「Who am I」3
「こんばんは。僕はユウ。君、名前はなんていうの?」
「おでの名前は、ええと……」
大男は頭を掻き、くしゃくしゃの紙を取り出して読み上げる。
「おでの名前はゴリウス。役目はこの塔の見張りだ」
「……名前も紙を見ないと忘れちゃうの?」
「分からないことがあったら紙に従えと言われてる」
「そう……」
なかなかクセが強い男だ。僕の異世界生活にはさっそく暗雲が立ち込めている。だが見張りならばいろいろ知っているかも。
「ゴリウス、僕を喚び出した人を知らない?」
彼は大きな指で小さな紙のシワを伸ばした。
「黒い髪の男…… お前はおでのご主人に連れてこられた」
「おお! ということは……僕たちは主を同じくする同僚ってことだね!」
顎との境が見えないほど太い首を傾げる。
「どおりょう?」
「そう。同僚。仲間。友だちでもいい。とにかく……よろしくね!」
こういうのは最初の挨拶が肝心なのだ。デブは心優しいと相場が決まっている。彼とは上手くやっていけそうだ。
質量にして僕の二倍は軽くありそうな肉だるまを見上げながら、友好の意を示すべく手を差し出す。
しかし――ゴリウスは歯列を剥き出しにして獣のように僕を威嚇した。
「近づくなッ!」
「ご、ごめんよ」
うーん。握手はこっちの世界の文化にないのだろうか。参ったなあ。
「いいかい、僕たちはバディになる可能性だってあるんだ。力持ちの大男と冴えてる優男、相性ピッタリじゃないか。だから仲良くしよう」
ゴリウスは鼻の穴と耳の穴を同時にほじる。
「……あ? バディ? なんだそで。もっと短く話せ」
クソッ! 二十文字以上の文章は理解できないのか? 先が思いやられるぜ!
そしてレナは困り眉で立ち尽くしている。
「ユウ、私にはあなたが何を考えているのかさっぱり分かりません……」
この場の三人のうち誰もが、誰のことをも理解していない。カオスだ。
とにかく僕は同僚となり得るゴイスと相互理解を育むべく会話を続けた。
「僕たちは服を着ていないこと以外にもたくさん共通点があるように思える。そう、例えば、食の好みとか。食べることは好きだろう? 僕も大好きだ」
「おれは女が好きだ」
「……ああ、そう。僕も女の子は大好きだよ。気が合うねっ!」
「女の肉は男の肉よりずっと柔らかい」
ゴリウスはだらしなく頬を緩めている。
反対に僕は表情筋がひきつって痙攣するのを止められなかった。おいおい、食人はまずいだろ……
「……僕のこと、食べたいと思ってる?」
「お前はすじばってそうだ。まずそう」
よかった。胸を撫でおろす。同僚に頭からかじられる心配はしなくてよさそう。
「でも血はおいしそうだ」
「僕を食べないで!」
この職場でうまくやっていける気がしない。
途方に暮れてゴリウスを見上げる。そのたるんだ顔のなんと邪悪でだらしないことか。
「でもソースをかけたら男もうまい……」
「だから僕を食べようとするな!」
よし。僕は決めた。
逃げよう。
こんなやつと一緒に働いてなんていられない。ゴリウスのいう"ご主人"である召喚者も、同じくらいやばいやつに決まっている。そもそも僕は異界の珍味として召喚されたのかも…… 恐ろしい想像によってぞわりと肌が粟立つ。
レナに目配せを飛ばせばすぐに頷きが返ってくる。アイコンタクトだけで察してくれたらしい。
僕はゴリウスを刺激しないよう細心の注意を払って口を回した。
「またね、ゴリウス。僕たちはご主人に呼ばれてるから行ってくるよ。明日は人肉バーベキューパーティーを開こう。約束だ」
ゴリウスは僕とレナを見比べて舌なめずりをした。
「バーベキューパーティー…… 分かった。体をきれいに洗ってこい」
「…………念入りに洗ってきます! ――じゃあ、また明日!」
彼の足元にできた唾液の水たまりを飛び越え、僕とレナは階段へ走って向かい――
「待て」
ゴリウスの巨体が道を阻んだ。
「『だれも外に出すな』と書かれてる。ご主人の命令だ」
慎重に言葉を選ぶ。選択肢を間違えればバッドエンドだ。
「なんなら塔の中に戻ろうとしてるんだけど……」
「『死んでも出すな』と書かれてる」
だめだ。話が通じない。ゴリウスは明確な敵意を持って僕を見下ろしていた。
「『死んでも出すな』ってことは……殺してもいいってことだ」
違うだろ。
「『死んでも出すな』っていうのは『絶対に任務を遂行しろ』という意味であって、外に出さなければ死なせたっていいという意味じゃないと思う」
「……ながなが話すな。わからん」
「そんな長くないわ!」
「ガアアアアアア!!」
ついつい声を荒げた僕、ゴリウスはその何倍もの咆哮を返してきた。肌がびりびりと痺れる。
「ぶっころしてやる!」
ゴリウスは腰の斧二つをつかみ取り大上段で構える。実際はかなり大きいはずの斧も、彼が持つと小さく見えてしまう。
「おいおい……」
「……」
後ずさりする。しかし屋上はそう広くない。縁はすぐそこだ。レナがぽつりと呟いた。
