「Who am I」10
「昼食です。起きてください」
うーん。まだ眠い。僕はよく眠るタイプだ。寝入りも悪いし、朝にも弱い。二度寝できる日なら二度寝したい。そして異世界に二度寝してはいけない日なんてない。そうだろ?
「もう少し寝る」
「でも……冷めてしまいます」
うるさいな。声を無視してレナの女性らしい体に抱きついたまま再び夢の世界へ旅立とうとして――
レナが腕の中にいない。
いつの間にか抜け出していたらしい。寝ぼけ眼のままレナを布団の中に引きずり込む。今度のレナはずっと小さくて体温も高く、すっぽりと収まるサイズ感だ。
「ひゃあ!」
「あれ?」
目を擦る。これは……レナじゃない。
シーツをばさりと取り払った。紅のショートヘアを丁寧に編み込んだメイド服の少女と目が合う。
「お客人さま…… ロリコンさんなのですか?」
「違います」
思考が覚醒していく。あらぬ誤解を解かなければいけない。少女を抱く腕を離し、乱れた服と髪を整えてあげる。証拠は――隠滅だ。
「ごめんよ。間違えちゃった」
メイド少女はわたわたとベッドから降り、背筋を伸ばしてしゃんと立った。
「やり直します。――お客人さま、昼食の用意ができました。よろしければ1階へいらっしゃってくららい」
「うん」
「噛んだのでもう一度言います。お客人さま、昼食の用意ができままま!」
「できままま?」
メイド少女は眉頭を上げて少し悲しそうだ。
「かみました……でございます」
「大丈夫だよ。要件はよく伝わったから。それで君はこの屋敷のメイドさん?」
「そうでございます」
少し舌っ足らずな少女は美しく(おそらく礼儀作法に則った)丁寧な礼を見せてくれた。
「メイド長のクレタでございます」
「メイド長なんてすごいね」
「メイドは私しかいないので」
「それは大変だねえ。昼食も君が作ったの?」
クレタはこくりと頷いた。
「まだ練習中ですが」
「それは美味しそうだ。すぐに行かなきゃ」
僕は食事が好きだ。美味しいものを食べるために生きていると言っても過言ではない。異世界の料理には非常に興味がそそられる。
「食事の場所まで連れて行ってくれる?」
「かしこまりました。ただ……」
クレタは上目遣いのまま言葉を詰まらせた。
「あの……一緒にお兄ちゃんを呼びに行ってくれませんか?」
「お兄ちゃん?」
「キケロお兄ちゃんです」
キケロ。それは抜魂病で記憶を失った青年の名前だ。彼はたしか薬師ヴァイの弟だったはず。クレタの可愛らしい顔を眺めてみれば、ヴァイともキケロともどこか似ているように思えるし、髪色はそっくりだ。
「三兄弟なの?」
「そうでございます。――お兄ちゃんが記憶を失ってからまだ話していないので、私は怖いのです」
「そうか。ならついていこうじゃないか」
ベッドを降りて伸びをする。窓の外の様子を覗けば太陽は昇りきっている。この世界でも朝昼夜と時間が巡っていくようでよかったぜ。
眠気を飛ばすべく伸びをする。
そのとき、館中に叫び声が響き渡った。
「もういやだアアァァァァァァ!!!」
クレタの不健康的に白い顔がさっと青ざめる。
「キケロお兄ちゃん、また叫んでる…… お客人さま、ごめんなさいなのですが、一緒に来てくれますか?」
▼△▼
古めかしい木目調の扉。
「ここがクレタお兄ちゃんのお部屋です」
中から物音はしない。もちろん叫び声も。まさか死んでいるのだろうか......
「おーい! キケロ! 大丈夫かい?」
呼びかけにも返事はない。クレタは落ち着かずに僕の周りをパタパタ駆けている。
「……入ってみようか」
「そうしましょう!」
ドアノブを掴み、扉を押す。
開かない。手前に引く。開かない引き戸だろうか? 開かない。
焦れったくなった僕は扉をガンガン激しく叩いた。
「キケロ! 大丈夫? 返事がないなら扉をぶっ壊すよ! 5、4......」
拳を握る。
「待ってくれ!」
キケロの声が聞こえた。
だが――もう遅い。
「3!」
気合を声とともに吐き出しながら腕を振り抜いた。木が砕ける乾いた音が鳴って、扉は木枠を外れて部屋内に弾け飛ぶ。
「イタイ!」
キケロは仰向けで情けなく転がっていた。外傷はなさそう。その周囲には机やら棚やらが散らばっている。どうやらこれでバリゲードを作っていたらしい。
「キケロ、大丈夫?」
「開けるつもりだったのに……」
「ごめんね。途中で待てなくなっちゃった」
「ああ、だが、あんたは人間だな……」
キケロは涙と鼻水で顔をぐちょぐちょにしていた。どこかヴァイとクレタに似た面影がある。
「俺を助けてくれ! この屋敷から連れ出してほしい!」
必死の形相で僕の膝にすがりつく。
「喋るカエルが――毒を飲ませてくるんだ! 口移しで!」
「それは災難だったね…… でもここは君の家だろう」
「それはそうかもしれないが、ここはおかしい! 怪しすぎる薬師に怪しすぎるカエル、俺の記憶喪失だってあの薬師の人体実験が原因じゃないのか?」
うーん、そう思うのも無理はない。だってヴァイは見るからに魔女っぽいし。僕の後ろに隠れていたクレタが顔を出して口を開いた。弱々しい声だ。
「お兄ちゃん…… そんなこと言わないで…… お姉ちゃんは頑張って病気を解決しようとしてるの……」
「え? お兄ちゃん? お姉ちゃん?」
キケロはまじまじと妹の顔を見つめた。
「君は僕の妹なのか?」
「そうだよ。……覚えてない?」
「…………」
「そうだよね。覚えてないよね」
「……ごめん」
