二
「これまで二藍様は、青藍様の影武者でございました。しかし青藍様亡き今、藍一族の次期頭領は当然の如く嫡男であらせられます二藍様となりましょう」
いずれこの藍墨を背負って立つ存在だと、麹塵に対し二藍への理解を求める。
「乱世の覇者に内助の功は欠かせない。麹塵殿は芯の通った強い女性だと、生前に青藍様がそう申しておられました。きっとあなた様の助けが必要な時が必ずや、やって参りましょう。ですから今しばらく、待って差し上げて下さいませ。何より、二藍様の腹心である茅があなた様のお側におるというのが、いかにも二藍様らしい」
白檀を見つめたまま麹塵の視線は動かない。その真意を聞こうと口を開きかけたその時、「麹塵、来たよ」と筝を背負って現れた睡蓮に次の言葉を飲み込んだ。
そのまま廊下に座り筝を構える彼の前、立ち上がり扇を手にする彼女は、聞きそびれてしまったなとその老臣を見遣る。その人はとても柔らかく微笑んで茅の側に並んでいた。
淡い光を纏った魂が、今しがた二藍がいた周辺を浮遊している。
「魂まで藍色なのね」
呟く彼女に「そう見えるの?」と睡蓮はそっと問う。
「とても綺麗な『藍』の色よ⋯⋯」
微かに尾を引く光の輝きに、生前に持っていたであろうその人の強い信念と深い情愛を感じた麹塵は胸を痛める。それは息子である二藍に向けられていた、父の大きな愛だった。
「睡蓮⋯⋯」
そう名を呼べば彼は静かに頷き返す。弾むような、それでいて穏やかな川の流れにも似たその音色に皆息を呑んだ。麹塵は大きく息を吸いこみ、心からの供養を込めて弔いの調べを歌にする。
亡き青藍の御霊を鎮めるために。
彼女の歌声に答えるようゆらゆらと周辺を彷徨っていた魂は、やがてその光を連れ屋敷の奥へと消えていく。きっと二藍の後を追ったのだと、麹塵はそれを見送っていた。
まるで物語を語るよう響く歌声に、魅了されし者は何も死者の魂だけではない。そのあまりにもの素晴らしさに、屋敷中の使用人たちも向かいの縁側に集まってきていた。
今日も麹塵の側に当然の如くいる茅。その姿を見つけたのは使用人の女中たち。噂話は女の話の種だが、唄い終えた麹塵を横目に、彼女たちは尚も何やらひそひそ話を続けていた。
「すっかり嫌われものだわ」と言いはするものの、特に傷ついた風もなく麹塵は扇を畳む。
「言いたいことがあるんなら、こそこそとしてないで堂々と言えばいいのに」
「皆、あなたみたいに自由じゃないのよ?」
「何だよ、それ。俺にだって仕えるべき主君はいるんだ。まぁ、その逆を言えば、『退紅麹塵』以外に敬意を払う義務はない────ってことになるけど」
そもそも誰にも遠慮などする気もないと、向かい側を睨むよう見据える彼に、「だからやめて」と呆れる。睡蓮とのやり取りに気を取られていた彼女は、その時完全に油断していた。
「お久しゅうございます」と突然声をかけられれば、その驚きに肩が跳ね上がるのも当然。驚かせて申し訳ないと謝るのは、二藍の弟だと前に紹介された
「お姿を見かけないものですから、屋敷中あちこち探しましたよ」と屈託のない笑顔で話す彼は、幼さの残るそのあどけない笑みで、こちらの警戒心をすぐさま解いてしまう。
「兄上に聞いても『知らん』の一言ですし」
冷たすぎます、と一人憤慨している姿に微笑ましくも苦笑いで返した。
「いつものことですから、特段、気にも止めていません。そんなことに一喜一憂していたら、ここでは暮らせませんから」
ふわりと花が咲いたよう笑う彼女とは対照的に、白藍は真剣な表情で彼女の手を優しく包み込む。
「僕なら、あなたにこんなに寂しい思いはさせないのに」と。
屋敷中の目がある中、構わず迫ってくる白藍の積極的な行動にさすがの麹塵も唖然。どうしたものかと一歩後退りする彼女に見兼ねた睡蓮が、そこに割って入っていった。
