三
「麹塵の容態はどうだ?」
「医者の話じゃ、ただの風邪だってよ」
「そうか」とほっとしたような笑顔をもらす二藍に、茅は並びながら「どうした?」と尋ねる。
「彼女に会ってないのか?」
「正確には、会ってくれない────だが」
事情を何も知らなければ、ここで「なぜだ?」という疑問が出てくるのだが、その理由に心当たりがある茅は何も答えず頭を搔いていた。
「昨日、俺の留守中に牡丹殿が訪ねて来たそうだな?」
「あぁ⋯⋯」
「用向きは何だった?」
「────それは、俺の口からは言えない。⋯⋯でも、お前なら想像に難くないだろ?」
昨日の雨が嘘のように晴れ渡る空はまさに快晴。
この分だと今日のうちに一気に桜が開花するだろうと、庭を眺める主に茅は告げた。
「現実と憶測、少しの嘘がお前たちの間に飛び交ってる。お前が大事にしたいと思う相手がどちらなのか俺には分からないが、ここら辺ではっきりさせといた方がいいんじゃねぇのか?」
「茅、謙遜とはお前らしくないな。俺のことならお見通しだろ?」
「それはお互い様」
素直になることも時には大切だと、素直とはかけ離れた主を見遣る。
「麹塵の体調が良くなったら、また報告してくれ。それまでは、お前に任せる」
「了解」
言う茅は、自分より少し下の位置にある主人の肩に手をかけ「任せろ」と頼もしく笑う。
二藍にとっても茅の存在はやはり特別で、彼がいるからこそ自分は強くいられるのだと、澄み渡る青空に唯一無二の友人を重ねて見ていた。
❁*。
優しく、包み込むような筝の音が、麹塵の精神を支えてくれる。自分を慰めるよう呟く癒しの歌は、まるで自身への弔いだった。
二日も休めば、風邪などあっという間。しかし一晩は高熱にうなされたため、体力は少し落ちている。気だるい身体を起こし廊下に出ると、庭の桜が満開になっていた。
「また雨が降ってしまうと、散っちゃうね」
誰にも話したわけでもない。思ったことをただ口にしただけ。なのに、期待してもいなかった返事に驚いた。
「少なくとも、今夜は雨ではない」────と。
見上げた視線のその先にいたのは、美しきその姿。
「身体はもう大丈夫か?」
「えぇ」
「隣に座っても?」
「どうぞ⋯⋯」
短い言葉を交わし麹塵の隣に腰掛ける二藍は、珍しくその長い髪を一つに結わえていた。
「何があったのか⋯⋯大方の察しはつく。お前が何を気にしているのかも」
彼は膝の上に置かれてある麹塵の手を握りしめ、二人だけで話しがしたいと人払いを促す。睡蓮には後で呼ぶとだけ告げ、用意していた筝はそのままにしておくよう伝えた。
「俺に何か聞きたいことは?」
「⋯⋯たくさんあります」
「何だ? 何でも話そう」
麹塵を見つめ優しく微笑む笑顔を、とても綺麗だと素直に思う。
咲き乱れる花びらがそよぐ風にはらはらと舞い、降り注ぐよう散り行く様はまるで、春に降る雪のようだと穏やかながらも心憂いていた。
「あなたと青藍様は⋯⋯あまり親子仲が良くなかったと伺いました。青藍様は何故、私をあなたの妻にとしたのでしょう? 青藍様との間に交わされた交渉については、父から話を⋯⋯。でも⋯⋯やはり私が『歌唄い』だから? それだけ⋯⋯なのでしょうか?」
前にかかる髪を耳にかけながら声細く問う麹塵に、二藍は真摯な眼差しを向ける。あまり見ない鬱々とした彼女の姿に、彼はどこかいたたまれないといった表情をしていた。
「俺は────生まれてすぐ、この藍一族に引き取られた」
「引き取られた? では、青藍様とは⋯⋯」
「血は繋がっていない。俺は藍一族とは縁もゆかりもない立場。だから叔父上も俺が家督を継ぐことに反対していた。何も気づいていない風を装ってはいるが、実の所、俺の出自については昔から怪しんでいたからな。真実を知っているのは、一族の中では父自身と白檀だけだった」
「そう⋯⋯だったんですか。ならば、本当のご両親は今は?」
「母はもう亡くなっている。父親と呼べる存在は、かつて────この国を統べていた男だ」
さらりと出た一言に、思わず目を見開く。冗談なのかとその目を見つめれば、彼の表情は至って真剣だった。
