参:藍の鬼──二藍──

 政略結婚と言われれば、それを否定することはできない。かと言って郷里のために売られたのかと問われれば、それもまた癪で素直に頷くことなどできなかった。


 遠州茶から近く藍墨茶へ輿入れすることになったはいいが、夫となった人物は麹塵どころか女には全く興味を示さない男。しかしながら、藍墨茶で彼の名を知らぬ者はいなかった。


 藍墨茶国主、空五倍子青藍が嫡男────柴染紫紺二藍ふしぞめしこんふたあい


 特にその美しさは有名で、彼の持つ美貌は女性のそれと見紛うほど。それは初対面だったあの時の姿からは想像し難く、婚礼の折、改めて窺ったその容姿に驚いたのは言うまでもない。


 透き通った切れ長の目元に高い鼻梁の整った顔立ちはもはや完璧としか言いようがなく、きめ細やかな白い肌に薄く紅をひいたような美しい口元にはつい目がいってしまう。そこから紡がれる言葉とその容姿にそぐわぬほど低く甘い声は、それこそ数多の女性を魅了してやまなかった。


「お呼びでございましょうか?」


 ようやく蕾がつき始めた桜の枝を、彼はただ無表情に眺めている。感情の起伏なく問い掛ける麹塵だったが、二藍はその顔色ひとつ変えず縁側の柱を背もたれに片膝を立て、ただじっと庭を眺めていた。


「父上が、今し方亡くなられた。お前にはさ迷う死者の魂が見えると聞く。父を弔ってやって欲しい」


 向かい合っているにも関わらずただの一度も彼女を見ようともしないその瞳は、涙ひとつ流さず淡々とそう告げる。肉親の「死」、それも亡くなったのは彼自身の父親だというのに、その姿はいつもと何ら変わりなかった。


 突然の訃報に驚く彼女を尻目に立ち上がると、「茅、後を頼む」とだけ言い残しその人は去っていく。一年前なら、自分の存在がこれほど無意味に感じられたことなど、未だかつてありはしないと気落ちするところ。しかしここまで接点なく時過ぎれば、所詮自分はその程度の立場なのだと開き直り納得出来るのだった。


「お父上が亡くなられたというのに、いつもと変わらないなんて。とても悲しんでいるようにも見えないし。私如きに弱みは見せられないってことかしら?」


「そう卑屈になるな。お前がどうこうっていうわけじゃねぇ。実際、悲しんでなんかいねぇのよ。例え親子であっても、二人が時を共にすることはほとんどなかったからな。悲しめるほどの思い出もないってだけだろ」


 二藍自身がそう話していたと、茅は空を仰ぐ。


「そんな⋯⋯」


 意外な親子関係に少しの寂しさを覚える。


 初対面で彼に刃を向けられ命の危険を感じて以来、形だけの式を執り行っただけで、その後の接点はほぼ皆無。とはいえ仮にも自身の夫となった相手のこと、その人となりを知りたいと思うのは何も特別なことではないはず。然れど何も知らない事実に、果たしてこのままで良いのだろうか? という疑問も生まれてはいた。


 近くて遠い────麹塵にとって二藍とは、そういう存在だったのだ。


 気分は複雑なれど、自身を気にもとめてくれない相手に気をもんでいても時間の無駄。歌唄いをご要望とあらば、それに応えるまでと胸を張る。しかし気づいたのは、必要不可欠な筝弾きがいないこと。まだ城には帰りついていないであろう彼を思い浮かべ、隣に立つ男をじっと見つめた。


「ねぇ、茅⋯⋯」そう呼びかければ、嫌な予感が働いたのか彼が顔をしかめる。その予感は当たりだと告げ、睡蓮を迎えに行って欲しい構わず頼む彼女に、茅からは「何で俺が⋯⋯」との抗議の声。しかし奥方の命令では従わないわけにはいかないと、しぶしぶ踵を返した。


 頼もしい背中を見送りながら、彼女は無意識に夫である二藍とその存在を比べてしまっていることに気づく。


「冷徹冷酷な『藍』の鬼」や「狂気の男」だと周囲から散々脅かされ一度はその「狂気」を身をもって感じはしたが、それも一度だけ。あの状況下ではあれが普通なのだと思えたのは、自身も「鬼」と称される男の血を継いでいるからか?


