「Who am I」8
異世界の街並み、歩いているだけで多くの発見がある。一つ目の巨人や眼鏡をかけた五つ足の犬とすれ違うのだ。僕はその全員に話しかけたくてたまらなかった。
しかし今は急いで治療院に向かっているところなので諦める。
まだ空が白みだしたような時間だが人々は活動を始めていた。市民たちの顔は総じて暗い。元気にはしゃいでいるのは子どもだけだ。原因は一つ。街を呑み込もうとする奇病、そしてそれを振りまいているとされる魔女の噂だ。
魔女。
ぜひお会いしたい。僕を召喚したのもきっと魔女で、レナを捕らえていたのも魔女だ。人は魔術を使えないとレナは言うが、魔女はその限りではないのだろう。見せてくれるだろうか。僕も使えるようになりたいぜ。
「レナ、魔術を習得するにはどうすればいい?」
「……諦めてください。――聖術なら教えられますよ。一緒に聖書を読みましょう」
「いやだよ」
神の教えなんて胡散臭くてたまらない。
「もう少しで治療院だ」
僕とレナを先導する女性、ヴァイが振り向いて教えてくれる。
「それで流行り病ってどんななの? 無闇に患者と近づくのは良くないと思うんだけど」
免疫ない異世界の病にかかってポックリ死ぬなんていやだ。まだやりたいことがたくさんある。
ヴァイは胡乱な目で僕を見た。
「知らないわけないだろう?」
「僕はこの街に来たばかりなんだ」
「そうか。こんな時期に旅人とは珍しい…… 患者と接触するだけで感染ることはない。安心してくれ。病名は――抜魂病。罹患者は記憶喪失になる」
「わお」
記憶喪失。なかなかファンタジーで恐ろしい病気じゃないか。絶対感染したくない。
「感染経路も治療法も不明。異例づくし、新種の病さ。患者は記憶を失って魂を抜かれたようになってしまう。程度はさまざま、完全に狂ってしまう者、喋れなくなる者、比較的まともな者。まさに病名通りだろう。ちなみに名付け親は私だ」
「なるほど、いいセンスしてるね」
「ああ。――着いた」
足を止めたのは古びた洋館の前。壁はツタで覆われていて元来の装飾は隠され、窓はカーテンで閉め切られている。端的に言えばホラーだ。
「ここが……病院? なんていうか、清潔感が足りていないような気がする」
「治療院に必要な機能はたった一つ、患者を治すことだ。手段も過程も問わない。まして見た目はどうでもいい」
「そうだね……」
見た目はともかく、手段と過程は少しは大事な気もするが……
黒衣の薬師、ヴァイは黒いローブをはためかせた。とんがり帽子が揺れる。
洋館の玄関がキキキと音を立てて開いた。
そこから顔を出したのは――二足歩行する人とカエルの合いの子。
「ようこそケロ! コースは二つ! プレミアムコースでは完璧な治療を約束します。格安コースでは未認可の新薬を使うため、体にどんな影響が出るかは分かりません。私は格安コースの経験者ですが御覧の通り元気いっぱいです! どちらにしますケ?」
カエル人の黄色い目玉が恐ろしい。僕はまだ両生類にはなりたくないよ……
ヴァイが鬱陶しそうに手を振った。
「この二人は患者じゃない。それからその案内はダメだ。新薬を使うことは黙っておくべきだろう……」
とんだ悪徳医者だな。レナは気まずそうに黙って僕の横にいる。何というべきか分からないという表情だ。僕もだぜ。
「モンタドール治療院へようこそ。ついてきてくれ」
怪しすぎる女薬師に連れられて、僕とレナはカエルの住む洋館に足を踏み入れた。
▼△▼
館内は思ったより治療院らしかった。
外観から予想される中身とはかけ離れている。少なくとも掃除は行き届いていて、うっすらと薬品の匂いが香ってくる。大部屋につながる扉がいくつか開かれていて、その中を覗けば病人が所狭しと並んでいた。彼らはみな総じて虚ろな目をしている。魂を抜かれていると形容するのも納得だ。
