8.海竜の謎

 

・ ・ ・ ・ ・



 早めの午前中配備があった日。


 夕食を待つ日暮れ前の手持ち無沙汰な時間帯、僕は宿舎の裏側でぼんやりしていた。そこへホノボ兄弟がやってくる。そっくりな顔が二つとも、困っているように見えた。



「……どうかした?」


「……すみません。俺らでは、説明が」


「うまく、できなくて……」



 ハガティとラガティの後ろに、新兵イスラがついてきている。黒ぐろとした眉毛を寄せて、少年は不満気な表情だった。



「≪敵≫のことについて、質問と疑問がいっぱいあるんです」



 あちゃあ、と僕は思う。口べたホノボ兄弟では、さすがに難問かもしれない。



「……わかった、少しその辺を歩こうか。ハガティとラガティは行っていいよ。時間になったらサミを起こして、直接食堂へ行ってて」



 ホノボ兄弟は、いかつい顔に安堵をにじませた。同時同速同方向にうなづき、何をどうしたらそこまで合うのかと思える足並みの揃え方できびすを返すと、宿舎の入口へ向かって行く。


 僕はあごをしゃくって、新兵イスラと小備蓄庫の裏手へまわった。砂地にのぞく白っぽい岩肌、その上にやはり白っぽい浜草の茂る辺りには、そぞろ歩いている理術士が何人かいる。


 毎日戦線に配備される僕らには、基本的に訓練や運動の義務はない。ティルムン軍の理術士兵に必要なのは、腕力……肉体的な攻撃力ではなくて、耐久性と集中の持久力、そして何より声調の維持なのだから。


 でも、気晴らしのために歩きたい走りたい、という人間は多い。僕も時々、ひたすら歩き回っている。日暮れ時の弱まりかける陽光の中で、のびのびと体操をしている兵士もけっこういた。一人で、あるいは数人でしゃべり合いながら。そういう中に、僕と新兵イスラも自然に入って行った。



「……まじめな話、僕は三位さんみで君は五位ごいだ、イスラ。今の君の軍位で知ることのできる以上の話は、してあげられないけれど」



 僕は平らかに切り出した。新兵イスラが見上げてくる。



「でも君が、何をどう知りたいのか。質問はしたいだけ、していいよ」


「本当ですか?」


「うん。≪敵≫の、何を知りたいの?」



 ふんッと鼻息をついてから、新兵イスラは息せき切って話し始めた。



「やつらがどこから来て、ティルムンに何しに来てるのか、ってことです。九世紀も昔に現れて、海辺にあった漁村を壊滅させた、って話は五位講義で聞きました。けど、昔の偉い理術士たちがやつらを追い返さなかったら、海竜どもはどうしてたんでしょう?」


「ふんふん?」


「仮に。仮に、ですよ? 何もはばむものがなかったら……、ここの戦線に俺たち理術士隊がいなかったら。海竜は、ずどーんと陸に上がってくるんでしょうか? て言うかあいつら、そもそも陸の上で生きていられる生きものなんですか。放っておいたら、どこに向かうんですか。“白き沙漠”を突き進んで、ティルムン大市まで来るつもりなのか……。何をしに? 俺たち人間を、ぜんぶ丸ごと滅ぼしに?」


「ちょっと声、落とそうか……」



 しゃべりまくっているうちに白熱していた少年は、それではっとして口をつぐむ。けれどすぐに、再び話し出した。



「……いちばん気になるのは、やつらが一体何ものなのか、ってことです」



 僕は軽くうなづいた。



「ああ、そこのところはかんたん明瞭に答えられるけど? 君もばっちり見て知ってる通り、海竜は海竜だよ。でっかくて凶暴な怪物」



 海から来た、竜。≪竜≫と言うのは“ながい怪物”を意味する語なのだから、そのまんまだ。


 ……しかし、じいっと見つめ返してきた真っ黒い瞳が、親友イスラの眼力なみに強くて、僕は一瞬どきりとする。



「……モモイ隊長。“海竜”は、略称・・です」



 僕はまばたきをする。



「五位講義の中で、教官が確かに“略して海竜”って言ったのを聞きました。つまり“海竜”には、何か別の呼び方とか名前があるはずなんです」


「……」



 十年以上も前になる、僕も五位だった頃に聞いたことだ。けれど“北海棲・大竜”とか何とか、しち面倒くさい名前の略語なんだろう、くらいにしか思っていなかった。あるいは図体の大きさ別に小・中・大海竜がいるから、まとめてくくって海竜かと。


 目を泳がせた僕を見て、さとい少年は聞いても無駄だと察したらしい。かくん、と頭を下げた。



「中将以上にならないと、知ることはできないのかなあ……。やっぱり」


「うん。ごめん」



 なぜ、僕は謝っているのだろう……。



「えーと……。あと、理術士がいなかったらどうなるのか、って言う先の質問だけど。こっちにもやっぱり答えられないんだ」


「それは、俺が五位だからですか?」


「いや。そうでなくって、そもそもが誰も知らない。海竜が陸に上がってきた前例というのは、本当にないんだ。だから戦線を突破されたら、どういう方向の展開になるんだかね」


「せめてやつらの目的がわかれば、もっと有利な対策が取れるんじゃないか、って俺は思うんですけど」


「……けものに、目的なんてあるのかなぁ?」



 てくてく僕の横を歩きながら、イスラは何かを言いたそうにした。けれどそこで、こーんと鳴る鐘が聞こえる。辺りに散っていた兵士達が、一斉に宿舎に向けて歩き始めた。



「夕食だ。行こうか」


「はい、……」


「君の質問は、ぜんぶ聞いたよ。知りたいことがたくさんあるってことも、わかったから」



 新兵イスラは、うなづいて僕を見上げる。それでまっすぐ、宿舎の方へ足を向けた。


 あかっぽい夕陽を浴びて、それ以上何も言わずに歩を進める。僕は胸に湧き出た苦みを、何とかして脇にどけようと努力していた。


 海竜どもが何のためにティルムン北海岸に押し寄せているのか、戦線配備の理術士隊は知らないままに戦っている。けれど僕は、……僕の親友イスラを失ったあの日の経験から、誰にも言わない仮説を胸にいだいていた。



――海竜は、人をべる。人間をとって喰うために、やつらは陸に上がろうとしている。



 九百年前の初出現時、海竜は北海岸にあった漁村を壊滅させた。その壊滅・・の詳細は五位講義では語られなかったけど、僕には見当がついた。そこに住んでいた人々は滅びてしまったのだ、……皆みんな、僕の親友イスラのように食べられて。


 だから海竜どもがもしも戦線を突破したら、間違いなくやつらは村を、町を目指すと僕は予測する。この“もしも”が禁じられた予測であることは、軍内暗黙の了解でわかっていた。ティルムン理術士隊が敗れ、突破されることがあってはならないのだ。


 最悪の事態を想像する人は少なくないと思うけれど、いかんせん誰も口にしない。


 だから僕も今まで、誰にも何も話さずに生きて、戦って来た。親友イスラの最期の記憶とともに、必死に胸の内にとどめている。



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