「Who am I」14
静電気のような、嫌な予感が首筋に走った。
「……レナが呼んでる」
「? どうしました?」
「行かないと」
悪魔的直感が僕に囁いてくる。急げ、急げと。主人に危機が迫っていると。僕は立ち上がった。大聖堂へ歩く。レナはすぐそこだ。あの仰々しくてバカらしい形をした建物の中。
「お待ちください! 悪魔殿!」
「いやだ。待たない」
穢れなき純白の扉が阻む。
そっと触れた。
「朽ちよ」
肌に突如浮かび上がった黒い蜘蛛たちは主人の焦りを反省したように素早く動き、継ぎ目もない巨大な石の扉をサラサラと砂に変えていく。
これだからレナを一人にするのは反対だったんだ。もう彼女に無条件で従うのはやめよう。なんていうか……早すぎる。トラブルに巻き込まれるにしたってもう少し猶予があっていいだろう。
レナが「問題ない」なんて言い放ってから十分も経っていないんじゃないか。即落ち二コマかよ。
「はあ……」
砂の山を踏み越えて大聖堂の中へ。赤い絨毯が丁寧にも僕を導いてくれる。
ルナリ大聖堂。天井の模様にいたるまで、全てが完成されていた。平時であれば僕だって鑑賞してそれらしい唸り声をあげているところだが、今はそれどころではない。
静かな通路に僕の大きな足音が響く。
祈りの間は入り口からすぐそこだった。見上げるほど巨大な石像がある。双頭の神様だ。荒々しい鬼のような頭部と優しい聖母のような頭部を持っている。 そのどちらもが僕を厳しく見下ろしているように感じた。どうやら歓迎はしてくれないらしい。
僧侶たちがざわついて僕に誰何の声を投げかけた。
「何者であるか?」
「僕は悪魔だ。レナはどこにいる?」
「……何を言っている?」
「……鼻が曲がりそうな匂いだ。どれだけお香を焚いても隠しきれていない」
彼らにも一応忠告をしておこう。
「ここは戦場になる。死にたくなければ逃げることをおすすめするよ」
一人が呟いた。「この男は……」。顔を見合わせた彼らの表情は強張りついた。鬼でもいたかのような怯えようだ。
「逃げなさい!」
追いついてきたグレゴリウスの声が反響した。僧侶たちは弾けるように駆け出していく。神像に睨まれながら足元を通り過ぎ、脇にある小部屋へ。そこがこの忌々しい匂いの根源だ。
扉を開けば――
レナは床に倒れていた。
美しい素顔が晒されている。スカーフと聖書は隣に落ち、その目蓋は閉じられていた。
「レナ……」
視野が狭くなって、倒れ伏せるレナ以外が見えなくなった。全身の毛が総立ちになる。血が沸き立つのを感じた。
怒りだ。
「君がレナをこうしたのか?」
部屋には女が一人いた。偉そうな服装と傲慢な顔つきの女だ。気に入らない。女の顔が激しく歪む。
「悪魔め……」
「君がやったのかと聞いているんだ」
「…………」
女は青い顔をして黙っている。返事がないということは肯定ということでいいのだろうか。
レナを抱き上げる。軽くて細い。僕の腕の中で辛そうに呻いた。
「死んではいないみたいだけど......」
それはそうだ。レナが死ねばあの獣が現れるのだから。
「目を離すとすぐこんなことになってしまう。手のかかる主だ」
レナは落ち着いているようにみえて、性善説を信じる考え無しの脳筋だ。さらに頭の中はお花畑。僕が守らなくてはいけない。
「……それで、誰が代償を払ってくれるの?」
公平な滅びをもたらせ。それが悪魔。
「悪魔殿! 怒りをお鎮めください!」
荒い息のグレゴリウスが部屋に駆け込んでくる。
「僕は冷静だ…… 怒ってなどいないッ!」
ついつい声が大きくなってしまう。女が怯んで壁に背中をぶつけた。
「レナに何をしたんだ!? さっさと答えろ! さもなくば死ね!」
