EP2 偶々、洗礼。

 戦争は、当たり前だが始まりがある。

 戦争は、始まりがあるのであれば当然のように終わりがある。

 開戦と終戦である。あるいは宣戦布告と講和である。


 で、あるとするならば。

 軍用汽車の一角で雄弁を振るう紅い髪の少女は勢いよく右腕を振り上げた。


「この戦争の始まりはなんだったでしょう!?」

「はいはい!」

「はいそこッ!」

「敵が侵略してきたからです!」


 ぼさぼさに切られた銀色の髪がぴょこぴょこと揺れる。一瞬、少年に間違えそうになるが列記とした女の子だ。元気さが売り銀髪の少女は早速、リーリャと打ち解けてその年齢に似つかわしくない政治談議に花を咲かせている。名は確か、スヴェトラーナ。例によって初対面ゼロレンジのリーリャはヴェータと親しみを込めて呼ぶ。


「そうその通り!」


 ヴェータ以上に鮮やかな笑顔を浮かべて話すのはリーリャだ。


「ラジオでよく言ってるもん! その位知ってるよ!」

「じゃあどうなったら戦争が終わると思う?」

「ちょっと、狭いんだから」

「あん、すみませんアンナ」


 軍用汽車のほんの一角、兵士と共に軍用汽車に詰め込まれた結果、体育すわりで座ってしまうとほとんど身動きできないほど一人当たりの専有面積は少ない。だが、お構いなしにリーリャとヴェータは腕を振り回していた。


「そんなこと、どうでもいいでしょ」


 一国民が論じても意味のないことだ。いつの時代も、政体も、国民は論じても無意味で代表を選ぶことしかできない。それなら、選べるだけ幸せなのかもしれないが、往々にして代表というのは公約を守らない。実際に、現国家元首も選挙の際には平和を標榜していたというが、現状はどうだ。地獄だ。

 それよりも今を生きる方法を考えた方が幾分マシだ。


「アンナはまたそんなこと言って……」

「アンナさんはいつもそうなんですかリーリャちゃん?」

「そうなんですよ」

「そんな、……それにもっと別のことを話しましょうよ。政治的なのはちょっと」


 国家保安省の秘密警察や協力者たちがどこで目を光らせているか分かったものじゃないのだ。昨日の終業後の話も内心びくびくしながらしていたのだ。

 そんな私の心配を他所にリーリャは人差し指を口に添え、わざとらしく微笑んだ。


「こんなとこまでわざわざ見に来る人なんていませんよ。まして、これから私たちは死ににいくようなものなんですから。それにこういう政治談議ってパブみたいなうるさいとこでやったりするんですよ」

「へえ勉強になりますリーリャちゃん!」

「えへへ、それほどでも」


 リーリャは分かりやすく、表情を緩めた。


「それじゃあ、アンナ!」

「私?」

「そうです! 別のこと話しましょう! 今日の朝ごはんはなんでしたか?」

「あ、朝ごはん。そんなのいつもの……」


 どうだっただろうか、と。私は今日のことを思い出す。

 朝起きて、どうせもう食べられないんだろうと秘蔵の鯖の缶詰を開けて、配給の麦粥と一緒に喉に掻き込むと汚れたままの煤けた国民服を着て家を飛び出した。あの時の鯖の缶詰の味は忘れない。一般に流通する塩とか人工甘味料にはない旨味が長い時間をかけて凝縮されたのだろう。一瞬で旨味が口の中に広がった。


「……別にいつもの朝ごはんだったわ」

「あ、なにか隠してますねアンナ」

「何も隠してないわよ」

「リーリャちゃん、これは何か隠してますね」

「ヴェータもそう思いますか!」

「「それ!」」

「っちょ! ……んッ」


 急だった。一切、その兆候を見せずに二人の四本の腕が私に触れてきた。それらが這う感覚はまるで羽毛の触手に撫でられているかのようで、なんとも言えない官能的な刺激だった。それがさざ波のように私を襲って、私は少し吐息を漏らした。


「うるさいぞ小娘」

「ッすみません。ほら、二人とも」


 同じ軍用の汽車に乗車する男の兵士に叱られてはじめて二人は押し黙った。

「それにしても」と私は鼻を拭った。普段の生活で汗の臭いは慣れていたつもりだったが男の汗の臭いはまた別だった。なんというか、きつい感じの臭いだ。頭が若干、眩暈を覚えた。

 既に汽車に揺られ始めて3時間ほどが経過していた。


「ところで今どの辺なんですか?」


 ヴェータの質問に私は頭を傾げた。どの辺かと尋ねられても分からない、というのが率直な感想だ。客車といえば聞こえの良いこの車両、元は貨物車両だったのだろう、極端に窓が少なくて自発的に車窓から外を見ようにも無理があった。

