四
それは、その日の夕暮れ間近のこと。
「そなたも懲りぬな」
「我が娘のため、さしてはこの国の行く末を思うてのこと」
「何が国のためだ。権力欲しさに、俺を担ぎあげたいだけだろ?」
「血が騒がぬか? そなたの身の内に流れている『花浅葱帝』の血が⋯⋯皇族の血が。兄上も白檀も上手く隠しておるつもりだったであろうが、秘密とは暴かれるものだ。決して隠し通せるものではない。誇りを思い出せ」
この度は自ら下座に腰を下ろした藍鉄。目の前に座る二藍と真っ直ぐ目を合わせ「血だ」だ「誇り」だと、彼を掻き立てる。そんな相手とは対照的に、二藍自身は顔色ひとつ変えず、冷ややかな視線を向けているだけだった。
上座に鎮座する堂々としたその姿はまるで、玉座に君臨する覇者のようで、その威厳ある風格に藍鉄は満足そうに微笑んでいる。
しかし、二藍はどこまでいってもやはり「二藍」だった。
「そんなもの、元々持っていない」と藍鉄を軽くあしらうよう吐き捨てる。今更『皇族』などと担ぎ上げられても、元より実の親の顔すら知らないのだから何の感情も湧かないのはもはや必然的。今の自分にあるのは、『柴染紫紺 二藍』という人格への誇りだと藍鉄に伝え示すのだった。
「然れど、やはりそなたは一度宮中へ上がるべきだ。その姿はまさに『覇王』────乱世に相応しい『皇』の品格」
いつになく饒舌な男は、黙ったままの二藍を見つめたまま尚も続ける。
「そなたが玉座につけば、この乱世も終わりを迎えるだろう。乱世を統べるまさに『覇者』となれるのだ。手にしたるは藍墨だけではない、この国をそのものだ。その全てなのだ。そなた自信が望まずとも、いずれ『二藍』の名は朝廷にも届くだろう。そもそも、白藤帝は『帝』の器ではない。あの方は優しすぎる。────となれば、いずれはそなたの存在は皆の知るところとなる。さすれば私だけではない、他の多くの者がそなたの元に集うことになるだろう。手は早くに打つべきだ。もし私に全てを任せて貰えるならば、この先、この屋敷の家臣にもそれ相応の地位と官職を与えられるよう尽力いたそう。そして麹塵様も後宮に。しかし、あくまでも正室は我が娘、牡丹ということにして頂く」
それが牡丹自身の願いだと。
「何事もいつかは終焉を迎えるのだ。時は今より動き始めた。二藍、そなたの時代だ」
欲がないと言いつつ、欲まみれではないかと彼を嘲笑う二藍は、「話はそれだけか?」と席を立つ。
「この間とは随分様子が違うな。今更俺を持ち上げたとて、そなたの得になるようなことは何一つない。何度来ようが同じことだ。玉座になど、俺は興味ない。もちろん、そなたが欲してやまない権力にもな」
彼がそう簡単に落ちないとは予測していたであろう藍鉄も、二藍あまりの頑固さに鼻息荒く席を立つ。
「何度申し上げても、受け入れる気はないと?」
それは念押しだった。
しかし取りようによっては、脅迫に聞こえなくもない。
足を止め、男を振り返る二藍を鋭く睨みつける彼は、「ならば⋯⋯」と勿体ぶった言い方をする。
「そなたがその気になる条件を提示するまで⋯⋯」
その不敵な笑みに、二藍の顔色も変わる。眉間に深い皺を寄せ睨みつける相手は、先ほどとはうって変わり「それでは」と言い残し軽快な足取りで踵を返し部屋を出ていった。
「一体、何をするつもりだ?」
二藍の脳裏には様々な事柄が浮かび、それは一様に「最悪」の事態を形作っていた。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
昼間のこの通りは人で溢れかえっている。様々な露店が軒を連ね、色鮮やかな装飾品を目にすることが出来るのだ。
「せっかく二藍とも夫婦らしくなったってぇのに、何だって買い物になると俺なんだよ?」
「茅の方が二藍様より気が長いでしょ? 待たせてもそんなに気にならないし」
「おい!」
笑いながらも冗談じゃないと後ろから頭を小突かれる。
人に遠慮させない懐深さが、二藍の心をも癒しているのだろうと麹塵は胸が温かくなった。
「ねぇ、茅────」
少し歩き疲れたと背後を振り返る。ここら辺で少し休もうと続けようとした言葉だったが、それを彼に伝える前に、麹塵の視界を何かが横切った。それが何だったのか確認する間もなく、彼女の体はそのまま路地に引き込まれていく。何事だと顔を上げれば、全身を黒で覆ったいかにも怪しい人物に口を塞がれ身体を拘束されていた。
「麹塵!!」
ほんの一瞬目を離した隙に見失ったその姿を探しすぐさま現れた茅に、「助けて」と叫ぶ声は塞がれた手の中でくぐもり言葉にならない。もがけばもがくほどきつくなる拘束に根をあげてしまいそうになったその時、今度は茅の背後に忍び寄る姿を見つけた。