死の命令が空気を震わせる。
飾られていた水晶玉が落下してコロコロ部屋の隅へ逃げていく。端っこで丸まっていた蛇が脱力し、天井に腹をさらすように転がった。息絶えたのだ。命が一つ消えたことによって僕は若干の落ち着きを取り戻した。
レナと僕との精神的つながりはまだ消えていない。契約は有効だ。つまり、レナは生きている。
女はますます怯えて尻もちをつく。グレゴリウスが庇うようにその隣に寄り添った。
「彼女は眠っているだけです。......怪我もしていない。そうでしょう?」
レナの寝顔に目を落とす。神秘的な輝きを宿す銀髪とふっくらとした頬。天使のように可愛らしい。眠っているだけ。本当にそうだろうか。
「人間の価値は平等ではない。この娘は君たちよりはるかに尊い存在だ。薄汚れた坊主なんかが触れていいわけがない」
「おっしゃる通りです」
「……グレゴリウス、君との友情に免じて命は見逃そうじゃないか」
レナにも言いつけられている。殺しはなしだ。僕は怒られたくない。だが少しお灸をすえてやる必要もあるだろう。
「寛大なるお言葉に拝謝申し上げます」
「ただし……どちらか一方のみだ。君たち二人のどちらかが生き、どちらかが死ね。それで許そう」
最初の威勢を失っている女は小さく悲鳴を漏らす。グレゴリウスは気味の悪い笑みを貼り付けた。
「なんとお優しい……悪魔殿」
次の瞬間には、グレゴリウスは自分の胸にナイフを突き立てていた。いったいどこに刃物を隠し持っていたのやら。僧侶のくせに油断できない。
「……脅しのつもりだったんだけど、躊躇なく実行するとはなかなかの精神力だ。」
「……あなた様に殺されるのであれば本望でございます……」
グレゴリウスは血を吐き出しながら喋る。瞳の中の薄暗い光は相変わらず僕に向けられていた。なぜこの男はこんなにも僕に心酔しているのか。まったく、異世界はファンタジーだ。
「君、癒してあげなさい。それくらいできるだろう。仮にもレナと同じ服を着ているんだ」
女は顎をかくかくと動かして、しかし言葉は口から出てこず実際に行動もしない。
「……僕は帰るから。またね」
あの二人などどうでもいい。重要なのはレナだけだ。脱力しきった体を抱えたまま部屋を出て、大聖堂の出口へ向かう。
巨大な神像はやはり僕を睨みつけていた。背中を向けたあとも突き刺さる視線を感じる。
傷が疼く。
<この世界はくそったれ>
<この世界はくそったれ>
<この世界はくそったれ>
忠言でもなんでもないその文字列に、僕は大いに同意できる。この世界はくそったれだ。善人が苦しみ悪人が栄えている。それではだめだ。全員が苦しむか、全員が栄えるか。そうでなくてはいけない。
「ああ、かわいそうな僕のレナ......」
レナは赤子のように眠っている。
「目を覚ましてくれ......」
朽ち果てた大聖堂の扉を越えると、そこには教会騎士がきれいに整列を作っていた。数え切れないほどの人数だ。テラテラと光る鎧はまるでアリの大群のようにも見える。
「めんどくさすぎる......」
兜に大きな羽根をつけた騎士が乗馬したまま寄ってきて、十歩の間合いから叫んだ。
「投降しろ! その女を引き渡せ!」
会話する気も起きない。
「姿を現せ、アミー」
指をぱちんと鳴らせば、地面から巨大な腕がにょきにょきと生えてくる。それは昨夜も現れた巨人の腕だ。薄水色にして半透明。それでいて実体を持つ。騎士たちが喚いているが、全て耳から耳へ通り抜けていく。彼らの言葉に興味はない。
巨人の顕現は腕だけではおさまらなかった。それはまるで海から巨大怪人が浮かび上がってくるようだ。のっぺらぼうな顔、マネキンのように特徴のない体つき。大聖堂よりも二回りほど大きい、幻想の巨人。
