「ここって⋯⋯」


 開口一番に呟く睡蓮は、確かに見覚えあるとその荒野を見渡す。そこは「弔いに」と二度、麹塵と訪れたかつて傾城町のあった合戦跡地。


「こんな荒野に藍鉄がいるのか?」


 そう問われ、遠くに見える今にも崩れそうな建物を指さす。


「あれがここが傾城町であった当時、一番大きな妓楼だったものの成れの果てだ」


「母上⋯⋯野々市太夫がいた『紅月楼こうげつろう』だ」そう答え馬を進める。


 近づいてみると分かったその建物の大きさ。かつての傾城町の繁栄を物語る妓楼跡を前に止まる蹄の音。その場で馬を降りた瞬間────空気が揺れた。


 気付けど時すでに遅し。周りは黒ずくめの『鴉』に囲まれていたのだ。


「お前の勘、当たってたみたいだな」


「あぁ。何故だか、悪い勘はよく当たる」


「まぁ、そういうもんだな⋯⋯人生」


 睡蓮の返答に微かに口角を上げ、二藍は刀を抜く。後に続いて、二人もそれに倣った。


「これはこれは⋯⋯斯様なような所までわざわざ」


 崩れかけた屋敷からゆっくりと現れたのは、藍鉄。


 そしてその彼の背後に広がる闇からもう一人。まるで黒そのものから生まれい出たような漆黒を纏った者の姿。


 その場にいる皆を、月光が照らす。夜にだけ君臨するその覇者は、これから始まる「終わり」を如何様に思うか?


 それは断ち切るべき、絆⋯⋯であるのか?


 藍鉄に促されその隣に並ぶその者は、闇夜に燦然と輝く満月にその正体を露わにした。


 右目だけを残し、頭部全体を覆っていたその布をゆっくりと取り去る。


 朧気だった視界が暗闇に慣れ、そこにはっきりと映し出された姿に、皆言葉を失った。


 顔の左半分は焼け爛れたように崩れ、目は瞼さえ開かぬ状態。辛うじて見えているであろう残された右目は、確かに二藍を捉えていた。


「其方が言葉を失うのも無理はない。今やあの頃の面影はないのだからな⋯⋯愛しき我が子よ⋯⋯御空みそらよ」


「御空────⋯⋯⋯⋯母上⋯⋯。 やはり⋯⋯」


「御空?」


「二藍の幼名だ。その名を知ってるのは、かつてこいつの世話係兼友人やってた俺と、青藍様⋯⋯と、そう名付けたこいつの母親だけ。先帝さえ知らない名だ」


 それを目の前の女は知っていた。「愛しき我が子」と呼ばれたことに、突きつけられた事実がなお心苦しい。さすがの二藍も動揺を隠せないでいた。


「しかし、死んだはずの者がどうして⋯⋯。当時、其方の亡骸を見たものは幾人もいたと、そう聞いた。一体どうやって⋯⋯」


 皆を欺き、何をどうすれば死を偽装出来たのか? そう問う桔梗に。そんなもの愚問だと藍鉄は笑う。


「あの時、ご正室様が差し向けた賊はとどめを刺し忘れたのだ。それ故、私の屋敷で匿い保護を。痛みにのたうち回り、苦しみと絶望、裏切りに打ちひしがれるこの方に哀れみを感じましてな⋯⋯、苦痛を少しでも取り除いて差し上げたいとお渡しした薬草が、この方をこのような姿に⋯⋯」


 医者が役立たずであったがゆえの不幸だと、その焼け爛れた顔を横目で窺っていた。


「命繋がるのであれば、顔など⋯⋯。どれほどそなたに会いたかったことか。この藍鉄から色々話は聞いていた。妻を娶り、今や『藍』当主としても安泰であるとな。しかしながら、そなたのいる場所はこんな市井の片隅ではなかろう」


「さようにございます。二藍様に似合うは玉座のみ。それに他ならないのでございます」


 得意げに話す藍鉄は野々市太夫────『鸚緑』を見つめ「そうでございましょう?」と問うている。その表情は何ともいえないほど満足気だった。


「ほんに、藍鉄の言う通りじゃ。私は其方を帝の地位に据えるためならば、何事も厭わぬ。そこの筝弾きに罪はないが、白藤の側近などとつるんだのが間違いだった。悲しいかな、悔やむのなら自身の行いを悔やむのだな。────やれっ!!」


