五
牢に閉じ込められ逃げ場を失い、どれほどの時間が過ぎただろうか? まだ夜が続いているということだけは、理解出来ていた。
麹塵は今頃どうしているだろうかと天井を仰ぎみれば、何もない暗闇がただ存在しているだけ。悲しみにくれているであろう妻を心配し、亡くした友を思い、二藍は苦しんでいた。
「あれからどれくらいたった?」
「知るかよ。俺も気を失っていた」
「相変わらず、愛想がないな。ガキの頃から何にも変わってない。進歩がないな『
「それはお互い様だろ。ていうか、その名で呼ぶな。お前の方こそ、よくも今までシラを切り通してくれたもんだ。こちとらその憎たらしい面を拝んだ瞬間、気づいたってぇのに」
「あらあら、お言葉が乱暴になっておりますよぉ、二藍様。こっちこそだ。なぁにが、『藍の鬼』『狂気の男』だよ。あの頃はいつもメソメソ、俺の後くっついてただけのガキが」
「お前こそ、たったあれだけの忍びに手こずってるたぁ、その腕も落ちたもんだ。麹塵をお前に委ねたのは間違いだったか?」
「何だと!? 泣かすぞ!」
「やれるもんならやってみろ。この檻、ぶっ壊せるならな」
改めて現実を突きつけられた睡蓮は「クソッ!」と毒を吐きながら、格子状に組まれた頑丈な木の柵を思いっきり殴りつける。それを冷やかに見つめながら、これからのどうしたものかと二藍は俯いた。
「睡蓮⋯⋯」
「何だよ?」
「麹塵は⋯⋯何も覚えていないのか?」
「なぁんにも。俺がどうして、どうやってあいつの側に付くようになったのか⋯⋯。俺が何者なのか⋯⋯それすら記憶にないらしい」
「そうか⋯⋯」
「伝えなくていいのか?」
「何を?」
「彼女が知るべきこと。あいつのあの力の秘密」
「分からない。だが⋯⋯伝えてしまえば、あいつが俺の目の前から消えてしまいそうで⋯⋯⋯⋯怖いんだ」
「⋯⋯なるほど。そこまで惚れちゃったわけね⋯⋯意外⋯⋯でもないか」
「何とでも言え」
「茶化してるわけじゃないよ。俺も同じだからな」
さらっと出た睡蓮のその文句に、二藍はすかさず反応する。言ってはいけないことを口走ってしまったと、大慌てで誤魔化す睡蓮だったが、時すでに遅しと格子越しに向けられた鋭い視線に身震いがした。
「テメェ⋯⋯その気はないってフリして、いつも麹塵の隣に張り付いていたのか?」
「それが俺の役目だからな。ってか、言葉遣い⋯⋯」
麹塵が聞いたら驚くぞ、と懐かしさも感じつつ睡蓮は二藍を窘める。
「黙れ。開き直る気か!」
「勘違いすんなよ。俺の気持ちはともかく、麹塵に対しては忠実に仕えてるつもり。俺なりにな。⋯⋯昔、お前に忠誠を誓ってたように。元々はお前が俺に言った言葉だろ?『彼女は何が何でも守れ』って。⋯⋯いや、今も忠誠を誓ってるのはお前に対して⋯⋯かもな」
「ふん⋯⋯よく言うぜ。でもまぁ、よくよく考えてみれば、お前が全てを引き合わせてくれたのかもしれんな。お前を麹塵の元に残し、俺の側には誰もいなくなった。しかしその後、茅という生涯の友が出来た。そしてお前が麹塵を守り続けてくれたから、俺は彼女と再び巡り会えた⋯⋯」
「俺に感謝しろよ」と上から目線の言葉に、「自分で言うな」と呟く冷めた二藍の低い声が薄暗い牢の中に響く。
「────で、これからどうするよ?」
「人にばかり頼ってないで、テメェも考えろ」
片膝を立て冷たい土の上に座ったまま、何か策はないかと地面を眺める。こんなところで呑気に雑談などしている場合ではないが、思い詰めていても閃は訪れない。他愛もないやり取りに再会を懐かしんだのも束の間、突きつけられた現実は、とどのつまりが手立てなし。互いが自身の無力さにその非力を恨んでいた。そこへ、差し込んでいたはずの月光が突然遮られる。少し視線を上げれば、そこに伸びる人影に相手を悟った。
