」


 鳥は悠然と空を旋回している。


 突然地上から緑色の触手が伸びてきてその体を絡めとった。抵抗することもできず、鳥は木々の中へ墜ちていく。なんだあの触手は。数百メートルは伸びたぞ。……北大陸の魔物が強すぎるというのは本当らしい。


「ドラゴン……」


 レナが悲しそうに手を合わせた。


「……ドラゴンじゃないんじゃない?」


「ええ、あれは川賊ピジョン」


 澄んだ声が疑問に答えてくれる。


「生態系の底辺ですが、さらに底辺に位置する我々人間の船を襲うこともある厄介な魔物です。死んでくれて良かった」


 声の主はシスター服を着た桃色の髪の若い女性。船を聖術で操り、魔物を退け、僕らを次の街まで連れて行ってくれる水先案内官、ニーカである。


「お二人とも、お暇なようですね。よかったら私のありがたーい説法を聞きませんか? ――今なら特別割引中です」


「金をとる説法なんていやだよ……」


 なんてがめついシスターなんだ。これだから教会の人間は。


「お値段に見合う価値を提供すると約束しましょう。隠された教会の秘奥義の一端を教えちゃうかも……」


「悪いけど、お金はそんなに持っていないんだ。無駄遣いはできない」


 言い終わりさえする前に、ニーカは胡散臭い揉み手をやめ作り物の笑顔も崩していた。


「哀れな子羊よ…… そなたに神の恵みあれ……」


 ニーカは別の乗客へセールストーク爆撃を仕掛けるべく僕らに背中を向け、――すぐに踵を返して戻ってきた。


「そういえば先ほど魚を釣り上げていましたね? 現金至上主義の私は硬貨以外での支払いを受け付けていないのですが、今夜お魚を分けていただければ、と・く・べ・つ・に無料とさせていただきましょう」


 ニーカのお腹がグーグーと鳴る。恥ずかしそうに顔を赤くした。


「今のは聞かなかったことに。……いかがですか?」


 レナは僕を見てしきりに首を縦に振っている。その目の輝きから推測するに、この娘はどうやら「教会の秘奥義」への好奇心が抑えられないらしい。


「まあいいけど。ニーカには恩もあるし」


「すばらしい! お二人は天国行き確定です!」


「やったあ! 天国行ってみたかったんだよね!」


 二人の会話に頭が痛くなりそうだ。


 ニーカに受けた恩というのは、この船に乗せてもらったことである。


 この船は教会のもの。ニーカも教会の人間。乗客は出港の数日前には教会を訪ねて予約しなければいけない。都市国家間の輸送業は教会のほぼ独占状態。指名手配犯であるレナは本来この船に乗ることも、街を出ることもできなかったのだ。


 しかし、当日の朝に押しかけた僕とレナを歓迎してくれたのがこのニーカである。もちろん相応の金銭を払うことになったが、最初の金額からはかなりまけてくれた。恩は恩に変わりない。


 お金さえくれればあなた方の素性なんて気にしませんとも! そうのたまうニーカの笑顔を忘れることはないだろう。


「それではさっそく、そうですね。お悩みごとはありますか? 期待の大型新人水先案内官ニーカ・ヴェルスがズバリ解消してあげましょう」


「はい!」


 レナが元気よく手を挙げた。


「実は毎晩怖い夢を見るんです。どうしたらいいのでしょうか?」


「怖い夢? それは具体的にどのような?」


「私が大きな獣になる夢です」


 大きな獣。肌がぞわりと粟立つ。


 黒い毛並み、獅子の口、3本の角。塔を破壊し騎士たちを蹂躙したあの獣の威容が鮮明に蘇ってきた。


「獣になって、人を食べたり踏み潰したりして、建物も壊して、いつの間にか人間に戻る。そんな夢なんですけど、毎晩続くと気味が悪くて」


 くそっ――最悪だ。


 記憶を失ったことによる唯一の良い点が、凄惨な殺戮を覚えていないことなのに。家族や友人との思い出は全て消え去ったくせに、忘れたいような過去だけが夢に出てくるなんて不条理がすぎる。


「怖くなって目が覚めちゃうときもあるんです。どうしたらいいですか?」


「ふむふむ。それは――貧しいことが原因ですね。この世の悩みの全てはお金が解決してくれます。神は言いました、『私は大地と海と空の前にお金を創った』と」


「……それほんとですか?」


「ほほほ本当ですよ! シスターが嘘をつくわけないでしょう! 私は聖書全十二章を一言一句漏れなく暗記しているのです。昇級試験でカンニングなんかも――してませんよ!」


「私何にも言ってないんだけど……」


「ゴホン! それではお金と悪夢についての説法を始めます。心して聞いてください」


 ニーカは得意げに話を始めたが、僕はそのほとんどを聞いていなかった。頭はレナの夢の件でいっぱいだ。


 船の上での生活は今日で三日目。レナとの旅は何の問題もなく進行している。少なくとも表面上は。今のレナは無邪気で人懐っこい年相応の女の子だ。しかしその精神には薄氷の上を歩くような危うさが付き纏う。


 僕は崩壊を避けなければいけない。


 なんとしてでも。

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