11.休暇とティルムン帰郷

 

・ ・ ・ ・ ・



 早朝。まだ明けきらないうちに、僕ら第六十三隊は宿舎を出た。


 第六十一隊から六十五隊まで、一挙に休暇に入る五隊×五人の二十五人が、ぞろぞろ数愛里(※)を歩いて南の保養施設に至る。ここは“白き沙漠”の北端でもあった。そこで軍備を預けて、舟に乗るのだ。



「ひゃっは~~!!」



 変人サミが浮かれた声を上げた。ばらけた巻き巻き金髪が、突っ切る空気と共に隣の僕の顔に降りかかってくる。うえっぷ。いまいましい、手で叩き払った。


 隊ごとに乗っかるのは、舟……“砂舟”である。川に浮いてるやつと、見かけはあまり変わらない。けれどびいんと張った三角帆にあたり、僕らを前へと運んでいるのは、中央に立つ予備役理術士のつくり出す風だ。



「いざ来たれ 群れなし天駆あまがける光の粒よ、高みより高みよりいざつどえ つどい来たりて 我らを導く疾風はやてとなれ」



 北海岸の戦線と、ティルムン大市とは約百十愛里(※)も離れている。こうでもしなければ、とても一日のうちには市にたどり着けない。


 海岸沿いに道をたどれば徒歩でも行けないことはないが、そうすると休暇が終わる前に行って帰ってこれるのかが怪しくなる。ここでは理術の風で砂舟を走らせるのが、一番確実かつ迅速な移動手段なのだ。



 途中、数か所ある中継地点で休憩する。


 湧き出る泉の周りにできた水緑域にそって、小さな兵舎が建ててある。これらは全部、ティルムンの軍施設だ。



「ここで必ず、機密の“言呪戒ごじゅげ”をかけていって下さい」



 陽光よけのほろを張った舟から下りる僕らに、予備役が声をかけた。



「この先、軍機密は口外厳禁です!」



 説明を求めるように左右を見上げる新兵イスラに向かって、ハガティとラガティが同時にうなづく。



「……戦線で見たこと、他の人に言っちゃいけないんだ」


「ふつうの人が知ったら、おどろいて怖がることばかりだから……」


「ああ、だから“言呪戒ごじゅげ”をかけるんですか?」


「せや……。≪敵≫のこととか、ちょっとでも言ってみ……? いっぱつで、死んでまうで~……!」



 サミが歯をむいて、新兵を脅した。おぞましい表情だ、僕はこっそり震え上がった! しかし新兵イスラはふーん、とうなづくだけである。


 ほこりっぽい兵舎の一室で、別の予備役の立ち合いのもと、僕ら第六十三隊の五人は互いに呪いをかけ合った。


 “言呪戒ごじゅげ”と言うのは、重大な約束ごとを守るための理術だ。かわした契約や機密保持などがとどこおりなく遂行されるように、当事者たちにかけられる。約束を破った者は、その瞬間に命を落とすことになる……僕は実際に、この術が実行されたところを見たことはないけど。



「いざ来たれ 群れなし天駆あまがける光の粒よ、高みより高みよりいざつどえ」


つどい来たりて 我らがちぎりの証者となれ」



 めいめいの杖は保養施設に預けて来たから、僕らは手ぶらで詠唱を行う。予備役の聖樹の杖の先が、一瞬ぼんやりと白く輝いてから元に戻った。



「……はい、これで“言呪戒ごじゅげ”が有効となりました。以降は休暇の最終日、こちらへ戻って解除詠唱を行うまでは、くれぐれも発言に注意してください。市井しせいにて軍機密をもらした場合は、本術がただちに発動して、当人の心臓を止めますので」



 予備役は平らかに注意してくる。落ち着いた声が、逆におっかない。



「だから軍の中のことは、他の人たちには伝わらないんですね」



 水場近くに張られた天幕の内側で軽食をもらいながら、新兵イスラがそうっと僕に言った。がちがち乾ぱんに、干しいちじく。飲み物はふんだんにあった。



「そうだね」



 僕の前任者、クスボ三位さんみも除隊してここを通り、自分に言呪戒ごじゅげをかけていったはずだ。退役した理術士はこうして、天寿をまっとうし死ぬまで軍機密を語らない。自分がいったい何と戦ったのかを誰にも知らせずに、生涯を終えるのだ。



