六
刹那────彼女の耳に金属の跳ねる音が聞こえた。いや、外から聞こえる音と言うよりは、身の内から鼓膜を震わす雑音。暗転した視界が急に光を帯び色を灯す。見覚えない通りと喧騒。見たこともない風景────記憶。
飲み込まれそうだった意識が、不意に聞こえた叫び声に引き戻されていた。
「二藍────!!」
駆け寄る数人の足音が、彼を麹塵から引き剥がし彼女を受け止める。それが茅と睡蓮だということに気づいたのは抱きとめられた直後のことだった。
「お前、何やってんだ!? 麹塵を殺す気か!!」
睡蓮に彼女を預け、茅は二藍に対し声を荒げる。
「俺に、要らぬ世話を焼くからだ」
だから必要ないのだと声を上げる。
「もう、誰も何も要らぬ!! 何者も⋯⋯俺に構うな!!」
言いながら彼は到底言葉にならぬ叫びを上げ、言葉にし難い苦しみをその拳にぶつけていた。敷きつめられた小石がみるみるうちに真っ赤に染まる。今の二藍にはどんな行動にも、理由は一つ。悲愴感と虚無感のみだった。
麹塵はその肩を支える睡蓮の手を振りほどき、心ない石に言葉に出来ぬ気持ちをぶつける彼を止めるようその背にしがみつく。
「あなた様が今、どれほどの悲しみの中にいるのか私には分かりかねます。しかし、大切な方を失う苦しみは私にも痛いほどよく分かるのです。後悔や絶望、言い知れぬ虚無感⋯⋯。されど、そう塞ぎこんでいても何も変わりますまい!」
振りほどかれそうになってもしがみつき、自分の持つ出来る限りの力で彼を抑え込む。側で見ている男二人は、そんな麹塵の行動を敢えて止めることなく見守っていた。
「二藍様、あなた様にはそれほどまでに思い慕って下さったお方がおられたのです。その方が今望んでいるのは、悲しみや絶望に咽ぶ姿ではごさいません。『鬼』と称されようと、冷酷冷徹と言われようと強き信念を持ち、その意志を貫く凛々しい姿でありましょう。白檀様が命を賭してでも守ろうとした『二藍』という誇り。それはあの方の尊厳でもございます。それをあなた様自信が汚してはなりません!!」
彼女の言葉がその心に届いたのかは分からない。けれど「離せ!」とひたすらに叫んでいた二藍の身体は、観念したかの様その動きを止めた。
「白檀様の死を弔う気が少しでもおありなのでしたら、その方のお命に報いてください。あなた様はいずれ、この国を背負って立つお方だと、白檀様自身が生前そう仰っておられました」
麹塵はそう言うと密着させていた身体を離し、彼の正面に回り込む。そして俯いたままの相手の頬にそっと手を添わせ、真っ直ぐ目線を合わせた。
「二藍様、『藍』を名乗る者でございましょう? 目をお覚ましください!! あなた様が皆を束ねずして、如何なさいましょう!」
彼女は思い切って、そう二藍に渇をいれたのだ。
その姿はまるで亡き白檀のように、二藍の目には重なって見えていた。
途端に泣き崩れるその身体。
人目もはばからず嗚咽に耐える二藍は、今まで堪えていた悲しみの感情を剥き出しにして泣き続けた。麹塵はそんな彼をその胸にしかと抱きとめ、その涙を受け止める。
まるで母に縋る幼子のように彼女にしがみつき咽ぶその姿を、茅と睡蓮もいたたまれないといった表情で静かに見守っていた。
そよそよと吹き抜ける風に洗われる心が、蒼穹に悔恨の念を解き放ち負の連鎖に別れを告げる。
初春の光が、彼らを優しく包み込んでいた。
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