「そういうことだったのですね」
そっと闇に溶け込むように澄んだ牡丹の声は、「二藍様⋯⋯」と彼の名を愛おしそうに紡いでいた。
「あなた方は一体、何を隠しているの? 麹塵様にどんな秘密が? ⋯⋯彼女は⋯⋯⋯⋯何者なの?」
「其方には知る必要のないことだ」
「初めから、私に勝ち目はなかった⋯⋯⋯⋯」
静かな闇夜でなければ聞き取れなかったほどの小さな声。その言葉が指し示す意味を汲み取った二藍は、ただ目を伏せ無言を貫いた。
「此度のこと、全てを画策したのは私の父。茅の死には心痛みますが⋯⋯私は謝りません。手を下したのは、私ではないのですから」
「そうだな⋯⋯、其方に罪はない。しかし────」
「茅は麹塵様を庇い死んでいったのです。彼女がいなければ、茅も命を落とすことはなかった」
「彼女が憎くはないのですか?」と問う牡丹に、二藍は「いいや」と即答する。
「ある者の話によれば、あの忍びたちは迷わず茅を襲ったと、そう話していた。麹塵はその巻き添えを食った迄だ。なりより、茅の死に誰よりも心を痛めているのは麹塵の方。命の重さを誰よりも知る彼女が、俺は心配でならん」
「ここでは「退紅」より「枯野家」の方が権力がある。私の存在の方が、麹塵様より数段価値があるのですよ!」
「俺にとって重要なのは、家柄や個人の価値ではない。俺自身が必要とする存在が誰なのか⋯⋯ただそれだけだ」
言い切る二藍に牡丹は声を落とす。「そしてそれは、私ではない?」と。
「麹塵の他に、俺が欲するものなどない」
「けれど、私には⋯⋯あなただけ⋯⋯」
美しい月夜に響く切ない呟き。どんなことをしようとも、彼の心を得ることはできないと、牡丹は今更ながら悟ったのだった。
共に捕らえられ否応なく聞かされる会話に、背を向けたままの睡蓮は何も言わず虚空を見つめている。
ふと、外が騒がしくなった。
「兄上!!」
「二藍様!!」
遠くから呼ぶ二つの声に、「ここだ!」と二藍は声を上げる。何事かと辺りを見渡す牡丹をよそに、急いで駆けつけた白藍は「ご無事ですか!?」と彼女を押し退け牢に駆け寄った。
「茅のこと⋯⋯残念でございました。私が無知であったのです。詫びても詫びてもどうにもならぬことですが、申し訳ございません⋯⋯兄上⋯⋯⋯⋯」
「すみません」と懺悔を繰り返す弟を、「もうよい⋯⋯」と二藍はやんわりと制止する。
「お前を責めたところで、あいつは戻らぬ。それよりも元凶は其方の父上⋯⋯」
今どこにいる? と牡丹に向け凄む彼の雰囲気には、「狂気の鬼」────その片鱗が見え隠れしていた。
「きっと二藍様を監禁し、奥方様を餌に脅迫する気だったのでしょうが⋯⋯」
「無意味なことだ」
全て帝の知るところであると話す棕櫚の言葉は、牡丹への牽制にも聞こえる。藍鉄にはそれ相応の処分が下されるであろうと、牢の南京錠を外し二藍と睡蓮を外へと促した。
「とは言え、やつは逃げた」
「その上、麴塵までコケにしやがって」
付けは絶対払わせると息巻いている睡蓮に、二藍も異存はない様子。
無事解放された二人は、今まさに兵に拘束されようとしている牡丹に対し藍鉄の居所をきつく問う。このまま終わらせてなるものかと怒りを露わにする睡蓮を、牡丹は嘲笑った。
「父を追えば、見たくなかった真実に突き当たることになる。二藍様? あなた様には耐えられるでしょうか⋯⋯」
真実はいつも残酷だと意味深に呟くだけ。