僕は小声でレナに囁いた。
「レナ、もしも僕がカエルになったら治すことはできる?」
「……大丈夫ですよ。カエルになることはありません。あれはカエルの亜人ですから」
「そう。ならいいけど。……それにしても患者が多すぎないかい?」
「今はルナリ中の治療院が患者で溢れかえっています。感染者が人口の一割を突破したとも」
一割。それはやばい。都市として立ち行かなくなりかねない割合だろう。日本でのパンデミックを経験した僕は感染病の恐ろしさを知っているつもりだ。歴史上でも病は何度も文明を破壊した。
だから分かる。このルナリという街は病によって滅びかけているのだ。
「ハートフルでハッピーな異世界生活を想像してたんだけど……」
重いぜまったく。
「これすべてが記憶喪失なのか……」
「さあ、こっちだ」
ヴァイが一番奥の扉を押し開けた。
促されるまま進んでいく。
そこはどうやら研究室のような場所らしかった。棚には禍々しい色の薬品が多数並び、部屋の隅で大釜が灰色の煙を噴き上げている。高そうな家具類と悍ましい魔物(?)の素材が並んでいる様はとてもアンバランスだ。棚の上には頭蓋骨があった。ガラス製の目玉が嵌められている。――目が合った。怖すぎるんだが。
「なんていうか……」
「魔女の私室みたい、か?」
「うん」
「ユウ、失礼ですよ」
ああ、たしかに、魔女は奇病の原因と噂されているのだ。喩えられるのは不快かもしれない。
「ごめんね」
「気にしなくていい。薬師はどの時代どの場所でも魔女扱いされるものだ。むしろ光栄なことだと思うようにしているよ」
ヴァイは話しながらも忙しなく何かの作業に取り掛かり始めた。
おもむろに瓶を取り出し蓋を開け、匂いを嗅いで顔をしかめる。
「消費期限ぎりぎりだが……大丈夫だろう」
ほんとかよ。不安がむくむく大きくなってくる。いったい何が始まるんだ。
ヴァイは机にかけられていた布を取り払った。それは手術台のようにも見える机で、一人の男が眠っていた。
「私の弟だ」
「弟さん?」
ぎょっとしてヴァイと男を見比べる。確かに髪色なんかは似ていた。
「昨日気絶した状態で発見された。新鮮ピチピチの抜魂病患者だ。身内ということで気兼ねなく実験体にしてやることにした」
「かわいそう……」
「そうだな。早く治してやらなければ」
「……モルモットになるのが可哀想って意味だよ」
僕のツッコミはヴァイの耳には入っていないようだった。彼女は真剣な顔で何かと何かを混ぜ合わせている。
「アマルシアの樹液が海馬を刺激する。この病が一般的な物忘れや記憶障害の延長線上にあるならこれで改善するはず…… 最高品質の霊露、亜竜の肝臓の粉末、カタナチオのポリミサ、リリムンド。聖術の効果は増幅される……」
知らない単語の羅列に僕はついていけていないが、レナはうんうんとしきりに頷いていた。同じ医療従事者として理解できるところがあるのだろうか。
出来上がったのは粘り気の強い緑色の液体。ヴァイはそれをぺろりと指にとって舐め、顔をしかめる。
「混ぜ合わせた場合の予想外の効果がないとは限らないが……まあいいか」
いいのかそれで。
ヴァイは薬液を青年の喉に流し込んでいく。土気色で生気のない彼の顔が苦悶で歪み、体が痙攣して鳥肌が立った。釣り上げられた魚みたいに激しく震える。怖い。
「さあ、癒しの術を頼むよ。略式じゃないやつだ」
「……試してみます」
レナが聖書を取り出した。
彼の顔に手をかざし、目を瞑る。
「我が命の灯をこの者に分け与えたまえ」
光が青年を包む。変化は緩やかだった。今までなら一瞬で回復していたのに、なかなか顔色が良くならない。
