12.親友のいない故郷

 

・ ・ ・ ・ ・



 戦線からここティルムンまでは、百愛里以上。


 久し振りにした長距離移動のせいで、僕の身体は自分で思った以上に疲れていたらしい。それこそ泥のように眠った後、ばつんと目が覚めた。戦線での定刻どおり。


 ひとつの空間に一人で寝ている、と言うことがやたら不思議に思える。


 そうっと鎧戸を外して開けてみると、小さな窓いっぱいに様々な色がひしめいて見えた。


 黄金とだいだいの陽光が反射している樹々の緑、雲の白と青の混じり合う空……。そうだった、空はこんな風に純に青いものだったんだ、ここでは。



 地上階の食堂に行ってみると、十人あまりの男性たちがいくつもある角卓子席について、朝食をとっているところだった。ここの下宿にはこんなに人が住んでいるのだな、とちょっと面食らう。



「モモ君、こっちやでー」



 窓際席から、サミに呼ばれてしまった。そもそもがでっかく目立つのだから、加えてひらひら手を振ることないのに……。くそう、明日からはもっと早く来よう。



「……おはよう、サミ」


「よく眠れたかえ~!? うちはぶっちぎり、快眠できたわ! 見たって、この巻き毛のつやっぷり!」


「そう、よかったね。どうりで触角もよく立ってるよ」


「はッ!?」



 どうでもいい僕の答えに、なぜかまじめにサミが反応して、頭に両手をやる。給仕役らしい年輩女性が来て、お盆に満載の食べ物を僕の前に置いてくれた。



「どうぞ召し上がれ。お代わりは全部あっちの卓子の上だから、好きなだけ食べてね。でも取り分けたものは、残さないでください」


「はい、わかりました」



 ……こういう風に話されるのも、本当に久しぶりだ。新兵イスラのお婆さんと二人の年輩女性が、卓の周りを忙しそうに行き来している。ついでに見渡せば、食べている下宿人達はほとんどがイリー人らしかった。なるほど、お婆さんは出自の人脈をかして、留学生相手に太い商売をしているのか。



「なかなかいけるで、ここのごはん」



 薄切り野菜のたくさん入った菜湯には、ぴりっとした裏味がきいていた。生姜しょうがかもしれない。


 ぱんはしっとりとしていて、どんどん食べられる。慣れきってしまった戦線宿舎食堂のものと違えば、何でもよく思えるのかもしれない。でもサミに言われるまでもなく、本当においしかった。



「うち、朝寝をたーんとかまして、ごはん抜こかと思っててんけどー。やっぱ食べるっきゃないな! それにこんだけ美味しいなら、実費払うんも仕方しゃあないわ」



 二杯めの菜湯をたいらげたサミが、せこい企みをぼそぼそ言ってくる。その時僕らの卓子の脇に、突如ぬうんと新兵イスラのお婆さんが出現した。



「何言ってんの。あんたらの仕事は、食べてなんぼだろうが」


「うッ、お婆ッ!?」



 僕らの空の椀に、ごついお婆さんは急須からさらっと白湯を注ぐ。言ってることは本当だ、理術士は並みのティルムン人よりよく食べる。僕らにとっては普通の量だから、気にならないのだけど。


 大食いになるのは理術の詠唱から発動時、理術士の体内において相当な熱量が消費されるがゆえ、と言われている。お婆さんは孫の食いっぷりを見て、よく知っているのに違いなかった。



「あと、朝食は実費徴収にゃ入らんよ。でなきゃ、≪寝床と朝食≫下宿屋、って種目を名乗れない」


「……そうなんですか? 女将おかみさん」



 僕はまぬけ面まる出しで、聞いてしまった。こういう世俗の色々が……もう本当に、わからない。



「お婆や……。あんた見かけによらず、すてきな経営者なんやね?」



 感動したらしい、サミがかさばる巻き毛を揺らして笑顔を咲かせる。気色わるいよ。


 お婆さんは、角ばった顔でじーっと変人を見すえ、こう言い放った。



「お前は、たんと食ってさらにでっかく伸びるがいい」



 すごいぞ……! サミとこんな風に向かい合って平気な人を、僕はあまり知らない。



――ああ、だから新兵イスラはサミに何を言われても動じないのか! このお婆さんの孫なんだもの。



 変なところで、納得がいく。


 さて、こうして休暇二日目がめでたく始まったのだけれども。僕はふと思い当たった。



―― ……何しよう?



 たらふく食べたサミは、張り切って二度寝に向かった。陽が高くなったら、競犬を見に行くと言う。自堕落を満喫する気合にあふれている、さすがだ。


 そこまで思い切れない、根が小心者の僕は、とりあえず金融機関に行く。


 戦線からでも、持っている口座の照会や引き出しなどはできる。でも改めて、≪普通の世界≫に僕がつながっている部分を確かめておきたい、と思い立ったのだ。


 僕の口座は、ずいぶんふくよかに肥えていた。入営して約十年、ほとんど使う機会なんてなし。仕送りする先の家族も持たないから、振り込まれる一方の給与がたまりに貯まっている。僕はいくらか、現金を引き出した。




 明るい陽光と青い空の下を、僕はつとめて不規則・・・に歩いてみる。誰が見ても、とうてい正規理術士には見えなさそうな足取りで。


 ここ、南区パバルナンとは全くなじみがなかった。親友イスラと一緒に在籍していた第四理術士錬成校は東区にあったから、僕にとってのティルムンは東区とほぼ同等だ。


 その小さなティルムンだって、何だかもう忘却の彼方に去りかけている。戦線の白い砂浜と灰青色の空、日砂ひずなに照らされる夜間の第六十三隊室。今はそればかりが、僕の現実世界になっていた。



 ふい、と潮の香りが鼻孔をよぎる。日干し煉瓦の街並みの向こうに、港がかいま見えた。中小の船から、たくさんの帆柱が青空に向かってのびている。



――モモイ! 次の休みも、うちに来るよな? お母ちゃんも、お前のことめっちゃ気に入っとんのやし、遠慮したらむしろ怒るでー。つうかすでに親戚状態やな、あはは。また川舟のってー、釣りしよかー。泳ごかー。川いるかは、居るかなー?? げえ、しょっぱいだじゃれ言うてもうた、口が勝手に。絶対に、あのおっさん地理教官の悪影響やで……。詠唱までおっさん臭くしょっぱくなったら、どうしてくれるっちゅうねん、もう。は? 俺のぼけは、既に十分しょっぱい……??



 静かに光る海面に目を向けたまま、僕はしばらく河口ぞいの棕櫚しゅろ並木に寄り添って、立ち尽くしていた。


 僕の知っている故郷ティルムンには、常にイスラが。僕の親友イスラがいた。


 イスラと一緒に、僕は故郷もそっくり失くしてしまったのかもしれない。きっと、そうなのだ。


 イスラのいないティルムンは、もう僕のティルムンではない。



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