 その時、視界の端で見慣れない奇麗な黒髪が風に揺れた。


「西部方面に向かっているはずですから、最前線が国境から動いていなければ大体あと2時間くらいで、国境ですね」

「そう」

「前線が敵国内にあればまだまだ汽車に揺られることになりますが、自国と敵国とじゃ線路の軌間が違いますから途中から最悪徒歩ですかね」

「そう……って。あなた誰?」


 さっき視界に映った黒髪の持ち主は、やれやれと、頭を掻きながら言った。


「そうですよね。気づいてなかったですよね知ってました」

「あれ! 新顔さんだ! あなたお名前は!? 私、リーリア、リーリャって呼んで!」


 新しいものが好きなリーリャが早速食いついた。黒髪の少女はその剣幕に若干、表情を引きつらせた。


「ウェンディです」

「昨日はいなかったでしょ?」

「あはは、別の大隊にいましたから。リーリアさん」

「別の大隊?」

「そうなんですよ。……ってお名前なんでしたっけ?」

「アンゲリーナよ」

「みんなはアンナって呼ぶよ!」

「そうね。それでウェンディさん? 別の大隊って?」


 リーリャの言葉に私は短く答えて、隣でリーリャの言葉のゼロレンジマシンガンに狼狽えているウェンディに説明を促した。


「帝都近郊の野戦築城に奉仕していた工兵大隊って全部で四つあるんですけど、今回はそれぞれから軍人・軍属10名ずつを派遣するみたいですね」

「そう。あなた同僚さんは?」

「ずけずけ来ますね。別の車両に乗ってますよ。僕だけ別なんです」

「そう」


 ちなみに私たちは軍属の扱いだ。

 私たちも国営の企業に所属し企業から派遣される体で、それぞれの大隊に所属していた。それはこれからも変わらないのだろう。既に国は指揮官級の士官以外、積極的に正規軍人を雇用していないという。派遣兵士の味を占めたのだろう。しかも軍人ではなく軍属だから軍人の戦死者名簿に記載する必要がない。死んだら労災扱いで終わりだ。あるいは不慮の事故で終わる可能性すらあるのは笑えない。


 一人、私が頭の中で論を繰り返していると、「ところで」とウェンディが尋ねた。


「この汽車減速してません?」

「そう? リーリャ分かる?」

「ううん。ヴェータは?」

「んー?」


 みな、分からないらしい。

 その時である。客車の金属製のガッと擦ったような音を立てて開いた。

 小銃を肩に担いだ兵士が立っていた。


「この先、徒歩である!」


 立てと促される。ぞろぞろと兵士が汽車を降りていく。その背を追って私たちも降りた。久しぶりの大地は新鮮だった。まだ昼前らしく、空はカラリと見渡す限りの快晴だ。今だけは、太陽だけが私たちを上から見下ろしていた。


「やばいですよ」


 不意に横でウェンディが呟いたので、「なぜ」と私は首を傾げた。


「以前、本で読んだことがあります。鉄道である平坦を攻撃するのは基本で、攻撃の前段階として軌道を攻撃する。移動中の汽車に攻撃を当てるのは至難だから」

「偶然じゃないの? そもそも単にここから歩けってだけの命令──」


「つべこべ言わずに歩け!」


 兵士が怒鳴って銃を向けてきたら、歩く以外に選択肢はない、が。

 人が怒鳴る時というのは、単純に機嫌が悪いか、何かを誤魔化したいときぐらいだろう。状況は悪いのかもしれない。とはいえ、今の私たちに出来ることといえば命令通り歩くことぐらいだ。抗命は即射殺である。軍法会議なんてものはない。現場では迅速であることが貴ばれる。

 私はちらりと視線を横に傾けた。左右、数十メートルにわたって鋼鉄の大蛇が大地に横たわっていた。そこ横腹から無尽蔵ともいえる兵士を吐き出していた。


 ──刹那。

 私の鼓膜に聞き慣れない、何かの音──空気を擦って出したような奇妙な音が響いた。次第にその音は大きくなる。


「伏せろ!」と、叫ぶ声が聞こえて、咄嗟に私たちは頭を抱えた。

 一瞬の衝撃が私たちを襲った。

 悲鳴のような、怒号のような。何かを伝えようとする声が方々から聞こえる最中、私は空を見上げた。

 私は、見上げた先の空にそいつを見た。

 衝撃の正体を空に確認した。


 中世時代の騎士風の鎧人形が宙を舞っていた。ただそこに、中世のころに重視されていた芸術的な美しさはどこにもなく、それは艶のない鈍色の、ただひたすらに繰り返す無機質な殺意の塊を纏った衝撃と畏怖を象徴した存在のようにみえる。少なくとも私はそう感じた。

 そこには、産業革命の象徴である蒸気機関も、先の大戦の陸空の覇者であるの戦車も航空機も届かない圧倒的な──。


 暴力だ。

 暴力しかない。


 その圧倒的な力は、無防備でしかない人垣向かって、光の柱を放ち、衝撃は三度大地を殴った。人が、鉄が、塵芥の如く宙を舞った。

 一瞬だ。

「戦場の悪魔」と誰かがそれを呼んだ。


 圧倒的な暴力の象徴である『多目的戦術機動郭マルチロール・ファイター』の名を、私たちはまだ知らない。


 それらの理不尽に晒されたのは、そいつらによって戦車と航空機が一掃された戦場の、──洗礼でしかないし。

 理不尽から、私たちが生き残れたのは、単に──偶々でしかない。


 そして、──私たちは初めて。

 ──戦場の最前線を知る。

 


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