「Who am I」7

 塔はそう遠くなかった。崩れても目印になることが幸いし、僕たちは迷いながらも目的地に到着した。


 レナは民家のクローゼットを漁って手に入れたシスター服を着て、顔はスカーフで隠している。こうなってしまえばレナがレナだと分かる外見的要素はない。指名手配されていたって大丈夫、だろう、多分。


 空は真っ暗なのにも関わらず、崩れた塔のまわりには人が集まっていた。彼らは野次馬。惨劇の現場から何があったのかを読み取ろうとしているようだった。


「ついに神が天罰を下されたのかも……」


「いや、散らばってる鎧をみてみろ。教会の騎士様のものだ。つまりこれも魔女の呪いさ」


「……だから魔女なんかいねえって。魔物が現れたんだろ」


「こんな街中に? バカ言うんじゃねえ」


「俺は見たぞ、暴れ回る黒い魔物を」


 思い思いに噂話をしている彼らを掻き分けながら、レナは現場に近づいていく。


 崩れた塀を乗り越えた。


 まだ誰も手をつけてさえいないらしい。全てがそのまま保管されていた。屍は異臭を放ち始めている。転がっている死体一つ一つを確認し、レナは短い祈りを捧げていく。


 生存者は見当たらない。


 レナのスカーフの下に隠れた感情は読めないが、瞳だけは変わらず強い輝きを宿している。


「瓦礫を掘り返しましょう」


 塔は半壊し瓦礫が高く積み上がっていた。下敷きになっている騎士がいるならそれは最下部のはず。瓦礫の山は大きく重たく、重機などなしにどうこうできるとは到底思えない。


 だがこの世界には魔法がある。


「さあ、瓦礫をどける魔術を見せてくれ」


「魔術? 人間は魔術なんて使えません」


 魔術がない? なんだそれ! 異世界として欠陥があるだろ!


「じゃあどうするの?」


「『神は人に手と五本の指を与えた。これはものを扱うためである』。魔術なんてなくても手があります」


 本気で言っているのだろうか。手作業でこの瓦礫を処理するなんて、正気の沙汰じゃない。終わるころには生存者も餓死してるだろう。


 しかしレナは迷いも躊躇いも見せずに動き始めた。


 まずは近場の瓦礫に近づく。大きな石材の下から鎧をつけた腕が見えていた。生きているのか死んでいるのか分からない。


 積み重なる石や金属を払い除け自分より大きな石壁を持ち上げようとする。全身を使うことによって、それはゆっくりと地面から浮き上がっていった。


 騎士の姿がみえた。やはり生死は不明だ。


 レナが大きく息を吐き出しながら石材を押せば、完全にひっくり返すことに成功した。そして騎士のもとに寄る。兜を脱がせると男の顔が出てきた。僕と同じか少し上くらいの年齢だろうか。


 懐から聖書を取り出し、ページをめくっていく。それは民家に置いてあったものだ。


「我が命の灯をこの者に分け与えたまえ」


 陽だまりのような光が騎士を包む。外傷があるのかどうか定かではないが、祈りによって男の血色は少し良くなった。


 カサカサの唇が動く。


「ありがとう……」


 どうやら生きていたらしい。


 レナは黙って額の汗を拭う。その視線の先には途方もない石と鉄の山があった。本気でこの無謀な救助活動を続けるつもりのようだ。正直に言って馬鹿げている。はあ。


「しょうがないから、僕も手伝うよ」


「ありがとうございます」




▼△▼




 朝が近づいている。


 とても終わりそうに思えない作業は思いの外良いペースで進んだ。援軍がやってきたのだ。自ら手伝いを申し出てくれた善意の市民たちである。犬の亜人が嗅ぎ分け、力持ちが瓦礫を除く。そして癒し手は癒す。美しい分担である。


 驚くなかれ。

 そう、亜人がいるのだ。


「よっしゃ、次はここだ。――まだ生きてるぞ!」


 水色の隊服を着た二足歩行する犬。市民からのあだ名は”犬のおまわりさん”。


 僕はそれと一緒に瓦礫を掻き分けている。まったく奇妙な生命体だ。


 頭部は完全に犬。しかし目には知性の輝きがあり、喉を鳴らしながら人の言葉を喋る。彼(?)は糊のきいた制服にふわふわの白い毛を生やした全身を押し込んでいて、お尻にはくるんと巻いた白いしっぽがあった。