「どういう意味だ!?」
声を上げる短気な守り人を制し、二藍は取り上げられていた刀を催促していた。
「彼女の罪は?」
尋ねながらも受け取る自身の分身。一度引き抜きその刃こぼれを確認すれば、鞘から覗く五寸ほどの刃がまだまだ血を欲しているよう二藍には見えていた。
「直接手を下していないとは言え、父君の計画を知りながらも隠していたのは事実。牡丹様にも罪はございます」
「ならば、朝廷には減刑を求む」
呟く二藍の頭上には、美しい満月が輝いている。白く光る月をも反射するそれを鞘に仕舞うと、自ら間者となることを宣言し、早くも行動を起こしてくれた棕櫚に「ありがとう」と静かに告げた。
それを耳にした睡蓮も駆けつけた兵から刀を受け取り、「助かったよ」と今度は白藍に向け珍しく頭を下げる。それに気を良くしたのか彼は、犬猿の仲だった麹塵の付き人に笑顔で返し、今一度兄を見つめ返していた。
「礼ならば、もう一人の血の繋がったお方に⋯⋯」と。
「お前⋯⋯」
「父が亡くなる少し前、私を枕元に呼び打ち明けてくださいました⋯⋯兄上の出自を。それを愚かなことに私は⋯⋯⋯⋯藍鉄に話してしまった⋯⋯。それが⋯⋯全ての間違いだった」
「申し訳ございません!」
「もうよい」という文句しかもう出てこない。二藍は小さく息を吐き白藍の肩に手を置くと微笑む。「謝罪はもう聞き飽きた」と、優しく落ち着いた声色で。
そして肩を揺らしぐっと涙を堪える弟の肩越しに視線を向けると、そこに幼い頃の面影を残したまま佇む懐かしき姿を捉えた。この二十数年で数える程しか会うこと叶わなかったが、その顔は今もはっきりと覚えている。それは帝────白藤も同じだった。青藍の計らいで僅かながらも共有できた小さな思い出。
彼もまた、二藍の凛々しい姿をさも懐かしそうにじっと見つめていた。
「兄上⋯⋯」
白藤の口元がそう呟いているのに気づいた彼は、それを諌めるよう首を左右に振り軽く頭を下げた。それは帝を目の前にした民の礼儀。自身は白藤帝の統治する国の一民であって、それ以上でもそれ以下でもないと。
そんな実兄────二藍を目の前に、白藤は帝として背筋を正しその者の前に立った。
「藍鉄は逃亡を図ったようだが、いずれ必ずや見つける。茅への報いは受けされる故、それを約束しよう。そなたは一刻も早く麹塵の元へ────」
「いいえ、私はこのままやつを追います。ですから今しばらく、妻をお預かり願いたい」
「其方の気持ちも分かる。しかし今は────」
「麹塵も理解してくれましょう。このまま藍鉄を追わせてください。やつを野放しにはできません。お願い致します⋯⋯陛下」
力強い眼差しで右手に携えていた刀を左手に持ち替える。そして、相も変わらず王の側に立つ記憶に新しい顔を見つけると、その腕を見込んで助けを乞うた。
「それともう一つ⋯⋯。その男をしばらくお貸し願えませんか?」
「桔梗を?」
「相当な手練だとお見受け致しました。陛下の護衛の者であれば当然のこと。ただの一兵卒ではございますまい」
決定権は桔梗本人にはない。主である帝の命令を静かに待っているその護衛に向け、白藤は振り返ることなくその名を呼ぶ。
「桔梗、お前は二藍と参れ。この者の命令に従うのだ」
言われた桔梗は「御意」と簡潔な返事を返す。
「後のことはお任せ下さい」
しばらく見ぬ間にすっかり頼もしくなった弟に、二藍は深く頷く。
兵を十数名、加えて睡蓮、桔梗までを従えて、二藍はまだ明けぬ闇に紛れ消えていった。
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