第3話 学院の思い出②

 ◆


 ある日の休み時間、ちょっとした騒動が起きた。


 いつものようにリンジィ様がやってきて、ジード様ととても親しげにお話をしていると──バン、と何かを叩きつけるような音がした。


 クラスのみんなが音の方向を見るとエレンディラ様が鋭い目つきでジード様を睨んでいる。


 音はエレンディラ様が机を叩いた音だった。


「エレンディラ、いきなりなんだ……うるさいな」


 ジード様がそんなことを言う。


 その口調があまりにも冷たく乾いていることに私は少し驚いてしまった。


 少なくとも婚約者に向ける声ではない。


「わたくし、リンジィさんに少し言いたいことがありますの」


 エレンディラ様が何を言いたいのか分からないものはいないだろう──と思っていたのだが、周囲の様子を見るとそうでもないようだ。


 男性の大半がエレンディラ様を怪訝な様子で見ている。


 逆に女性の大半はエレンディラ様にどこか同情的だ。


 リンジィ様を非難する様な目で見ている者も多い。


 当のリンジィ様といえば、ジード様の袖をつかんでその影に隠れるようにしている。


「ジ、ジード様……私何か悪いことをしてしまったのでしょうか……?」


 あざとい! 


 ただ、そういうのがどうやら受けるらしい。


 ジード様はリンジィ様の頭を撫で、「大丈夫だよ」などと仰っている。


 そしてエレンディラ様の方をキッと向き、とんでもない事を言う。


「エレンディラ! 貴様! そんな態度で話があるなどと、無礼も大概にせよ!」


 さすがに限界だった。


 エレンディラ様とは余り交流はないが、ここで傍観していれば女が廃る。


「「無礼なのは!」」


 私は思わず口にして、そしてややためらってしまった。


 なぜなら言葉が被ってしまったからである。


 声の方向を見れば、そこにはファレン様。


 私とファレン様は暫時見つめ合い、なんとなくファレン様が私の後を引き継いだ。


「ごほん、失礼……無礼なのは王太子殿下の方です」


「……なんだと、貴様!」


 ジード様がファレン様を睨みつけるが、ファレン様は動じない。


「正直なところ歯がゆくは思っていたのです。しかしエレンディラ様が声をあげない以上、私がどうこう言う話ではないと考えておりました。惚れた腫れたなどは当人同士の問題ですから。それに、貴族の婚約とは軽い物ではない。多少仲違いがあっても、私情で揺るがすわけにはいかない物です。政治的な思惑が十重二十重にも絡みついているのですよ。最終的にはうまいところへ収まるものだと思って敢えて口出しはしませんでした。そうは思っていたのですが、エレンディラ様が先ほど見せた怒りは一人の女性としてのそれでした。そういった怒りを看過しては禍根が残る」


「ゆえに諫言させていただきます。リンジィ嬢と王太子殿下の関係、私の目には不適切に映ります。王太子殿下は婚約者がある身であるにも関わらず、リンジィ嬢と少々距離が近すぎるのではありませんか? エレンディラ様が不快の意を表すのは至極当然です。シルヴェストル公爵家は王国の経済界を牛耳っており、その財力たるや他の貴族家の追随を許しません。よしんばエレンディラ様との婚約が割れた場合、王国には多大な被害が出ます。ジード様とリンジィ嬢は王国に厄を齎そうとしているのですか? どうなのです、王太子殿下。キルシュタイン伯爵家の嫡男としてお尋ねしますが、王太子殿下はこの王国の平和を脅かす"敵"なのですか?」


 教室がシンと静まり返った。


 それはファレン様の容赦のない諫言が原因なのではなく、ファレン様がキルシュタイン伯爵家の者として"敵"という言葉を出したからだ。


 その意味を知らない貴族はこの場にはいなかった。


「……敵ではない。キルシュタイン伯爵家の出る幕はない」


 ジード様が答える。


 先ほど浮かべていた怒りはどこにもなかった。


 当然だった。


 キルシュタイン伯爵家は王国の剣とも呼ばれている。


 その剣は、時に内に向けられる事をジード様が知らない筈はない。


「安心しました。ではリンジィ嬢はどうなのですか? 王太子殿下へ近づき、殿下とエレンディラ様の仲を引き裂こうとした理由はなんです。貴女が王国の敵だから、ですか?」


 ファレン様は左手を開いては握って、握っては開いている。


 私は以前、ファレン様があの様な所作から素手で太い樹を切断してしまったのを見た事がある。


 それを見たジード様が「やめろ、ファレン」と声をかけるが、ファレン様は何も答えない。


 リンジィ様は──


「……敵、じゃありません。ごめんなさい、王子様と、仲良くしたかっただけで……これからは気を付けます」


 と答えた。


 ファレン様の発する不穏な気配に気付いたのだろう。


 ジード様があからさまに安堵するが、それは私たちもだ。エレンディラ様すらほっと胸を撫でおろしている。


 学院で血など見たくはないのは皆一緒だ。


 そしてリンジィ様は足早にその場を去っていくが、私は聞いてしまった。


 ──『ッ……んで、あの男にだけ効かないの?』


 というリンジィ様の声を。


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