 名前はムムというらしい。


 初めてみる亜人という存在。じろじろ観察することをやめられなかった。興味深すぎる……


「兄ちゃんはそっちを持ってくれ」


 ムムに促されて石壁の一部を持ち上げる。


「せーの!」


 二人でひっくり返すと、足があり得ない方向に折れ曲がっている騎士をナメクジみたく発見した。目に入れるだけでも痛々しい。


 ムムが肉球のある手で彼を引っ張り上げて土の上に放り投げた。騎士は苦しそうに呻く。


「ちょっと雑じゃない?」


「いいんだよ、教会騎士は鼻につくやつらばっかりだから。どうせ凄腕のシスター様が癒してくれるしな」


 この世界でも権力側の人間と言うのは嫌われる定めにあるようだ。


「それでも助けるんだね」


 僕からしたら汗水流して騎士たちの命を救う義理などない。彼らは僕を殺そうとしたのだ。レナのわがままに付き合ってあげているだけ。


 ムムは片手で騎士の足を掴み引きずりながら運んでいく。


「鬼や悪魔じゃないんだ、同じ街で生きる仲間なら助けるさ」


 なるほどね。見捨てようとしていた僕としては耳が痛い。


「――それにこういうのは俺たち自警団の仕事だろ?」


「へえ、ムムは自警団なんだ」


「おいおい知らねえのか? かの”頼れる犬のおまわりさん”といったら俺のことよ。自警団の切込隊長兼マスコット、泣く子も黙る脅威のモフモフ、白犬のムムさ」


 ムムはにやりと笑って力こぶを作る。胸筋が膨れ上がってスーツが弾けそうになっていた。彼はかなり背が高くて僕は見上げることになる。


「有名なんだ。僕はこの街に来たばかりだから」


「あらら、それはまずい時期に来ちまったな。今この街ルナリは大荒れよ。流行病に殺しに盗み、悪人どもが蔓延ってる」


 ムムはうんうん呻いている騎士を、また別の怪我人の横に並べた。


 そこは野戦病院のような様相となっていた。布を被せられた死者に挟まれるように重傷人が寝転んでいる。死者、死者、生死不明、怪我人、死者。そんな感じ。


 レナはその中を忙しなく駆け回っていた。大怪我を治すほどの聖書の癒しの術を使えるのは彼女しかいないようで、息のあるものが運ばれるごとに祈りを捧げている。


「シスター様、最後はこいつだ! 頼むぜ!」


 ムムが叫んだ。レナが近づいてくる。


「はい。お任せください」


 ムムが荒々しく騎士の下半身を包む鎧を剥ぎ取り、レナが手をかざした。何度も聞いた詠唱を口に出すと光に包まれ、ぐにゃぐにゃに曲がっていた足は芯を戻したように治っていく。


「すげえ聖術だな……」


 ムムが心底感じ入ったというように呟く。


「そんなにすごいの?」


「あ? 兄ちゃんそんなことも分からんのか? このシスター様は多分世界で指折りの癒し手だぜ」


「へえ……」

 