「つーかぁ。軍機密なんて、そんなん話してるひまはないわ。サミは今こそ、軍のくびきから解き放たれ……!!」



 ぐびっ! もじゃもじゃしたここやし杯(? 実そのままだ)を傾けあおってから、サミはにやりと不敵に笑った。いつも以上に気色わるさ三割増しだ。



「久方ぶりの外界げかいを! 俗世を! 満喫するのじゃぁあああ」



 長い間帰省していなかった分、実は一番気合の入っている変人副隊長なのである。



・ ・ ・ ・ ・



 日が傾きかけた頃、緑色の線が白い砂の中にぼわりと浮いて、僕らの船団はとうとう白河にさしかかった。


 水が白く濁っているわけではないが、とにかくそういう名前なのだ。≪聖樹≫からわき出るこの水流が、西の河口へ流れ着くあたり。白河のつくり出す巨大な水緑域の大帯、その上にティルムン大市と周辺小市がある。


 舟着き場は、“白き沙漠”と文明の境界だ。砂のまじる草地上の道を、今度は馬の引く車の中に揺られて四半刻。小さく見えていた数多あまたの建物がどんどん視界に大きくなり、日干し煉瓦と石でできたティルムン大市に、とうとう僕らは到着した。


 ホノボ兄弟は市の北にある実家を目指して、一足先に車を下りていた。近郊へ帰る兵士は多いから、真っ白い市外門をくぐった時には、ほとんどの馬車ががらがらになっている。


 内門、ここからは徒歩である。兵士達は全員平服姿になっていたから、その辺にいる市民も気に留めない。約十年ぶりで昔の・・状態、兵士でも三位さんみでも隊長でもないモモイガ・モシャボに戻った僕だけが、実は手汗を握って緊張していた。



「ついてきて下さい」



 対する新兵イスラは、全く気にかけない風である。僕とサミの先に立ち、ひょいひょい歩いて夕方の街の雑踏の中をくぐり抜けて行く。


 黙ってその細い背中を追いながら、僕は圧倒されそうな非日常・・・に抵抗するので精いっぱいだ。


 夕食の買い物を済ませたおばさん、仕事帰りの壮年男性……。老、若、子ども。すべての世代がいる。女性がいる。理術士でない人々の満ちた町って、こんな風だったっけか……。僕は全部、忘れていた。



 港のある南区、事務所や大型店舗がひしめく一画に、その家はあった。


 三階建ての壮大な石家いしやである。



「婆ちゃん、帰ったようー!」



 正面玄関でなく裏口の扉を開けて、新兵イスラは呼びかけた。


 全身ばら色のお婆さんがさささっと出てきて、少年を抱きしめた。


 ふくよかなのではない。お婆さんは、かなりがっしりした身体をぞろっとした長衣に包んで、濃ゆいティルムン風の化粧をしている。丸く結い上げた髪が白銀だから、とうてい東の人には見えなかった。


 孫に紹介された僕らを、「そうかそうか」とお婆さんはいとも簡単に引き受ける。



「お婆や。よきにはからえ」


「でかいの。あんた、鴨居に気をおつけよ?」



 お婆さんは変人にも動じていない様子である。豪傑かもしれない。


 イスラ少年は近所の粗毛地あらけじ問屋の実家に帰ってゆき、僕らはあてがわれたへやに入る。


 小さな小さな、寝台だけでいっぱいになったようなその空間は、狭かったけれど清潔で、薫衣草らべんだか何かの良い匂いがした。ふう、と吐いた息がやたら大きく聞こえる。


 軍用麻袋を床に置いて、冷気の差し込み始めた窓に鎧戸をはめた。それだけでふわりと、身体の周りが急に温かくなる。


 とにかく洗い場だけすぐに使わせてもらうべく、僕は薄暗いへやを後にしかけた。



 ♪ ねんねん 寝にゆく いなか道ぃ~~



 誰かが遠くで、子守唄を口ずさんでいるのが微かに聞こえる。


 やたらはしゃいだようなその歌声は、ぱたりと扉を閉める音にまぎれ込んで消えてしまった。外にいる人の声だろう。


 疲れていたけど、僕は微笑した……。


 こういうものが、自然に周りにまぎれこんでくる。それが日常・・だったということを、ちょっと思い出し始めていたから。



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


※作中、1愛里≪アイレー・マイル≫はそちらの世界での約2000メートルに相当。(注:ササタベーナ)

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