 それは二藍以外の者の息の根を止めろという合図。自身も加勢しようと踵を返せば残りの兵にその動きを封じられる始末。数人の雑魚相手、状況が別なら何でもないこと。しかし、今は下手に身動きできなかった。


 自分は何をすべきが冷静になろうとすればするほど、生まれる躊躇い。そんな心を見透かしてか、藍鉄は「悩むに及びもしますまい」と上機嫌だった。


「たかが彼奴等二人、ここで見殺しにしたとて、あなた様を咎めるものなどおりません」


 そろそろ腹を決めよと急かす男に、背後から怒号が飛んだ。


「俺らを勝手に殺すな! 麹塵を裏切ったら許さない!!」


「あなた様のためにならば命をも賭けよ、との帝からのご命令。それには従う他ございません。加えて麹塵様からは、二藍様と睡蓮殿をお守りするよう仰せつかってございます。その約束、破るわけには参りません。故に! 斯様な場所で人の屍荒らすような輩に殺られるわけにはいかないのです!」


────等々。


「⋯⋯だそうだ」


 二藍の口角が上がる。


 余裕を取り戻した彼に些か調子を狂わされた藍鉄に、『鸚緑』が大きくため息を吐いた。


 そして次の瞬間────うめき声にも似た声の歪みに、赤い血の花が地面に咲く。


 藍鉄の口から吐き出されたそれは、深紅の血液だった。


「────なっ⋯⋯」


 二藍はそれ以上言葉を繋げることができなかった。


 今でも目の前の女性を「母」と呼ぶべきなのだろうか? と。


 藍鉄の胸を後ろから前へと貫いた刃の元を辿れば、それは『鸚緑』の右手に。そしてそれを問答無用で引き抜けば、肉を引き裂く音と共に血飛沫がそこら一帯を濡らしていた。


「何と言うことを⋯⋯」


「こやつも、其方の友人に同じことをしておる。茅⋯⋯だったか⋯⋯? その者の仇を取るために愛する者を置き去りにしてまで、わざわざここまでやってきたのであろう?」


「置き去りになどしてはおりません」


「麹塵と言うたか? 其方の妻は⋯⋯。美しく素晴らしい歌声を持つ者。それはまるで異能の力じゃ。其方らは住む世界が違うのではないのか⋯⋯?」


 藍鉄の亡骸を「もう使い物にならぬ」と蔑み、「次は麹塵じゃ⋯⋯」と不敵に笑う。


 その瞬間、二藍は悟った。もう何もかも手遅れなのだと。


 意を決し、その刃を母に向ける。


 しかし『鸚緑』は余裕の笑みを崩さず、「其方に母が斬れるか?」と問うていた。


 言われ躊躇うのは当然。


 顔もその声も温もりも覚えていないのだ。記憶にあるのは「野々市太夫」と言う名前だけ。本当の名前も知らない。それなのに、二藍には確信しかなかった。目の前のこのひとが自身の生みの親なのだと。それが母と子の絆というべきものなのか⋯⋯?


 この十数年の間に何があったのか。死んだはずの実母が、何故今頃になって現れたのか。それも、以前とは比べ物にもならないほど、おぞましい存在として⋯⋯。


 躊躇い続け追い込まれた二藍は、遂には己に向け刃を向けることを考える。迷い続ける彼の心の内が今何を思っているのか察した桔梗は、敵を殲滅させた後何も言わず二藍の横をすり抜けた。


「恨むなら⋯⋯俺を恨め」


 その声はどこか、茅と重なって聞こえた。


 次の瞬間、鋭く光る刃が『鸚緑』の心の臓を貫く。桔梗の肩越しに吐血するその様は、まるで自らの業を全ては受け止め、その業により命を絶たねばならなかったと悟っているかのようだった。


 突き刺していた刃を引き抜く音は実に生々しく、支えを失った身体は地面に崩れ落ちる。自らの刀を放り出し駆け寄る二藍は、地に落ちた母の亡骸をかき抱いていた。


「────⋯⋯っ⋯⋯なぜ⋯⋯こんなことに⋯⋯⋯⋯母上⋯⋯────母上────!!」


 泣き叫び母を呼ぶ二藍の姿を直視出来ず、桔梗は背を向けたまま。睡蓮は目を伏せ一筋の涙を流していた。 

 

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