 恐怖はただの一度で終わり、その後蓋を開けてみれば相手のそのど度肝を抜く美しさに拍子抜け。けれど嫁げば話はそれだけで終わり、以後、彼と言葉を交わすことは愚かその姿を見ることさえなかった。


 今日の会話も何日ぶりだろう? そう思案しながら、喜怒哀楽を全く表に出さないその残像に、「理解できない」と息を吐く。


「ため息など吐かれて、いかがなされましたかな?」


「奥方様」と声をかけられ、ぼんやりと眺めていた枯山水の庭から視線を外す。目を向けた先に現れたのは、白髪に白い髭を蓄えた優しそうな老人ひとり。二藍がこの地を離れる三年前まで彼の最も側で仕えていたかつての教育係、中黄白檀きゅうきびゃくだん、その人だった。


「白檀様! 少し考え事をしておりましたもので⋯⋯こんな時に申し訳ございません」


 優しげなその老臣は詫びるには及ばないと、ため息の理由を尋ねていた。


「青藍様がお亡くなりになられたと、先程二藍様からお聞き致しました。されど、二藍様ご自身のご様子が⋯⋯その⋯⋯あまり悲しんではおられないようにお見受け致しましたもので」


「左様でございますか⋯⋯」


「二藍様と青藍様は良き親子関係ではなかったのでございますか? 茅からはあまり良い話は聞けなかったものですから。青藍様には輿入れした際に一度だけお会いすることが出来ましたが、それ以降はかなわず⋯⋯」


 残念だと目を伏せる麹塵を、白檀は縁側へと促す。その場に腰掛け語り合う二人の姿はまるで、年老いた老人と孫娘のようだった。


「確かにお二人の関係は、親子と言えども非常に冷めたものでしたからな。故に、そう語り合う時間もなかった。元来、どちらも無口な方ですので」


「父と子⋯⋯なのに」


「そうお暗い顔をなさいますな。ご心配せずとも、お二人にはお二人にしか分かり合えない絆があったのです。故に青藍様の死に悲しんだ様子は見られなくとも、心は痛めておられる。ただ、それを表だって見せる方ではないのですよ、二藍様は」


「そうは仰いますけど、私にはどうも⋯⋯」


「冷酷に見えますかな?」と確信をつかれ、思わず頷いてしまった。それに一拍の間を起き、白檀は声を上げて笑う。


「二藍様は幼き頃より才ある秀でたお方でした。それ故に彼を妬む者も多かった。とりわけ、実のご兄弟から⋯⋯。妬み嫉み憎悪渦巻く中、青藍様の後ろ盾もほとんどないまま生き行くには、多少なりとも冷酷でなければ生き残れなかったのでしょう」


 そんな過去が、今現在の彼を作り上げたのだと。


 父である青藍よりも多くの時間を共にした彼だからこそ、「二藍」という人物がどういう人間なのか、その本質は誰よりもよく分かっていると彼女を見つめ優しく微笑む。


 ホーホケキョと鳴く鶯の声が、霞がかった青空に美しく響いていた。


「麹塵様、今目に見えている二藍様があの方の全てではございませんよ?」


 にこやかでありながら、厳しさも併せ持つ貫禄の笑みに「ならば⋯⋯」と麹塵は問う。


「私はよほど疎まれているのですね」と。


 しかしそう言いはするものの、落ち込んだ様子は見られない。そんな彼女の淡々とした言い回しに、白檀も些か戸惑っていた。


「藍墨に嫁いで早一年。ですが、お恥ずかしながらこれまで触れられたことは皆無、目を合わせて言葉を交わしたことさえ決して多くはございません。話し相手になってくれるのはいつも睡蓮と茅、そして白檀様だけ。屋敷中の女性たちにも嫌われているようだし。青藍様がご病気なのも、ついこの間茅から知らされたばかりでした」


 藍墨茶の国主であり『藍』の頭領────空五倍子青藍は、しばらく病に臥せっていた。国主が病に倒れたとあらばそれは藍墨の行く末にも影響するとして、その事実は長らく伏せられていたのだ。国主に近しい極わずかな者だけが知る事柄故、嫁いだばかりの麹塵がそれを知らされていないのは当然のことだった。

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