このままでは彼が危ないと、早く気づいて欲しくて声にならない声を上げる。しかし身動き取れない自身の身体ではどうしようもなかった。
決してあるはずのない、夢にも思わなかった現実────。
身体をめいっぱい動かし、何とかしよう思いついたのは、口元を覆うその手。少し緩んだスキをついて、麹塵はその手を思いっきり噛んでやった。不意をつかれた激痛に叫び声を上げる男の手を顔で払い、「茅、後ろ────!」と声を張り上げる。
麹塵の叫びと、忍び寄る気配に気づいた茅の間合いはほぼ同じだった。振り返る瞬間に剣を抜き振り下ろせば、相手の右腕を掠める刃。
しかし次の瞬間だった。
それはほんの少しの差。
麹塵を気にしながら応戦する茅の集中力は、少しばかり散漫になっていたのだ。そこを突かれ切り込んだ忍びの刃が、そのまま茅の胸を深く貫いた。
崩れるように倒れる身体。
みるみるうちに血に染まっていくその着物に、麹塵の頭は真っ白になっていった。
もう反撃することなど出来ない茅を確認し、麹塵を拘束していた腕が離れる。それを勢いよく振りほどき、急いで茅の元に駆け寄る彼女はその身体を抱き起こすと、かき抱くようにし彼の名を呼んだ。何度も何度も⋯⋯。しかし、ぐったりとした身体は何の反応も示さない。
既に絶命していたのだ。
「嘘でしょ⋯⋯? ねぇ、茅⋯⋯目を開けて。ねぇ、お願いよ⋯⋯逝かないで⋯⋯────」
つい先程まで言葉を交わしていた相手。いつもどんな時でも側にいて支えてくれた、心の拠り所。それを麹塵は失ってしまった。別れの言葉も言えないままで⋯⋯。
彼を抱きかかえ嗚咽に耐える彼女の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ち、眠るよう息を引き取った茅の頬を濡らしていく。その様はまるで、彼が泣いているようにも見えた。
自身が血塗れになることさえ厭わず、麹塵がその骸をきつく強く抱きしめたその時、彼女は後頭部に思わぬ強い衝撃を受ける。「うっ⋯⋯」という微かな呻き声と共に何者かと窺う間もなく、彼女の身体は茅の亡骸に寄り添うよう倒れた。
❁*。
君主の命令は絶対だ。
「麹塵」という女のことを調べて来いとの至極私的な命令にも、文句はあれど逆らうことはできない。いや、この桔梗であれば相手が帝であっても、気に入らない命令なら「お断り致します」と即答する。
しかし、珍しく女人に興味を抱いたらしい主を、些か面白がってもいた。
『歌唄い』だとの情報に、その素性は難なく分かった。それをすぐ様、国王に伝え仕事は終わりだと思っていたら、今度は見張り役を命ぜられたのだ。何が目的か分からないが、付かず離れずでその動向を窺っていた矢先、今回の事件が発生した。
桔梗がその姿を見失ったほんの一瞬の隙をついて、彼は何者かにその命を奪われてしまったのだ。自分がもう少し早く駆けつけていれば、守れていたはずの命。その亡骸に縋り付き泣き続ける女に心を痛めながらも、この先どうしたものかと頭を抱える。今姿を見せるべきか、否か。人名を尊重するのであれば、自らの立場などどうでもいいはずだった。しかし付かず離れず見守るようにとの勅命に、躊躇いが生じてしまっていたのも確かだった。
なおも咽び泣く女。ふと、その背後に忍び寄る黒い影を見つけた。
するとその影は彼女を殴りつけ気絶させると、その身体を担ぎ上げ立ち去ろうとする。それだけは何としても阻止せねばと、桔梗は漸く自ら重い腰を上げその者の前に立ち塞がった。
「何者かは知らぬが、その女は置いて行け」
全身を黒で覆ったその姿はまるで、鴉。気味が悪いと睨みつける相手は、「断る」と剣を抜く。ならば受けて立つと向けた刃に投げ落とされた女の身体に眉を寄せた。
「その女人が何者か分かっていての無礼か?」
「何かしら価値があるのは知っている」
目元以外を覆う頭巾にくぐもる言葉は、意味深にそう告げる。下がる目尻に不気味な笑みをこぼし、桔梗の注意が一瞬女の方を向いた隙を狙い、男は斬り込んできた。甲高い音を立て刃がぶつかり合う。桔梗は精一杯の力を込め相手を突き放すと、そのままの勢いで男の腹部を斬り裂いた。
呻き声を上げ吐血しながら崩れ落ちていく身体に、せめてもの情けだとその首を斬り落とす。ゴロゴロと転がり行く頭部をただ眺め刃を鞘に仕舞うと、未だ意識を失ったままの女────麹塵を抱え、人の目を避けるようその場から立ち去った。
「陛下の予感は、どうやら当たっていたようでございますね⋯⋯」と、そう呟きながら。
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