「恐れ入ります白藍様。仮にも麹塵は、あなた様の兄上の奥方でございましょう? そういうことを、軽々しく口にされるべきではないと思いますが?」
「あー⋯⋯ちょっと黙っててくれるかな? 君の方こそ『麹塵、麹塵』と、いつも彼女にまとわりついて、それこそ鬱陶しい!?」
本人の宣言通り誰であろうと遠慮なしの睡蓮に対し、「馴れ馴れしいヤツめ!」と苛立ちを隠そうともしない白藍は、足元に敷き詰められた砂利を踏みしめ彼を睨む。
「もしや、お前も彼女に気があるんじゃないだろうな!?」
「なっ⋯⋯何言ってんだよ!? そんなわけないだろ! 俺は麹塵に忠誠を誓ってるだけだ。それが路考様の命令でもあるからな。変な下心丸出しのあんたと一緒にしないでもらいたい!」
白藍は守護なれど、その血筋は正真正銘の藍一族の者。故に当然、睡蓮よりも立場は確実に上。しかし目上の人間相手でも「あんた」呼ばわりの怖いもの知らずな彼に、「君の方こそ慎みたまえ!」と声を上げる白藍の気持ちも分からなくもなかった。されど睡蓮はお構いましに喧嘩を売る始末。ならばそれを買ってやろうと、両者向かい立ち身構える。こんな所で大の男二人が取っ組み合いなど情けないと、慌てて止めに入る麹塵だったが、彼女より先に伸ばされた逞しい腕が二人の男を軽々と制した。
「はいはーい。そこでお終い」
「邪魔するな、茅!」
「白藍様、いくら何でもお父上が亡くなられたばかりです。もう少し冷静になられては如何ですか? お前もだ、睡蓮。下らねぇことにいちいち反応すんな。それこそキリがねぇだろ?」
言われ、鼻息荒いままに二人は離れる。「ありがとう」と告げる麹塵に、茅は何でもないと目配せをした。
側では事の成り行きを静かに見守っていた白檀が、その顎に蓄えた髭を撫でながら相変わらずの笑顔をこちらに向けている。
自分の役目は終わったと、睡蓮は袋に入れた筝をその背に背負うと、麹塵にだけ一声かけて悠々とその場を立ち去った。それを見送りながら「愛想のないやつだ」とこぼす白藍に、麹塵は付き人の無礼を詫びる。
「決して悪い人間ではないのですが、私のこととなると⋯⋯どうしても⋯⋯⋯⋯」
「麹塵殿が詫びることではございません! どうかお気になさらずに」
大丈夫だと無邪気に笑う白藍は「そういえば」と、思い出したように声を上げ、三度頭を下げる彼女を見つめる。今度は何だろう? と小首をかしげる麹塵は、黙って彼の言葉を待った。
「先程は父に弔いの歌を捧げて下さり、ありがとうございました。とても美しい歌声に聴き惚れてしまいましたよ。おかげで父も安らかに眠れることでしょう」
「だとしたらよいのですけれど。白藍様は今夜はこちらにお泊まりに?」
「ええ。兄上は良くは思わないでしょうけれど⋯⋯」
顔を合わす度、熱のこもった瞳で見つめられては彼女も戸惑うばかり。その眼差しは今朝方会った帝らしき人物の様子にも似ていて、麹塵はそれ以上深く考えることはやめた。
代りに何か言うべきかと言葉を探すが、頭に浮かぶのは足元に転がる砂利の数。無意識に数えてしまっていたそれは、困り慌てる彼女なりの自己防衛反応か。戸惑ったままの彼女を余所に、廊下を歩く足音が近くなったかと思うと、姿を見せたのは白藍の供の者だった。
その者は「
麹塵にとって白藍はそこまで印象深い人物ではなかったのだが、何となく記憶に残るのも事実。どこか引っかかる存在だと茅にこぼせば、「その感は当たってるかもな」と返された。
「二藍が怪しむくらいだ⋯⋯気をつけた方がいい。あの胡散臭い藍鉄とつるんでるって言う噂だしな」
「藍鉄様⋯⋯?」
去りゆく残像に落ちた言葉は、初春の風に運ばれ消えていった。
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