「Who am I」12

 僕は散歩が好きだ。日本でもよく散歩はしていたが、異世界となるとさらに楽しい。目につくもの全てに興味が湧く。さらにはレナというガイドもいるのだ。街全体がどんよりとした空気に包まれているのだけ残念だが……


「ねえ見て、謎のお守りを買ってみたんだ」


 僕はレナに手の中の腕飾りを見せた。黒色の小さな骨と茶色い毛を組み合わせた民族的で呪術的な代物だ。僕のほぼ全財産を引き換えに購入した。


「どんな効果があるんだろう? 露天商は『口にもできない凄い呪いが込められている』って言っていたんだけど……」


「……少し目を離したと思ったらこんなものを…… 呪いの道具なわけないでしょう。子供向けのおもちゃですよ」


「そうなの? 異世界なのに魔術が溢れていないなんて……おかしいよ!」


 異世界ならば謎と幻想と美少女で構成されるべきだ。僕も魔術を使えるようになりたい。


「……行きますよ」


 レナが僕の手を引いて歩き出した。活発な子どもがそうされるように、レナに連れて行かれる。


「……こっそり恋人繋ぎにするの、やめてください」


「いいだろ別に。こっちの方が好きなんだ」


「…………」


 教会区域の大聖堂はもう近い。絢爛さと厳粛さを両立した白いドームが眩しく陽光を反射する。それはおそらくこの街で最も背の高い建築物だ。


 しかし……一歩近づくたびになんとなく嫌な感じがするのだ。僕が悪魔だからだろうか。我慢できないほどではないので、そのまま進み続ける。


「あ……」


「……どうしました?」


「ネコミミの女の子がいた……」


 触ってみたい。


 つんと上を向いた灰色の猫耳がぴこぴこ動いた。顔は見えないが、後ろ姿からして美少女に決まっている。僕の体はふらふらと吸い寄せられていく。


「見ていてくれ。口説いてみせるから」


「ユウ!」


 レナに強く手を引かれて、猫耳の引力は消失した。揺れる尻尾と共にネコミミ少女は遠ざかっていく。


「ふざけないでください」


「ごめんよ」


「これ以上遊ぶのなら……私一人で行ってきます」


「ごめんね。もうよそ見もしないし、レナから離れない」


 黒い布の間にちらつく瞳は呆れやら怒りやらを映していた。しかしその感情はすぐに消えて、透き通る美しい眼差しに戻る。


「……遊び心のない人間でごめんなさい」


「なんで君が謝るのさ」


「…………」


 よく分からない女の子だ。綺麗すぎる心根が罪悪感で塗り潰されて、おかしくなってるんじゃないか。僕たちは恋人繋ぎのまま教会への大通りを進む。


「レナって趣味とかあるの?」


「……急にどうしたんですか?」


「気になっただけだよ。暇なときは何してるのかなって」


「……趣味はありません。時間に余裕があるときは聖書を読んでいます」


「聖書を読むのって楽しいの?」


「楽しいわけではありませんが、何度読んでも学びがあります。聖術の腕も上がりますし……」


「そうなんだ。なら今度僕と一緒に読んでよ」


 レナが驚いて僕を見た。


「本気ですか?」


「うん。僕は読書は好きだよ」


「……いいでしょう。聖書は純粋な読み物としても面白いですから。おもしろおかしく話し聞かせるのも僧侶として必要な能力ですし」


 聖書なんて読みたいとはまったく思わないが、僕は博愛を旨としている。食わず嫌いは良くない。試してみようじゃないか。


「もう着きます。おしゃべりは終わりましょう」


 視線の先、大きな鉄の門がある。


 その向こうには白銀のドームを戴く大聖堂をはじめとする教会の立派な建物が並んでいた。なんだかテーマパークみたいだ。門の前には見張りがいて、昨夜あの塔に押しかけてきた騎士たちとおなじ恰好をしていた。


