7.病み倒れた兵士

 

・ ・ ・ ・ ・



 その日の異変に真っ先に気付いたのは、サミだった。


 いつも通り、最前列で海竜どもに対峙していた夕刻のこと。薄暗い浜には、後方列の部隊から時々“照明”の援護小術が放たれて、僕らの周囲を鈍く照らしている。≪敵≫の方は光る“防御壁”で明るく見えているし、周囲が薄暗い中の配置であっても、視界に関しては日中と変わらなかった。



「モモイ隊長。隣の第六十五隊の人、……何やおかしいで」



 ハガティとラガティ、イスラに合わせ“防御壁”の詠唱を延々続ける僕の上腕をふっと小突いて、変人副隊長が言う。僕が視線だけ回して左側の第六十五隊の様子をうかがうと、一人が塹壕から後ろに這い出て、ぱたりと砂に突っ伏してしまったのが見えた。


 後方列の部隊は、もっと早くに気付いていたらしい。素早く走り寄ってきた二人の衛生兵が彼を両脇から引っ張り上げ、担架に乗せて連れ去って行った。僕は視線を正面に戻す。



「サミ、正面個体の右側に一撃」



・ ・ ・



 交代時刻となり、宿舎への帰路についたところで新兵イスラがサミに聞いている。



「第六十五隊の人、どうしちゃったんですか? 俺には倒れる前、“みえた、みえた”ってわめいているように聞こえたんですけど」


「あー、わらべも聞いたかえ? うちにもちょっとだけ、そんな風に聞こえたわー」



 暗黒の空が、どよりと頭上に重い。



「時々いるんよねー、戦線で急に病気になってまう人。気に病むって言うんかなぁ。いろいろ考えても疲れがたまるばっかりなんやし、そういうのは気にしない。うちのように、ひたすら華麗に活躍することだけを考えていれば、病気にはならへん」


「妄想するんですねー」



 低くしゃべる二人の声を横で聞きながら、僕は倒れた人の名前を思い出そうとした。いや、顔は憶えているが本名も知らない、となり奇数隊の四位だ。僕より若くてがっしりしていた、時々食堂で朗らかに笑う人。病気になる理由? 簡単には思い当たらない。



 宿舎に戻って沐浴する。


 どんなに気をつけていたって、戦線に出れば僕ら理術士は砂にまみれた。砂粒は下から絶えず舞いのぼるのだし、それに加えて“白き沙漠”からの砂塵まじりの風に始終吹かれているのだから、どうにもならない。


 肌に髪に、みえない粒はいくらでもまとわりついていた……。全部おとすのは無理と言うものだ。入営して早々に、若い兵士達は完璧主義を完全に・・・てる。


 仕切りだらけの洗い場の個室、割り当てられた量の水湯で汚れざらつきを取ってゆく。慣れてしまえば戦線生活の中で、そこそこ快い一時である。洗い流しても、そもそもの地が砂色の髪。それをぎりぎり絞りつつ僕はもう一度、先ほど見た光景を思い返す。新兵イスラの言ったことも。


 僕自身は聞かなかったけれど、倒れた四位理術士は“みえた、みえた”とわめいていたと言う。……見えた? 何が、幻影が?


 熱に浮かされて在りもしないものごとを見てしまう、あるいは夢と現実を取り違えてしまうのは、よくあることだ。誰にだって起こる。けれど理術士は毎日、簡単にではあるけど、隊内で体調確認をし合ってから戦線に出る。熱のある兵士が配置地点の塹壕に入る、なんてことはあり得ない。……それじゃ彼は、一体何を見たと言うのだろう?



「……まさか、ね……」



 身体を拭き洗って、用の済んだぬるま湯を床の排水口に流し込みながら、口の中だけで僕はひとちた。



――僕があの日・・・に見たものを、例えば大人になってから初めて目にしたのだとしたら……。



 それこそ現実として受け入れることができずに、衝撃から病気になってしまうかもしれないな、と思った。


 十四歳の僕は、何も知らずにあの光景を見たのだ。あまりにきつい記憶ではあったけれど、いなくなった親友のイスラが、そこでも僕を守ってくれた。僕はひたすらイスラの喪失を嘆くことで、他のことは後々まであまり突き詰めては考えなかったのだ。


 来たるべき海竜との対峙に備える時間が、僕にはあった。……だから今も正規理術士として、わりと平静を保っていられる。



 個室の仕切りを出ると、頭に白い布をぐるぐる巻きにした巨大なやしの木が先を歩いている。



「ふあー、今日もほんっと、おなかすいたわ。うち腹ぺこちゃん、餓死の危機ぃ」



 誰に向かってぼやいているのだか、変人サミの気色わるい声が洗い場に低くたなびく。


 明り取りの四角い窓が、ぺかっと不自然にてかった気がした。



・ ・ ・



 運び去られたその人を再び見ることはなくて、次の回の戦線配備では、既に別の人が詠唱をしていた。


 だいぶ時間が経った今も、第六十五隊はそのまま機能し続けている。


 何かの拍子に身に不具合が起これば、僕もすぐに取り引かれるのかもしれない。そして僕の知らない誰かが五人目の第六十三隊員になって、隊は機能し続けるのだろうな、と思う。


 長引く病気、治りにくい病気にかかるのは極力避けなくてはならない、とティルムン軍規はいましめる。治らない病気はことさらだ。


 理術士は、活躍・・する必要はない。ひたすら決められた時間、地理の範囲内で機能・・することが重要なのだから。


 ……逆を言えば、機能しない理術士はすでに正規理術士ではない。目や耳が悪くなった、膝痛腰痛で長いこと立って詠唱するのが難しくなったという場合であれば、予備役へ移るのが一般的だ。学校時代の成績が良かった人なら、現役引退からそのまま錬成校の教職になることが多い。


 けれど今回倒れた人のように、全く機能しなくなった理術士がどうなるのか、僕は知らない。誰も知らない。


 どこか別の施設に移されて、療養しているのか。あるいは早期退役の扱いを受けて、故郷へ戻ったのか……。


 帰ってきた人が皆無だったから、知るすべはなかった。



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