EP.2

 放課後、音楽室に向かうと、扉の前で遙花の友達に呼び止められた。


「ちょっと、伊月いづき君。話があるの」

「はい……?」 


 ざっと5人ほどだろうか?

 剣呑とした表情で、僕を睨みつけてくる。


「ちゃんとやってあげてね」

「え?」

「伊月君って、目立つの嫌いでしょ?」


 ズバリと言われる。鋭い、というか、常日頃の僕の行動からすれば、おおよそ理解できるか。


「本当は嫌々なんでしょうけど、ちゃんとやってあげてよね。あの子、勇気ふり絞って、あなたに頼みに行ったんだから」

「そうだよ。ボクらがついて行こうか、って言ったけど、そしたらキミがかえって警戒しちゃうかもしれないから、一人で行くってさー」


 ……ボクっ、一名。


「引き受けたからには、最後まで面倒みたってや」


 ……やや関西訛りの方、一名。


「本当は私達もハルちゃんと一緒にしたかったんだけど……ハルちゃんが、どうしても……っていうから」


 ……涙まじりの方、一名。


「えーと……」


 僕はものすごく気まずい思いを抱えながら、どうしても訊かずにおれなかった。


「あの、遙花……赤嶺さんが『どうしても』って言ったんですか?」

「そうよ」

「なんで……?」


 僕としては彼女らと一緒にやってもらいたかった。そもそも『どうしても』僕としないといけない理由がわからない。

 最初に声をかけてきた背の高いショートカットの方が、ハァと大きな溜息をつく。


「そんなの……決まってるでしょ。いちいち言わせないでよね」

「いや、全然わからな ―― 」


 僕が困惑して尋ねようとしたときに、音楽室の扉が開いた。


「あーっ、ちょっとー! みんな何してるのよー!」


 顔を覗かせた遙花が、目を丸くして叫ぶ。


「もう! なによ、もう……みんな集まって! ヘンなこと言ってない!? アキちゃん、なんか言われた?!」

「いや……あの」


 僕がさっきのことを訊こうとすると、背の高いショートカット女子が遮った。


「ごめんごめん。いや、伊月くんにちゃんと伴奏してあげてね、って言ってただけだって」

「もう……。大丈夫だよ。晶ちゃんは、やるときはやってくれるよ」

「ハイハイ。じゃ、私達帰るね。頑張ってね」


 彼女らは遙花にニコニコと笑って手を振ったあと、ジロリとまた僕を振り返ると、


  ―――― しっかりやんなさいよ!


と、無言の念押しをして帰って行った。


「ごめんねぇ。本当に……なんか言われてない?」


 僕はすぐに返事できなかった。

 言われてないかと訊かれたら、そりゃものすごく一方的に色々と言われたと思う。

 彼女らが言っていたことについて、遙花に問うてもよかった。

 一体、どういうつもりで僕に伴奏を頼んできたのか?

 彼女らと組むのを断ってまで、どうして僕と一緒に組むのを選んだのか……?


「いや、特に。さっき、言われた通りだよ」


 結局、僕は遙花に訊けなかった。訊いても、遙花は本当のことを言ってくれない気がした。


「それで? 曲は決まってる?」


 内心の気まずさを隠すために、僕は音楽室に入ると、すぐに話題を変えた。


「あ、うん。これなんだけど……」


 遙花が鞄を開いて、クリアファイルから楽譜を取り出す。

 僕は受け取って、そのタイトルに少し困惑した。


「……『落葉おちばのコンチェルト』?」

「うん。あの……知ってる、よね?」

「…………」


『落葉のコンチェルト』。

 いわゆるオールディーズと言われる類の、1973年にアメリカで発表されたポップソングだ。

 そんな僕が生まれるはるか前に流行した曲を、どうして僕が知っているのかというと、亡くなった母が無類のオールディーズ好きだったからだ。

 学校から帰ってくると、いつも母はオールディーズを聴きながら夕食の準備をしていた。粗くて、どこか温かみのあるレコードの音に、子供ながらにちょっとした懐かしみを感じながら、僕も毎日宿題をしていた。