「……挑発するのはやめてくださいよ」
挑発なんてしていないんだが。
「ガアッ!」
ゴリウスは腕を振るった。太く長い筋肉が鞭のようにしなり、先端に余すことなく力を伝える。
毛むくじゃらの手を離れた斧が回転しながら僕の顔に真っ直ぐ飛翔する。コマ送りのように、少しずつ大きさを増すのが見えた。
死の予感が迫ってくる。
今まで感じたことのない感覚。このままじゃ死ぬという予感。叩きつけられる殺意。
首の裏側の毛がぞわりと逆立つ。
僕は動けなかった。
でも、レナは動いていた。
「よけてッ!」
レナが僕を突き飛ばす。それで僕はなんとか助かった。股の間に斧が突き立っている。間一髪だ。
ありがとう。そう伝えようとしてレナを見た。
レナは僕を突き飛ばしたあと、姿勢を崩していた。両足は速度に乗った体を支えきれずに一歩、二歩と塔の縁に近づいていく。
その足が縁にかかった。
落ちてしまう。
僕は人生で一番の機敏さで立ち上がって腕を伸ばした。レナも僕に腕を伸ばす。
指先が触れ合い、――掴めなかった。
彼女は宙に放り出された。フードが外れる。銀の長髪がふわりと広がった。真紅の眼差しが僕を深淵に誘う。薄い桃色の唇が開かれて、何か言葉を紡ごうとしている。
死の間際にあって、とても美しかった。
そして落下した。
僕は縁に駆け寄って下をのぞき込む。
助かるはずもない高さだ。
「クソッ!」
「もったいない。おいしそうだったのに」
「彼女は食べ物じゃない。…………レナはどんな罪で捕えられていたんだ? 死に値するほどの罪を犯したのか?」
ゴリウスは目をしょぼつかせながら手元の紙に視線を落とした。
「銀髪の女は……生意気だから捕まった。ご主人は特に顔が気に入らなかったらしい」
「......生意気だから? 顔が気に入らなかった?」
腹の底から怒りが昇ってきて、心臓から全身に広がっていく。憤怒というエネルギーが細胞を満たす。
「なんだそれ」
その行いはあまりに許しがたい。
僕は怒っていた。
これまでの平坦な人生ではついに知ることのなかった感情を知った。とても抑えることはできそうにない。
「殺してやる」
殺意だ。
だが、どうやって?
考える必要はなかった。頭が働くよりも前に、体が勝手に動いていた。
「罪に定められし者よ。怠慢なる神に代わって汝の罰を申し渡す」
体を満たすエネルギーが膨張して、熱を持ち始める。血が燃えているようだ。舌は命を宿したように自ら言葉を紡いでいく。
「贖いは暗く温かい死によってのみなされる。黙して受け入れよ」
熱が右腕に集中する。力のある言葉が空気を震わす。怒りが霊気に変わっていく。
身体は脳の制御下を離れた。僕の声はどこか遠くから響いているようにこだまする。
「それにより我は赦す。主の御許で幾重も罰を受け、主もまた赦すだろう」
右腕を握りしめた。爪が食い込んで血が垂れていく。
「よって安らかに去れ」
――巨大な半透明の腕が顕現した。
振り上げられたその拳は天まで届きそうなほどに大きい。見上げれば、きっとこの塔と同じくらいの高さがある。
それは薄水色の半透明でありながら、質量を伴う巨人の拳だ。固く握られたそれは圧倒的破壊力を予想させた。
神の鉄槌。その具現化。
暴力的正義の執行は僕に委ねられた。
この腕は思うままに操ることができる。右腕を構える。同期するように、半透明の腕も動く。
狙いはゴリウスの歪んだ顔だ。
「ま、ま、ま――」
つま先から力を伝道し、膝、腰、肩へ。思い切り振りぬいた。
落雷のような音が鳴る。
骨を砕く確かな感触。自分の拳で殴ったわけではないのに、僕の感覚神経には人を殴ったという実感がある。
視線をあげると、ゴリウスは消失していた。
目を凝らして暗い空を探せば、血をまき散らしながらはるか遠くまで吹き飛んでいくのが見えた。あれは確実に死んでいる。
たった一撃。一撃で死んだ。
息を吐くと、巨人の腕はかすみのように薄くなって見えなくなる。
長距離走をした後のような深い疲労が襲ってきて、僕は膝に手をついた。
今のはいったいなんだったのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
僕は屋上の縁、ちょうどレナが落下した場所に立った。街を見下ろす。
レナの死の責任は僕にもある。僕が避けていればこんなことにはなっていなかったのだ。
風が強く吹いている。
責任を取らなくてはいけない。
レナは死んだ。ゴリウスも死んだ。
そして……僕も死ぬ。誰もいなくなるのだ。
これは最高に僕好みの――悲劇ってやつだ。
風に揺られるまま、体を宙に投げ出す。
その直前。
「あのー」
遠慮がちな声がどこからか聞こえてくる。
「引っ張り上げてくれませんか?」
僕が縁から下をのぞき込むと、小さな窓のひさしの上に立ってプルプル震えているレナが気まずそうな顔でこちらを見上げていた。
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