「いやな匂いだ……」


 焚かれた香の甘い匂いが鼻をつく。僕は顔をしかめながら門番へ近づいた。




▼△▼




 兜だけを外している門番の騎士はめんどくさそうに眉を寄せた。


「貴様ら、何の用だ」


 相変わらず偉そうな連中だ。


「……『あなたがた様、いかなる御用でしょうか』、くらい言えないの?」


「ユウは静かにしていてください。――私は巡礼の癒し手。魔女を見つけたいと思っています。何か情報をお持ちではありませんか?」


「野良の修道女とチンピラに教えられることはない」


「どんなことでもいいのです」


「帰れ」


 門番が腕を組む。腰に吊られた剣がカチャリと揺れた。


 僕はレナの耳に囁く。


「僕が半殺しにしようか? それでレナが癒すんだ。そしたら涙ながらに感謝して何でも教えてくれるに違いない」


「だめです」


 残念。いい作戦だと思ったのだが。


 レナは懐から聖書を取り出し、ページを開いた。


「おい、何をするつもりだ」


「精霊があなたを守りますように。太陽があなたを照らしますように。星の光があなたを導きますように。主があなたを祝福する」


 力のある言葉だ。レナの唇から滔々と流れ出る祈りの言葉は確かな光となって門番の体を包む。


「こ、これは…… なんて祝福だ……」


 門番は呆然としていた。レナは凄いことをしたらしい。光はしばし瞬いたあとにゆっくりと消えた。


「お願いします。私は魔女を探し出さなければいけないのです」


「しかし、私の口から言えることは何もありません……」


 門番はうって変わって丁寧な調子でレナに応える。僕は痛めつける以外の口を割らせる方法を思いつかなかったが、レナはそうではないらしい。なかなかやるじゃないか。


「これほどの癒し手様を門前払いにするわけにはいかないのですが…… ただ今ルナリ教会は緊急時体制となっておりまして、部外者をそう容易く入れるわけには……」


「なんだよ。あんな凄い聖術を受けておいて、タダで済ませようっテのかい? アァン?」


「その変な口調はやめてください」


 門番の額に青筋が立つ。レナに敬意を抱いても、隣にいる僕に対してはそうではないらしい。でも僕も不快な思いをさせられたので、これでおあいこだ。


「通しなさい!」


 門の向こうから声がした。よく通る男の声だ。


「グレゴリウス卿!?」


 門番が膝を屈して頭を下げる。


 姿を現したのは黒衣に身を包んだ中年の痩せた男だった。落ち窪んだ目玉がぎょろりとして不健康そうな印象が強い。


「彼らは私の客です」


 レナと目が合う。彼女も首を横に振っていた。知り合いではないらしい。


「かしこまりました。……非礼をお詫びいたします」


 門番は僕らにも恭しく頭を下げ、それから慣れた手つきで重々しい門扉を開いた。


「どうぞ。中へ、ついてきてください」


 グレゴリウスは僕を食い入るように見つめていた。なんか怖い。


 ともかく彼の背中について歩き始める。教会の敷地内にはゴミの一つもなく、庭では美しい花々が咲き誇っている。


「本日はどのようなご用件で?」


「魔女についてお伺いしたいのです」


「ああ、なるほど」


 品定めするように、グレゴリウスが僕とレナを足元から頭まで観察していく。


「であれば、教区長とお会いするのがいいでしょう」


「教区長って一番偉い人じゃないの?」


「その通りでございます。お二人だけの特別扱いですよ」


 よしよし。理由は不明だがVIP待遇で迎えられたらしい。レナが聖術の腕前を見せつけたからだろうか。


「教区長は大聖堂内にいらっしゃいます。今すぐ行けばお会いできるでしょう」


「話が早いね」


「それだけが取り柄でございます。ただし……大聖堂内は神聖なる空間にして、俗人は立ち入りを禁止されています」


 俗人? それは僕のことだろうか。


「レナ一人で行けってこと?」


「おっしゃる通りです」


 グレゴリウスは仰々しく頷いて肯定の意を示した。


「その間、貴殿のお話し相手は私が務めさせていただければと」


「君が僕と? うーん」


 レナは指名手配されているのだ。敵地のど真ん中で一人にさせることはできない。


「いやだ。僕はレナから離れない」


 しかしレナは首を振った。


「私は一人でも問題ありません。ユウはここで待っていてください。――従ってくれますね?」


 真紅の瞳が僕を貫く。説得するための言葉が浮かんでは泡のように弾けていく。


「……分かったよ。いってらっしゃい」


 とても心配だけど。だがご主人様が言うのであれば仕方がない。


「彼女を通せ! 教区長の客人だ!」


 グレゴリウスが叫んだ。


 修道服を着込んだ男女がやってきてレナを先導し、彼らは敷地内で最も豪壮な建造物の中に入っていく。


 僕と怪しいおっさんはその入り口前で二人きりになった。


「それで君が僕に大道芸でも見せてくれるってわけ?」


 僕は道の脇にあったベンチに腰を下ろした。グレゴリウスもその横に座る。


「いいえ、私めにそのようなことはできません。ただ口を動かすことのみでございます」


「そうなんだ。……どういう理由で僕たちをこんなスムーズに通してくれたの? 正直言ってすごく怪しいんだけど」


 グレゴリウスが乾いた下唇をぺろりと舐める。


「それは私めがあなた様のファンだからでございます」


「ファン? 僕のファンなの? 一目惚れってこと?」


「ええ、まさしく。私めは神学と同じくらいの悪魔学にも通じておりまして、一目でかの悪魔であると悟りました。大ファンである私めを誤魔化せるはずもあらず」


 なんだこいつ。僕の何を知っているというんだ。初対面のくせに。


「……サインでも書いてあげようか」


「いえ、サインなどよりも、あのお言葉をいただければ」


「あの言葉? なんのこと?」


「名乗りでございます。悪魔としての勇壮なる名乗り」


 よく分かんないな。口に手を当てて咳払いをする。


「我は断罪の悪魔。汝を裁くものなり!」


 こんな感じでどうだろうか。


 グレゴリウスに目をやれば、彼は白目を剥いて恍惚とした笑みを浮かべている。


「……怖いよ」


「最高でした。まさに落雷に打たれたような快感……」


 グレゴリウスは口の端から垂れたよだれを拭った。


「あなた様こそ、この世界の主人公でございます。異界から来たりし悪魔が人との愛を育む恋愛劇でありながら、危機を打ち払う冒険活劇でもある。さまざまな人生を覗いてきましたが――あなた様のは格別だった」


 グレゴリウスは空を見上げる。まだ青い空だ。雲がちぎれちぎれに飛んでいる。


「私めは星読みの術も修めているのです……  これから先も苦難が待ち受けているでしょう。しかしその全てを超えていく。あるいは朽ち果てたとしても――ふさわしいでしょう」


「星なんて見えないけど」


「私には見えます。青い天蓋の向こうで輝く時を待ち侘びている星々の形を」


 その目は僕を見ているようで僕を見ていない。


 まじで狂ってるだろ。会話ができないよ。

 

 レナ、早く戻ってきてくれ。

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