 数多くの名曲の中で、特に母が好きだったのが『落葉のコンチェルト』だ。

 鼻歌を歌いながら、洗濯物を干していた姿がすぐ浮かぶ。

 何度となく聴いたそのメロディは、僕の耳底にこびりついて離れなかった。


「昔さ、晶ちゃん、学校から帰るときに、よく口笛吹きながら帰ってたでしょ?」

「……そうだったっけ?」


 僕はとぼけた。

 小学校の頃から人付き合いが苦手だった僕は、一人で下校することが多かった。

 でもまだ子供の僕はひとりぼっちを持て余していて、なんとなくつまらなくて、よく口笛を吹いて帰った。耳タコになっていたこの曲を吹くこともあっただろう。


「晶ちゃんがこの曲吹いてて、私いいな、と思って、晶ちゃんに訊いたんだよ。『それ、なんていう曲?』って。そしたら晶ちゃん、真っ赤になって『知らない』って走って行っちゃった」

「…………」


 そのときの僕の気持ちを憶測すると、誰もいない……というか誰も聴いてないと思って吹いていたのを、聴かれていたとわかって、めちゃくちゃ恥ずかしかったんだろう。

 まして、その頃からまぁまぁ男子の間ではカワイイと評判だった遙花に声をかけられたら、びっくりするし、恥ずかしさも二倍になって逃げるしかない。

 本当は今も逃げたいけど……。


「それでこの曲、歌うの? 英語で?」


 僕はやや突っけんどんに聞いた。当時の恥ずかしさが、また背筋をムズムズさせる。

 遙花は僕の素っ気ない態度に気分を害する様子もなく、ニコリと笑って頷いた。


「うん。でも一応、歌うからにはと思って、訳してみたんだよ。わりと簡単な単語だったし。でもこれ、題名詐欺だよね。全然、落葉もコンチェルトも関係ないじゃん! って」


 そう。

 この曲、日本人ディレクターが発売予定日の季節に合わせて勝手につけたもので、まったく原題とは違う。

 ただ原題のほうも『For The Peace of All Mankind』(訳:全人類の平和の為に)なんていうご大層なタイトルのわりには、中身はただの失恋ソング。

 女に逃げられた、未練タラタラ男の歌だ。

 ただメロディは切なく、秋という季節の物哀しさとよく合ってるから、邦題をつけた人はわりとこの曲の本質をわかっていたのかもしれない。事実、本場のアメリカではさほどに売れず、日本でのみシングルカットされてロングヒットとなった。

 歌詞の意味を知っていても、秋の落葉舞う季節になると、この曲は僕の頭の中で自然と再生される。


 僕は楽譜をざっと読んでから、遙花に尋ねた。


「これ、弾いたらいいの?」

「あ、うん。えっ? もう弾ける?」

「……たぶん」


 楽譜を見る限り、随分と簡単にアレンジされている。たぶん、初心者用だろう。途中まで弾いてから止めると、遙花がパチパチと拍手した。


「すごーい。上手。さすが」

「…………さすが?」

「あ、私、じゃあ歌ってみてもいい?」


 遙花には、僕のささいな疑問が聞こえなかったようだ。「あー、あー」と発声練習を始める。


「そういや……中学の時って合唱部だったって?」


 僕が尋ねると、遙花の顔が固まった。


「え? あ、うん。そう……だね」


 どこかぎこちなく、目線を泳がせる。

 僕は首をかしげた。


「なんか、言ったら駄目だった?」

「ううん! そういうわけじゃないよ。晶ちゃんが知ってると思わなくって」

「クラスの女子が言ってた」


 僕が遙花と組むことになって、わざわざご注進とばかりに、遙花と同じ中学だったという女子が教えてくれた。他にもごちゃごちゃ言ってたけど、鬱陶しいから、ほとんど右から左に流しておいた。


「高校では入らなかったんだ」

「うん……ちょっと……」


 それ以上触れて欲しくないのは、濁すような言い方で明らかだったので、僕はすぐに話を打ち切った。


「じゃあ、練習しよう。発声練習も、なんか弾いたほうがいい?」

「うん。お願いできますか?」


 遙花は少しかしこまった口調で言って、上目がちに僕を見てくる。

 僕はなんだか目が離せなくなった。

 しばらく見つめ合ってから、ニコッと遙花が笑う。

 一瞬、僕は息が止まりそうになった。

 いや、止まった。

 ギギギと、ゼンマイ仕掛けの人形のようにゆっくりと目線を逸らしてから、気付かれないように息を吐き出す。


「どした?」

「……なんでもない」


 僕は一度深呼吸してから、ゆっくりと鍵盤に手を置いた。

 しばらく弾くことに集中しよう。

 今は遙花の顔を見たら駄目だ。

 なんか、ものすごく駄目だ。

 たぶん、カワイイという言葉しか浮かばない…………。

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