9.星明りの祝福を聞け

 

・ ・ ・ ・ ・



 新兵イスラがいることへの、上層部からの配慮なのだろうか。僕ら第六十三隊が夜間配備されることは、なぜかほとんどなくなった。


 たいてい日中、明るい日差しのもとで戦線に立つ。左右の隊というのも固定されて、第六十一隊と第六十五隊、一緒に日中配備の恩恵を受けている。


 海竜の攻勢に夜昼の区別はない。(だから≪敵≫が夜行性のけものなのかどうかという疑問は、新兵イスラも持たなかったとみえる。やつらはずーっと、起きている。)


 どうしたって、夜の間も配備は続行されなくてはいけない。しかし、いかんせん寒い。陽光がぎらぎら照りつける昼間、特に暑い午後初めの配置の方が、ずっとましだ。


 個人差はあるのだろうけど、多くの理術士はできれば昼間に戦いたいと思っている。




 それは珍しく、夜間配備のまわってきた日だった。


 闇の中に白く息のけむる道を、塹壕に向かって進みながら、サミがイスラに絡む。



「居眠りなんかするでないぞ。助けてやらんからね」


「だから昼寝めいっぱい、したんじゃないですか。そういうサミさんはあれだけ夕ごはんいっぱい食べて、お腹くち過ぎで寝落ち大丈夫なんですか」


「むかッ」



・ ・ ・



「いざ来たれ 群れなし天駆あまがける光の粒よ、高みより高みよりいざつどえ」


「……あおき鉄槌を下せ!!」



 黒い海とその飛沫の中に、ぎんぎんと青白く、鎌のような風がひらめいてゆく。


 新兵イスラは元気だった。むしろ昼間以上に強い威力で、海竜をめった斬りにしているような印象がある。



「……飛ばしすぎてないかい?」



 “防御壁”の詠唱のあいま、僕は新兵にそっと聞いてみる。



「平気やし! 応援がー、……祝福がな! 届くんや」



 僕を見ず、まっすぐ正面を見据えたままで、少年兵は低く力強く言った。



「……?」



 その言葉を僕が理解しかねていると、イスラは胸の前に両手で支えていた聖樹の杖、添えた左手ひとさし指をちょっと立てた。垂直方向へ。



「援護の“照明”にまぎれて、ここではちょっとわからんけど。“超老眼”、今もかけとんのやろ? 真上を見上げれば、わかるで」



 言われて、僕はふと暗い夜空を見上げた。……別にどうってことない、星の白くまたたく暗闇でしかない。


 新兵の言っていることは意味不明である。やはり慣れない夜間配備で、少々調子がおかしくなっているのか……ああ、眠気と闘っている? 僕は指揮に戻り、集中する。



「ハガティ、防御壁を少し右へ。サミ、次の一撃準備」



 僕らの戦線に、青く白く赤く火花が散り続ける。星は正面の敵にぶつかり、飛び散るもの。


 頭上はるか遠くでまたたいている数多あまたの存在を、僕は目にしても理解していなかった。




――イリーから東の方ではなー、死んでまうことを“丘の向こうに行く”ちゅうねーん。何や表現が妙ちくりんやろ? けど皆、そう言うねんて。ほいで死んだもんは、この世でない別のところから、後に残した家族とか大事な人を見守るちゅう話。夜空に浮かぶ小っさい星な、あれのちかちか・きらきらん中に入っとる、と考える人もおるらしいよ。うむ……せやな、人間死んだらそれで終わりよな、続きなんてあらへんな。その辺モモイはティルムン男児よな、わりかし白黒はっきりつけたがる。けどな~……。モモイの目ん玉、あんがい灰色やでー?? 知らんかった?