僕に力を貸してくれる不思議な存在。巨人が人差し指を伸ばし、僕の頭の上に乗っける。指先ですら僕よりも大きい。そして指の腹で僕の頭を擦った。ちょっと重くて痛い。
「……ナデナデしてくれてるの?」
巨人は何度も頷く。
「……見かけによらず可愛げがあるね」
アミー。この巨人に名があることも今知った。悪魔の権能は奥が深い。
「この邪魔な人たちを吹き飛ばしてくれ、と言いたいところだけど、殺しはNGなので……」
驚かせるだけでとどめておこう。
「あのうざったいドームを壊してしまえ」
アミーが天高く拳を振り上げた。硬く握られた拳骨が太陽と重なり、そして振り下ろされる。鉄槌がドームに突き立ち、そしてたやすく砕けた。
轟音が響く。大地が揺れた。
レナが驚いたように体を震わせる。
「ごめんよ」
その細い体をもう一度抱え直す。万が一にも落とすわけにはいかない。
大聖堂は崩壊していく。砂埃が舞い上がり、白く美しいドーム状の屋根は開放的な吹き抜けに変わった。屋根だけでなく壁や柱も連鎖的に崩れ始めている。アミーは満足げに腕を組んでそれを鑑賞していた。
開いた隙間から神の像がこちらを見ている。目が合った、ような気がする。
騎士たちは唖然としていたり、逃げ出したり。まあどうでもいい。
「すっきりしたぜ」
初めて見た時から忌々しい建物だと思っていたんだ。壊せてよかった。レナに怒られないか心配だけど……わけを話せば分かってくれるだろ。
パラパラと破片が降る大聖堂の中を、二人の人影が走り抜けてくる。運良く生きていたらしい。……もちろん殺すつもりはなかったけど。
「帰ろう。レナを寝かせられる場所に運ばなきゃ」
アミーは最後に豪快なピースサインを残して霞のごとく薄くなり見えなくなった。
騎士たちの前を歩き、横を歩いても止められることはない。大聖堂が崩れていく音だけが聞こえて、あとは静かだ。
▼△▼
鉄の門を蹴り開けて気付く。
屋敷への帰り道を覚えていない。行きは何も考えずにレナについて行くだけだったのだ。
「どうしよう……」
また空き家を探すか。ただ白昼堂々空き巣するのは難度が高い。
とりあえず大通りに足を踏み出す。
街はかなりの騒ぎになっているようだった。まあ巨人が現れて目立つ建物を殴り壊したのだから当然だ。でも僕の仕業だと人々は気づいていない。空を見上げているままの群衆を縫うようにして石畳の上を歩く。
「どっちだったか……」
どこかからゲコゲコという鳴き声が聞こえた。何度か聞いたことのある音だ。
周囲を見回す。
ゲコゲコ。ゲコゲコ。
いた。
細い路地の隙間にカエル人間が隠れるように立っている。そいつは太い葉巻を咥えていた。
僕はカエル人間の個体を見分けることができないが……きっとケロロちゃんに違いない。モンタドール治療院に住むカエルだ。
「ケロロちゃん。実は迷子でさ、屋敷まで案内してくれない?」
「ゲコゲコ」
「……人の言葉は喋れないの?」
「ゲコゲコ」
ケロロちゃんはついてこいとでも言わんばかりに僕に背中を向け、立ち止まり、振り返り、葉巻をふかす。いちいち仕草がダンディだ。
「俺についてきな、ニンゲン。それから俺はケロロちゃんじゃねえ。弟のゲココだ。そこんとこ……頼むぜ」
「喋れるじゃん」
その声は低くて渋くてかっこいい。
「カエルにはもったいない良い声だね」
「差別的だな。口のきき方に気を付けないと痛い目をみることになるぜ」
「ごめんなさい」
ゲココに先導されてモンテドール治療院までの道をたどる。レナはまだ目を覚まそうとしない。
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