クレタの小さな手が僕のシャツの裾をぎゅっと握りこむ。
「しょうがないよ…… そういう病気だもん……」
僕は努めて明るい声で、場の空気を変えようと試みた。
「まあきっと二人のお姉ちゃん――ヴァイが治療法を見つけてくれるさ。どうしようもないことで暗くなるよりも、目の前のことを楽しもうぜ。――ほら、クレタ、もともとの用事を思い出して」
「はい。お兄ちゃん、昼食の準備ができたました」
「昼食? ああ、行こ――」
そこでキケロの顔が痛烈に歪み。
そして這うようにベッドに向かい倒れ込む。クレタが駆け寄って背中を擦った。
「だいじょうぶ!?」
「心配ない…… 毒を飲まされてから腹が痛くなるんだ…… オエエッ…… 昼食はいらない……」
「分かった…… 残念だけど……」
そう呟くクレタは笑顔で取り繕っているが、寂しさを隠しきれていない。
「お客人さま、行きましょうか」
僕らはキケロを残して階下へ。
▼△▼
「いやあ、美味しかった。最高だったよ、クレタ」
僕の前には一滴一欠片の食べ残しもない綺麗なお皿が並んでいる。
「このグルメな僕の舌を唸らせるとは......誇っていい」
「ありがとうございます」
クレタはぺこりと頭を下げた。お世辞ではなく本当に美味しかった。
無駄に広い食卓を囲んでいるのは僕とレナだけ。クレタは側で立って控えている。キケロは部屋で寝込んでいて、ヴァイはどうやら忙しいらしい。レナは食事前に屋敷にいる病人に右端から左端まで聖術をかけていくという苦行をしていたとのこと。よくやるぜ。
僕は自分の前にある料理はすべて平らげたのだが、それでも食卓の上にはまだまだ手のつけられていないものが残っている。
「何度も言うけど、クレタも食べなよ」
「私はメイドなので……」
「気にしなくていいって」
僕は犬と一緒だって構わない。メイド服のけなげな女の子ならなおさらだ。
「どうせ残りを食べるんでしょ? なら今食べたらいい。そしてさらにその残りを――僕が食べよう」
「分かりままま」
レナが眉を持ち上げて目を見開いた。
「まだ食べるんですか? すごい勢いでかきこんでましたけど」
「うん。お腹いっぱいで大満足だけど、まだまだ入るね」
クレタは僕の横に座ってまだ温かい料理に手を伸ばした。
どの料理も一つ一つ丁寧に作られている。これらが冷めていくのは作り手としては悲しいだろう。そして食を愛するいち消費者である僕も悲しい。
「お客人さまはお優しい人です。最初にベッドの中に引きずり込まれた時はロリコンさんかと思いましたけど.……」
レナがゲホゲホと咳き込んだ。
「ユウ!?」
「待って、誤解だよ。――クレタも余計なことは言わなくていい」
責めるような視線が痛い。
「私があなたの相手をしなかったばっかりに…… クレタちゃん、ごめんなさい……」
「誤解だって。何もしてない。僕をなんだと思ってるんだ。ねえ、クレタ?」
クレタは無邪気に笑った。
「はい。お尻を撫でられただけで、何もされていません」
「ユウ! 見境なくお尻を撫でるのはやめるべきです。犯罪ですからね」
「レナと勘違いしてたんだよ! ちょっと抱きしめただけだ! 信じてくれ! ――なあクレタ?」
「お客人さまはすぐに離してくれました」
「ほらね」
それでもレナのジト目は終わらない。積み上げた信用が崩れていくのを感じる……
僕は少し無理やりな話題転換を試みた。
「ところで、レナはずいぶん少食だね。お腹いっぱいなら僕が食べてあげるよ」
レナはほとんど芋しか食べていない。お米でもパンでもなく芋が主食であったが、芋だけで食べておいしいようなものでもなかったが。
「……お肉を食べる気分にはなれません」
「ああ、そうか。そうだよね」
人間を食い散らかしたあとだからね。
「それにあまりに豪勢すぎて……気が引けてしまいます。普段は質素なものばかりですから」
「なるほどねー。じゃあ貰っていい? 僕がおいしく食べてあげるよ」
「お願いします。――ご馳走様でした。私は祈りを捧げてきます」
レナはそれだけ言い残して早足で去っていった。あとに残されたのは僕と、少し悲しそうなクレタだけ。
「お口に合わなかったのでしょうか……」
「そういうわけじゃないさ。彼女は変わり者だから」
「……お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、ずいぶん長い間一緒にご飯を食べていません。私が料理が下手だから……」
「そんなわけない。美味しくないのに、僕がこんなにたくさん食べられるわけ無いだろ?」
「…………」
「キケロにはあとで食べやすいスープかお粥のようなものを持っていくといい。ヴァイには……片手間でつまみやすいような料理を。可愛い妹の手料理なら二人とも喜ぶはずさ」
「……そうですよね。そうしてみます」
卓上にはほとんど三人分の料理が残っている。レナ、ヴァイ、キケロの分だ。
残すわけにはいかない。だがこれを食べ切るなんて――まったく難しくはない。僕の胃袋に限界はないのだ。僕は出された料理を残したまま食事を終えたことはない。ささやかな自慢だ。
「ちなみにデザートはあるのかな?」
クレタが嬉しそうに目を輝かせた。
「実は冷やしてます!」
「素晴らしい。これだけよく考えられたコースなら、デザートもあると思ったんだ。きっと美味しいに違いない。――ぜんぶ食べちゃうよ」
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