4.泥のように眠って
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ようやく交代となって宿舎に戻れた頃、僕はもう
無口になって歩き方が雑になる。サミもホノボ兄弟もそれをわかっているし、そもそもが連続稼働なのだから皆疲れ切っていた。無言のうちに夕食をたべて、就寝時刻となる。
クスボ前隊長の使っていた、寝台の上段にいる新入り少年兵の方はもう見ないようにして、僕は寝床へもぐり込む。
サミが長い腕を伸ばして天井の灯り窓を閉める。
――泥、てなぁ。知ってるか、モモイ? 俺もお母ちゃんから聞いた話なんやけどな、土に水を混ぜ込んで煉瓦にする前のやつ。あれがな、んもー目の前いっぱいに、どば~っと自然に広がってる所があるんやって! しかもそれが乾かんと、ずーっとどろどろしてるらしいねん。その上っかわに草が生えると、見かけどろどろとわからんから踏み込んでもうて、足とられてはまり込んでおぼれ死ぬ人もおるんやと。おっそろしいな~? ほいで泥ちゅうのは何でか知らんけど、死んだ人間の身体をそのまんま保っとけるらしいぞ、だいぶ長いこと。だから泥を掘りに来た人が……、うん、その泥ってのが泥炭ちゅう燃料にもなるらしいな、お母ちゃんによれば。掘りに来た人が、むかーし昔の死体を掘り当ててもうて、フンギャーと驚くことがよくあるそうな。恐怖やな~! 俺もこうして自分で話してて、こわいし~! えー、……おち? 怪談におちなんぞ期待したらあかんよ、モモイー。ほいで~、そうやって出て来た昔の人っちゅうの? 何や見かけが、ただ静かに眠ってるだけみたいなんやって。せやから、疲れ切って深ーく眠ることを、“泥のように眠る”と言うらしいな、うちのお母ちゃんの
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翌朝の起床時刻。
寝てる間に海竜の数が減ったのだろう。緊急総配備は解除されていて、第六十三隊の次回配備は正午に変更されていた。
イスラが、 ……いなくなった親友のイスラが、ぺらぺら軽い調子でしゃべっている夢を見たような気がする。とにかく泥みたいに深く眠ったおかげで、僕の理性は回復していた。
だから隊ごとに朝食卓子席の割り振られた食堂で、改めてイスラに、 ……新しく来たイスラに話しかけてみる。
「昨日はあんな風にごたついてしまったけど。僕がモモイガ・モシャボ
「モモイ隊長とお呼び。そしてうちは“第六十三”の
小指を立てて菜湯の椀を持ち上げながら、変人サミが
「はい」
新兵イスラは、受け流し感満載でサミにうなづく。僕は双子の方を示して続けた。
「そして……ハガティーウとラガティーウのホノボ四位。わからないことがあったら、まずこの二人に相談しなさい」
ティルムン軍に年功や階級序列はあるけれども、実はそんなにうるさい決まりはない。特に三位以下の現場配備は
「ハガティ、ラガティ。忙しいだろうけど、イスラのことを気にかけてやって」
黒っぽいぱんを頬張っている兄弟は、僕の方を見て同時同速同方向にうなづいた。個別に呼びつつまとめ扱いさえしておけば、安定した仕事をしてくれる温厚な二人である。イスラに一番
「……きみは、どこから来たの?」
少年の左隣にいたラガティが、そうっと聞いた。
何てことだろう、はにかみ屋が会話に挑戦しているっ? これはもしや相乗効果というやつか、新兵の教育担当にしたことで無口な兄弟が積極性を持ってくれるかもしれない…! 僕は胸のうちでほくそ笑んだ。
「ティルムン大市です。南区パバルナンで、親が
はきはきと答えるイスラの言葉に初めて
親友イスラは東区出身だった、……そうだそうだ。結局は他人の
「けどさあ、見かけと名前がやたらめったら
さすがサミ、普通の人なら
「はい、婆ちゃんがイリー人です」
「へえー。テルポシエとか?」
「そうです」
……ここは親友イスラと同じだった。ティルムンの東に広がる“白き沙漠”、そこを横断した先にあるという≪東側世界≫のイリー都市国家群。元々はティルムンからの植民が作った、小さな国々がひしめいているところ。一番東にあるテルポシエという国が最も栄えていて、ティルムンとは海路交易が盛んだ。いなくなってしまった親友イスラも、母親がテルポシエの人だった……。
「でもその髪は、さらに東へ行ったような感じやな?」
そうなのだ。イリー人と言うのはそもそもがティルムン人だったから、両者は今でもそんなにかけ離れた容貌をしていない。どちらも大方が明るい髪をしているが、親友イスラの髪は暗色、ほとんど闇夜みたいな色でうねっていた。今、僕の前で口いっぱいに黒ぱんを噛んでいる少年もそうなのだ。それだけ見れば地味なのだけど、明るい髪ばかりのティルムン人の間では異様に目立つ。……ちなみに僕の頭は砂色髪である。いつも着ている理術士外套とあんまり変わらない。“白き沙漠”の砂ん中に溺れてもうたらたちまち見分けがつかんくなるぞ、落ちたりはまったりしては絶対あかんよ、と親友イスラは時々言っていた。砂にはまるって……んなわけあるかい。
「はい。婆ちゃんのどっちか親が、東部ブリージ系らしいです」
飲み込んでからー、の新兵イスラの答えにサミは口をすぼめた。
「……東部大半島の、原住の人らかー。あかん、うちの未知の世界や」
ホノボ兄弟は静かに飲食しつつ、どちらも少年とサミの会話に耳をかたむけている。
“白き沙漠”以東の≪東側世界≫には、大きく二つの原住民族がある。一つはイリー諸国の北側、山岳地帯にいるキヴァン。もう一つが大陸極東部、“東部大半島”にいる人々だ。東部ブリージ系とか、簡単に東部系と言ったりする。
彼らをティルムンで見出すことは、ほとんどない。もちろん地理の学科でさんざん学んだことではあるけど、所詮はティルムンの干渉しない遠方のことがらだ。
僕だって親友イスラを知らなければ、この新兵を外国人として奇異の目で見ていたかもしれない。サミとホノボ兄弟に、彼が珍しい存在として映るのも無理はない、と思う。
「……でも君は、……イスラは、ティルムン育ちなんだろ?」
個人名を呼ぶのに、どうしても緊張してしまう。けれど僕はつとめて平らかに言ってみる。
「はい」
「それなら別に、僕らと何も違わない。理術士なんじゃないか」
少年は無言で、僕を見た。……と、思う。僕はわざと視線を外していた、菜湯の椀の上に。
「違うっしょ、モモ君。別格花形のうちと、こんな
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