「我の光が人の子を照らす。光はいのちとなり、血肉を包み込む」
詠唱は続く。
「死ぬべきものは去るが良い。生きるべきものは残るが良い。そして信じよ。世界は愛で満たされるだろう」
青年の表情が穏やかになり、肌の色が健康的な血の通う色に変わっていく。ゆっくりと目を開いた。
「おはよう、キケロ。気分はどうだい」
ヴァイの声音は優しい。青年キケロは顔をしかめて眉を寄せた。
「最悪だ…… 腐ったゲロの味がする……」
「良薬は苦いんだ。ほら、水を飲め」
ヴァイは甲斐甲斐しく口元までコップを運び、キケロはそれを一息で飲み干した。
「それであなたはーー誰だろう。というか……俺は……」
ヴァイの端正な顔が悲しみの色を一瞬帯びて、すぐに穏やかな笑顔に戻った。
「君はキケロ。私はヴァイ。君は私の弟で、私は君の姉だ。君は記憶喪失になってしまった」
「…………」
キケロは姉をジロジロと見つめた。
「あんたが俺の姉? 何が何だか……」
ヴァイの額に青筋が立つ。
「私のことはお姉ちゃんと呼べ」
「え? そんな急に言われても……」
キケロの頰がつねられた。むぎゅりと形を変えるほどねじられる。
「い、いたい…… 離してください……」
「お姉ちゃんと呼べ」
「……お姉ちゃん」
「よし」
ヴァイはキケロの頭を小突いた。少し満足げに笑っている。そして笑顔のまま吐き捨てるのだ。
「このポンコツな脳みそを殴ったら私のことを思い出すだろうか?」
レナが慌ててその腕に手を添えた。
「ヴァイさん、やめておきましょう」
「分かってる。――協力ありがとう。残念ながら失敗に終わったが、得るものはあった」
「やはり普通の病気ではないということですか」
「そうだ。……さて、お礼といってはなんだが少しばかりの手間賃を――」
「ちょっと待って」
この洋館は外観こそ魔女の館だが、内装はなかなか質が良く掃除も行き届いている。この部屋にいたっては調度品一つ一つから高級感が隠せていなかった。
つまり――金があるということ。
僕の中の金持ちセンサーがピピピと警戒音を鳴らしている。
恩はレナが売りつけた。ならば僕が取り立てなければ。
「ここに泊めてくれない? 実は昨夜からゴミ掃除で忙しくて寝てないんだ」
レナが口を挟んでくる。
「ゴミ掃除ではなく救助活動です。言葉の使い方がよくないですよ」
「そう、言い間違えた、救助活動ね。だから休ませてもらえると助かるな。レナもたくさん術を使ったでしょ?」
「それは……まあ使いましたが……」
レナは少しだけ渋い声色だ。きっと恩着せがましいのは嫌いなのだろう。しかしヴァイは嫌がる素振りはいっさい見せなかった。
「ああ、構わないよ。二階に客間がある。好きに使うといい。ただ、暇があればまた実験に付き合ってくれると助かる」
「もちろん。うちの癒し手の腕は最高だからね。期待してくれていい」
「ユウ…… 勝手に……」
情けは人のためならず。着せた恩は脱がせてなんぼ。
幸いにもレナはこういった分野が苦手なようなので、旨い汁は僕が全部吸ってやろうではないか。
「くっくっく…… 癒しの術を売り捌く、これが異世界の悪魔業ってわけだ……」
異世界生活、なんとかやっていけそうな気がしてきたぜ。
「しかし部屋は一つしかない。ベッドも一つしかないが……」
「ぜんぜんオーケー。むしろウェルカムさ。仲良く一緒に寝ようね、レナ?」
「…………」
スカーフの下、隠れた顔は赤くなっているのだろう。僕とレナは豪邸の食客というおいしい立場を得ることに成功した。
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