いつか『落葉のコンチェルト』を

水奈川葵

EP.1

「ねぇ、アキちゃん。ピアノ、弾いてくんないかな?」


 窓越しにヒラリと落ちていく落葉を、何の気なしに見ていたある秋の日。 

 いきなりそんなことを言ってきたのは、幼稚園以来の幼馴染みだった。


 赤嶺あかみね遙花はるか

 同じ高校に通う同級生。

 でも一緒にお手々繋いで登園していたのは昔々で、小学校は一緒だったものの、学年が上がるにつれ話すことは減っていったし、中学は違う校区。高校でまた一緒になっても、クラスも違うし、部活で顔を合わすこともない。(そもそも僕は帰宅部だ)

 つまり接点なんてほとんどない。

 それが久しぶりに声をかけてきたかと思ったら、小さい頃そのままに『アキちゃん』なんて呼んできて、僕はひどく困惑した。

 思わず、るように上半身を引く。すると目の前にいた遙花がプッと吹いた。


「そんなに引く?」

「いや……なに? いきなり……」


 僕は少しだけ椅子を後ろにやってから姿勢を正すと、眼鏡をクイと上げた。

 自分でもこの仕草をすると、なんだかいかにも嫌味な委員長キャラっぽい気はするが、癖なんだから仕方ない。

 いっそ不快に感じて、そのまま回れ右して帰ってくれても良かったのだが、遙花は生憎、気を悪くした様子もなく、それどころかぐいぐい迫ってくる。


「だから、ピアノ。今度、音楽のテストあるじゃない? 発表会。あれで、私が歌うから伴奏でピアノ弾いてほしいんだ」

「はぁっ?」


 遙花からの申し出に、僕は思わず素っ頓狂な声を上げた。


 僕が通う高校は県内でも有数の平々凡々校。

 これといって特色もない普通科だけの高校で、芸術系の科目については、一年生の段階で三つ ―― 書道・美術・音楽 ―― の中から一つを選択することになっている。

 で、僕は音楽を選択した。

 他の二つについて ―― 美術については、絶望的な絵心の無さだったし、書道は墨でシャツが汚れたら大変だからやめておいた。

 まぁ、そうした理由がなくても、おそらく僕は音楽を選んでいただろう。

 理由は楽だから。


「小さい頃、ピアノを習いたくても習えなかった」という母の叶わぬ願望の代償で、僕は五歳からピアノを習わされた。

 今に至るも続けている希少な趣味だ。

 とはいえ、元からピアノが好きで始めたわけではないから、熱心に練習するはずがない。

 無駄に経験年数だけは増えたが、腕の方は超低空飛行の成長度。

 コンクールの出場経験もないし、ここ二年ほどは年に一度のピアノの発表会にも出ていない。一昨年おととしは受験が理由だったけど、去年は適当な理由をつけて断った。

 元々、目立つのは苦手だ。

 やる気なんてとうにないのに、まだピアノを習い続けている。

 自分でもよくわからなかった。

 僕にピアノを習わせた母親も二年前の冬に亡くなって、本当はいつやめてもいいのだ。でも、なんだか惰性で続けている。


 でも、習っていて良かったことが一つだけあった。

 それは譜面が読める、ということだ。

 このことは小学校・中学校通じて、非常に有益だった。

 音楽の筆記テストなんて、音符を読める人間からしたら、幼稚園レベルの問題なのだ。こんなにラクして点数のとれる教科、選んで当然でしょ、となる。


 しかしそういう僕の打算を見透かしていたのか、今年赴任してきた音楽教師は、とんでもないテストを課してきたのだった。

 それが発表会。

 音楽の授業中に皆の前で、楽器の演奏、歌、ダンス等々……ともかく『音楽』に関する発表をせねばならないのだ。

 リコーダーを先生の前で吹く、くらいのテストならば、ある程度許容範囲だったのに、よりによって皆の前で発表?

 有り得ない。ハタ迷惑。トチ狂ってる。こんなフザけたテストを考えついた音楽教師を呪いたい……。

 だがそんな非現実的なことを考えたところで仕方ないので、現実的な僕としては、当日に体調を崩して、後日、その教師の前でだけピアノを一曲披露して単位をもらう……という方法を目論んでいたのだが。


「あ、もしかして……もう誰かと組むって約束してる?」

「いや……僕は誰かと組んでとか、考えてないから」

「えぇ? 一人でやるの?」


 大声で言わないで欲しい。

 そもそも最初から、その発表会に出るつもりがないんだよ。


「みんな、誰かと組んでやるみたいだよ? 一人の人もいるかも……だけど」


 それぞれの芸術コースは3クラス合同になっている。

 遙花と僕は違うクラスだったけども、音楽の授業だけは一緒だった。

 もっとも、いつも大勢の友達の輪の中にいる彼女と、掃除道具入れの隣の席の僕では、同じ教室にいても大きな隔たりがある。きっと僕のことなど眼中にもないだろうと思っていたのに……。


「お願いします!! 伴奏、引き受けてください!」


 大声で言われて、頭まで下げられて、周辺の女子からの『アンタ、ここまで言わせておいて断るとかサイテーじゃん』と言わんばかりの視線が集中して、僕がとれる選択肢なんて一つしかない。


「…………わかったよ」


 一言答えるだけなのに、僕はひどく体力を消耗した。


 遙花は頭を上げると、嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見て、僕は少しだけ回復した。

 女の子の笑顔というのは、それだけで不思議なパワーがある。……

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