 レナはなかなかやるらしい。僕としてはどうでもいいけど。


「ここにいてくれて助かった。……本当にありがとうございます、シスター様」


 ムムは大きな体を窮屈そうに屈めて頭を下げた。口調まで丁寧だ。


「やめてください。お礼なんて」


 レナは顔を隠している。表情は見えないが、僕は容易く想像できた。


 これはひどいマッチポンプだ。


 彼らを癒して感謝されるなんて、真面目なレナとしては苦い思いだろう。結局生き残ったのは片手の指の数より少なかった。


「……私に感謝の言葉は不要です」


「なんてできたお方だ。聖術の腕前だけでなく心根まで謙虚とは」


「………………」


 黒布の下の困り顔が想像できて、僕の頬は緩んでしまった。レナはさぞ眉を歪めていることだろう。


「よっ! 聖女様!」


「……人が悪いですよ、ユウ。――別の患者の様子を見てきます」


 つぶらな瞳の中に畏敬の念すら浮かべているムムの前はどうにも居心地が悪いらしく、レナは背中を向けて歩いていった。


 僕はその少し丸まった背中に追いつき、小声で話しかける。


「なあ、ひと段落ついたみたいだし、ご飯を食べに行こう。異世界グルメを案内してくれ」


 僕はこの作業に飽き飽きしていた。こんなめんどくさいこといつまでもやってられるか。


「……まだ離れるわけにはいきません。それにお金も……服と一緒に失くしてしまいました」


「お金は僕が持ってる。……拾ったんだ」


 拾った。正確には死体のポッケから抜き取った。


「…………」


 レナは僕の言葉の意味を察したようだが、責めるつもりもないらしい。


「ごめんなさい。ユウ一人で行ってきてください」


「えー。それは違うでしょ」


「……容体が急変しないともかぎりません。彼ら全員が目覚めて家に帰るまで見ていないと」


 布の隙間から燃えるように輝く瞳が覗いている。固い意思の炎だ。


「……しょうがない。付き合うよ」


「ありがとう、ユウ。分かってください。こうしないと私は……」


「はいはい。分かってるって」


 レナは中途半端じゃ満足しないらしい。


 朝日が眠たい目にさしこんでうざったい。気絶している奴らの頭を蹴り飛ばしたらはやく終われるだろうか。いっそ殺してしまえ。と思ってもそうはいかない。


「眠いな……」


 ムムによれば、もう瓦礫の下に人の匂いはしないとのこと。


 つまり僕は暇になる。どう時間を潰そうかと思案していると、市民たちがざわめきだした。「教会サマだ」、「ずいぶん遅かったな」。


 目を向ければ修道服を着た一行が近づいてきていた。レナと同じシスター服を着ている人もいる。


 レナがすっと僕の背中に隠れた。どうやら彼らに見つかってはいけないらしい。僕が右に動いてみると、レナも合わせて右に動く。左に動けば左に。


「はは、どうするの? 指名手配の犯罪者さん?」


「意地悪はやめてください。……治療は任せてここを離れましょう。教会は癒しの術を独占したがる、私のことを根掘り葉掘り聞いてくるのは間違いありません」


「よしよし。ご飯を食べて寝よう。疲れたでしょ」


 僕とレナはこそこそとムムの側まで寄っていく。彼は黒いとんがり帽子を被った女性と真剣そうな顔で話し込んでいた。


「ムム、僕たち急用ができたから帰るね」


「あとのことはお任せします」


「もう行っちまうのか? 自警団として正式なお礼をさせてもらいたいんだが……」


 レナはきっぱりと首を横に振った。突き放すようでもある。


「必要ありません」


「……そうか。じゃあまたな。この街にいたらいつか会うこともあるだろうさ」


 手を振ってムムに背を向けた。二人で並んで歩き出す。


 これで面倒ごとは片付いた。僕は隣のレナに語りかける。


「この街で一番うまい店に連れて行ってくれ。金に糸目はつけないぜ」


「私はこの街の住人ではないので詳しくはないのです。精進料理のお店しか知りません」


「精進料理はいやだ。僕はあれを料理とは認めない。貴重な胃袋の容量をあんなのに割きたくないよ」


「……最近では僧侶でも食事を楽しめるようにと開発された料理もあります。それを試してみましょう」


「それならもう普通に楽しもうぜ。本末転倒じゃん」


「待ってくれないか、癒し手さん」


 会話を遮る呼び止めの声でレナが振り向いた。


 その人物はいかにも魔女という風貌だった。深い赤色の長髪の上にとんがり帽子をのせ、黒いローブを羽織っている妙齢の女性。


「私は薬師のヴァイ・モンタドールだ。今流行している病、抜魂病の治療法を探している。君ほどの凄腕の癒し手の助力があれば――患者たちを助けられるかもしれない。治療院に来てくれないだろうか」


 おいおい。僕は天を仰いだ。また面倒ごとが降りかかってきたぞ。


 レナと目が合う。


「ユウ……」


「……好きにしなよ」


 彼女はこくりと頷く。


「案内してください」


 この街で流行っているという奇妙な病。僕たちはその患者に会いに行くことになった。

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