・ ・ ・ ・ ・



 ずいぶん先だと思っていた休暇が、七日後に迫っていた。


 年に二回取れる休みの間は、本当に何をしたって自由なのだから、年若い兵士ほど楽しみに待っている。すれ違う他の隊の兵士達も皆、どこかで機嫌がいい。第六十一隊から六十五隊まで、連番隊が一挙に休みに入るのだ。


 新兵イスラも、ホノボ兄弟とこの話題で頻繁に盛り上がっている。と言っても、ハガティとラガティの盛り上がりは相当に地味だけど。


 そんな日の第六十三隊室、就寝間際。ねまき姿がいかにも子どもくさいイスラが、天井すれすれのところにあるサミの頭に向かって聞いた。両者とも、寝台上段にいるのである。



「サミさんは、お休みの間、うちに戻るんですかー?」


「けっ。うちの家はうち自身、人間いたる所に緑山あり、ちゅうねん」



 吐き捨てるかの如く苦々しい変人返答が、僕のいる寝台上方から放たれる。



「青山ね」



 下段にて布巻き本を読んでいた僕は、訂正してやった。全くひるむ様子もなく、新兵は続けて問いかけている。



「帰らないんですか? どうして」


「あんたみたいなお気楽わらべとちごうて、大人にはしちめんど臭い都合があんのッ」



 いや、サミを取り巻く環境が面倒くさいだけだ。クイ=シンボ家はティルムン市内有数の金持ち旧家だが、いまだ三位さんみぐうたら・・・・している三男サミを、体面よごしと思っている。わざわざ叱られに帰るようなものなので、帰る家のない僕同様、休暇は毎回居残り組だ。


 と言っても戦線の宿舎にいることは許されないから、少し南下した内陸地にある軍用保養施設でぼーっとする。変人と腐れ縁で一緒にいるのはいただけないが、僕はいつも手持ちの本を読み返して過ごしている。



「そうだ……ハガティ、ラガティ。例の新刊を、また買って来てくれるかい?」



 へやの扉に向かって右側寝台上下段にいる双子が、同時同速同方向にこくんとうなづいた。ティルムン大市の近郊農家出身のこの兄弟に、僕は休暇のたび毎回お金を託して、気に入っている流行布巻き本を入手してもらっていた。それがたまった今では、かなりの量になっている。結局最後には皆で回し読みしているのだから、第六十三隊文庫、と言えるかもしれない。



「あのー」



 新兵イスラが、再び声をあげた。



「モモイ隊長も、サミさんも。俺と一緒に、ティルムンへ帰りませんか?」


「ぎーっ、帰るとこあらへんのやって言わせるなやッ。愚かなる、わらべめッ」


「ありますよ。うちの婆ちゃんとこ、来ませんか?」



 は??


 僕とサミは、寝台上下段にて同時に口を四角く開けた。



「俺の婆ちゃん、学生むけのまかない宿を経営してるんです。休暇で帰ってくる時に、行き先決まってないお友達がいたら、ぜひ連れておいでって言われました」


「お友達とちゃうわ、上司や!! ……ちなみに、一泊なんぼ!?」



 切れつつも、したたかにサミが問うた! 金持ち実家に寄りつけない以上、ふところ事情に気を配るのは必然である。



「長い期間でないから、へや代はただです。食事代だけ実費でもらえればいい、って婆ちゃん言ってました」


「あら素敵やん」



 変人副隊長は、ころッと態度を変えた。



「まあ所詮は庶民の、ばっちい所やろうけど~。ええやん、久しぶりにティルムン帰って、のんびり雑踏に埋もれたいわー! モモ君どうえ、いっしょ行かへんかッ!?」



 のりのりに乗り気な声で言いつつ、サミが寝台上段から首を逆さにして、下段の僕をのぞき込んでくる。


 ぶぁさっ! 盛大に垂れ下がる巻き巻き金髪の中で輝く、気色わる笑顔!


 なんだか悪夢に見そうな怪談絵図だ。僕は即座に目をそらして、新兵の方を見る。



「いいのかい、イスラ? 本当に……」



 平静を装ったけど、僕は実は、……ものすごく興奮していた。三位さんみなのに、隊長なのに、大人なのに。……ティルムン大市に、帰れる…!



「はい、どうぞ」



 屈託のない笑顔で、少年はこくっとうなづいた。



「……モモイ隊長。自分で」


「本、買えますね……」



 ホノボ兄弟も、ゆるゆるっと笑ったらしい。

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