ここは戦場の跡地。決して安全な場所ではないのだ。


「俺から離れるな」


 低い声色でそう告げる彼の言葉に、この状況が些か緊迫している様子を伝えている。


 前方を鋭く見据えながら下ろした筝、その袋に睡蓮はおもむろに手をかける。幼い頃から彼女の側に仕えている彼は、もしもの時に備えてその筝に刀を仕込んであった。


 麹塵の歌唄いの能力を知っている者は皆、彼女を欲しがる。その『力』故に、彼女自身が身の危険を感じることも少なくはないのだ。そんな輩から麹塵を護るために、彼────榛睡蓮はしばみすいれんはいつも絶えず側にいる。それが、睡蓮自身の責務であるからだ。


 殺気を纏い身構える彼と向き合うようそこにいたのは、共に美しい容姿をしている青年二人。身なりは簡素だが、そのどこか高貴さを感じさせる佇まいと馬の鞍に描かれた見覚えある家紋に、麹塵はある種の戸惑いを覚えていた。


 一丈六尺いちじょうろくしゃくほどの間隔をあけ馬から降りた彼らは、ゆっくりと二人の側へ。


「刀を抜かずともよい。案ずるな、それを仕舞え」


 目の前の人物は、睡蓮の行動を見抜いていた。「剣を交えに来たのではない」と、自身も武器を持ってはいないことを彼に見せ伝える。


「ならば、要件は?」


「そなた、名は?」


 どこか喧嘩腰の睡蓮相手に至極冷静な男は、彼の質問を質問で返していた。


「私たちは決して怪しい者ではございません。睡蓮、刀を仕舞って」


 落ち着いた優しい声が、睡蓮を宥めるよう告げる。何故? と言わんばかりの表情で自分を振り返る彼に、麹塵はただ「大丈夫だから」と答え落ち着くよう諭していた。


 しぶしぶ刀を収め直し、三度それを背に担ぐとそのまま彼女の隣に並ぶ。


斯様かような場所で美しい女人が、一体何をしていたのだ? ここは先の合戦の跡だ。もしや、亡者相手に盗みを働きにきたのか?」


「まさか! 我々はそのような卑しい真似は致しません。ただ、置き去りにされたままの骸が実に哀れで⋯⋯。死者の弔いになればと、唄で魂のお見送りを⋯⋯」


「我々も同じだ。未だ置き去りにされたままだと聞いてな。せめて、手を合わせることだけでもと⋯⋯。ただ、私には冥福を祈ることしかできないが。それにしても、そなたは不思議な歌を唄うのだな? そのように素晴らしい歌声を、未だかつて聴いたことがない。実に見事だった」


 その視線は麹塵を熱く見つめている。


「もう一度、聴かせてはくれぬか?」


 熱を帯びた眼差しに息苦しさを覚え、彼女は思わず目を伏せる。生きている者は皆そう言う────と、彼女は首を左右に振った。


「申し訳ございません。私は死者の弔いのためにしか唄いません。⋯⋯唄えないのです。故に『死人の歌唄い』と言われております。どうかご勘弁を⋯⋯」


「どうしてもか?」


「はい」


 今度は顔を上げ、目の前の青年を真っ直ぐ見つめそう言い切った。誰に何と言われようが、こればかりは曲げられない。


 真っ直ぐにこちらを見つめてくる人懐っこそうな美青年に、行く手を遮る様立ち塞がるこれまた綺麗な容姿をした男。青年の付き人か何かだろうと、その男に尋ねるよう恐る恐る問いかけてみた。


「もう、お屋敷に戻らなくてはなりません。そこをお通し願えますか?」────と。


 悪いことなどしてはいない。なのに、立ちはだかる青年の視線が鋭すぎて痛かったのは事実。こちらを睨むよう見据えるその瞳は、自分のよく知る人物にどこか似ていると、麹塵は思わず視線を避けた。


 その美しさは「彼」の比にはならないが⋯⋯。


「桔梗、そこを退きなさい。道を開けよ」


 桔梗と呼ばれた深い紺色の衣装に身を包んだ青年は、納得いかないという表情を隠しもせずその命に従う。


「我が名は白藤しらふじ。よければ、せめてそなたの名だけでも教えてはもらえぬか?」


 そうまで言われては無下には出来ないと、麹塵は躊躇いがちに頷く。「白藤」という名に疑念が確信に変わり、名乗らないことの方が無礼だと控えめに答えた。


「私は、麹塵と申します」


 おずおずと答える彼女に目を細める白藤は、満足気に微笑むと先へと促す。睡蓮に手を引かれ逃げるようその場を立ち去る後ろ姿を、じっと見つめて⋯⋯。







 そこにあったのは、まるで初めて恋を知った少年のような顔。


「なぁ桔梗ききょう、彼女をどう思う?」


「⋯⋯と言うと?」


「野に咲く一輪の花のようだとは、思わないか?」


「麹塵」と名乗り去っていった女の影を追うよう、彼女が消えた方向を今も眺めたままのその姿。桔梗と呼ばれた青年は深くため息を吐きながら、まるで「情けない」とでも言いたげな表情を浮かべている。しかしそんな思いは、本人には届いてはいなかった。


「我々もそろそろ戻りませんと」


 約束の時間が差し迫っていることを伝えるが、本人はどうやらうわの空のようで。「聞いてらっしゃいますか!?」との少し強めの問いかけに、白藤は彼を振り返ることなく相槌を打った。


「礼儀を知らん臣下の声なら、耳障りなほど聞こえては来るが?」


「ならば言わせていただきますが、私はそんな腑抜けヅラの主君を持った覚えはございません。これからお務めでございます。シャキっとなさい!」


 自身の主人相手に丁寧ながら毒を吐くこの男────名は桔梗と言い、かばねは持たない。


「何とも面倒臭い役目だな」


 分かったよと、ため息混じりに答えながら振り返る彼は、気を取り直し桔梗に告げた。


「ならば命を下す」


 無造作に髪をかきあげ向き合う眼差しに、桔梗は眉間に深い皺を寄せる。怪訝な表情全開の彼に構わず命じたことは────「麹塵という女人のことを調べて参れ。彼女のことが何か分かるまで帰ってくるな」という至極個人的な命令だった。


 どこか嫌味を込めたその文言に半ば呆れ、「貴方様は餓鬼がきですか」と言う言葉を必死に飲み込む。主の命令とあっては従わぬわけにもいかず、不本意ながらも「御意」と頷く。とはいえ、実のところ到底納得などは出来はしない。しかしそれが自分の役目であるから致し方ないと、諦めるより他なかった。


 一体あの女のどこにそれほど惹かれたのか? と首を傾げる桔梗には、君主の趣味嗜好がいまいちよく分からなかったのだ。


「いい女ならほかにもいるだろうに⋯⋯」


 そうひとりごちて、舞い上がる花びらを見上げていた。

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