「先帝、
それは思いもよらぬ告白。実の父が「帝」ともなれば、それを知る者の方が少ないというのも頷ける。麹塵は今以上に、興味が湧いていた。
「何があったの?」そう再度問えば、まるで過去を嘲笑うよう笑みをこぼす。
「俺は生まれながらにして、忌み嫌われた存在だった。『誰も望まぬ鬼の子』だとな」
「誰も望まぬ⋯⋯────そんな⋯⋯」
「当然だ。俺の母は遊女だから、それだけだ。花浅葱は本来ならば帝の地位に着く人物ではなかった。継承順位も低く、兄が十人いた。だから好き放題やっていたのだろう。しかし、先々代が倒れ宮中では跡目争いが勃発。皆が共倒れする中、唯一残ったのが花浅葱だった。自分が孕ませた遊女が男児を産んだと聞いたのは帝となった後だったらしいから、奴も相当焦っただろう。母は赤子の俺を連れ宮中に上がったがその場で切り殺され、傾城町は焼き払われた。そこにいた民諸共な。俺もその時殺されるはずだったのだが、それを救ってくれたのが白檀だった。そして父に俺を引き取るよう進言してくれたそうだ」
自分が今生かされているのは白檀がいてくれたからだと語る彼は、「帝」をただの一度たりとも「父」とは呼ばなかった。自分の父は青藍だけだと。
それからの生活は酷いものだったと、二藍はまるで他人の人生を語るよう淡々と振り返る。
「藍の重臣たちからは『忌み子』だと散々蔑まされ邪険にされながらも、今日までなんとかやってこられた。それもこれも、この屋敷で唯一俺の味方となってくれた友人、茅や白檀がいてくれたからこそだ。そして⋯⋯今はお前、麹塵が側にいてくれる」
彼の瞳は熱を帯び、彼女を真っ直ぐに見つめている。情熱的と言っても決して過言ではないその眼差しは、麹塵を捉えて離さなかった。
「父は多くを語りはしなかったが、俺に見届けろと言いたかったのかもしれない。⋯⋯────テメェで作ったきっかけだ、テメェで責任取れって⋯⋯」
「え?」
口調がどこか茅に似ていた。
どこか投げやりだけれど芯はブレていない、そんな感じ。
「以前、お前を弔いに行かせた、合戦の跡地を覚えているか?」
言われ、右斜め上に視線を上げる。頭上に広がる淡い水色を眺め、思い出したと声を上げた。
「あそこには、かつて大きな傾城町があった」
「お母様の⋯⋯」
「あぁ。だから、お前の歌を母上にも聴かせて差し上げたいと⋯⋯そう思って。母の温もりどころか、顔すら知らんがな」
二藍の声が、少し震えているような気がした。
そっとその背に手を当て、彼を労る。
「苦しく辛い過去は、変えることも消し去ることもできない。乗り越えていくしかないのだけれど、苦境こそ精神の糧だと、父がよく言っていたわ」
彼と辛い過去を競う気はないが、麹塵自身も身を引き裂かれそうな出来事を幼い頃に経験している。記憶にはないが悲しみの感情は覚えている。母を失ったあの日から、彼女の心は過去に囚われたまま。だからとて「あなたの気持ちは分かる」などと軽々しく口にはしない。喜びも悲しみも、本当の気持ちは体感した者にしか知りえない感情だからだ。
「流れる時間は誰にも止められない。過去をやり直すことはできないけれど、これから先の日々をどう生きるかで、明日は如何様にも変えることができる」
過去を苦しんだ分、これから先の人生が救われると麹塵は思いたかったのだ。
「確かに⋯⋯。お前に出会えたことが、今の俺には何より幸せなことだ」
二藍の長く綺麗な指先が、麹塵の髪をひとすくいする。
「これから先何があろうと、お前は俺が守る。だから信じろ」
掬い取った髪をその手から解放すれば、そよ風に流れ彼女の元へ。宙をさ迷う彼の手は、そのまま麹塵の頬へと添えられた。
一つの質問にいくつもの返事をくれる二藍。聞くに聞けなかった麹塵の、秘められた思いに対する問の答えもそこにあった。
見つめ合う二人の姿は、まるで引き寄せられるようその距離を縮める。そしてその影はごく自然に重なった。
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